第119話 魔商人ロッシュ
前回のあらすじ:本部に乗り込んだら戦闘になった
『ふム。もっと心が荒ぶるカと思いましたガ、存外落ち着いていマすね。やはりナンタイ君の仕事は素晴らシい』
キシキシと甲殻を軋ませながら、ロッシュがそう呟く。
ロッシュの身体は、今や鋭いトゲ状の突起に覆われた分厚い甲殻に覆われており、義手を付けた片腕は巨大な鋏に変化している。
飛び出た両眼がせわしなく動き、脇腹からは肋骨が変化した節状の脚が何本も突き出ている。
もっとも、変化の具合が顕著なのは上半身だけで、足腰は甲殻に覆われてこそいるものの、人間のそれに近い。
「ふむ。まるで大鋏陸蟹だな。だが、甲殻はそれよりも堅そうに見える。本物よりも斬り刻み甲斐がありそうだ」
イリナは剣呑な台詞を口にすると、細剣をビュンと振る。
その軌跡の尾を引くように、ほのかな魔力光が虚空に舞った。
魔法剣をすでに発動していたようだ。
「ねえさま、にいさま、気を付けて! ただのジャイアント・クラブよりも魔力が強いわ!」
アイラは戦闘の邪魔にならないよう、すでに部屋の隅まで退避している。
「分かっているさ。……ライノ殿は、あの魔物をどう見る?」
「……煮ても焼いても食えなさそうだな」
「カリーに漬け込んでも無理か?」
「そもそも人間は食いたくない……っと、来るぞ!」
前方で膨れあがる殺気を察知し、咄嗟に飛び退く。
――ゴウッ! ゴゴン!
ロッシュの姿がかき消えたかと思うと、すぐ側面で重い風切り音が聞こえ、直後、強烈な衝撃が俺の身体を揺さぶった。
「おおっ!?」
強い衝撃で一瞬視界がぐらりと揺らぐが、身体にダメージはない。
ただ単に足元――いや、建物全体が大きく揺れたからのようだ。
「見た目とは裏腹に身のこなしが素早いうえに、攻撃が重い。……あの大鋏の一撃を受けないことが肝要だな」
どうやらイリナも無事らしい。
相手の戦力分析をする程度には余裕のようだな。
「ふむ、今のを躱しまスか」
見れば、俺とイリナの立っていた場所が崩壊し、下の階が見えている。
その縁で佇むのは、大鋏を床にたたきつけたままの怪人ロッシュである。
「ですが、あくまデこれは名刺代わりデす。……しかし貴方ガた。礼儀がなっテいませんネ。商談前の打チ合わセは、事前に済ませテおくのがマナーですヨ?」
……理性は残っているようだが、言動はぶっ壊れているようだ。
もっとも、それが素なのか魔物化によるものなのかは分からないが。
いずれにせよ、元商人であることを差し引いてもその戦闘力を侮るわけにはいかないだろう。
「……この辺り、邪魔でスね」
ロッシュは側にあった一抱えもある事務机を右腕の大鋏で挟み持ち上げると、俺たちに見せつけるようにゆっくりと圧潰してみせる。
メキメキ――ガシャン!
ぐちゃぐちゃになった机を、ロッシュはまるで紙くずを放るように階下に投げ落とした。
「ククク……この力、ただの冒険者程度にハ決しテたどり着クことのできない境地でス。怖いでシょう? 震えるでシょう? でスが……貴方がタがこの部屋から生きて出られるこトは……決シてありマせん」
ロッシュは飛び出た眼球でこちらをじっとりと睨め回し、ブクブクと泡を吐いた。哄笑のつもりらしい。
「おいイリナ、あいつ調子に乗っているぞ」
「そのようだな。戦場では長生きできんタイプだ。もっとも今回は依頼上、生け捕りにする必要がある。その点で、彼は幸運だ」
「クク……その減らず口……いつまで保ちますかなッ!?」
――ゴゴウ!
ロッシュはさらに近くの事務机を持ち上げると、薙ぎ払うように叩きつけてきた。
「ねえさま! にいさま!」
背後でアイラの焦った声が聞こえてくるが、こんな攻撃はダンジョン深層に棲む魔物どもの一撃と比べるべくもない。
「遅い」
「ああ、まるで止まっているようだな」
体を深く沈め、ギリギリのところで躱してみせる。
イリナも同様に躱したようだ。
「ただの人間の分際で小癪ナ……ッ! ならバ、これなラどうでスっ!」
俺たちの反応が気に入らなかったのか、ロッシュは少しだけいら立ちを滲ませた口調で叫び、今度は両手で机を持ち上げると、大きく腕を開きながら突進してきた。俺たちの退路を断つように、左右両側から押しつぶすつもりらしい。
――どうする?
迫りくる机を見据えながら、俺は考える。
上はどうだ。
飛んで躱すことは可能だが、空中では隙が生まれてしまう。
背後ならどうか?
まだスペースがあるものの、後退して躱した場合はさらに追撃が来た場合に退避する場所がなくなってしまう。
それにそこにはアイラがいる。
彼女を巻き込むわけにはいかない。
ならば……前に出るまでだ。
「くっ……!」
イリナも同様の判断だったようだ。
顔を若干引きつらせながらも、迫りくる机に押しつぶされる前に俺と
並んで前方へ駆け出す。
そして、俺はというと……
――ガガン!
背後で机がひしゃげる轟音を背中で受け止めながら、
「――《解体》」
ロッシュとすれ違う瞬間に、左の脇から肩口にかけて短刀を一閃。
――バシュッ!
