第10話 『汚れることなき聖処女』
【あらすじ】
ナツメ、アウラに負ける。
ーーあなたに、生きている価値などないわ
それが母の、口癖だった。
格式のある名家に、女として産まれた自分には価値などは無かった。
そんなことは、自分にもよくわかっていた。
だが、母は子供が出来辛かった。
だから自分は生かされていた。
けれどーー私が十六の頃、母が念願の男の子を産むと、私はこの家からゴミのように追い出された。
いっぱい勉強をして、作法を習ったけど、そんなものが役に立たないことを、そこで思い知った。
そして、何も出来なかった自分は、体を売った。
酷いことをたくさんされたけど、辛くはなかった。
だって罵倒や罵声は、全て自分に向けられる言葉だったから。
自分という存在がいるんだって、知る事が出来た。
そんなことを続けて、どれぐらいの月日が経っただろうかーーある日、
ーー戻って来なさい。
そう母に言われ、無理やり家へと連れ戻された。
家に戻ると、産まれたはずの弟が死んでいた。
また僕が、次期当主になった。
綺麗なお風呂に入れられ、豪華な食事を与えられ、
ーー何不自由なくあなたは暮らしていけるのよ。
そう母は言った。
けれどーー
そんなものはどうでもよかった。
だってーー
僕のお腹の中には、新たな命が宿っていた。
自分を認めてくれるだろう存在が、遂に出来た。
もう寂しくない。この子がいるなら、自分は孤独じゃない。そう思えた。
でも、
いつだっただろうか、
ある朝、目が覚めると、
僕のお腹の中の命は消えていたーー
僕の目に移ったのは、紅いインクで塗られた肉塊だった。
その塊がなんだったのかはわからなかったけど、大切だと思ったから、早く戻さなくちゃと思ったから、口に入れた。
そうすれば、元通りだと思った。
ぶよぶよしたその塊を食べきると、一つになった感じがした。
けど、いつまで経っても、どれだけ待ってもーー命は戻ってこなかった。
どのくらい暗い部屋の中で過ごしたんだっけーー
次、目を開けると、
世界は無くなっていた。
そしてみんなが叫んでいた。
みんなの叫び方で僕はわかった。
この世界は、人を殺しても大丈夫なんだってーー
秩序なんてものは、無くなったんだってーー
僕は拳銃を手に取ると、近くにいた肉塊を撃った。
肉塊の頭が、しゃぼん玉のようにパンッて弾けると、中に詰まってた灯がヒュッって簡単に消えていいった。楽しくって仕方がない。
いつしか、僕の瞳は真っ赤になった。赤い絵の具を見てたら真っ赤になった。真っ赤な瞳は、何も映さない。
僕の耳は聞こえなくなった。赤い叫び声がバチャバチャ跳ねて、僕の耳で詰まってしまった。
真っ赤が、僕の体を支配した。
真っ赤が、僕の体を満たしてくれたーー
ーーふふっ、どうしたのあなた。この世の終わりみたいな顔をして。
聞こえなくなったはずの耳に、鈴の音が響いた。綺麗な声だった。人が死ぬ時の赤色の声とは、全然違った。
ーー私も、独りなんです。
その綺麗な声は、まるで澄んだ水のように、僕の耳に詰まった真っ赤を、洗い流してくれるようだった。
ーーあなたと、一緒ですね。
真っ赤な瞳が、人を写した。
目の前にいる子は、とても綺麗で、まるで女神様だった。
神様が、僕を迎えに来たのかなって、その時思った。
ーーあなた、私と手を組みませんか?そして創りましょう。私や貴方みたいな人が二度と生まれない、そんな幸せな世界を。
彼女のその美しい声に導かれるように、僕は彼女の手を取ったーー
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キイイと軋む音と共に、ゆっくり扉が開くと、シエラは教会の中へと入った。
「ナツメ……逝ったのですね……」
扉を開け、入ってきたシエラはそっと、シエラはナツメの亡骸に触れると、彼女の目をそっと閉じた。
「良かった……あなたは、やっとこの世界から受けた呪いから解放されたのですね」
