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覚醒

 そして蓮司は全てを思い出す。


「……どういうことだよ、美香?」


 その日蓮司は怒り狂っていた。いつもみたいに蓮司の家のテレビの前で寛いでいる恋人に向かって、煮えたぎるマグマのような憤怒を向けていた。


「どういう事って、何が?」

「とぼけるなよ! 見ろ!」


 蓮司は手に持っていたものを叩きつけた。床にばらまかれた写真、それは美香が蓮司以外の別の男と映っている写真ばかりだ。仲睦まじく頬を寄せ合って映っているのもあれば、ベッドの上であられもない姿で寝そべっているのもある。そしてそのどれもが、蓮司の見た事のない顔をした美香を映していた。


「やだ……なんであんたがこんなもの持ってるの?」


 美香は不快そうに顔を歪めた。


「浮気してたんだな、それもこんなにたくさん……っ!」

「浮気……?」

「今更とぼけるなよ! こんなの出てきてまだ潔白だなんて言うのか⁉」


 信じたくなかった。大好きな美香が他の男と関係を持っていたなんて、蓮司を裏切っていたなんて。信じたくなかったのに――。

 すると美香はあろうことか声を張り上げて笑い出した。ベッドの上で腹を抱えて身をよじる。


「何が可笑しいんだ……?」

「可笑しいに決まってるじゃない! あなた、まさか私が一人の従僕で満足できると思ってたの?」


 従僕?

 蓮司の呼吸が止まった。


「そいつらはあんたと同じよ。私の匂いに誘われて寄ってきたんでしょ? だから相手してあげたのよ」


 彼女の言っている意味が分からなかった。蓮司は怒っているのに、何を返したらいいのかわからず硬直する。何かおかしいと悟ったのは美香の方だった。


「ああ、あなたひょっとして――」


 するりと美香がにじり寄ってきた。途端、強烈な甘い香りが鼻を突く。


「自分が何者か知らないの?」


 美香が蓮司の足を撫でた瞬間、


 ブブブブ


 身体の奥で何かが蠢いた。生まれて初めての感覚だった、内臓が動くのとは違う、まるで、身体の中に無数の生命が閉じ込められているような――。


「そういえばあなたが出してる(・・・・)とこ見たこと無かったわ。ね、ひょっとして、まだ一度もないの?」


 美香に身体を撫でられる度に蓮司の中で何かが蠢く。呼吸が荒くなり視界が乱れる。

 嫌だ、やめてくれ。


「じゃあ、私が手伝ってあげる」


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 目の前で女が舌なめずりをした。


「だって私、――あなたの女王様だから」



 ◆

 藤波蓮司の身体がはじけた。鐵は思わず後退し顔を覆う。


「……おい、まじかよ」


 目の前の光景に悪態をつくしかなかった。突如、藤波蓮司の体内から大量の黒い靄が吐き出され狭い霊安室に充満し始める。黒い靄は蜷局を巻いて巨大な一体の生物のようにぐるぐると旋回し始めた。


 ブブブブブブブブブブブブ


 部屋中に響く不快な翅音。黒い靄から発せられるその騒音に三半規管を狂わされる。


「雀蜂か……!」


 靄の正体は雀蜂の大群だ。それが藤波蓮司の身体から無尽蔵に放出され、彼とそして彼の前に置かれた、彼が美香と呼んだ女性の棺桶に群がる。雀蜂は室内を縦横無尽に旋回しどんどん蜷局を大きくしていく。

 松葉杖も車椅子もなく蓮司が立ち上がった。彼の左足はズボンが裂けそこに黒い足が生えていた。表面はでたらめに蠢き、周囲と同じ不快な翅音を響かせて――。


「なんだよ、自力で歩けるじゃねえか」


 蜂の塊で出来た足以外にも、彼の身体中の皮膚から蜂の翅や脚が無数に飛び出ていている。まるで皮膚を食い破り体外に出ようとするその様は、さすがの鐵も悍ましさに乾いた笑いが出た。


 ブブッ


 蓮司の虚ろな目が鐵を捕らえた瞬間、部屋にいた雀蜂が一斉にこちらを向いた。翅音が一瞬止まる、何千何万という蜂の目が鐵を敵として捕らえ、尻の針を突き出して鐵に襲い掛かった。

