ユースティティアは妖しく微笑む 〜レアスキル『割合回復』を持っているのに追放された少女、有能上司にスカウトされ腐った冒険者システムを浄化する〜
無限世界アッドラント。そこには未開の地や未解のダンジョンが存在しており、踏破した数に応じて人の住める範囲が拡大していく。土地や空間、アイテムなども含めて無限に広がっていく不思議な世界。
踏破できるのは限られた人間だけ。別の世界に存在する神の名前を受け継いだ、冒険者という選ばれた存在のみ。
しかし、それも今は昔のこと。冒険者の強さは解き明かされた。その力は万人に与えることができる、汎用的な技術に変わっていった。
その力を使い、世界を解き明かし人間の版図を広げるべく、為政者たちは思い切ってとある決まりを作り上げた。
『冒険者になるための資格は、謎を解き明かそうとするその心だけ』
煩雑な資格や試験は一切なし。身分、年齢、人種、種族。いずれだろうと関係なし。冒険者であると登録さえすれば、誰もがサポートを受けられるようになった。
この一連の出来事は「冒険者解放宣言」と言われており、今の今まで大量の冒険者が誕生するきっかけとなった歴史的ファクターである。
世はまさに、大冒険時代を迎える──
──かに、思われた。
ここはアッドラントでも特に冒険者で賑わう都市、ミゼルウェット。物語はここから始まる。
「す……すみません……どなたか、ぼくをパーティに加えていただけませんか……?」
冒険者が一時の癒しを求め集まる酒場。アルコールの匂いと飲み比べに興じる音が響く場所で、雰囲気にそぐわない小柄な少年が一人、杖を握りしめて小さく声を上げている。
「お願いします……お金……お金が必要で……」
真っ白な髪。絹のような肌。触れればたちまち骨が砕けてしまいそうな華奢さが目立つ、冒険にはとても出られないような少年。
彼は酒場で、自分を冒険に連れて行ってくれる仲間を探していた。
「あ……あの!! ぼくを、パーティに入れてくれないでしょうか!?」
誰も聞く耳を貸さない中、一人の男戦士が彼に視線を向けた。それに気づいた彼は、即座にアピールをする。
「荷物持ちでも雑用でも、なんでもします……! だから、仲間に」
「あぁ……!? ……はぁ、俺かよ……」
戦士は自分に声がかけられたことに気づき、憂鬱そうに頭をかいた。
「じゃあ聞くけどさ? おたく、何ができんの? 雑用とかじゃなくてさ、戦闘で役に立つわけ?」
「あ……はい! バフには、自信があって……みなさんの戦闘をスムーズに」
「じゃあナシ。お前さ、自分が手を汚さずに甘い汁吸えると思ってんの?」
「え……いや、そんなつもりは……!」
少年の言葉を最後まで聞くこともなく、男はさっさと仲間の待つテーブルに戻っていった。
「解放宣言」は、画期的なシステムであった。それを機に冒険者の人口は爆発的に増加し、他のどの職よりも冒険者になりたいと願う者が大量に現れた。
しかし、それによって人間の版図が拡大したかと言えばそうではない。
確かに一部の冒険者は、栄光や謎を求めて深く深くへと探索を進めている。それは間違いない。
一方で、大半、およそ九割の冒険者は、そうではない。彼らはすでに開かれた場所をくるくる回るだけで、探索を進めることもなく冒険者の恩恵に預かっているのだった。
命が惜しい。強い魔物と戦いたくない。それでも、冒険者として幸せに生きたい。当たり前の、しかし堕落した思考。それに多くの人間は囚われてしまった。
条件の緩和によって、粗製濫造された冒険者。それは、冒険者というシステムの腐敗を招いた。
甘い汁を吸うためだけに徒党を組み、ろくに冒険にも出ないパーティがいる。安定した狩場を保持するために場所を独占し、他パーティが入る時には金銭を要求するような愚行も横行するようになっていった。
そして、強敵と戦うにあたっては必須とされるバッファーやヒーラーの類は、そんな冒険者にとって必要のない職に成り下がった。
状態異常を治療する解呪師はただダメージを与えてくる敵には出番がない。体力を回復する回復術師もダメージを負わないほど弱い魔物を相手にするだけならお呼びでない。さまざまなバフを付与する付与術師も、素のスペックで圧倒できるならばわざわざ雇う方が損となる。
