第十話 あたたかなてのひら・前編(1)
放課のチャイムが、茹だる夏の空気を揺らす。
今日も一日疲れたなと感じながら、私はスクールバッグに教科書類をしまい始めた。
お弁当袋が視界に入ると、昼休みの情景が頭に浮かぶ。久しぶりに誰かと昼食をとったな、やっぱり誰かと一緒にいるのは心が温まるな、と脳内で感想が飛び交う。
林田君はきっと心が広いんだろうな。こんな無愛想な女子に話しかけてくれるなんて、優しい人だ。
スクールバッグを肩に掛け教室から出ると、あれ、と辺りを見回してしまう。いつもすぐ近くで待っていてくれる筈の彼がいない。
疑問に思いつつ昇降口へと足を向けた。しかしそこにも居らず、少々不安になってしまった。
人の流れに逆らえず、そのまま自分の下駄箱の前に着く。視線だけを周囲に配るが、見知った顔はなかった。
その時、電子音とともにバッグのポケットが震える。通知だ。
開くと画面には一件の新着メッセージの表記。
『今日は委員会の仕事があって一緒に帰れない、ごめん。何かあったらすぐに引っ掻けよ』
そっか、委員会。仕方ない。
スマホをスカートのポケットに押し込み、ローファーを履いて学校を出る。外は酷く暑く、汗が制服に染みないか少し心配になってしまう。
そういえば、彼のいない帰路は久しぶりだな。
蝉がけたたましく鳴く。
アスファルトは、卵を落とせば目玉焼きができてしまうのではないかと思うほど熱されていた。
そんな炎天下だというのに。
「子ども? なんであんな所に」
一人の子どもが座り込んで泣いていた。泣いている、というより蹲っていると言った方が良いだろう。
白いノースリーブワンピースを着た小学校低学年辺りの女の子が、誰もいない路肩にいた。
迷子、かな。
恐る恐る背後から声を掛ける。
「大丈夫? どうしたの」
「お姉さん、マリのママとパパ知らなぁい?」
顔を自分の腕に埋もれさせながら問い返してくる。こちらを見る訳もなく、微動だにしない。
この子の両親の所在について訊いているようだ。やはり迷子であることは確実だろう。マリのってことは、この子の名前はマリちゃんって言うのか。
「ごめんなさい、知らない」
「うそ、知ってるはずだよ。だって」
そう謝罪すると、少女は顔を上げてやっと私の方に視線を遣った。
だがその瞳は酷く沈んでいて。
「お姉さんがころしたんだもん」
まさか。
咄嗟に首に手を伸ばす。だが少女の足元から現れた巨大な黒い手に捕まれてしまった。
そしてもう一つの黒い手が私の口を覆う。それは氷さながらの冷たさだった。
手が二つ、つまり両手の影。
この子に当たった光が地面に影を落とし、それを地面から出現させ私に掴み掛かっている。少女の手は黒い手と同じポーズをしていた。
この子もやはり狩人だったかと、思い切り抵抗したが動かない。マリちゃんは怯むことなく影を操った。
「首はさわっちゃダメだよ。何でかは知らないけど」
なんか、意識が遠のく。
薬みたいなものを吸わされて、意識が。
立つ力もなくなってくる。
このままじゃ、また、かれにめいわくを……。
「ねむらせればいいんだよね、ころしちゃダメって言ってたんだし」
少女の呟きを最後に、私はずるりと意識を手放した。
*
ここはどこだろう。
誰かの話し声が聞こえる。悲しい声だ。泣いているのだろうか。
視界は真っ暗。その中に、見覚えのある小さな人がぽつりと立っている。
あの女の子だ。
「ママはどこ? パパは?」
マリちゃんは顔を上に向けて、寂しそうな声を発していた。
『可哀想に。私が教えてあげよう』
答えたのは低い、優しい男性の声だ。
『二人は悪い魔女に連れて行かれた。会いたければ、お前の影を使いなさい』
「まじょに? どうして」
舌足らずが問う。声は質問には答えなかった。
『この女の仕業だ、この女を捕まえて来なさい。そうしたら両親に会わせてあげよう』
「ほんと? やくそくねっ」
あぁ、あの子は悪くないのか。両親に会うために行動していただけだったんだ――