現代に生きる五帝たち
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この国には八百万の神が存在する。神々はそれぞれの役目を持ち、現世と冥府の秩序を守っている。
主神、暁皇尊はこの国のかつての支配者にして神の当座。その代理人として代々この国を治めていたのが現在の皇族の祖先。現代は主権はないが国の象徴として神の代理人である皇帝が君臨している。
しかしこの暁皇尊には対になる神が存在する。宵皇尊、暁皇尊の兄とされこの国の生き物の全てを創造した創造神である。
暁皇尊に対し、宵皇尊は常に日陰者だ。大々的に奉られる事は少ない。だが、宵皇尊にもまた手足となる代理人が存在する。
三皇五帝と称される代理人は、宵皇尊が創造した生き物の管理を司る。三皇は冥府の者が、五帝は現世の者が任命され、この国に生きとし生ける全ての物を管理する任を担った。
しかしいつしか五帝は咲人のみを管理する存在となり、与えられる力も咲人にのみ行使できる力となった。その理由は明らかにされていない、神のみぞ知るというものかもしれない。
主となる宵皇尊と同じく、五帝もまた常に日陰者であった。皇帝のように権力者となった歴史は存在しない。これは宵皇尊が定めた掟の一つであり、歴代の五帝たちが定めた暗黙の了解の一つでもある。
五帝は神に直接神託を与えられる者。この世で唯一、神に直接拝謁し神通力を授けられる人間。故にその力を政治利用してはならない。
五帝の帝冠は神の従僕となった証。神に絶対服従を誓い、その心身を神に捧げる。
五帝は神に最も愛され、そして同時に神に最も隷従する存在である。
「――っていうのが本来の五帝なんだけど、現代においては正直そんな権威のある称号じゃなくなっちゃってるんだよね。そもそも国内の認知率も低いし」
軽いノリの男が眞白に注射を施しながらおどけて言った。
薬品の匂いが仄かに漂う病院の診察室特有の空気の中で、医者であるその男だけは能天気にぺらぺらと口を動かしている。
「だから正直戴冠式なんてものも今は形式だけだよ。三皇五帝が顔を合わせて仰々しい挨拶して、神様が帝冠授与者に力を与えて終わり。たったそれだけのために忙しい中、山奥の神宮に集まらなきゃいけないのホントに苦痛だよ。そう思わない、洸輔?」
医師が眞白の肩越しから鐵に呼びかけた。
「まあ、着付けとか三時間くらいかかるのに終わるの一瞬だよな」
「そうそう! あの衣装ほんとに邪魔。帝冠授与者はともかく参列者はスーツとかでオッケーにして欲しいよ。……あ! そうだ、眞白ちゃん。洸輔の戴冠式の写真見る? 礼服着せられて七五三みたいになってる奴」
「ばっ……⁉ そんなものとっとくなよ! 葵!」
鐵が慌てて抗議するも眞白は目を輝かせて葵に頷くので、葵もすっかり調子づいて、
「よーしよし、じゃあ注射の御褒美に見せてあげるね。――はい、終わり」
眞白の腕から注射針を抜くと、鐵に含みのある笑いを見せた。
こちらを振り返った彼女の瞳はわずかに潤んでいるがちょっと嬉しそうで。子犬みたいでちょっと可愛いな、なんて絆されてしまっている自分にほとほと呆れた。
「でも大変だったね、折角帝都まで出てきたのに熱出しちゃうなんて」
白衣を正した葵は眞白の顔色を覗き込み呟いた。
ここは国立帝国大学医学部付属病院。都内でも屈指の総合病院で、吉川葵はこの病院の医師だ。
彼の所属はリハビリテーション科だが、本所属は違う。
咲人分泌生態科。咲人に対する診察や治療施術のみならず、咲人の生態調査などを行う咲人専門の科だ。彼はその科長であり、同時に咲人を管理する五帝、『浅葱帝』の帝冠を持つ。いわば医療現場における咲人関連の権威者、それが吉川葵という男だった。
「とりあえず抗生物質、五日分出しとくから食後に飲んでね。ただ副作用で分泌過多に陥る場合があるから注意して」
「わかった」
鐵は葵から処々の薬を受け取るとまだぼうっとしている眞白の顔を覗き込んだ。
「ホテルまで戻れるか?」
まだ少し頬が赤らんでいる眞白は、弱弱しく首を縦に振った。
「薬が効くまで少しここで休んでもいいよ。どうせ今日はこっちに患者こないし、洸輔ともちょっと話したいしさ」
葵が鐵の方を向いてウインクをしてくるので鐵は露骨に顔を歪める。とはいえ、
「少し休んでいくか?」
今にも倒れそうな眞白の様子を鑑みても、もう少し厄介になった方がよさそうだ。眞白はまたかくんと首を縦に倒すと、看護師に連れられて奥のベッドがある部屋に消えていった。
鐵は葵に案内されて病院内の待合スペースに向かった。吹き抜けのホールに円卓がいくつか設置されており、壁には大型のテレビが取り付けられ簡易自販機が隅に置かれている。安っぽい紙カップのコーヒーを手に二人は端のテーブルに腰を下ろした。