彼らの身分や立場は非常に弱く、雇ってくれるパーティもほとんど存在しない。雇ってくれたとしても、非常に低賃金かつ悪待遇にさらされる。
もちろん、探索に向かう冒険者であれば欲する職だが、それはあくまで熟達したバッファーに限られる。初心者になど当然お呼びはかからない。
改善しようと動く組織もいるのだが、焼け石に水。それでも、魔物狩りによって国周辺の治安は保たれるため、為政者は見て見ぬふりを続けているのが現状である。
かくして夢を追う人間の代名詞であった冒険者の名は、とうの昔に地に落ちた。安定、腐敗、つまらないものの別名。それこそが今の冒険者である。
そんな中、キラキラと夢を追い求め、必死で仲間を探す人間がいた。この時代ではめっきり珍しくなってしまったその姿が、ある人物の目に留まる。
「ねえアンタ、パーティ探してるってことは、初心者かな?」
赤髪を束ねた、浅黒い肌をした長身の女性が声をかける。先ほどの男性と違い、とても優しい声色だった。
「は……はい! まだこっちに来たばっかりで、全然勝手がわからなくて……うぅ……」
「おいおい、泣かないでおくれよ。ほら、ハンカチ貸したげるから涙拭いて鼻かんで」
少年の目線に合わせて彼女は身をかがめた。するとその後ろに、二人の人間がいたことも顕になる。
一人は男性。短い青髪の、盗賊風な衣装に身を包んだ精悍な男だった。
もう一人は黒髪の少女。少年と同じように杖を持ち、伏し目がちでミステリアスな雰囲気を備えている。
「アタシは剣士のヴィーラ。こっちの野郎が盗賊のエルドで、この娘が回復術士のフィーナ」
「よろしくなぁ! 俺がエルド!」
エルドはヴィーラの隣に屈んで、少年に握手を求めた。フィーナはそのままだったが、軽く会釈をしたのが目に映る。
「アタシたち、ちょうど仲間探してたんだよ。アンタ、名前は?」
「あ……はい! ぼく……ぼくはティアっていいます!」
「ティアね、いい名前だ! んで? 職は?」
「あ……え、えっと……」
先ほど、自分の職を明かしたせいで断られた影響か、少年は答えるのを躊躇する。しかしいつまでも黙ってはいられないので、意を決したように叫んだ。
「──ぼくは! 付与術師です!!」
突然の大声に酒場は一度静まり返る。だがすぐに、喧騒は笑い声となって戻ってきた。
「はははははは!! バッファーかよ!! このご時世でか!?」
嘲笑の声が止まない。今の環境であえてバッファーにつくなど、自らを無知と称するに等しい。見る見るうちにティアの顔は赤くなり、体はどんどん小さくなっていく。
「──うっせえな、雑魚ども」
それを、ヴィーラは一喝して鎮めた。彼女は再びティアへと目線を合わせ、優しく話を続ける。
「いいじゃねえか、バッファー。アタシは好きだぜ? 身を粉にして仲間強くすんだろ? カッコいいじゃねえか、なあエルド?」
「ああ! キミのお陰で俺たち前衛は無茶ができるんだ! もうちょっと、胸を張りな?」
「え……あの……それ、じゃあ……ぼく……」
伏せていた目線を上に向けると、二人が目を見合わせて笑っているのが見えた。
「おうよ! これからよろしくな、ティア!!」
「!! はい!! よろしくお願いします!!」
握手を求めてきたヴィーラの左手をとるティア。
すぐに契約書を書き上げる。遠くにいてもこの一枚で合流できるようにする、限定的な空間転移が込められた紙である。これで彼は、名実ともにこのパーティの一員となった。
「ああ、それと──」
「? なんですか? ぼくにできることなら、なんでも──」
「──お前らの取り分は、全体の一割な。二人でどう分けるかは、しっかり話し合って決めろよぉ?」
「──な」
今の環境、バッファーとヒーラーには低賃金と悪待遇が待ち受ける。それは覚悟していたはずだった。だが、ことはその遥か下を行く。
「そんな! それは流石に!!」
「そうかぁ? 俺らがいねえと何もできねんだし、そんくらいが妥当だろ? 意味わかる? だ、と、う」
