第十一話 あたたかなてのひら・後編(2)
庭の桜は以前と変わらず、花弁を空に踊らせていた。気温が高くなっても悠然と林立している。
彼の言った通り、戻って来るのに時間は掛からなかった。しかし、彼の腕の中で泣きじゃくるマリちゃんが泣き止むにはかなりの時間を要するようだ。
「狩人じゃなかった」
開口一番、千田くんはそう呟く。
嫌そうながらもしっかりと幼女を抱え、不器用に優しく背中をさすってあげていた。
「どう、しようね」
「コイツにちゃんと説明しないと二の舞になるかもしれないしな」
慣れない子供のあやしに時折、表情を歪ませるが泣き止むまで離そうとはしなかった。代わろうかと私が手を伸ばしたが、首を振ってやんわり断られる。
暫くしてやっと落ち着いてきたようで、マリちゃんはこちらの声にも反応を示すようになった。
しかし降ろしてもらった彼女は、私のことを見なり全ての平仮名に濁点が入ったような「ごめんなさい」を言い続けた。自分がやったことを反省しているようだ。
「お兄さんがっ、おじえでぐれでっ……マリがっ、わるがだっで……っ」
しゃくりあげつつも必死に話してくれた。同じ目線にしゃがんだ私は、何度も頷きながら聞きとる。
ここまでの道中、彼は泣いていたマリちゃんにある程度の説明をしてくれたそうだ。私は魔女でないということや、神様はマリちゃんを騙していたということ、そして私たちは攻撃しないということ等。
その全てを信じてくれたらしく、彼女からの敵意はほとんど無くなっていた。
「ただ、一つ引っかかる」
立ったまま千田くんを見上げ、私は続きを催促する。
「コイツの使い魔、なんかおかしい。たぶん悪魔じゃねぇ」
「悪魔じゃない使い魔なんているの?」
私の問いに彼は、稀にあると答えた。
彼女の小さい影から巨大な両手が、少しだけはみ出ている。
顔はないし表情も分からないが、そわそわと落ち着かない様子であるのは何となくわかった。主を――マリちゃんを心配しているのかな。
「マリちゃん、このおててたちはいつから一緒にいるの?」
そう問うと、彼女は泣き腫らした目をこちらに向けた。
「わかんない。でもね、ずっといっしょにいたの。ずっとずっとまえから」
ずっと、前から。
言葉が脳を反芻し、一気に思考が回る。ぐるりと過去が、脳内を廻る。
指先の、なんとなくの答えらしきものに辿り着く感覚。私はそれを信じることにした。
「おててたちを呼んでくれないかな」
私のお願いを聞いて、マリちゃんは首を縦に大きく振りながら返事をする。
彼女は自身の斜め後ろに振り返った。自分の影に話し掛けて幼い両手を伸ばすと、そわそわしていた使い魔たちが大人しく地面から顔を出す。
歪で大きな手の影は、ふわりと私の前へ移動してきた。
一連の流れを黙って見ていた千田くんが純粋な質問を口にする。
「何する気だ」
「うーん、私もよくわかんない」
「分かんねーのかよ」
本能的に、なのかな。
そう呟くと彼は私に視線を向ける。おかしく思っているようで、それ以上は何も言ってこなかった。
影の両手は、まるでお互いに寄り添うようにして浮かんでいる。感情は読み取れないし、何を考えているのかも分からない。
でも、守っているということはわかる。
彼らの後ろに立つ幼い子を、『親』のように。
「貴方たちが、マリちゃんのお父さんとお母さんなんですね」
私の中に疑念は無かった。今までの彼女の言動から見て、これしか答えはないと思った。
子を想う父と母。
まさに、その想いの権化なのだろう。
私の発言に千田くんは、なるほどと独り言ちて私の隣に立つ。
そして、こちらを見て口角を上げ「よくやった」と言った。不本意にも、その笑いに対し照れくささを覚える。
「あなた達の過去を、少しだけ見せてくれませんか」
彼の言葉に、影たちは手を差し伸べるように掌を上に向けた。
マリちゃんには少し待っているように言い、私と千田くんは差し伸べられた手に自身の手を重ね合わせる。同時に彼は私の反対の手を握り、大丈夫、とだけ言った。
途端、意識が霞んで瞼が落ちる。
頭の中で霧が立ち、その奥で何かの声が聞こえる。私は左手に冷たさを、右手に温かさを感じながら集中した。