 鐵はあっという間に竜巻に飲み込まれた。顔に首に腕に胸に腹に足に、身体中を雀蜂が這い回る。蠢く脚と皮膚を掠める針の僅かな刺激に背筋がぞわぞわとして血の気が引いた。

 あっという間に拘束され鐵は指一本動かせなくなった。少しでも動けば群がる無数の蜂の毒針が突き刺さる。


「ぐっ……!」


 文字通り身体中を指されて蜂の巣にされるかと思われたその時、――虹色の光が鐵と蜂の間に割って入った。

 薄暗い部屋に突如舞い降りる強力な光源。稲妻が迸り鐵は思わず目を閉じた。鐵の肌すれすれに無数の何かが散って同時に鐵を拘束していた蜂が何かに吹き飛ばされた。

 突然身体が軽くなり、ぐらりと傾きかけた鐵を誰かが支える。目を開けるとそこに七彩に輝く少女が狼狽した顔でこちらを覗き込んでいた。


眞白(ましろ)――」


 鐵は目の前の少女を見つめ返した。

 薄暗がりの霊安室の中で七色の輝きを発するその少女。彼女の周辺を取り巻くように彼女と同様に輝く破片が舞っている。床を見ると、同じ破片に身体を貫かれた蜂がぼとぼとと雨のように降り注ぎ絶命していた。

 眞白は鐵の頬や頭を撫で大事はないかと目で訴えかけてくる。彼女を安心させるように鐵は彼女の頬を同じように撫でた。


「大丈夫だ、助かった」


 彼女の頬はわずかにざらついている。人間の柔らかな肌に薄い鱗が張り付いている。それらが僅かな光源の中で瞬き光っていた。

 鐵に怪我無い事に安堵した眞白は目を細めほほ笑みを浮かべる。が、


 ブブブブブブ


 またしても部屋中を埋め尽くす蜂の大群。蓮司の皮膚からボコボコと無尽蔵に湧き出てくる。

 眞白が腰を低くし臨戦態勢を取った。彼女の肌が一段と強く光り始める。その肌からぺりぺりと鱗が一枚一枚剥がれ落ち、宙を旋回し始めた。

 眞白が飛び出すのと、蜂が再び蜷局を巻いて襲い掛かるのは同時だった。衝突する光と闇、強い衝撃に鐵は思わず目を覆う。


「眞白!」


 鐵の叫びは轟音にかき消され、空気が鋭い疾風となって周囲の棚を揺らす。その嵐が収まった時中心に立っていたのは、虹色の光を放つ少女だった。

 少女の周りを身体を貫かれた蜂が落ちる。だが、落ちる寸前の一匹が最後の力を振り絞り軌道転換した。鋭い針を眞白の細い首に向け突撃する瞬間を鐵は見逃さなかった。

 鐵の身体が勝手に動いた。自分でも驚くほどの俊足で眞白を抱き寄せた瞬間、


「――!」


 二の腕に鈍い痛み。注射を刺された時のような、それよりも何倍も強い痛みが身体を襲う。

 すぐさま二の腕に止まった蜂を掴むと容赦なく握りつぶす。激痛に身体が震え額から脂汗が滲んだ。


「――平気」


 その痛みを押し殺し、鐵は腕の中で青い顔をする眞白に笑いかける。彼女を解放すると、おぼつかない足取りで蓮司の元へ向かった。

 蓮司は目の焦点があっておらずもはやこちらを見てはいなかった。だが彼の中に蠢く蜂はまだ絶えず這いまわっている。芯の無いゴム人形の中に詰め込まれた雀蜂たちはまだ戦意を失っていない。

 鐵はゆっくりと近づくと蓮司に向かって右手を突き出した。蓮司の口がガバリと開き、そこからまた蜂が飛び出してきたが、


「止まれ」


 鐵の一言で蜂たちは停止した。先ほどまで勇猛果敢に針を突き立てようとしていた彼らが、確実に委縮し蓮司の体内に戻っていく。

 蓮司の身体が痙攣し始めた。倒れそうになる彼の頭部を掴むと、鐵は掌に力を込めた。

 霊安室の蛍光灯がパチパチと音を立てて点滅を始めた。薄暗い部屋が一層暗闇に包まれ、周囲の明度が極端に下がっていく。構わず鐵は目の前の男を抑えつけた。


 ブブ――ブブ――


 周囲に漂う闇が蓮司の身体を拘束していく。周囲の蜂たちの翅音が闇の中に吸い込まれ消えていった。


「事情は後で訊く。今はとりあえず眠れ」


 鐵は蓮司の目元を掌で覆うと、静かに詠唱を始めた。


『我は五帝、烏羽帝。汝は弱き咲人の子』


 自分のものとは思えないおどろおどろしい声。


『我は汝の守り人。汝の憂いを、汝の危難を、悉く祓う者なり』


 蓮司の身体がでたらめに暴れだす。


 ブブブブブ


 翅音を鳴らす雀蜂たちの最後の抵抗も全て抑えつけ、


『――あるべき姿に戻れ。我が愛しき咲人よ』


 瞬間、蓮司の体内で暴れまわっていた雀蜂たちが動きを止めた。周囲に散っていた残党たちが塵のように霧散して消滅していく。動かなくなった蓮司が安らかに寝息を立てているのを確認すると、鐵はようやく深く息を吐いた。

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