「さっきなんでもするっつったのは、どっちだったかねえ? 約束破るのは悪いことじゃないかい?」
誰も手を差し伸べず焦っていた少年。彼に甘言を使い誘惑した。信じさせた。この人たちは、他とは違うと。
しかし、全て仕組まれた罠。この酒場の環境自体がすでに、
「ヴィーラ。手伝ってやったんだ、さっさとよこせ」
「ああ? うっさいねえ……ほら、拾えよ」
彼女たちの掌の上。ヴィーラは一枚の銅貨を投げ、さっき少年へと罵声を浴びせた男に渡す。全て、彼女の仕込みであった。最初に声をかけた男から、全て。自分達を信頼させるための、張り巡らされた罠。
そしてその被害者は、ティアが一人目ではなかった。
「フィーナぁ、お前ずっと黙ってやがったな? うまくやれって言っただろうが、よっ!!」
「うっ……ごめん……なさい……」
エルドは先ほどまで被っていた仮面を投げ捨てた。非戦闘員であるフィーナの腹を容赦なく蹴り上げ、うずくまってもまだ追撃を加える。彼女もまた、ティアと同じようにして取り込まれた被害者の一人。しかし彼の末路を案じても、ただ黙っていることしかできなかった。待ち受ける仕打ちは、今の比ではなかっただろうから。
「こんな……こんなの犯罪じゃ」
「ないんだよねえ、これが。『解放宣言』さまさまさぁ!」
「パーティ間の契約はこっちの自由。依頼関係はちげえけどよぉ、賃金には決まりなんてねえの! 知らなかったか、田舎もんのティアくぅん?」
もうどこにも、優しく見えた二人の面影はない。そこにいたのは、無垢な人間を取り込み食い殺す、悪魔のような二つだけ。
「ああ、逃げようったってそうはいかないよ? 契約はあるから、すぐに呼び出せる」
「んじゃ早速、狩場に行くかなぁっと。キリキリ働けよぉ? 端数になっちまったら、お前らには一文たりとも入んねえからなぁ!!」
うずくまったまま動けないフィーナ。現実に呆然としたまま動けないティア。二人を置いて、悪魔たちは外に出た。
これが、粗製濫造された冒険者の末路。このような地獄が、今の世界では当たり前のように蔓延っている。
◇
「おら! さっさとバフかけろカス!!」
「っ!!」
数時間後、四人は酒場のある街から西方、獣のポップする平原にいた。
「あー、つっかえねえ。バフってもっと楽になるんじゃねえのかよぉ。これじゃ銅貨払い損だぜぇ、ヴィーラぁ!」
数十体簡単に屠ると、エルドは背中を叩きながら不平をこぼす。バフを加えたのにいつもと変わらない出来だったことに拍子抜けしたらしい。
「んま、こんなもんでしょうよ。でもアタシらはレベル上がって、ずいぶん動けるようになったんじゃないかい?」
「だなぁ! ひと月前とは全然ちげえや!」
後衛の二人はいないみたいに、前衛の二人は会話する。
「……ティア、さん……ごめんなさい……」
「フィーナさん……? なんで、あなたが……あなただって、ぼくと同じ被害者で」
その隙に、二人は言葉を交わす。彼らが見ていてはサボりだの言いがかりをつけられて、分け前を減らされるかもしれないから。フィーナは言えなかった謝罪を、ようやく口にすることができた。
「私が怖がってなかったら……あなただけでも逃げられたのに……」
「……」
二人の悪魔と打って変わって、この少女の心根は優しい。だからこそヒーラーのような貧乏籤を引いているのだろう。
「おい! 何サボってんだ! もうちょいいくぞ!!」
「ごめん……ごめんなさい……」
その日、フィーナからティアへの謝罪が止むことはなかった。
◇
一月後。
「いいじゃんいいじゃん。俺ら、強くなってきたんじゃね? そろそろ狩場広げようぜぇ、ヴィーラ!」
「そうさねえ……ま、いいか。後ろの二人は相変わらずお荷物、だ、け、ど。アタシたちで十分だよねぇ」
ヴィーラとエルドは、討伐を繰り返して成長を実感していた。一月前には半日かかっていた狩り尽くしにも、今では一刻もあれば十分になっている。技量の上昇もそうだが、一番大きいのはレベルアップ。戦闘の数を重ねることで基礎能力はどんどん向上している。
「それなら、稼ぎも増え」
「んじゃ、取り分は俺らで九割五分にすっかな」
