第八話 西の訪問者(1)
「傍にいてみたい」
俯き気味になり、彼は頬を微かに赤らめて答えた。
千田くんの将来やってみたいこと。
それは誰と、とは明確には言ってくれなかった。
きっと他の魔女である仲間たちや椿妃さんのことを指しているのだろう。彼はあまり自分の感情や事情を話してくれないから、こんなことでも話すのは恥ずかしいことなのかもしれない。
「いや忘れてくれ」
さらに顔を背けさせ、千田くんは居たたまれなくなってしまっている。
不思議に思っていると、後ろから何かを叩くような音が聞こえた。
ばっと振り返るとそこには、コウモリのような羽を羽ばたかせて窓をてしてしする子猫の姿が。慌てて窓を開けると、黒い子猫は緩い熱風と共に部屋に入って来た。
「やぁときのちゃん。ちょっとガキ魔女を借りるね」
子猫――ハルデは窓を潜り抜けるのと同時に宙返りする。着地するころには人型になり、頭上の猫耳を揺らしていた。
「アイツが君を探してるんだけど撒いといて良かったよね」
彼の言葉に対して、魔女はあからさまに嫌そうな顔をした。眉間に皺を寄せて、大きな溜息を吐く彼につい尋ねる。
彼は少し考えるような表情をしたあと、こう答えた。
「すまん泉、今回の相手はタチが悪い」
そしてそそくさと荷物を片付け始めてしまった。その様子を見たハルデは、腕を組んで彼に忠告するように言う。
「ちょい待ち、今下手に動いたら勘繰られるよ」
「でもコイツを巻き込むわけにはいかないだろ」
なんの話なのか理解できずに、ただ彼らの顔を交互に見る。強い狩人でも来たのだろうか。
ぞわり。
初夏だというのに背が変に冷たく感じた。エアコンが強く効きすぎているのかもと振り返ると、窓の端に違和感があることに気が付く。
赤紫色の靄、否、霧だ。
その塊のようなものが窓ガラスを這い、完全に閉まっている筈の窓から入り込んでくる。
「! 泉ッ――」
彼の声が耳朶を打ち、咄嗟に千田くんの方へと顔を向ける。すると、後ろから何かが猛スピードで横切ったのを感じた。髪がばっと流れていく。
「うわああああ! やめろッ離せッ!」
さあっと血の気が下がる。
彼の悲鳴に喉がヒュッと鳴った。
仰向けの千田くんに覆いかぶさる人影は、どう見ても子供ではない。身長の高い大人だ。
慌てて彼に駆け寄ろうとしたが、悪魔に止められてしまう。
すると突然、首に生暖かい吐息がかかったように感じた。
直後に熱く湿ったなにかが刻印部分を這う。つい変な声が漏れた。
「本当に繋がっているとは。羨ましいですね」
覆い被さっていた青年が上体を起こし、こちらに視線を送った。
「ふふ、貴方が例のトキノ様ですか。なるほど、何処かで見たことが」
「ふふ、じゃねーよ! 退けこの野郎ッ」
千田くんが起き上がり、思い切り青年を突き飛ばす……はずだったが彼の手が青年に当たる瞬間、彼は瞬く間に霧と化す。
それは宙を浮遊した後、私のすぐ傍に移動し姿を現した。
「申し遅れました。私、吸血鬼のシュークと申します」
丁寧にお辞儀をしてみせ、眼鏡越しに赤紫色の瞳を笑わせている。
彼は確かにヴァンパイアだった。
薄く笑みを浮かべる口からは、鋭い牙のようなものが顔を出している。その顔立ちはまさに美青年で、眼鏡がよく似合っていた。
「そんなにヴァンパイアが珍しいですか」
「初めてお会いします。魔女と悪魔にはいつも会っていますが」
ハルデ曰く、吸血鬼は魔女の仲間だそうだ。
そもそも吸血鬼とは様々な国で目撃されていた、死人が生き返った人間らしい。生き血を求めて人々を襲い、場合によっては家畜などの動物をも襲う。
皆がご存知の通り、吸血鬼は日の光を浴びると灰になる。しかし彼は影を辿ってここまで来たそうだ。
「久しぶりに血を戴こうと思いまして」
「断食ほんとに続けてたのかよ」
魔女はシュークさんに舐められた箇所を入念に拭っていた。私と感覚が繋がっているというのに、力加減なしにゴシゴシ擦っている。痛い。
「数か月何も胃に入れないのは辛い事ですが、その後に戴く咲薇様の血は絶品です。その為ならばいくらでも断食できますよ」
この二人はどういう関係なのだろうか。仲間ではなく、それ以上の関係のように思えた。
嫉妬しているみたいな自分に驚く。何故そんな気分になっているのか、考えても今は意味がない。
でも、楽しそうに話すシュークさんといつも通りに突っ込む千田くんを見ていると、なんだか面白くなかった。
「おや、トキノ様は普通の人間でいらっしゃるのですか。面白い、味見させてもらっても?」
隣の青年がこちらに顔を近づける。私は何故か抵抗せずに、体を硬直させていた。
「ちょっとやめてよね、ときのちゃんは関係ないでしょ。てか他の血飲めないでしょ」
後ろに立っていたハルデがぐいっと私の肩を掴む。私の耳元で彼に忠告すると、シュークさんは苦笑を漏らした。
……何この状況。
「言っておくがシューク。俺もコイツに手を出されたら黙ってはおけない、触るのもアウトだ」
「ふふ、トキノ様はお二人にとても大事にされていらっしゃるのですね。大丈夫、触れもしませんから」
妙に落ち着いた声音で笑う。シュークさんは何処かミステリアスな雰囲気を醸し出しているような人だ。ちょっとニガテかもな。
それはひとまず置いておき、青年は魔女の血を欲しているらしい。それを聞いたハルデは、ジト目になって文句を言った。
「じゃあぼくたちはご退出させてもらいますねー。男同士の吸血シーンなんて死んでも見たくない!」
彼に背を押され、あれよあれよと部屋の外へと追いやられる。
その数秒、ドアが閉まるほんの刹那。
千田くんと目が合った。
なんだろう、とても変な気分。
今日は彼も私も何だかおかしいな。
ハルデの提案で、彼の魔法で私たちは家の外へと避難した。初夏の日差しが照っており、周りに比べて早起きなセミが鳴いている。
「四、五分で終わると思うから。それまで待っててね」
主を心配する様子もなく、彼は爽やかに笑っていた。
慣れて、いるからなのだろうか。
私は本当にこれに関する知識は乏しい。何も知らないし、知ろうともしなかった。分かったところで彼の役に立てるとは思えない。それに、本に書かれていることが事実であるか分からないのだ。
「ガキ魔女が心配?」
猫耳悪魔が口角を上げて尋ねてきた。私は迷わず頷く。
「だって痛そうだよ」
「初めてやるときは痛いみたいだね。でも過去に何回も経験してるから大丈夫。吸血中は媚薬と似たものが打ち込まれるから、あまり感じないみたいだし」
媚薬と聞いてさらに不安になった。千田くん、大丈夫かな。




