神の社
◆
帝都の郊外にそびえ立つ霊山は、中心地から五十キロと離れていない距離なのに、神聖な空気が漂いまさに異世界だった。入山は宮内省より許可を得たものに限られ、その管理も厳重に定められている。
中腹には皇族の祖と伝えられる母神が祀られた御珠神宮が建ち、皇室の重要神事の際に使用されるのだが、その御珠神宮の裏手に一般人には馴染みのない神宮がもう一つ建っている。
創造神を祀る、御橋神宮。普段誰も寄り付く事のないこの神宮は特定の儀式を行う時のみに用いられる。それが、創造神自らが咲人の管理者である『五帝』を指名する戴冠式だ。
この神宮に足を踏み入れる事が出来るのは五帝と五帝の帝冠授与者、宮内省の一部の人間のみ。それ以外の一切の接近、立ち入りを禁ずるのは、この神宮がこの国で唯一、神が顕現する場所だと言われているからだ。
早朝に予期せぬ事態に狼狽したものの、数時間後には鐵は御橋神宮内の控えの間にて戴冠式の開始を粛々と待つ。陽は高くなり、外は強い日差しでうだるような暑さに見舞われている。
「――にしても、吃驚だな。三皇の奴ら、黄檗のおっさんなしでやるなんて言い出して」
礼服に身を包んだ葵は夜勤明けの酷い顔色で今にも倒れそうだ。黄檗は幸いにも一命を取り留めたようだがまだ予断を許さない状態らしい。しばらくは意識が戻らないという事で、鐵たちにこれ以上出来る事は皆無だった。
一番憔悴しているのは葵だろう。大丈夫か、と声をかけると、
「平気、平気。連勤には慣れてるし。お前も大概酷い顔だぞ」
「俺はまあ、この重苦しい服のせいだから」
濡れ羽色の法衣に頭がちぎれそうなくらい重い宝珠の冠。戴冠式に出席するのは三度目になるが、この衣装には一生慣れる気がしない。
「二人とも若いのにだらしがないねぇ」
意気消沈する男二人の横で、顔色一つ変えずに笑みを浮かべる老婆がいた。紫を基調とした法衣は男物に比べると明らかに布地が多そうで重そうなのだが、桔梗はしゃんと背筋を伸ばし微動だにしない。
「あたしはこれで自分の分を入れて六回目だからね」
「それは随分年季――ご経験豊富な事で」
葵が皮肉気に笑った。桔梗にとって実質今日は五帝としての最後の任務のはずだが、彼女は相変わらず食えない態度で若人を見つめていた。
「ところで洸輔、今朝の新聞見た?」
葵は顔色を悪くしながらもいつもの飄々とした姿勢は崩さずに尋ねる。
「見てねえよ、そんな暇なかったよ」
「お前の事が載ってたぞ」
鐵は思わず喉を詰まらせた。……そうだ、黄檗の件で頭から吹っ飛んでいたが、昨日の騒動は報道陣に取られていたのだった。
「今頃テレビもお前とほむら様の話で持ちきりだろうなぁ」
「もう勘弁してくれ」
力なく項垂れたいが今姿勢を崩すと礼服も一緒に崩れて大変な事になる。桔梗も新聞の内容は存じているらしくうっすらと笑みを浮かべ優雅に控室に備え付けられたお茶を啜っている。そこに、ある意味で厄介な人間が姿を現した。
「鐵さん!」
弾くように鐵を呼んだのは戴冠衣装に身を包んだ菫だった。帝冠授与者は別の控室にいるはずなのだが、彼女はそんな事はお構いなしにずかずかと控室に乗り込んでくる。
「菫、帝冠授与者は別室で待機じゃなかったのかい?」
「そのつもりでしたけれど、ちょっと鐵さんにお話が」
菫の手に握りつぶされているのは、控室に用意されていたのだと思われる今朝の新聞だった。ああまずい、と心の中で絶望のゴングが鳴る。
「新聞読みましたよ。これ鐵さんですよね、どういうことですか⁉」
「あー、いや……」
新聞の芸能面には一面に焔の熱愛報道の記事。焔と、その横に一般人だから一応目隠しで配慮されているとはいえ、見る人が見れば鐵だと明らかにわかるスクープ写真が堂々と乗せられていた。以前やけに眞白との事を質問攻めにした菫は今回の騒動に対して随分ご立腹のようで、
「眞白さんという方がいながら堂々と浮気するなんて……!」
「だから浮気じゃないですって――」
心の中で勘弁してくれと叫びながら鬼気迫る菫をあしらう。一向に引き下がらない菫にたじたじとなり、側で面白そうに傍観しているだけの葵と桔梗を睨みつけていると、
「私のいない場所で勝手に盛り上がらないでくれるかしら?」
或る意味絶好のタイミングで姿を現したゴシップの張本人。紅を基調とした鮮やかな十二単。華やかな顔立ちをした焔はその難解な衣装すら着こなしてしまう。このまま平安時代の華姫を演じさせても務まるのではないかと錯覚してしまう。
「菫さん、だっけ? 随分恋愛にご興味がおありの様だけど、人様の色恋沙汰に首を突っ込むのは控えていただける?」
「……私は鐵さんと眞白さんの仲を尊んでいるだけです」
「尊んでるって何よ? あんたもあの子供みたいな咲人の味方なの?」
その蔑んだ目が眞白を馬鹿にしていると悟った菫は、焔を睨みつけバチバチと火花を散らす。
「なるほど、理解しました。焔さんは横恋慕なさっているのですね」
菫の挑発に余裕ぶっていた焔のピクリと動いた。
――ああ、頼むから地雷を踏まないでくれ。
「私は自分の愛を貫いているだけよ」
「眞白さんと以上に尊い愛なんてありません!」
「ああっもう、いい加減にしてくれ!」
当事者の鐵にとってはたまったものではない。大声で怒鳴りつけるとようやく二人の口論が止んで、
「「「皆さま、御静粛に」」」
同時に冷たい声がぴしゃりと響いた。ハッと入り口を振り返ると、今朝も見た三人の幽鬼が音もなく立っている。
「まもなく儀式が始まります」
「神が降臨なされます」
「遅れずについてきてくださいますよう」
三人はこちらの様子など一切興味を示すことなく控室を出ていくので、鐵たちも従わざるを得なかった。