「!? なんで、話と違──」
「はぁ!? アンタらの貢献度が増えねえのに、なんでいつまでもそのままだと思った? 頑張ったやつがいっぱいもらえるのが、フェアってやつじゃないのかねぇ?」
フィーナの抗議も虚しく、二人に威圧されて話は終わった。成長しているのも、回復の機会が減っているのも事実。下手に逆らえば、今の力量差だと殺されてしまうかもしれない。時間が経つごとにティアとフィーナの立場は悪くなっていく。蟻地獄のような搾取の形。逃げることはできない。
「それじゃ、明日からはもうちょい西の森ってことで。ワイバーン出るからさ、死なないように気ぃつけろよぉ?」
ニタニタと歪んだ笑顔で脅しかけるエルド。道化師のような不気味さが、フィーナの頭から離れなかった。
◇
さらに一月が経過した。四人は、西の森で獣を狩り続けている。
「ちっ、カスっちまった! フィーナぁ! さっさと回復よこせ!!」
「……! ……あれ?」
騒ぎ立てるほどでもない傷。それでもエルドはフィーナを叱りつける。
「てめえ、手ェ抜きやがったな、おい!!」
「ゲホっ……ちが、う……違います……私は……」
回復が遅れたことに激昂した彼は、彼女の腹に三度拳を叩き込んだ。レベルの上がった彼の一撃で、彼女はたまらず胃液をぶちまける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
一方のティアだが、戦況が急激に拡大したためか、精神をすり減らしている。半日ほどぶっ続けで酷使されたせいで、足もふらふらとおぼつかない。
「……潮時、かねぇ」
その様子を見ていたヴィーラ。彼女は、何かを思いついたのかそう呟いた。
「──え?」
昼過ぎ、一日の狩りを一度切り上げて酒場に戻った四人。そこでヴィーラから切り出された話は、
「今、なんて……」
「あ? だぁかぁらぁ!」
フィーナも耳を疑うものだった。
「今のアンタら、お守りすんの楽じゃないんだよねぇ? そんなら当然、こっからはお守りの代金、払ってもらわないと釣り合わないでしょ?」
もはや二人に与えられる分け前は、その日の暮らしすら危ういほど減少している。ただでさえ金銭に余裕がないにも関わらず、あろうことか彼女は、さらに金を払えとまで言い出した。
「ふ……ふざけないで!! 私たちだって、ちゃんと……ちゃんとぉ!!」
「やってる? ふーん? んじゃ明日からアタシたち、北のダンジョンに行くけど、付いてくるかい?」
「な……!」
ダンジョンには、外よりも多くの魔獣がひしめいている。さらにその深部では、危険度の段違いな魔獣の類も確認されている。今のフィーナでは死にに行くようなものである。二人はそれをわかっていて、あくまで彼女の口から断念するように仕向けている。
「アタシらは順調にレベル上がってるからいけるけど」
「お前らは無理だよなぁ? だって、全然成長しねえもん!! ははっ!!」
エルドは酒場の客を煽るようにパフォーマンスし、歓声のような笑い声を上げさせた。
「だから二つに一つ。金払って死にに行くか、ここでアタシらに手切金払って足抜けするか」
「……そん、な」
徹頭徹尾、フィーナは二人から金を巻き上げるつもりだった。いずれにしても失うなら、せめて命は惜しい。誰もがそう思うことを承知で、彼女は法外な手切金を要求するつもりである。
「そうさねぇ……手切には……ざっと、金貨」
「もう、いいです」
長い間口を閉じていたティアが、諦めたようにテーブルへと布袋を乗せる。重さで少しテーブルが揺れた。
「金貨二十枚入ってます。これが、ぼくの全財産です。だからお願いします、これで彼女とぼくを、抜けさせてください」
「ティア、さん……」
全財産を手放し、さらに彼は地面へと頭を擦り付けた。その有様に、また一段と酒場の盛り上がりが増していく。下げられた頭からは、何かを堪えるような声が聞こえてきた。
「あっはははは!! ダッサ!! はー、笑った笑った。いいぜ。これで金輪際、アタシらとアンタらは関係ナシ! 二度と泣きついてくるんじゃねえよ」
ティアの頭を踏みつけながら、ヴィーラは吐き捨てるように言った。
