「自分は○○たのだ」と思った瞬間~夏はホラーの季節~
ホラーエッセイです。
サイコホラーが苦手な方はブラウザバックを推奨致します。
こんにちは。黒星★チーコです。
先日、私の尊敬する書き手さんの一人がエッセイでこんな主張をされていらっしゃいました。
「ホラーを夏以外にも書いて!」「年中ホラーを読みたい」「そもそもホラー=夏と決まったわけじゃない」※←注:全て意訳です。
なるほど。尤もな意見だと思いました。
しかし、あくまでも私個人はある理由から「ホラー=夏!」だと思っています。
(まぁ、夏以外にもホラー書いてますけど)
しかしそのエッセイの感想欄に書くにはあまりにも長い自分語りだったので、その理由を今回エッセイにしたいと思いました。
(※反論エッセイではなく自分語りエッセイですよ!)
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まず最初に。私は怖がりですが霊感というものが全くありません。
「霊感がない」と断言しちゃいましたが、別に検査とか数値などの基準はないので証明のしようがありませんが。
でも、今まで心霊体験的な不思議な事に出会ったのは一度しかないんですよ。心霊写真? らしきものを撮った事があるだけ。それも怖いどころか微笑ましいやつ。
また、自称霊感のある人達が必ず「ここに霊が居る」と言う場所に行ってみて、更にそこに一晩泊まりましたが何もありませんでしたね。
そんな霊感のない、霊に怖い思いをしたことのない私が心霊系ホラーを書いても説得力がゼロだと思いませんか? きっとシラけると思います。
だから私の書くホラーはサイコホラーが殆どなのです。
……お気づきになりましたか?
そう。私はサイコホラーの恐怖を少しだけ味わったことがあるのです。
サイコホラーの定義も人によって解釈が微妙に違うとは思いますが、「登場人物の中に狂ってる人がいる・または、登場人物の誰かがこれから狂う」なんて題材なら、まあ定義から外れないのではないでしょうか―――――――
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あれは、ちょうど今と同じ時期でした。
10代の夏休み。若さと暇とをもて余していた私は、JRの時刻表(ポケッタブルタイプと言いながら、服のポケットにはとても入らないやつ)を手にふと、こんな事を考えました。
「そうだ。田舎のおばあちゃん家まで青春18きっぷで行ってみよう」
自宅から祖母の家までは600キロ以上距離が離れています。普段は東海道新幹線と特急を利用し約6時間をかけてお盆休みに遊びに行っていました。
それを、お金をケチって全て在来線の普通列車を利用して行こうと思い付いたのです。
鉄道オタクでなくとも以下の二つを御存じの方は多いのではないでしょうか。
青春18きっぷはJRの在来線普通列車なら乗り放題であること、また、2020年に引退した「ムーンライトながら」は東京~大垣間を走る夜行列車でありながら、青春18きっぷが利用できたこと。
この二つを組み合わせれば、格安で岐阜県と東京都の間を行き来できたのです。
「ムーンライトながら」は特急扱いではないのに特急のようなシートの車両を使っていました。
その前身であった普通列車、通称「大垣夜行」は、ムーンライトながらと違って通常の東海道線車両を使っていました。あの、向い合わせの4人がけシートの車両です。私が思い付いた当時は、まだギリギリ大垣夜行の時代でした。
はっきり言いましょう。私は夏の大垣夜行を舐めていました。ごめんなさい。
路線図を眺め、「大垣まで行けるなら全行程の半分はこの一本で済ませられるし、朝方に着くのでそこから始発を乗り継げば残り半分も余裕で行ける!」と思っていました。
そして時刻表を見ながら旅の計画を練り、乗り継ぎはほぼ完璧に組上がったと得意になっていました。
しかしそれは机上の空論でした。何事も実際に経験してみないとわからないものです。
夏の大垣夜行はぎゅうぎゅう詰めでした。以前、22時台の東海道線ホームに列をなして大垣夜行を待っている人が居るのを見たことがあったので、混むのを想像して早めに列に並んでは居たのですが……想像以上でした。
通路は勿論、タラップまで人が溢れ、座席に座れなかった人達は自分の荷物を椅子がわりにしてしゃがんでいました。私は運良く、目の前に座っていた人が夜行としての利用ではなく通常の通勤帰宅で利用していたらしく途中で降りてくれたので、座席に座ることができました。
すると、私の向かいに座っていた青年ともおじさんともつかない人が話しかけてきました。
「一人で乗ってるの!? 女の子が一人だなんて珍しいね。気をつけてね」
当時は今よりも平和な時代でした。今なら言われずとももう少し気をつけていたでしょう。しかし私はそう言われて初めて、若い女が一人で、個室でもない夜行列車に乗るのは危険があると知ったのです。
周りを見渡すと女性はいないわけではありませんが、家族や恋人連れといった感じで、確かに一人でいるのは私だけのようでした。
