第十話 あたたかなてのひら・前編(2)
「泉ッ!!」
ばっと視界が明るくなる。眩しい。
全身に強風が当たっているのが分かる。同時に、すぐ近くで彼が私の名前を呼んでいるのも。
目を開けると、そこは上空だった。
「やっと起きたのかよ、ちゃんと掴まれ!」
顔を上げると、いつも以上に不機嫌そうな顔の千田くんがいた。一気に情報が頭に入ってくる。
私は今、彼に抱えられ箒に乗って上空を駆けていた。
千田くんは何かから逃げているようで、時折、彼の口から汚らしい言葉が漏れている。箒を酷使して、知らない空を飛び回っていた。
箒の柄が細いため体勢はとても不安定で、彼に掴まっていなければ落っこちてしまいそうだ。目下で走り去る景色に背がひやりとする。
不意に眠っていたころの記憶が蘇った。
魔女を追っているのは、もしかしてあの子?
「千田くん、誰から逃げているの」
「ガキの狩人だ! ったく、お前危うく魔法界に連れ込まれるとこだったんだからなッ」
彼はこちらを見ることなく、辺りに警戒の糸を張り巡らせる。私は彼の肩越しに後方へ視線をやった。
ずっと遠いが、確かに何か黒いものが追いかけてきている。あの子の影どうなってるんだ。
耳元を鋭く風の音が掠めていく。この箒は彼の庭へと向かっているのだろう。
ひゅっと、何かが真横を通り過ぎた。
彼の舌打ちが聴こえたのと、箒か急ブレーキをかけたのが同じタイミングだった。
慣性の法則で、私の体は必然的に彼の体から離れてしまう。箒の柄からずり落ちかけたところ、彼が片手でなんとか支えてくれた。が、顔が物凄く近い。
「わっごめん」
「ち、ちゃんと掴まってろっつっただろッ」
体勢を整えると、彼は目前に移動してきた黒い影を睨めつける。習って私も顔を向けると、そこにはあの子が上空に浮かんでいた。
日の光は強く、少し傾いていた。だからなのか彼女の体に出来た陰影は濃く、そこから生じる黒い両手は妙にはっきりしている。
「お兄さんっ それはマリが見つけたの! かえして!」
「うるせぇガキだな、ぶっ飛ばすぞ」
「流石に言い過ぎだよ」
彼は気に留めることなく小さな女の子にガンを飛ばす。マリちゃんも負けじと、ぐっと眉間に皺を寄せた。
彼女との距離はそこまで遠くない。すぐに戦闘になる筈だ。
先に手を出したのはマリちゃんの方だった。
空中で小さな体を捩らせ、右手を思い切り突き出す。それに呼応するように影の右手が、こちらに突撃してきた。
箒はひらりと避けてみせ、一気に間合いを詰める。彼女自身に攻撃をしようと、千田くんが魔法の呪文を口にした。が、私は反射的に彼を止める。
「――パワーマ」「待ってッ」
私の声に驚いたようで、彼は箒の操作を誤った。ぐらっと上体が揺れ、落下しかけたが千田くんのテクニックでなんとか状態を整える。
「馬鹿ッ何して!」
「あの子は悪くない、攻撃しちゃいけないっ」
必死にそう伝えるもマリちゃんの攻撃の手は止まず、彼はまず回避行動をとった。
幼女が繰り出す影の手は、執拗に私たちを追いかけ殴り掛かってくる。千田くんは私を抱え込んだまま逃げていた。
「何言ってんだッ ガキだからって容赦はしない!」
怒りを露わにし、彼は再び小さな体へと箒を駆る。
「だめ、マリちゃんは悪くない。あの子は狩人に仕立て上げられただけで、欲望に干渉されてしまっただけなの」
激しく風が耳元で鳴き叫ぶ。私は聞こえるように声を張った。
それを聞くなり、千田くんは急カーブして路線を変更した。充分に距離を置き、また対峙するような形で睨み合う。
落ち着きを取り戻した彼が問うてきた。
「どうして分かった」
「私も分からない。でも眠らされたとき、あの子の過去が頭に流れてきたの。あの子は両親を探してる」
信じられないような話だけれど。
あの会話を聞くに、マリちゃんの両親は既にこの世にはいないのだろう。しかし彼女自身はそれを知らない、または受け入れられずに逃避しているようで、狩人になってしまったようだ。
彼女の傷に漬け込んだのは、会話の相手のはず。
関係のない小さい子どもを戦わせるなんて、許せない。
話を冷静に聞いてくれた千田くんは信じてくれたらしく、マリちゃんを助けようと提案してくれた。
「空中戦は得意じゃない、それにお前を守りながらだと自由が利かない。あのガキを引き連れて庭に避難しよう」
途端、箒は急降下。
落下する感覚に一瞬恐怖を感じ、反射的に彼にしがみつく。
空から姿を消した魔女たちを、幼い子は追ってきた。なんの迷いもなく一心不乱に。よほど両親に会いたいのだろうと思い、胸が窮屈になる。
庭に着くと私はすぐ降ろされた。彼は念のためだと言って、私に奥へ行けと指示を出す。
「すぐ連れてくるから待ってろ」
普段と変わらない顔で言い残し、彼は上空へと駆けて行った。
彼が無事にマリちゃんを連れてくることは、何故だか確信できていた。でも、あの子が両親に会えないと知ったらどうすれば良いのだろうか。
私に、できることはないのだろうか。