「最後に一個忠告なぁ? 優しい俺たちから無能なお前らに、さ」
金貨の入った袋をくるくると回しながら去っていくヴィーラ。その後を追いながら、エルドは二人に告げる。初めのような、優しい声色で。
「キミたち、才能ねぇからさ。冒険者なんてやめて、田舎に帰ったら? ああ、それとも、どっちか生贄にしてレベリングでもするか? 運が良ければ生き残って、この辺で戦えるくらいにはなるかもなぁ!!」
甲高い笑い声が、けたたましいサイレンにも聞こえる。これ以上続ければまた、同じような目に遭う。そう告げられているような。
破り捨てられた契約書が空に舞う中、二人の外道は消えていった。
崩れ落ちたフィーナは、横で頭を下げたままのティアの声を聞く。彼らが去ってから静まり返った酒場で、ようやく聞こえた唸り声。
「ぅ……ぐ、うぅぅ……っぐ……」
「──」
必死で歯を食いしばり、堪えていた彼。その姿を見て彼女は絶句した。
それと同時に、一つの疑問が頭に浮かぶ。一体、なぜ。
「なんで、ですか……ティアさん、あなたは、なんで……」
「ぐ……そ、ぉ……うぅ、く……」
「────なんで、笑ってるんですか」
「──く、くく……ふはっ」
笑っている。耳を近づけるまでまでわからなかった。静寂に包まれた今だからこそわかる。全財産を失い、パーティからも追放され、あげく尊厳の全てを否定されたこの少年は。
「──あっはははははははは!!」
耳をつんざくような声で、恐ろしいほどの笑顔で、鳴り止まない笑いを放っていた。
「はー、笑った笑った……んで?」
立ち上がり、近くにあった座席につく。こじんまりとした、自ら存在を希釈するような頼りない姿はそこにない。テーブルへと足を上げ、ふんぞりかえった尊大な姿は、今までの謙虚な少年とは似ても似つかない。フィーナはその変わりように一歩だけ後退りをしてしまう。
「いつ気づいた? アンタはオレの仕掛け、どのタイミングで理解した?」
態度だけでなく言葉遣いも変わり果てた。フィーナは自分と近い年齢だと思っていた彼だったが、今はひどく目上の人間に見えてくる。ここまでその気配を微塵も感じさせなかった擬態能力に、恐怖を通り越した畏敬すら感じるほど。
「……疑問はちょっと前から。私のヒール、回復量が対象のHPに対して割合で計算されるんです。最大HPの何%回復、って感じで」
「……へぇ、そいつはなかなか」
「初めは、私が弱いせいだと思ってました。あの二人は成長してる。それなのに私は、って……でも、今日、疑問ははっきりしました」
彼女の力は、対象のHPに応じて強化される。あの二人が順当にレベルアップしているなら、回復量が増えるのが自然。しかし、
「──あの二人、レベルアップしてませんでした。二ヶ月前のまま。成長したって勘違いしてる。だって、回復量が全く変わってない」
「──」
彼女は不思議に思った。二人の性能は確実に伸びている。出会った頃とも、ティアの加わった二ヶ月前と比べても格段に。それなのに、HPだけ据え置きのまま。それが意味することは、すなわち。
「────全部、あなたがバフで勘違いさせてたんですね、ティアさん」
「いいぞ。正解」
彼は指を鳴らして、答えに辿り着いたフィーナを褒める。
全て、ティアの仕組んだ罠だった。彼はパーティに参加した時から、今日のこの瞬間を見通していた。
最初の数週は微弱なまま、あの二人に弱いと勘違いさせるための布石を打った。そこからじわじわとバフの効果量を上げていき、二人に成長を実感させていたという。
しかし、その作戦には困難がある。
「わからないのは、戦闘以外で二人が気付けなかったところです。バフは切れる瞬間があるのに。あの二人がいくらバカで救いようがなくても、それに気づかないのはあり得ないから」
バフには継続する限界時間がある。夕方に解散してから朝再び集合するまで、どうやって維持していたのかがフィーナには不明だった。
「教えてください、どうやって」
「もう答え出てんだろ? オレが教える必要あるか?」
「……信じ、られないから」
「ま、そうだわな。んなことできんの、世界でオレくらいだ」
