第十一話 あたたかなてのひら・後編(1)
彼女の異変に気が付いたのは、極端な首の違和感だった。
刻印の箇所が冷たく感じ、はじめは氷でも当てているのかと思った。しかしそれは異様に長く、俺はその冷たさがつらくなってきたのだ。
委員会の仕事を急いで終わらせ、彼女を探しに行ったらこの有様である。
標的のガキは、予想に反して大人しく庭の外で待っていた。駄々をこねるでもなく、泣きそうな顔をしているでもなく、ただじっと俺を見つめ返していた。
幼女の小さい体とは不釣り合いなほどの、大きな黒い両手。
彼女たちはどう見ても新規の狩人である。しかし先程の戦い方を見るに、あまりにも息が合っている。
契約したばかりの使い魔は「主の存在の大きさ」と「躾」が脳に刻みこまれていないと、大抵言うことを聞かない。俺んとこの使い魔も、少し前までは言うことを聞かなかっただろう? それと同じで、契約していても躾がなってないと意味がない。
この子が大型の悪魔を手懐け、躾けられるようには思えない。使いこなすのも難しいはずだ。
「その手、誰に与えられた?」
俺の問いに、幼女は何故か首を左右に振った。
「この子たちはずっとまえからいっしょにいた」
彼女の左と右に黒い手が浮かぶ。それぞれの親指を、彼女は小さな手で握っていた。
このガキが言うに、彼らは誰かに与えられたモノではないようだ。となると残る可能性は、彼女は魔女の家系に生まれたということくらいだろうか。
だがコイツ自身からは魔力を感じられない。傍らにいる悪魔から溢れている魔力はあるというのに。
「お兄さん、マリはたたかいたくないよ」
愛らしい顔を険しくし、舌足らずな口調で言った。
「マリはママとパパに会いたいだけなの。お姉さんをマリにわたしたら、お兄さんはたたかわなくていいんだよ」
その、なんでも知っているかのような口振りに黙って聞いていられなくなった。思わず大きな溜息を吐き、改めて目前の狩人を睨みつける。
「おねーさんの方の気持ちも考えたらどうだ? あと、狩人に指示されるのは癪に障るんだが」
「かりゅうどって何? マリはかりゅうどなの?」
可愛らしく小首を傾げ、余計に表情を険しくさせる。
その返答にはっとして冷静さを取り戻した。泉が言っていた通り、このガキは狩人ではない? つまり、俺の攻撃対象ではない。
逡巡した後、両手をひらりと上げてみせる。
俺の行動に驚き、理解ができなくなった幼女は混乱してしまったようだ。影を握っていた手を離し、一歩後ろに下がる。
「何もしない。だけど、俺の話を聞いてくれないか」
努めて優し気な声音で話しかける。幼い子は聞き返し、警戒を解いた。
「あのおねーさんは、訳あって俺の元から離れちゃいけないんだ。だから、お前には渡せない」
途端、彼女はむっとした顔になって片手を突き出した。しかし使い魔はぴくりとも動かず、主の命令を聞かない。
彼女がひどく取り乱し焦っているのを、俺は気付いていないふりをした。構わず話を続ける。
「お前、父親と母親を探してるんだろ。言っておくけど、あのおねーさんは違う。アイツはただの女子高生だ」
「ちがくない! かみ様がおしえてくれたんだもん!」
やっと年相応の、甲高い喚きを漏らした。今にも泣き出しそうな顔で、拙い理由をたくさん並べて俺の言葉を否定している。
どれもちゃんとした、明確な理由ではない。ただ繰り返し、神様が、神様がと言って必死に首を振っていた。
俺はどうしてか、それを黙って聞き続けている。いつもならすぐに手を下して終わらせるというのに。
理由は単純。俺の思考の隅に、哀しそうな表情をした彼女が立っていたのだ。
彼女なら疑わずにしっかり話を聞いてあげるだろうと思った。こんな幼稚な喚きを、飽きもせずに頷いて聞くんだろうなと思えたのだ。
こんな知ったような口だが、実際泉については本当に何も知らない。知る必要性は無かったから。
呪いにかかっても、解けても赤の他人。そう思わなくてはこれから先、魔女としての償いに支障を来すと考えた。
でも、事実は全くの逆を走っている。俺自身がもっと彼女について知りたいと思ってしまっているし、何より気掛かりになって仕方ない。
これがいわゆる「恋」というものなのかも、泉との呪いが解けてしまったら俺はどうするのが正解なのかも分からない。本当に無知だ。
少女は終いに泣き始めた。もう抵抗する言葉が見つからないようだった。
ガキと狩人は嫌い。しかし今日ばかりは我慢するとしようか。
「おいで」
俺は幼い子を抱きかかえ、使い魔たちについてくるように言った。