細くしなやかな指先で、まるでナツメの形を刻み込むかのようにゆっくり、優しくなぞりながら、シエラは慈しんでいた。
「ラファエル、確認です。ナツメはメシアでしたか?」
シエラが俯いたままそう言うと、シエラの隣で浮かぶ四角いイエスが音声を発した。
『イイヤ、ナツメはメシアではなイ。彼女の生命データは、神の定めたメシアの物と同一ではなイ』
イエスのその言葉に、シエラは絞り出すように「そうですか……」と呟いた。
「ナツメ、あなたの死を無駄になどしません。どうか安らかにお眠りを。そしてどうか少しの間だけ、私を見守っていて下さい。きっと勝ってみせます」
最後にそっとナツメの額にキスをすると、シエラは零れ落ちそうになる雫を必死に堪え、立ち上がり、アウラを見た。
その顔には、もう曇りはなく、薄く妖しい笑みが張り付けられていた。
「残念だよ。その女がメシアなら、これ以上無駄な殺し合いをせずに済んだんだけど」
「ふふっ、そうですね。けれどーー」
シエラは左耳についた刃物のように尖ったイヤリングに指先を当てると、自身の指を引っ掻いた。
指先から流れ出た鮮血はシュルシュルと渦を巻き、先端に斧のついた槍ーー《ハルバート》を形成した。
「例えナツメがメシアでも、私はあなたを殺します」
シエラは血液から作られたとは思えない程白く輝くハルバートの先端を、アウラへと向けた。
「血器がそんな白いなんて、赤血球が足りて無いんじゃないの?肉を食べなよ」
「そんな必要はありません。この血器を、あなたの血で紅く染め上げればいいだけですから」
「ははっ……なるほどね」
「それにしてもーー」
シエラはそう言うとハルバートを下ろした。
「あなたはお眠りになっていないのですね。お食事はされなかったのですか?」
「あいにく私の好きなピッツァがなかったんでね、水しか飲んでないよ」
「ふふっ、そんな理由でしたか……それは残念です。そんなことでこんな惨事になるとはーー」
シエラは再びハルバートを構え、アウラへとその鋭く尖った先端を向ける。
「これ程までに、ピザを用意しなかったことを後悔した日はありません」
「ピッツァが無くて、これほど感謝した日はないよ」
シエラに応えるように、アウラも剣を構え戦闘態勢へと入る。
「ナツメの仇、取らせていただきます」
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お互いの拮抗した戦闘力により、体に傷を与えられないまま長い鍔迫り合いが続いていた。
ガキンガキンという血器同士がぶつかり合う重い音が教会に響き渡る。
「汚れ仕事は嫌いなわりには、けっこうやるね」
「ふふっ、ナツメが言ったのですか?私が人を殺すのが嫌いだと」
そう言って妖しくシエラは笑った。
「それは誤解です。私は人を殺すことは大好きです。臓物をぶち割き、血液を放出させ、それを身に被る。あぁーーなんとも美しい行為だと思いませんか?」
シエラは金や財宝を目の前にした人間のように、恍惚とした表情でそう口にした。
「狂ってる……」
「ふふっ、狂っていなければ……こんな世の中では、とうの昔に死んでいますよ。生きているということはーーあなただってそうなのでしょう?」
「私はーー」
そこで言葉に詰まった。
私はキミたちとは違う。その言葉が口から出ず、アウラは薄い唇を噛むしかなかった。
シエラやナツメのように、自ら人を殺めるような事こそしていないが、人や自分を守るために多くの人を斬り捨ててきたのは事実だった。
正義の名の下に人を殺める。
それを狂ってると評されれば、言い返せるはずもなかった。
「ふふっ、言わずともわかっていますよ。人間という生物はすべからく、皆汚く私利私欲に塗れた生き物なのですから――」
シエラは力を込め、アウラを退けた。
「あなたの黒い本性、私が晒してあげます‼︎」
シエラはハルバートを回転させながらアウラへと高速で突進する。