ティアはテーブルに乗せていた足を下ろすと、頬杖をついて詰まらなさそうに答える。当たり前のことを言うみたいに。1+1が2になるみたいに、当然の摂理を彼女に教える。
「一日、かけっぱなしにしてただけだぜ? なんなら最後の方は、めんどいから一月そのままだったしな」
「一ヶ月……!? そんな……そんなの、人間のレベルを超えてる……!」
「いや、まあ流石に疲れた。魔力ごっそり持ってかれたから、今日はちょいとふらふらだったしよぉ、情けねえ。舐めすぎんのも良かぁねえな」
今日彼が疲弊していたのは、必死だったからではない。そのまるで反対。舐め切っていたからこそ、あれだけ疲弊していたのだ。
「そんな、ことできる人が、なんでこんなになって……?」
彼の能力は、未開の場所へと探索に向かう冒険者からも引く手数多のはず。それほどの力を持ちながら、小間使いに甘んじていた理由が見つからない。金貨を大量にドブへ捨て、頭を擦り付けプライドも全て荼毘に付した。それほどの価値が、一体どこに。
違う。一つだけある。だがそれをするには、リターンがまるで釣り合っていない。
「決まってる」
不敵な笑みを浮かべ、彼は彼女に眼差しを向ける。笑みの中に潜む瞳の色からは、愉悦も愉快も読み取れないのに。
「──殺すため。あんなクソ共、オレは冒険者だと認めない。そのためなら金もプライドも、いくらでも捨ててやる」
冒険者は治安維持に貢献している限り、治外法権の立場になる。もちろん犯罪行為に身を染めれば即座に粛清されるが、パーティ内の決め事程度では動かない。
そんな抜け道を使って非道を行う冒険者もどきを粛清するためだけに、彼は二ヶ月費やした。
恐ろしい執念と周到さ。そこから垣間見えるドス黒い殺意と純白の秩序。フィーナが彼に見出したのは、矛盾する二つの印象だった。
「あと半刻もすればバフは解ける。今のあいつらだと、そろそろ深層に入ってるだろ。解けた瞬間にオダブツだろうな!! んま、運が良けりゃ、一人を生贄にして生き残るかも知れねえがなぁ?」
エルドに言われた言葉を、意趣返しするかのごとく吐き出す。しかし口に出すのも不快だったのか、隣のテーブルからジョッキを奪うと、一息で飲み干して口内を清めた。
それに、客は何も言わない。
「もし、かして」
「あいつらの稼ぎ程度で、こんだけの冒険者が動くかよ? 気持ちよかっただろうな、自分の思い通りに動かせて。全部、オレが根回ししてるとも知らずになぁ」
思えば不思議な話だった。二人が去った途端に静まり返ったことも。バッファーと語る以前から、彼に誘いをかける人間が少なかったことも、全て。
「あなたは、一体……」
「こっちのセリフだな、嬢ちゃん。アンタ、一体これからどうするつもりだ? アンタを縛ってた鎖はもうねぇ。自由だ。どうしたい?」
ここまで辿り着いた彼女に、報酬を与えるような声色。彼女が望むなら、手を貸すとばかりに言ってみせる。彼の瞳には先ほどと変わって、期待するような、値踏みするような、そんな光が灯っていた。
「……もう、実家に帰ろうと思います。才能がないのは、わかりましたから。それに、こんなやり方じゃないときれいにならない世界なら、もう、未練もありません」
彼女が口に出したのは、夢見ていたはずの冒険者というシステムへの失望。確かに、彼女の負った心の傷は深いだろう。
「……そうかい。そう決めたんなら仕方ねえわな。一応これ、オレのツテ。気が変わったら尋ねな。オレの名前出したらすぐ話聞いてくれるからよ」
ティアはその返事を聞いて立ち上がり、テーブルにそっと一枚の紙を差し出した。どこから取り出したのか、店主に金貨をチップとして投げ、清算の代わりにする。フィーナから、その表情は見えない。
「ああ、そうだ嬢ちゃん。帰る前に鏡でも覗いてみな。ひどい顔だ。化粧直しくらいはしておけよ」
杖でリズム良く地面を叩きながら帰るその姿は、今までで一番、無邪気な少年のように見えた。
「かが……み……? ──っ!!」
言われた通り、カウンターの奥にあった鏡を見やる。そこに映っていたのは、
