第121話 商工ギルド
前回のあらすじ:グレン商会本部にて一連の事件の首謀者であるロッシュを捕縛し商工ギルドに
連行しようとしたが、なにやら街の様子がおかしくて……?
「すいません……急に魔物が襲ってきたので、立てこもっていたんです。どうぞ入って下さい」
ペトラさんは用心深く周囲を見渡したあと分厚いドアを開き、俺たちを商工ギルド内部に招き入れてくれた。
商工ギルドの正面玄関は、広いロビー状の空間だった。
見上げれば天井は高く、大きく取られた窓や青と白を基調とした内壁は開放感と清涼感を感じさせるものだ。
そこかしこに飾られている巨大なタペストリーや絵画も金満ギルドのセンスとしては悪くないものだ。
血と汗と酔っ払いの吐瀉物の臭いが漆喰とレンガにこびりついて取れない冒険者ギルドとは大違いである。
だが……
「うわあ、なにこれ……」
「まるで嵐にでも見舞われたかのようだな」
視線の下半分は、メチャクチャだった。
内装に合わせた高級そうな絨毯は荒々しく毛羽立ち、土まみれだ。
おまけにその上には所狭しと書物や雑貨やらが散らばっている。
おまけに剣やら斧やらもあちこちに落ちているのが見て取れた。
これらの武器は元々壁などに掛けられていたものだろうか?
「ペトラさん、一体ここで何があったんだ?」
「私にも何がなんだか」
ペトラさんが困惑顔で首を振った。
「お店の補修が大方終わったので、営業再開予定日を告げに来たんですが……ギルド内部には誰もいないし、仕方なく外に出ようとしたら急に魔物は襲ってくるしで……こっちこそ何が起こったのか聞きたいですよ」
「このバリケードは?」
俺は正面玄関付近に積み上げられた高級そうなイスやら重厚な造りのテーブルやらを指さす。
察するに、どうやらこれらで赤小鬼どもの侵入を防いでいたようだが……
「私が来たときにはすでに積み上がっていましたね」
「……他の人は避難したのかしら? 衛兵は?」
「どうでしょうね? 衛兵さんたちも見なかったですね」
ここで争った形跡……具体的には武器による壁の打痕や血痕、それに血だまりなどは周囲には見当たらない。
どうやら、魔物が建物に侵入したということはなさそうだ。
ならば、全員逃げたのだろうか?
ここに来るまで、冒険者どころか衛兵すら見なかったのは妙ではあるが、状況としてはそれが一番妥当な線ではある。
「あの、その縄でグルグル巻きの人は一体……?」
考え込んでいると、ペトラさんが怪訝な顔で聞いてきた。
ずっと見て見ぬ振りをしていたようだが、我慢できなくなったようだ。
「ええと、これはね……」
アイラが言葉を濁して、俺の顔を見た。
話していいかしら? と彼女の目が聞いている。
まあ、縄でグルグル巻きのオッサンをアイラみたいな女の子が何食わぬ顔で引きずっていたら、普通は気になるわな。
「いろいろあって、商工ギルドに引き渡しにきた。すまんが、それ以上は聞かないでくれ」
基本的にギルドで受けた依頼は他言無用だ。
もちろん現地で協力者を得るために事情を話したりすることもあるが、ペトラさんは知り合いとはいえ一般人だからな。
この件に深く関わらせることは俺たちにも彼女にもメリットがない。
「はあ……ギルドの依頼か何かですか。でしたら、私は気にしない方がいいですね」
ペトラさんは察しが良くて助かる。
ちなみにロッシュは暴れられると面倒なのでアイラの睡眠魔術で眠らせてある。
だからコイツ本人がペラペラ喋り出すことはない。
しかし……引き渡す相手がいないのは困ったな。
「ペトラさん、この建物に鉄格子付の部屋はないのか? 地下とかに」
「いきなり何を言い出すんですか!? そんなもの、商工ギルドにあるわけないですよ!? というか、冒険者ギルドにはあるんですか!?」
「当然だろう。酔いが回りすぎて何をしでかすか分からんヤツやケンカで頭に血が上っているヤツらを隔離するのに、鉄格子も鍵もない部屋に放り込むだけ、なんて危なっかしくて出来るわけがないからな」
「理屈としては分かります、理屈としては……ですが、決して腑に落ちてはいけない気がします……!」
うん?
