第1話 『last 30 days』
「やめてくれっ‼︎殺さないでくれ‼︎」
地面に四肢を付けた白髪混じりの男は、年甲斐もなく顔に大粒の涙を浮かべながら、目の前で自身に剣を向ける少女に命乞いをする。
「そんなこと言われてもな……私も君に命を狙われた身だ。そんな簡単に許すことは出来ない」
真紅の細剣を右手に構えるその少女ーーシキガミ アウラは、つい先日17歳の誕生日を迎えたばかりだ。
一つの命を奪おうとする行為を、二十歳にも満たないその少女は心を乱す事なく、冷淡に行おうとしていた。
「お願いだっ‼︎私には娘がいるんだ!まだ小さくて、私なしではとてもこんな世界で生きていけない‼︎」
“娘”ーー男のその言葉に動揺し、アウラの剣先が数センチ程ブレる。
「病気の娘なんだ‼︎私が死んでしまったら世話をする人がいないんだ‼︎」
男の必死の叫びにアウラは折れると、左手で首筋を掻きながら、剣を下ろそうとした。
だがその行動を、背後の声が邪魔をした。
『嘘だヨ!嘘だヨ!』
アウラの肩でふわふわ浮いているフリスビーの様な形をした機械が、カタコトの日本語をスピーカーから発していた。
神は姿を現したあの日ーー赤い雨と共に人間に三つの力を与えた。
その力の内の一つがこれーー人類戦闘補助システム《イエス》と呼ばれるものだ。
自分達を高次元の存在である神の遣いと称し、近くにいる人間の索敵などを行い、戦闘をサポートしてくれている。
アウラはこのイエスを《エス》という愛称で呼んでいる。三秒で決めた適当な名前だ。
『娘いないヨ‼︎死んでるヨ‼︎』
エスのその言葉に「そうかーー」とアウラは呟くと、くしゃくしゃと首筋まで伸びた癖っ毛の髪を掻く。
世界がこうなる前までのアウラはとても温厚で、苛立ちという言葉など知らない無垢な少女だったが、世界が崩壊してからは苛立ちの連続で、いつのまにか後ろ髪を掻き立てるのが癖になってしまっていた。
「私はあまり嘘は好きじゃないんだ。それに……」
アウラは下ろしかけた剣を再び男へと向けて構える。
「そういう嘘はタチが悪い。殺しづらくなるからやめてくれ」
またも命の危機へと陥った男は下を俯き、悔しそうに地面の砂を掴んだ。
「この前まではいたんだ……娘は元気に走って遊んでいた。それなのにーーそれなのに!世界がこんなことになってしまったせいでぇ‼︎」
「そんなもの、私も一緒だよ。私にも母がいて、何もしてないのに殺されたよ」
アウラの母は、世界が崩壊して数日後にアウラの事を身を呈して守ったことでその命を落とした。
その事で親を失う気持ちを知っていたアウラは、さっきの男の言葉に動揺したのだった。
「だからねーー君が無防備の私を襲って殺そうとした罪は、そんな理由じゃ払拭出来ない」
「くそ!くそ‼︎ーーだからってお前は仕返しに俺を殺すのか?そんな理由で、お前は人を殺すことが許されるのか⁉︎」
「いいや、違うよ。私は仕返しなんてそんなヤワな理由で人を殺したりはしないよ」
じゃあ何故、そう話す男にアウラは続ける。
「私が君を殺すのは、生きる為だ。取り敢えず誰かを殺してメシアを見つけないと30日後には死んでしまうからね。人が生きる為に牛や魚を殺すのと一緒さ」
「くっそおおお‼︎」
自分の死を覚悟した男は、気違い地味た叫びをあげ、地面に落ちていたガラス片を拾いあげると、その尖った刃で自身の左腕を切り裂いた。
切り裂かれた男の左腕から、ドロリと血液が流れ出る。
すると、その血液はしゅるしゅると生き物の様に動き、一つの形を成していく。やがてそれは、男と同じくらいの大きさの巨大な紅い斧となった。