──ひどく歪で引き攣った、自分によく似た少女の笑顔だった。
◇
酒場から少しだけ離れた街の裏路地。その一角に、煉瓦造りの家がある。
ティアはそのドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いた。音の出ないように、そっと。
「た、だ、い、まー……」
扉の先には暗い廊下が続いている。その途中には入り口とよく似た扉がたくさん並んでいた。
こっそりと忍足で、廊下の奥へと入っていく。廊下を抜けた先には大部屋が。明かりが灯っていないことを遠くから確認すると、彼はほっと胸を撫で下ろした。さっきと打って変わり、早足で駆けてから勢いよく扉を開ける。
「ふー! 息詰まるかと思ったぜー!」
「また二ヶ月も何してたんですか! リーダー!!」
「うっわぁ!! なんだよぉ、居たのかよぉ……電気くらいつけろっての……」
彼が部屋に足を踏み入れた瞬間に、可愛らしい怒鳴り声と共に電気がつけられる。声の主は扉の真横で腕を組み、彼を待ち構えていた。光と共に明らかとなったその姿は、スーツに身を包み長い青髪を括って束ねている。しかし、少々人間とは異なっている様子。耳が尖ったように長い。いわゆる、エルフという種族のような外見をしている。
「私たち、リーダーの尻拭いばっかりさせられてるんですけど!! せめて何日空けるとか言ってくれません!?」
「悪かったって、ユフィちゃーん……悪かったついでにさ、ちょっとさ……」
「手伝ってあげませんからね。ちなみに三人とも仕事で留守ですから。リーダーの、せ、い、で!」
ユフィと呼ばれた女性は、部屋の一番奥にある机を指差してティアに示す。そこにはうずたかく積まれた書類の山が。山のように積もっている一方で、色や大きさで綺麗に仕分けされている。
「はぁ……んなことならもうちょい時間かけりゃよかった……あー、これって」
「上から順番にプライオリティ高いタスクですから。順番にとって粛々とこなしてください」
「棘があんなぁ……りょーかいりょーかいっ」
杖を扉の側に立てかけ、黙って奥の席につく。机は奥のそれの他に四つ。正方形を描くように整然と並んだ姿から、ユフィの仕事だと予想できる。彼女も右手前の席へと戻り、自身の仕事に取り掛かった。
その隙にティアは、彼女の忠告を無視して書類タワーの真ん中から紙を抜こうとしていた。
「見えてますよー」
「チェックチェック! なまってないか確かめただけだって!! 魔法向けないでユフィちゃん!」
彼女はティアを一瞥もせず、殺気だけ迸らせて彼に水の槍を向けていた。
ティアが一番上から書類を取ると、その槍はまるで煙のように消えてなくなる。
「ほんと、油断も隙もないんですから」
「ごめんって……あ、そうだ。オレのスライムパウダー、どこ置いてる? ちょっと疲れちまった」
スライムパウダーとは、スライムという液状の魔物を乾燥させ粉末にしたもの。滋養強壮、疲労回復、それから魔力再生にと非常に効果的なアイテム。しかし売れ筋からは程遠い。買っている人間を、ユフィはティア以外知らない。
「二番目の引き出しに入れてますよ……よくあんな気持ち悪いの飲めますよね……美味しいんですか?」
「この世の終わりみてえにマズイ」
「なんで飲んでるんですかそんなの!?」
「知らねえの? 薬なんてまじぃほど効果あんだよ」
「うぇー……おじいちゃんみたい……」
引き出しから取り出した小さい袋を開け、中に入っていた粉末を水も使わずに飲み干したティア。その様子を見たユフィは舌を出して気持ち悪いとアピールする。
そんな折、ユフィの机に置いてある時計から甲高い音が鳴り響いた。警報のような音も二人はなんてこともないように聞き流している。
「あら? 死亡者速報だ、珍しい。えーっと……え!? ミゼルウェットの北のダンジョン!? 二人も!? うへー、あんな低ランクで死んじゃうんだ……かわいそう……」
「……そうかい。そりゃ、随分運がなかったらしいな」
ティアの言葉は死者を労わるように聞こえたが、彼の表情は一切曇っていない。それどころか、賭けに勝った後のような笑顔に見えさえした。