なぜかペトラさんが頭を抱えているな。
何かおかしなことを言っただろうか?
「はあ……ライノさんや皆さんと一緒に居ると忘れがちですが、本来冒険者の方って荒く……ワイルドな方が多数派ですもんねぇ」
今度は黄昏れた顔で何やらブツブツと呟きだしてしまった。
俺としては、商人は商人で冒険者どもとは別の意味で逞しい連中ばかりが頭に浮かんでは消えていくし、ただただワイルドな連中が多いだけの冒険者ギルドよりも商工ギルドの方がよほど魑魅魍魎ひしめく伏魔殿に見えるのだが……
そもそも今捕縛しているロッシュなんて文字通りの魔人だったしな。
「ライノ殿。さきほどのペトラ殿の話ではないが、やはり一時的に冒険者ギルドに預かってもらうのが良いのではないか?」
うーむ……まあ、イリナの言う通りだな。
そもそも冒険者ギルドの職員は、ギルド長アーロンを筆頭に元冒険者が大半だ。
魔物が街に出没した程度でもぬけの殻になるということはないだろう。
それに、もしかしたら商工ギルドの連中が避難しているかも知れない。
「わかった、そうしよう」
「そうと決まれば、出発ね! ……あらら?」
意気揚々とアイラが建物を出ようとして……足が止まる。
見れば、彼女の持った縄がビンと張りつめている。
「クク、ククク……甘い、甘すぎますねェ、我々はもう、終わりなのですよ」
自嘲気味な笑い声が建物内に響いた。
見れば、ロッシュが起き上がってこちらを見ている。
「目が覚めたのか、カニ魔人」
「私の名はロッシュだ! 無礼だぞ君ぃ!」
目覚めたばかりだというのに元気なヤツだ。
縛られたまま、まるで茹で上がったカニのように顔を真っ赤にして怒っている。
まあ、まともに取り合うつもりはないが。
「アイラ、睡眠魔術の効きが甘かったみたいだぞ」
「おかしいわね、人間用に調整したのが悪かったのかしら?」
アイラが首をかしげる。
「対魔物用の方がいいんじゃないか? あれだけ暴れる元気があったんだ。ちょっとくらいキツめでも死にはしないだろう」
「それもそうね! じゃあ、早速……」
「ま、待ちなさい!!! 私は怪我人ですよ!? 君たち冒険者には人の心というものがないのかねっ!?」
アイラが魔術を発動しようとすると、ロッシュがモガモガ暴れ出した。
往生際の悪いヤツだ。
つーかそのセリフ、魔人のお前にだけは言われたくないんだが……
が、ロッシュの抵抗はそれだけだった。
先ほどまでの勢いはどこへやら、ふっと全身の力を抜くと、死んだ魚のような目になる。
「どうせもう、我々……いいえ、この街は終わりです」
「どういうことだ?」
思わず聞き返す。
「ここに来る間、人影は見ましたか? 見なかったでしょう? ここにいるはずの職員たちもそうです。それはつまり、ナンタイ君が遺跡の力を掌握したということに他ならない」
遺跡に地上の人間を消す力があるなんて初耳だぞ。
そもそも遺跡の最奥部にはコウガイと『ねね』さんがいる。
ナンタイがいくら強くても、さすがに俺がバックアップをした万全の二人を突破できるとは思えないのだが。
「私は選ばれる側だとばかり思っていた。彼には、それに値するだけの投資をしたつもりでした。ですが、結局のところ私は君たちと同じ『供物』に過ぎなかったということです。私に人材を見抜く力が無かったのが悪いのですが……それももう、どうでもいい」
それは自分に言い聞かせるかのような独白だった。
「ときに、君たち」
ロッシュが顔を上げ、俺たちの方を見る。
笑顔だった。
まるで絶望を煮染めたような、深く暗い笑みだったが。
