第五話 魔女代理(3)
声の主はこの目で確認できていない。
ハルデは振り返ると頭上の猫耳を思い切り反らし、威嚇するような表情になった。彼の尾も太くなり、毛が逆立っている。
「小悪魔? このぼくが? 馬鹿なことを言わないでほしい」
「下級悪魔なんぞ、みな小悪魔だろう。魔女の手下になるなど、君は犬か猫か」
どうやら挑発されているみたいだ。彼の顔は冷静を装っているように見えるが、その端々に苛立ちが感じられる。
「私はあまり我慢できないのでね、すぐ手を出してしまう。傷つきたくないなら、その人間をこちらに渡しなさい」
いかにも強者のような口振りだ。なんかちょっとムカつく。
ハルデは上体を起こし、私を立たせた。彼の右手が私の左手をきつく握る。
やっと相手の姿を確認できた。見た目は中肉中背、黒い髪、初夏だというのに灰色の分厚いコートを(しかもボタンも全て締めて)着ている。
唐突に彼の握る力が、少しだけ強くなった。
『戦闘になる可能性が高い。君、戦える?』
脳内に響く彼の問いにかぶりを振った。戦える訳ないよ、ただの女子高生なんだし。
その回答にハルデは小さく溜息を吐く。戦えるものだと期待されていたらしい。
「悪いけど、君にこの子を渡すつもりはないから。渡したら主に怒られるし」
「はっ、主か。もはやキミはただの使い魔のようだな」
言い終えるのと同時に相手が右手を突きだす。すると、彼を囲うように周りから墨のような雲がいくつか現れた。モクモクと渦巻き、徐々に電気を帯びていく。
「――サンダウピット、一斉射撃」
パチンッと右手の指を鳴らす。雲から雷の矢がこちらに噛み付いてきた。
ハルデは私を抱き寄せ、自身の右手で矢を振り払うように勢いよく振り出す。雷の矢は弾き返され、地面に打ちつけられた。すぐさま彼は私を抱えたまま後ろに後退する。
それを追うことなく、相手は変わらず指を鳴らした。
狙った方向に向けて指を鳴らすと、その狙った方向に矢が放たれるシステムなのかな。つまり指パッチンは射撃の合図?
ハルデは魔法を使わずに素手で矢をこなしている。
「いつまで魔法を使わないつもりだい。そんなことをしていて、その子を守りきれると?」
挑発の言葉を矢と共に放つ。しかし悪魔は声を荒げるようなことはしなかった。
でもどうして魔法を使わないんだろう。
向こうの魔女狩りが手を抜いているから?
それとも魔力の消費を抑えるため?
他に何か不都合があるのだろうか?
魔女狩りは攻撃の手を休めず、じわじわと後退を続けさせる。やがて道の行き止まりに追い詰められた。
これでは逃げ場が上しかない。どうするつもりだろう。
「罠かと思ったが、単純に怖気づいただけか」
相手は一旦右手を降ろし腕を組む。終始この人は言動がムカつくな。
ふと、ハルデが口を開いた。
「怖気づく? 君はさっきから何か勘違いしているみたいだね」
同時に私の脳内に彼の声が響く。二重に聴こえる声を必死に聴き取った。
……え。
思わず顔を上げる。
「君は魔女狩り。でもその魔力は誰から供給されているものなのか知ってる?」
表情を変えることなく、淡々と言葉を紡ぐ。冷静そうにしているが、その奥では苛立ちの炎が揺らめいていた。
問われた魔女狩りは馬鹿にするような口振りで答える。
「魔女と同じ、悪魔と契約して魔力の恩恵を受けている。それくらい分かっているさ」
「じゃあ、その魔力はぼくには効かないよ。だって同じ種族の力だもん」
ハルデの応答が気に入らなかったのか、相手は一瞬表情を殺した。
「そんなことはないだろう。現にキミの手は」
「認めたくないの? 自分の攻撃がほんとは効いてなかったって」
今度はこちらが挑発するような口調だ。少し小馬鹿にされたことに、魔女狩りは眉をぴくりと反応させた。
「やってみせてよ。ぼくたちを君の手で潰してみせて。できないの?」
「黙れ下級悪魔。お望み通り、その口ごと焼いてやる!」
彼が右手を突き出し、指を鳴らそうとした。
そのとき。
「――レインティア」
ぴちゃん。
妙にはっきり聴こえた彼の唱える声と、水が一滴零れる音。
魔女狩りの右手が少し、濡れていた。
その為か指は鳴らず不発。彼の周りの雲が溜めていた魔力は勢いを失い、やがて消える。
「な……」
「あはは♪ すっきりしないねぇ潰せないねぇ? はは!」
唐突にハルデが高らかに笑い出した。
それはまさに悪魔の笑顔。己の欲求が満たされたような表情だった。
「ぼく、たった一滴の雨を降らせただけだよ? どうしちゃったのかな?」
この瞬間、私はやっと理解した。
彼は悪魔で、どんな生き物よりも欲深いと。そして、その欲求を満たすためには手段を選ばないと。