「ああ、そうだ。ちょっと客が来るかもしれねえ。オレの名前出したやつ来たら通してくれ。形だけでも面接はしねえとな」
「へえ、珍しいですね。リーダーのお眼鏡にかなうルーキー、見つかったんですか?」
「まあな。『割合回復』のスキル持ち」
「すっご!! 歴史上何人とかのレベルじゃないですか!!」
「ほらほら、落ち着きなって。能力オタクのユフィちゃん。仕事仕事」
ティアの言葉を聞き興奮して立ち上がってしまったユフィ。彼に諌められたのが屈辱だったのか、顔を赤くして座った。
「でも正直、来るかは半々だな。ずいぶん冒険者には失望しちまってる。その分、ウチに欲しいんだがなぁ」
「……妬いちゃうなぁ、その子」
「ん?」
「なんでもありませーん! あ、来たみたいですね。ちょっと行ってきます」
ガチャガチャと入り口のドアノブをいじる音が聞こえてきた。それを合図にユフィは玄関へと小走りで向かっていく。
「はーい。どちら様でしょうか? アポイントはございますか? 弊社の職員の、いずれにご用事が?」
「あ、あぽいんと……? えーっと……ティアさん、って人に教えられて来たんですけど……」
「お、来やがったか」
その声を遠くで聞き、満足そうに頷くティア。その手にはタワーの真ん中から抜き取った書類があった。
「てぃあ……? そのような職員、弊社には在籍しておりませんが……間違いでは?」
「えっ……? そう、なんですか……すみません、間違えまし」
「ちょっと待ったぁ!! ユフィちゃん、それオレ! オレの偽名な!! 考えたらわかるじゃん!?」
やり取りを聞いてこれは危ないと思ったティアが、小さな体を必死で動かし玄関まで向かってきた。
「えー! リーダーまた違う偽名使ったんですか!? この前はユース、その前はテット。統一しないとわかんないですよぅ!!」
「統一したらバレるだろうが!! アンタもアンタだ!! もうちょい粘れバカ!! 何素直に帰ろうとしてんだ!!」
玄関を開けながら、ティアはその向こうにいた少女に一喝する。その勢いに気圧された彼女は少し驚いて、その後に小さくはにかんだ。憑き物が落ちたみたいに、年相応の表情で。
「ふ……ふふっ、あははっ! じゃあ、なんて名前なの、ティアさん?」
「──はっ! いい顔になりやがった! ま、とりあえず入れや嬢ちゃん。ちょうど、仕事は山積みだ」
今この世界では、バッファーやヒーラーの地位は非常に低い。それは冒険者の粗製濫造に起因しており、すなわち腐敗した冒険者たちによるところが大きい。
本来であれば彼らは、もっと重宝されて然るべき存在である。強敵に攻撃を通し、一撃で死に絶えるはずの攻撃からその身を守る。起死回生につなげるべく体を癒し、長時間の戦いにも耐えうるように準備する。
世界を広げ人間の版図を拡大するという目的において、本来これ以上ないほど不可欠な存在こそが彼らだ。
それが、軽視されている。それどころか、それを利用して食い物にしているクズがのさばっている。
「ダメですよリーダー。新人に押しつけられる仕事、あなたにはありませんからね?」
それを、正そうとする組織がある。例え焼石に水だろうと、諦めず戦い続ける人たちがいる。
「えーっと……入っていいん、だよね……?」
仮に小さな雫だとしても。積み重なって、いずれ岩を砕くように。願いを込めて、彼らは正義のために働き続ける。
その名は──
「もちろん──ようこそ、ユースティティア冒険者連盟へ。オレがリーダーのユースティティアだ。よろしく、フィーナ」
一人の少女がそこへ加わる。これは、いずれ正しい世界に戻るまでの物語。
正義の神の名を背負った彼らが、間違いを正すまでの記録。
「嬢ちゃんも疲れたろ? とりあえず、スライムパウダー飲むか?」
「? よくわかんないけど、いただきます」
「ちょ! ダメダメ!! 何してるんですかリーダ」
「あ、美味しい」
「……マジか」
連載にしてみたいと思っている作品の冒頭だけ投稿してみました。良いと思うところや直した方がいい部分など、何かお気づきになったことがありましたら気兼ねなくお伝え下さったらありがたいです。