さっさと殺しておけばよかった、とアウラは内心舌打ちをした。
《血器》ーーそれは神が人類に与えた二つ目の力、自身の血液を硬化させ、人を殺すための武器を生成する力だ。
生成出来る武器は人それぞれ得意不得意があり、私であれば弓や銃といった血器を生成する事は出来ない。
「うおおおおお‼︎」
向かってくる男の手に持つ斧が突然、炎の渦で覆われた。
「へぇ、けっこう王道のかっこいいギフトだね」
花火でも見るかのように、アウラはその現象に笑みを浮かべて楽しんでいた。
これが神から人類に与えられた最後の力、《祝福》ーー瞬間移動であったり、はたまたこの男のように何処からともなく炎を出現させたり、人の摂理を遥かに超えた超能力を使うことが出来る。
人類全てがこの強大な力を持った事で、わずか数ヶ月で世界は腐敗し、何十億という人間が死滅した。
「わたしが、何をしたっていうんだ!家族のために働いて!平凡な毎日を過ごしていたのに‼︎妻を奪われ…娘も、両親もーーわたしは全て失った!それなのに!」
振り下ろされる斧をアウラは難なく躱す。鈍重な斧の攻撃は隙だらけで、俊敏に動く事の出来るアウラからすればサンドバッグのような物だった。
「そんなものーー」
叫び、アウラは男の体を横に薙いだ。
「みんな、一緒に決まってるだろ‼︎」
腹部がぱっくりと横に裂け、男は絶叫する。
「君だけがーー」
更に一撃、自分の中に溜まった苛立ちや憎悪をこの男で吐き出すように、アウラは剣を振り下ろす。
「悲劇のヒロインって訳じゃない‼︎」
既に戦意など喪失した男にこれでもかとアウラは乱撃を加える。
全身の肉を抉り、喉を切り裂き、胸に何度も剣を突き立てた。
無数の傷口から血が溢れ、まるで赤い水を吹き出す噴水のようだった。
「それにーー君だって誰かの家族を奪ってきただろう‼︎」
『アウラ、死んでる、もう死んでるヨ!』
エスのその呼び掛けで、剣を振るうアウラの体がピタリと止まる。
見ると男はとうの昔に事切れ、やたらめったらに身体中を切り裂かれ、もう誰なのかも判別出来ない程の肉塊になっていた。
「あ……あぁごめんごめん。少し頭に血が上っていたみたいだ」
人を殺めた事ではなく、自身が死体蹴りをした事に引け目を感じ、アウラは詫びをした。
「それで?この人はどうなの?」
アウラにそう問われたエスは、前面についた二つの目のようなヘッドライトから、青い光線で男の体を照らし、イエスに登録されている人類全員のデータベースの情報と照合する。
ピロピロ、と如何にも機械らしい音が鳴った後、
『ンー……外れだネ』
とエスは答えた。
「はぁ…また外れ、か…」
何千回訊いたかわからないその言葉に、大きなため息をつくと、男の亡骸へと目をやる。
「まぁでも……こんな器のちっこい男がメシアな訳ないか。家族があーだなんだと喚いていたけど、寝てる私を襲おうとしたんだから大した人間じゃなかったな」
この性欲野郎め、と男の亡骸を蹴ろうとするアウラをエスが咎めた。
『頑張ろう、また次があるヨ』
「はぁ……まったく。その“次”ってのがあと何回続けば当たりが出るっていうのさ」
怒りを晴らす対象だった男が簡単に死んでしまい、イラついていたアウラは途方も無い質問をエスへとぶつける。
『ンー……あとイチオク、サンゼン、ロッピャク、キュウジュウ、キュウデーーゼロ‼︎ヤッター!もうそんなに残ってないネ‼︎』
残りの人類は約一億。
ギフトを持った面倒な存在が、まだこれだけ途方も無い数いることにアウラは深いため息をついた。