私は今更恐ろしくなり、貴重品を分けて身に付け、鞄をぎゅっと抱えて気をつけて……気を張って夜を過ごしました。東海道線の4人がけシートは今よりも硬く、背もたれは直立不動だったこともあり、殆ど眠ることはできませんでした。
翌朝、大垣駅に列車は無事到着しました。心配したようなことはなにもありませんでした。
私はほっとして、そこから米原への各駅停車に乗り換えました。更に米原から京都へ、京都から山陰線へ……と在来線を乗り継いで行きます。
途中、京都行きの朝の通勤ラッシュに揉まれたりしましたが、なんとか午前11時頃には最後の乗り継ぎ駅に到着しました。
そこは田舎の駅でした。
それまで乗っていた列車の終着駅だけあって、それなりに人数は降りるものの、私の他に次の列車を乗り継ぎで待つ人は居ませんでした。
当然です。京都方面から来てこの先まで行く人は、殆どが最初から特急に乗るからです。だから各駅停車の乗り継ぎもスムーズではなく、ホームで次の列車がくるのを20分ほど待たなければなりませんでした。
私は、ああ、暇だなぁと周りを眺めました。
目に映る景色はどこまでも続く線路。そして反対のホームにある駅舎。あとは草木や畑や山、それに抜けるような青空に入道雲だけ。セミのミンミンと煩い音が辺りに満ちていました。
私の立っている側のホームには屋根ひとつなく、太陽が私の頭をじりじりと焼き、眩しいほどの光をうけてほんのりと黄色く見える足元のコンクリートには、黒く濃く短い私の影が落ちています。
……と。
「ふふ」
誰かが笑いました。
「うふふ。あははは」
照りつける直射日光の中、周りに何も面白いものはないのに笑い出すそのひと。
そのひとは――――――――
私だったのです。
それに気がついた瞬間、私の背中にゾッ……! と尋常ではない寒気が襲い、全身に脂汗が浮きました。頭の中にガンガンと警鐘が鳴ります。
これは日射病(※)というやつだ。このままでは危険だ……と。
私は慌てて日陰を探しました。そのホームにあった唯一の日陰、それは向こうのホームとこちらのホームを繋ぐ連絡階段につけられた屋根の下でした。
そこに向かうも、日射病のためなのか荷物が重いせいなのか足元がよろけて中々進みません。
やっと連絡階段にたどり着き、日陰に身を寄せて階段に座り込みます。当時はペットボトルなど一般的ではありませんでしたから持ち歩いている水分は無く、手で顔をあおぐのが精一杯です。あおぐと少しだけ涼しい気がしました。
それではじめて、私の顔はかなり熱を持っていたと自覚したのです。しかし顔の熱なんかよりも私の心は別のことでいっぱいになっていました。
(どうしよう。どうしよう。どうしよう)
(自分は狂ったのだ。熱にやられて頭がおかしくなってしまったのだ)
(きっとこのまま頭がおかしい人の専用病院に入院させられるのだ。お母さん、お父さん、おばあちゃん、ごめんなさい)
何もないのに笑い出した自分に、私はひどくショックを受け「自分は狂ったのだ」と思いました。
若く愚かな私は、もうこれで人生が終わったと思い込み、列車がくるまで階段でひとり項垂れていました。
★
その後。
一応医者にも行きましたが入院どころか薬さえ処方されませんでした。まあ、本当に狂ったのなら、今こうして小説を投稿している事もないわけで。
結果はただの日射病(※今の時代で言うと、熱中症)でした。
当時は身体が丈夫なのが自慢で、めまいを起こした経験すら皆無だったので「自分は暑さに強い」と過信し油断していたのもありますが、一番の要因は、実は大垣夜行で殆ど眠れなかったことでした。
徹夜など極端な睡眠不足の状態で、帽子も日陰も水分補給も無く、直射日光のもと長時間さらされる……今の時代なら危険な行為だと言われるでしょうが、当時はそんな知識も考えすらもありませんでした。
「健康な精神は健康な肉体に宿る」とはよく言ったもので、あの笑いは身体が危険信号を出していたのかなと思います。
しかし自分が笑っていたことに気づいた時の恐ろしさと言ったら。あれは間違いなくサイコホラーのソレでしたよ。
そして、これをきっかけに私は「健全な精神を持った人間でも、条件が揃えば簡単に狂ってしまうのではないか」と思うようになりました。
私がホラーを書くとき、この考えが根底にあります。狂ってしまった人は何を条件に狂ったのか……という設定を考えてから書くことが多いです。
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長くなりましたが、以上が私が「ホラー=夏!」だと思う個人的な理由です。
皆様も、熱中症には注意してくださいね。
なにせ、あの時よりも日本は更に暑くなっていますから。
「自分は狂ったのだ」と思うなんて恐怖体験、無い方がいいと思いますよ?
……まあ、本当に狂ってしまったらわからないでしょうけど。狂人は「自分は狂ってなどいない」と言うものですものね(←鏡を見ながら)。
うふふ。あははは。
お読み頂き、ありがとうございました!