第七話 互いのこと
「いらっしゃい。あなたが咲薇くんね、外暑かったでしょう」
泉の母親が玄関のドアを開け、招き入れてくれた。彼女とは打って変わってにこやかな表情を欠かさない人だ。一応ちゃんと自己紹介をして挨拶をする。
「ごめんね、まだ部屋を片付けてなかったみたいで。あの子、あぁ見えて抜けているところがあるから」
彼女にそんな一面があったのか、知らなかったな。
泉が二階で慌ただしく片付けをしている間に、俺はダイニングにて冷たい麦茶をいただいていた。そして彼女の母親が、なんの前触れもなくクスリと微笑む。
「どうかされましたか」
「実はあの子、表情を作るのがニガテなの。でもここ最近、前より表情が柔らかくなっているような気がするのよ。それってもしかしたら咲薇くんのお陰なのかなって思って」
俺は俯いてしまった。
以前から気にしていたが、泉は呪いに関して何も文句を言っていない。
突然知らない男子高生と体の一部の感覚が繋がってしまった上に、命まで狙われてしまっているのだ。あまりにも理不尽で身勝手な運命に対して、彼女は何も言わない。
それがとても不思議で仕方なかった。
本当は、嫌で嫌で苦しいのではないかと。
「ところで咲薇くんと聡乃の関係は、って訊いちゃいけないわね」
「ただの友達だって言ってるでしょ」
声のした方へ視線を向けると、相変わらずの無表情でこちらを見ている彼女がいた。半袖にキュロットスカートと、男子の前ではかなりの無防備な恰好である。
軽く会釈をしてその場を立ち去り、泉の後ろについて行く。
二階には部屋が一つしかなかった。つまり彼女の部屋だけ。
「あ、お茶忘れた。中で待ってて、すぐ戻るから」
泉は言い残して階段を下りていった。
入って、良いんだよな?
とはいえ以前、彼女を悪魔から救うために飛んできた時、さらりとこの部屋に入ってしまったことがある。そのときは命が危険に晒されていたから、それどころではなかったのだが。
俺も女子なんかの部屋に入ったことなど姉くらいしかないため、どうも気持ちが落ち着かない。男子たる者みな女子の部屋に入ることは緊張くらいするだろう。
恐る恐るドアを開け、一歩足を踏み入れる。彼女の匂いが鼻孔をくすぐった。
部屋はかなり広いが物がほとんど何もない。無駄に大きい書架と窓際にベッド、中央に簡易的なテーブルがあるくらいで、後は特に何もなかった。
とても変に広く感じ、窓からのぞく外の景色が唯一の彩だ。
「女の子らしい部屋じゃなくてごめんね」
不意に真後ろから声を掛けられちょっと驚く。
彼女は俺になんの謝罪をしたんだ? 謝る必要性はないと思うが。
泉はトレーに乗せられたコップをテーブルに置き、掌で自分の向かい側に席を勧めた。
とりあえず座り、バッグをすぐ傍に置く。彼女はテーブルの下から筆記用具などを取り出し、準備を始めた。
「私、てっきり終わらせてると思ってた。千田くんも後回しにしちゃうの?」
「まぁ。課題をしている暇があったら他の魔女たちの助けに行くし、魔女狩りの情報収集に費やす。これは提出日の朝に魔法を使って終わらせるな」
手短に説明すると、彼女は無表情で「いいな」と呟いた。なんだよ、そう言うならもっと羨んだふうに言えよ。
俺は今まで生きていて勉強というものをちゃんとしたことがない。
テストや模試、受験は魔法を使って答えを丸写しにしたし、レポートや発表は他人の脳内にお邪魔してパクった。そういう点、魔法はとても便利だなと思う。
だが、そもそも魔法は周りの環境を変化させるだけで、特定の能力や才能が飛躍的にレベルアップさせることはできない。
例えば頭が良くなる、運動神経が良くなる、透視能力を得るなどのことは不可能。他にも誰かの能力を上げたり下げたり、直接死を望んだりすることも無理だ。
あくまで魔法は「周りの環境を自在に変化させられる」ことができる。
「思っていたより、魔法ってなんでも出来たりしないんだね」
お茶を一口ふくむと、泉は改めて訊いてきた。
「じゃあつまり、千田くんって勉強できない人?」
それに対して、俺は迷いなく首肯してみせた。どうしてだろう、無表情であるはずの彼女が呆れたような顔に見えたのは。
それからはワンツーマンで泉に基礎から教えてもらっていた。いいと断ったが、彼女は「なんかムカつくから」という理不尽な理由で俺に講座している。なんか、コイツの機嫌を損ねてしまったかもしれない。
悔しいことに泉の教え方はとても分かりやすかった。
話を聞くに、彼女は二年生になったら理系コースに進むそう。将来のために、今から考え用意しておかなくてはいけないと言う。
夢について尋ねたら真顔で「内緒」と言われてしまった。
「千田くんは、大人になったら何になりたいの?」
彼女の問いかけに、一旦シャーペンを握る力を抜く。なぜか視界がぼやけて見えにくくなった気がした。
「……考えたこと、ねぇな」
昔から、今を生きるのに精一杯だった。
今生きている魔女たちが死なないように、俺が少しでも仲間の役に立てるように、常に今現在のことばかり考えていたんだ。
毎日魔女狩りの情報を漁ったり、新しい魔法を開発したり、もっと上手く魔法を使えるように練習したり。
反面、姉は迷わず公務員の道を選んだ。
親のいない家庭で日々殺されそうになりながら、それでも比較的安定した暮らしを送るために、その道を躊躇いなく進んだ。
じゃあ、俺は?
魔女は職業でない、仕事でもない。
必ずしも誰かを幸せにできるとは限らないし、役にも立たないかもしれない。
むしろ気味悪がられる可能性だってある。
馬鹿だな、学生のくせに将来のことを何一切考えていなかっただなんて。
「働くとかじゃなくて、やりたいこととかは? 役に立つかどうかより」
フォローのつもりか、泉が追って質問する。
俺は彼女の、その真っすぐな眼差しに一瞬目が眩んだ。なんの曇りのない、無駄に綺麗なその瞳。
もし俺のこの気持ちがそれならば、今言う言葉に嘘はないはずだと思い、言葉を音にした。
「傍にいてみたい」