「君たち冒険者は、『ダンジョン』をどのようなものだとお考えですか? 貴重な遺物や古代魔術の手に入る場所? それとも魔物のひしめく天外魔境? 全て正解ですが、同時に全て不正解でもあります」
「商人が分かったような訊くものだな」
「私とて、ナンタイ君の話を聞くまでは君たちよりも無知でしたよ」
ロッシュがため息交じりにそう答える。
「ダンジョンとは、『魂の淀みそのもの』です。善き魂も悪しき魂も、ダンジョンで死ねばダンジョンという『枠』の中で循環することになります。そして『魂』とは、生命そのものであると同時に、『事象の記憶』そのものでもあるのです。ですからダンジョンでは、かつて在った旧い時代の遺物が出土するし、完成品の魔術や武具が見つかりもする。まったく同じ物が、いくつもいくつも。魔物だってそうです。あれらは様々な魂や事象の記憶が溶け合った混沌そのものなのです。……もっとも、この話はすべて彼の受け売りですし、実際のところ、真実とも限らないですが」
ロッシュは「ここからが本題です」と付け加え、さらに続ける。
「ある夜……私は彼と彼の相棒であるミーナ女史と話しているところを偶然聞いてしまったのです。彼が追い求める理想の魔武具を創り出すには、夥しい量の魂を焼べる必要があると。好都合にも、ダンジョンの上にこの街は存在している。そして魔術師であるミーナ女史の魔術でダンジョンの『枠』を拡張すれば、すぐにこの街がダンジョンの一部に組み込むことができるし、その魂を自在に取り出すことができる。これを使わない手はない、と。……おそらく魂の力が弱い者はすでに、ダンジョンに組み込まれてしまっているのでしょう」
「ねえにいさま、このおじさまは何を言っているの?」
「人の魂を焼べる? 『枠』? 『拡張』? ダンジョンにそんな機能があるものなのか?」
イリナとアイラも互いに怪訝な表情で顔を見合わせている。
もちろんそんな話、俺も初耳だ。
だが、思い当たる節がないわけでもない。
確かにダンジョン内部で人や魔物が死んだあと何もしなければ、アンデッド化した死体など一部を除きダンジョンに吸収されてしまうからな。
もちろんそれは厳密には魂ではなく『魔素』という形でだろうが、それでも『魂』がダンジョン内で循環していることは間違いない。
ダンジョンの拡張の話にしたって、もともとダンジョンは時空が捻れた空間だ。
手段はともかくとして、それが奥ではなく手前側に浸蝕を進めることができれば、理屈の上では地上をダンジョン化することもできるだろう。
そしてヘズヴィン全体がダンジョンと化したならば、魔物が跋扈していることにも納得がいく。
しかし、ナンタイはとんでもないことを考えついたものだ。
……いや、コウガイの話では、ナンタイは魔王の力を得たとはいえ、元はただの鍛冶師だったはずだ。
おそらくヤツに入れ知恵をしたのはミーナ……つまり『嫉妬の巫女』ヴィルヘルミーナだろう。なぜこんなことをしたのかは分からないが。
「あの、ライノさん? 私、この話聞いてても大丈夫なんでしょうか……? この人、さらっと恐ろしいことを話している気がするんですが」
ペトラさんが顔を青ざめさせ、おそるおそる聞いてくる。
「もう耳を塞げばいい段階でもなさそうだし、別にいいんじゃないか?」
ヘズヴィン全体が危機にさらされているのなら、ペトラさんもれっきとした当事者だ。彼女だけに秘密にしておく意味はもうない。
「ならば、聞いちゃいますけど。でもこれ、お店再開できるんですかね……」
「再開できるようになんとかするしかないな」
呑気にぼやくペトラさんに、俺はそうとだけ答えた。