「はぁーー‼︎」
細剣を凪ぎハルバートの攻撃を否す。
軌道を逸らされた衝撃でシエラの体勢がふらつく。その一瞬の隙を、アウラは見逃しはしなかった。
「もらった‼︎」
血器がアウラの感情に呼応し、キイィンと甲高い音を立てる。バチバチと音を立てて紫色の閃光を纏った。
これで勝負は決した――そのはずだった。
「……止まった⁉︎」
だが閃光を纏ったその剣撃はーーシエラの目の前で急に止まった。
爆発音と共に、衝撃波が大気を震わせ、教会のガラスを割ったーー
だが、シエラには傷の一つもつけることが出来ていなかった。
シエラの唇が妖しく釣り上がる。
「あら、ハンデを下さるのですか?」
見えない壁にでも突き刺さったかのように、アウラの持つ剣はその場から動かなくなった。
「恐れ入ります」
そう言ってスカートの端を持ち優雅にお辞儀をすると、ハルバートの鋭く尖った切っ先を、アウラの腹部に突き刺した。
「ーーうあぁあ‼︎」
突き刺された切っ先が腹の中をぐちょぐちょと搔きまわす。
アウラは必至の力で抵抗し、腹に突き刺さるハルバートを抜いた。
「ふふっ、良いーーとても良い御顔ですよーー」
アウラの体から血が滴る姿を、シエラは甘美な声で讃えた。
「ぐっ……キミ……一体何をしたっ!」
ぱっくりと腹に空いた傷口に手を当て、ギフトを使い傷を回復しながらシエラに叫ぶ。
「何ーーとは?いいえ、別に私は何もしていませんよ。あなたが私に手加減して下さっただけではないのですか?」
「んなわけあるか‼︎キミにわざわざ手加減するわけないだろう!」
傷口が塞がったのを確認すると、立ち上がりシエラを睨む。
「あら、お早い回復ですね。ふふっ、とてもいいです。また同じ箇所をぶち裂けます」
恍惚とした表情を浮かべ、シエラは悦んでいた。
「私はキミのおもちゃじゃない‼︎」
叫び、力に身を任せシエラに向かい剣を振るう。
だが、剣は先程と同じようにシエラの目の前で止まったーー
ただ目を閉じ、余裕の笑みを妖しく浮かべるシエラに対して、アウラは触れることすら許されていなかった。
「手加減、ありがとうございます」
シエラはゆっくりお辞儀をすると、ハルバートをアウラの心臓めがけて振り上げた。
「くそっ‼︎なんなんだホント‼︎」
体をくの字に曲げ、ハルバートによる攻撃を回避する。
「あら、避けられてしまいましたか。単調な闘いにも飽きましたし、殺して差し上げようと思っていたのに」
残念です。と言ってシエラは余裕の表情を浮かべていた。
「君のギフトは一体なんだ?バリアでも張っているのか?」
その問いかけにシエラは憂いを帯びた唇に人差し指を当てると、ウィンクで応えた。
「ひ・み・つです♪」
「ちっ……気持ちの悪い……」
シエラのふざけた態度にアウラは舌打ちした。
どうしてシエラに攻撃が出来ないのか、その理由が全く分からなかった。
戦闘を続ければいずれは分かるかもしれない。
だが先のナツメとの戦闘ーーそして今までのシエラとの戦闘により体力を消費し続け、長期戦闘をしている余裕などない事は、自分が一番分かっていた。
「もう一回……試してみるか」
深呼吸し、呼吸を整えると再び剣を構える。
「ふふっ。これ程までにぶち負けてるというのに、まだ向かって来ますか」
「そりゃもちろん。私の辞書にある二文字は“ピザ”と“勝利”だけだ」
「いいですね。不屈の精神ーーとてもクールです。その方がぶち殺しがいがあります」
勝利を確信して笑みを浮かべるシエラへと、斬りかかる。
衝撃音と共に、血器と血器とがぶつかり合い火花が舞う。
「ですが同じことの繰り返しでは、私には勝てません‼︎」
シエラがハルバートを持つ力が緩まった一瞬の隙をつき、一閃を加えるーーだがその攻撃も、さっきと同じようにシエラの目の前で止まった。
いや、正確には自分で止めてしまっていた。全身が、シエラに攻撃する事を拒んでいた。
「ふふっーー手加減恐れ入ります‼︎」




