第四話 魔女と悪魔(3)
私たちの足元に一匹の耳の大きな子猫が、地面にへばりついていたのが見えたのだった。
「か、かわいい」
つい、そう口にするとすぐに千田くんが返した。
「こいつハルデだからな」
「子猫だったの」
『違う! 契約期間だけこんなヒドイ姿なんだ!』
子猫の必死な言い訳に、私は小さく首を傾げた。
その様子を見てか、彼が補足してくれた。
以前、魔女戦争伝説の話をしたときにも説明があったが、元々魔女は悪魔と契約(または魂を売り渡)して魔力を得ている。その悪魔は、契約した魔女の家系が途絶えるまで魔力を与え続けなければいけない。もし途絶えたとしたら、契約はそこで終了。
しかし何百年も契約を続行している上に、契約者本人と直接顔を合わせなければ『契約満期』を自動的に迎えるのだ。
「そろそろだとは思っていたけど、まさかお前まで狙うなんてな」
彼は子猫になった悪魔を見下ろして睨め付ける。ハルデは怯えたような瞳で主を見上げた。
「どうして主を殺そうとした」
彼の問いかけに返答はなく、子猫は微動だにしない。ぶるぶると小刻みに震え、尻尾を丸めて縮こまっている。
その様子を見て魔女は小さく息を吐いた。
なんだかここだけの絵面を見ると、まるで本当の飼い主とペットのように見える。片方は悪魔なんだけれど。
私は居た堪れなくなり、ハルデの側に移動する。そして彼を抱きかかえた。
私の行動に驚いたのか、千田くんもハルデも素っ頓狂な声を漏らした。
「何してんだ?」
「可哀想でしょ、そんなに詰め寄られたら。この子にも何か理由があるんじゃないの」
私がそう言うと子猫の顔を覗き込んだ。彼は、千田くんよりもはっきりとした赤い瞳をこちらに向けた。
やがてヘソを曲げた幼子のように話し出す。
『アイツ、魔力の使い方が荒いんだ。しばらく使っていないと思ったら凄い量を急に使うし……ぼくの体と比例してんの忘れてるでしょ』
ぎろりと主を睨むと、彼は表情を変えずに軽く謝罪した。すかさずハルデが声を荒げようとしたが、千田くんが片手で制し弁解する。
「それに関しては悪かった、と思う。でもお前も会おうとしなかっただろ。今回の件を機にちゃんと魔女らしくしないか」
彼の提案に、ハルデは片耳をぴくりと反応させる。いつの間にか項垂れていた面を上げ、上目遣いで主を見つめた。
『つまり、ぼくが君の正式な使い魔になるってこと?』
契約した魔女には二つの選択肢が与えられるそうだ。
一つは、魔力だけを供給する関係にあること。そしてもう一つは、使い魔として自分たちに支える側の立場にさせることだ。
「そういうことになる。お前が良ければの話だが」
使い魔にさせることによって良いことはちゃんとある。例に上げるなら、お互いの魔力の半永久的供給や守護者(または使用人)的な役割などだ。
上下関係は特に決まっている訳ではないので、悪魔が上に立つことも魔女が上に立つこともできる。
「嫌ならいい。代わりに強制契約は続行する」
『きょきょ強制契約続行!? 冗談じゃない!』
腕の中からぴょんっと跳ね出し、ハルデは千田くんの足元へ駆けていった。慌てた様子で彼の靴を、てしてしと叩いている。
『またこの関係が続くのはもうカンベンだ!』
「じゃあ俺の使い魔になるか?」
彼の問いに、子猫はキレながらも了承する結果となった。
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その後ハルデは自分の上司である者に報告するため、一旦魔法界に赴いた。
静寂に沈む庭に残された俺は、彼女に深々と頭を下げる。
「今回は酷い形で巻き込んでしまって悪かった」
彼女は一瞬、きょとんとしたがすぐにいつもの無表情になった。
「ううん。また助けてもらっちゃって、迷惑かけてごめんね」
口角は緩やかに上がっているが、目は笑っているように見えなかった。もしかして怒ってたりするか?
一応、喉の怪我について尋ねたら、もう痛くないと答えた。
俺はあまり回復系魔法が得意でないから、完治しているか心配だったのだ。
少しの沈黙の後、ふと疑問に思ったことを口にする。
「あの時、どうして本当の俺が来たってわかった」
俺は契約満期を迎えて大暴れしていたハルデと、再び契約を結び直すための契約書を探しに一時的にあの場を離れていた。
あの分身は、彼女を守るようにしようとしたのだ。が、あの悪魔は俺と同じ考えで、二人目の分身を作った。
そのせいでややこしいことになったのだが。
彼女が長時間どちらが本当の俺かを判断しなかったお陰で、時間はいい塩梅に稼げることができた。
それはそれで良かった。ただ、どうしてコイツが判断しなかったのかが気になっていたのだ。
彼女は変わらない表情で、堂々とこう答える。
「千田くんは今まで私のこと、名前で呼んだことないでしょ」
「……は?」
「あの偽物の千田くんたちは躊躇いなく私のことを『聡乃』と呼んだ。でも本物は、今までで一度もそんな風に呼んだことがない」
彼女はスルスルと理由を述べていく。
「わざと、だよね。私のこと、ちゃんと呼ばないの」
怒っている訳でもなく、悲しんでいる訳でもないその表情で、こちらを覗き込むように見てくる。
正直に言えば、それは図星だ。
自分は他人と馴れ馴れしくするのが嫌い、というか避けていた。俺と関わるとろくなことにならないから。
彼女のように、命を狙われるようにだってなってしまうのだ。幼い頃から極力、他人を巻き込まないように自ら壁を作るように心掛けていた。
彼女は所詮、呪いの相手。
呪いが解けたらそれまでの関係だ。
だから名を呼ぶ必要はない。
そう抜け目なく説明したが、彼女は納得のいっている表情にはならなかった。むしろ、余計に不思議そうな顔をしている。
どこが分からなかったのか尋ねると、彼女は首を小さく左右に振った。
「貴方が言ったことは理解できたよ。でも、よく分からないことがあるの」
下に向けていた視線をこちらに向ける。
その瞳は光のように真っすぐで。
表情は無いというのに、少しだけ輝いて見えて。
「千田くんの声で名前を呼ばれたのが、すごくうれしかったの」
本当の貴方じゃないけど、と付け足すと、小さく照れくさそうに笑った。
……い、今、頭がくらりとした。なんで、微笑まれただけなのに。うれしかったと言われただけなのに。コイツ、まさか俺に魔法を? いや、そんなのあり得る訳がない。彼女は人間、前ちゃんと調べただろ。
混乱する俺を見て、彼女はまたいつもの無表情になって安否を訊いてきた。反射的に大丈夫と答えたが、本当は全く大丈夫ではない。
身体が少しばかり熱い。心臓の音が変に大きく聞こえる。
も、もしやこれは――!?
俺はこの日から、彼女のことを「泉」と呼ぶことにしたのだった。