「しかし、帝都に戻ってきて早々慌ただしかったな。移動は結構かかったのか?」
「五時間くらいかな。車移動だし大丈夫だと思ったんだけど」
「遠出久しぶりだったんだろ、眞白ちゃん。疲れちゃったんだよ、きっと」
菫の戴冠式が二日後に開かれる。五帝として参列するために鐵は数年ぶりに帝都に戻ってきた。眞白を伴ったのは、先月彼女に彼女の親友である琥珀と合わせると約束したからで、眞白にとって人の多いこの街に来ることはあまり良くない事だと思いつつも連れてきた。
案の定道中で眞白は体調を崩し、発熱に咲人特有の分泌過多を発症し慌てて葵のもとに駆け込んだのだ。
「まあ休んだら元気になるよ。戴冠式は五帝以外関係ないし、ホテルでゆっくりしてれば問題ない」
葵の助言に頷きつつ、鐵は安っぽい味のするコーヒーを啜った。
院内は思いの外往来が激しく、外来患者や看護師たちが慌ただしく駆けていく。
「……しかしここも懐かしいな。研修医の時以来だ」
「七年前だっけ。もうそんなに経つんだな」
鐵が二十歳の時、義肢装具士の研修医としてこの病院に派遣された。そして同じく『浅葱帝』としてこの病院の咲人科に配属された葵と偶然出会ったのだ。
「まさか五帝が二人も同じ職場になるとは思わなかったけど」
「とんだ腐れ縁だな」
五帝に就任したのは葵の方が二年早い。初めて会ったのは五帝の戴冠式の時だったが、医者と聞いてもまさか職場が同じとは思わなかった。
「眞白ちゃんも大分成長したよね」
「そうか? 毎日見てるとあんまりわからないが」
「してるよ。背も伸びてるし、随分大人っぽくなった」
葵はしみじみと呟いた。出会った頃の眞白を知っている数少ない人間として彼女の変化を喜んでいるようだった。
「ストレスによる発育不全は普通の人間でも起こり得る事だからね。年相応になってるって事は、眞白ちゃんが幸せだっていう証拠だよ」
「そうかな……」
「何だよ、何か気がかりな事でもあるのか?」
葵は呆れた顔で頬杖をついた。
「……眞白は俺との生活に満足してるんだろうか?」
「何だよ、えらく後ろ向きだな」
鐵は黙り込んだ。彼の脳裏に浮かんでいるのは先日であった彼女の旧友の事だ。
「……葵、ちょっとお前に聞きたいことがあるんだが」
「ん? なんだ?」
「黄蘗に服従してる琥珀って咲人の女を知っているか?」
葵が眉間にしわを寄せる。鐵は先月押川の町で観音寺家の依頼を受けた時の話をした。
「観音寺……、それって確か一か月前にお前が電話してきた時のか?」
そうだ、と鐵は頷いた。黄蘗の関与を察して、葵にそのあたりの事を尋ねようとして芥に邪魔をされたのだ。
「その家に黄蘗が関与していたらしくて、彼の部下である琥珀って女が二年ほど前から観音寺真人の妻を装いスパイとして潜入していたらしい。……観音寺正明が死んで、任務を終えた彼女は黄蘗のもとに戻ると言っていた。今ならもう帝都に戻っているはずなんだが」
「その琥珀って子がどうしたの?」
「彼女とコンタクトをとりたい。彼女、眞白の親友らしいんだ」
「親友?」
葵は首を傾げて、少しして目を見開いた。
「ひょっとしてその子……」
「ああ、『女郎花』で眞白と共に幽閉されていたらしい」
黄蘗が経営する『女郎花』。表向きは遊郭をモチーフとしたただの風俗店だが、裏の顔は咲人を商品として陳列する咲人の売買施設だ。
葵も眞白と鐵が出会った経緯は知っている。少し戸惑いがちに口をすぼめると、
「止めといたほうがいいんじゃないか? あの店にいた頃の記憶なんか思い出したくないだろ、眞白ちゃん」
「そうかもしれない、でも……会わせてやりたいんだ」
「会わせるにしても黄蘗のおっさんの管理下にいるんじゃなぁ。あの人に眞白ちゃんを会わせる事の方がまずいだろ」
葵の懸念は的を得ていた。鐵ですら、黄蘗を前に怒りを抑えられなかった。もし、眞白があの男に会ってしまったら、長年鱗を産み剥ぎ取られるだけの道具として扱われた彼女のトラウマを抉りかねない。
眞白の為なら黄蘗に頭を下げてもいいと思っていた。でも、冷静に考えるとあの男がこちらの願いを素直に聞くとは思えない。
「友達と会わせたい気持ちはわかるけど、変な行動はしない方がいいよ」
「……そうだな」
口ではそう言っても、鐵はまだ諦めきれない。脳裏には観音寺家で会った琥珀の姿が焼き付いて離れない。
「それより鐵、明日少し時間取れるか?」
「明日?」
ふと鐵が顔をあげると葵は得意げに頷いて、
「お前に会わせたい奴がいるんだ。戴冠式は明後日だろ? ちょっと付き合ってくれよ」
会わせたい奴とは誰だろう。意図の分らぬまま鐵は分かったと頷いた。




