とある村の診療所
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帝都からローカル線を乗り継いで六時間。山に囲まれた盆地に位置する辺鄙な村佳賀里。この何もない村の更に人里離れた場所に、『鐵義肢クリニック』はある。
「いやあ、ありがとうございました。鐵さん」
診療所の門前で中年の男が鐵に頭を下げた。彼の腕には新品の義手が取り付けられている、施術したばかりの義手を男は少しぎこちなく動かした。
「もし体に違和感を覚えたらすぐに連絡をください。診察は帝都大学附属病院の方でも受診できますので」
「いやいや、ご丁寧にどうも」
その客は何度も何度も頭を下げ、送迎のタクシーに乗り込んだ。仕事の事故で手を失ったという男は、この度鐵の元で施術された義手を掲げ満足そうに去って行く。
最後に男はタクシーの窓を開けて、鐵に握手を求めた。
「咲人だからって諦めないもんだね、ここに来て良かったよ」
ありがとう、鐵さんと笑う客の義手を鐵は握り返した。
やがてタクシーが発進し、彼の姿は見えなくなる。鐵は大きく背伸びをすると、コーヒーでも飲むかと家に戻った。
鐵は応接室にも使用しているリビングでコーヒーを淹れながら、つけっぱなしになっているテレビに耳を傾けていた。
『続いてスポーツニュースです。今週末から開催されるIPC陸上競技世界選手権大会に向け、日本時間の今朝、日本選手たちが開催地となるオランダ、アッセンに到着したとのことです』
リビングに備え付けられているテレビからは最新の情報が垂れ流しになっている。実に平穏な昼下がりの光景だった。
『今大会は二年後に開催の北京パラリンピックの出場権にも関わる大会ともあり、各選手たちは強い意気込みを持って大会に臨んでいる模様です。注目は五年の服役を終え、陸上界に見事復帰した藤波蓮司選手――』
「眞白」
コーヒーの入ったカップをソファまでもっていくと、そこに愛する妻の姿があった。長い七彩に輝く髪を背に垂らし猫のように丸まっている。白いノースリーブのワンピースから除く透き通るほど白く瑞々しい肌とすらりとした四肢。身体付きはすっかり大人びたが顔立ちは未だ幼い。長らく幼い姿をしていた彼女は元来童顔だったというのが、ここ最近の新たな発見だった。
「昼寝なら奥の寝室行け」
一応ここは客を応対する場所なのだから、と鐵が指摘すると眞白はムッとした顔で起き上がった。
「……何だよ?」
「……」
鐵は眞白の側に腰を下ろすと、唇を尖らせる眞白の頭を乱暴に撫でる。眞白は首をすくめてツンとそっぽを向いた。まるで本当に不機嫌な猫だ。
「まだ怒ってんのかよ」
「……おこってない」
怒ってるじゃないか、と肩を落としつつ鐵はコーヒーを啜った。
彼女の不機嫌の理由は二つ。一つは昨日菫から送られてきたメール。うっかり鐵の携帯電話を覗いた眞白が密通していると思い込んで少し不貞腐れた。
菫は五帝の任をこなしつつ会社員として働いていたそうだが、この度北条家でまとめられた縁談を受け結婚するらしい。今どき縁談なんて古風な、と思いはしたが、菫にとって北条家の家格を守る事が自身の誇りだそうで、縁談も自ら進んで受けたそうだ。
でもきっと思い悩むこともあるだろうから、『もし何かあったらいつでも相談してくれ』と返事を打ったところをピンポイントで見られた。
まあこっちはそれほどでもない。問題は二つ目の方だ。
今朝のニュースでテレビに映ったのは焔だった。今や押しも押されもせぬ大女優となった彼女は、主演した映画で国内でも権威ある主演女優賞を取ったとの事で、その会見の模様が報道されたのだが、
『この喜びを何よりもまず洸輔に捧げます!』
またしても女王ほむら様の熱愛報道に切り替わり、世間が騒然となる中鐵は頭痛がして唸るしかなくなった。そして当然ながら隣に座っていた眞白もその映像を見ていたわけで。
後はごらんのとおりである。
(いや、俺悪くないだろ)
ソファで不貞腐れる眞白を前に、思わず本音が口に出かかって何とか抑えた。こういう時に下手な言い訳とかするとますます拗れる事はこれまでの経験上よくわかった。
「そ、そう言えば今朝琥珀から手紙が来てただろ、読んだのか?」
何とか眞白の気を逸らそうと話題を振る。すると眞白は起き上がって懐に入れていた可愛らしい便箋を突き出してきた。読め、と無言で訴えてくる。
渋々受け取った手紙には達筆な字が躍っていた。内容は琥珀の近況、芥がもうすぐ出所する事、そして、
「へぇ、黄檗のおっさんの子会社任される事になったのか、すげぇな、女社長じゃん」
あれから黄檗のビジネスも大きく変化した。咲人の扱いも改善され、今はまっとうな咲人に対する派遣ビジネスを展開しているらしい。
「なになに……、『新しい会社を立ち上げるにあたって麻耶さんにも協力してもらいました』。……ああ、麻耶って観音寺家の時の」
もう随分と昔の話のように思える。あの時咲人に心を囚われていたあの女性は、今琥珀の元で活躍しているそうだ。
「『人生をやり直すきっかけになったのは鐵さんのおかげだと言っていましたので、鐵さんにもよろしくお伝えください』……」
と、嫌な予感がして手紙から顔をあげると、案の定眞白が疑いの目で鐵を睨んでいた。
「……いや違う。俺は琥珀に麻耶さんの事取り計らってくれって、言っただけで――」
鐵は途中で言葉を切った。これは多分何を言っても言い訳にしか聞こえない。
「おんな、のひとの、はなし、ばっかり」
眞白はますます不貞腐れてソファに寝転がった。鐵はコーヒーとテレビに集中するものの、やっぱり隣の大きな猫が気になってしょうがない。
何だかんだで嫉妬する彼女の事を可愛いと思っているのが良くないのかもしれないな、と思いつつ鐵はコーヒーカップをテーブルに置いて、彼女に覆いかぶさった。
「⁉」
「心配しなくても俺が愛してるのは眞白だけだって」
にやりと笑うと目の前の眞白の顔がみるみるリンゴの様に赤くなる。
「それ、……うわきおとこが、ドラマでいってたセリフ!」
「ああ、あの三股してた奴? 心外だな、そんな奴と一緒にするな」
「うー、はな、してー」
ジタバタ暴れる眞白を難なく抑えつけて鐵は笑った。本当に可愛くてどうしようもなくて、抱きしめる腕に力を込めた。不意に真剣な目をして、眞白の瞳を覗き込む。
「本当だよ、眞白。俺は君しか見てない」
最初に出会った時から、この美しい人に心を奪われ続けてきた。多分この先、何年、何十年それは変わらない。
目の前の眞白も蕩けるように微笑んで、
「――うん、わたしも、だいすき」
その愛らしさに吸い寄せられ、自然と顔が近づいた。
唇が触れ合いそうになったまさにその時、玄関の扉がノックされて鐵は思わず起き上がった。
「あのーすいません。院長さんいますか?」
「――はい!」
鐵は弾かれたように立ち上がる。目をぱちぱちと開閉する眞白が、また少し不機嫌に戻ってしまったのを確認し苦笑いを浮かべて、鐵は玄関の扉を開けた。
これにて物語は完結です。もともと公募用に書いていたものなので字数制限もあり、まだまだ書き足りないところもあるのですが、話としていったん収められたかな、と。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