生身の方の腕が宙を舞い――ゴトン、と床に転がった。
「……え?」
静寂の中、ロッシュの呆けたような声が室内に響いた。
「そん、ナ……私の腕があアああぁァぁっ!?」
一瞬の間をおいて血しぶきが舞い、ロッシュが絶叫する。
「まさかあの一瞬に斬ったのか? 確かにライノ殿は身のこなしが身上の盗賊職とはいえ、魔法剣士である私ですら避けるのに精いっぱいだったのだぞ?」
同じく危機を脱したイリナが感心したように声を上げる。
「やっぱりにいさまはすごいわ!」
アイラも興奮したように声を上げる。
「……まあ、アイツ隙だらけだったからな」
二人のおかげで背中がムズムズして仕方ない。
だいたい素早さで言えば、特に身体能力を引き上げていなければイリナと大して変わらないはずだ。
ただ、まあ……『貪食』の力を得てからは、たいていのことに動じないようになったから、そのおかげで冷静に判断ができたのかもしれないな。
どのみち、油断も慢心もするつもりはない。
それに、だ。
「イリナ、気を抜くなよ。まだアイツは倒れてない」
「があアあぁぁっ! あアあァぁぁっ!」
俺は肩口を押さえて七転八倒するロッシュを指さす。
だが、声のトーンが、どうも本気で痛がっているようには聞こえないのだ。
「どういう意味だ? さすがに義手ではない腕を斬り飛ばされて、平気なはずは……」
イリナが納得いかない表情で問いかけてくる。
が、答えはすぐに出た。
「……なんてネ」
ピタリ、と動きを止めるロッシュ。
先ほどまでの大騒ぎがウソのような落ち着きようだ。
「ふむ。接客中はお客様にいい気分で過ごしテいたダくのが、商人の矜持でス。お気に召しテいただけましたカ?」
どうやら俺たちはロッシュのお客様だったらしい。
生きてこの部屋から出さないらしいが。
まあ、心底どうでもいいな。
「いいからさっさと手札を見せてみろ」
「これはせっかチなお方ダ。まあ、いいでシょう。……ぬふぅッ!」
ロッシュが力んだかと思うと、
「あれは、まさか……」
「ウソ……腕が」
ジュルジュルと不愉快な音を立て、ロッシュの肩口で肉がうごめいている。
肉はまるでミミズのようにのたうち回るように激しく動き出し、みるみるうちに腕が再生してゆく。
「ぬふぅ……。さて、仕切り直しといきましょうか」
完全に元通りになった腕をブンブンと振り回し、ロッシュがそう言った。
「やっぱ調子に乗っているなアイツ」
「腕が再生するのは少々驚きだが……想定の範囲内だな」
イリナと互いに顔を見合わせ、肩をすくめあう。
手足が再生する魔物は少なくない。
ダンジョン深層ならば、ざらにいるからな。
「ほざけッ! 下等な冒険者風情がッ! 少しばかり優しくしてやったラ付けあガりおって……もう許さンぞォッ! たっぷりと絶望を味わわせてかラ、じわじわとナぶり殺しにしてくレるわッ!」
が、こちらが余裕の態度を崩さないのがよほど気に入らなかったのか、ロッシュが激高し始めた。
ガチガチと大鋏を打ち鳴らしつつ、こちらに突進してくる。
「おお怖い怖い。どうやらこっちが本性らしいな」
「ふん。修業が足らんな」
二人で軽口をたたきつつ、真横に飛ぶ。
ゴウッ、と大鋏が隣を通り抜けてゆくが、当然かすりすらしない。
このロッシュとやらは、しょせんは商人だ。
戦闘技術に長けた冒険者や兵士じゃない。
確かに攻撃は速く重いが、単調だ。
この調子では三日三晩戦ったとしても、一撃すら食らうことはないだろう。
それに……
ゴトン。
「そん、な……があああっ!?」
今度は右腕――義手が変化した大鋏が床に転がっている。
「妹の手前、ライノ殿だけにいい格好はさせたくないからな」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、イリナがビュンと剣を振り体液を払う。
どうやら俺に対抗心を燃やしていたらしい。
といっても、ちょっとした戯れのようだが。
「だが、これしキのこトで……なん、ダと……? う、腕ガ再生しなイっ!? それにコの感覚……魔力が漏れ出テいル……!?」
どうやらイリナの魔法剣はロッシュの再生能力を封じる効果があったようだ。
「生傷があるから再生するのだ。ならば、焼き固めてしまえばいい」
「火焔魔術か、なるほど道理だな。だがそれだけではなさそうだが?」
「そ、そんナっ! コの魔義手はナンタイ君が人間と魔物の魂ヲ融合させタうえで封じ込めタ逸品中の逸品なンだぞっ!? そんなバカなことがアるかっ!」
さきほどまで余裕の態度だったロッシュは、すでに狼狽して俺たちどころではない様子だった。
というか、どんどん魔力が流れ出ているせいか、動きが鈍くなっている。
「火焔魔術以外にも、アイラに少しだけ教わった治癒魔術と、魔力漏出系の呪術を同時に付与してある。身体の調子はまだまだだが、魔法剣の冴えは以前と比べ物にならないぞ?」
「なにそれこわい」
魔力漏出はともかく、治癒魔術を付与したのは、おそらく火焔魔術により進行する火傷を一定のレベルに留めるのが目的だろう。
本来ならば、一定のダメージを与えつつ殺さないように加減ができるという便利な仕様に思える。今のような場面では特に有効だろう。
だが、やられた方は激痛は続くが傷が治ることも悪化することもなく、魔術が解除されるまで地獄のような苦しみが続くのは間違いない。
……とんだ鬼畜技である。
アイラをちらりと見ると、ふんす! とドヤ顔をしているが、ドン引きだよ!
というか三つもの魔術を同時に剣に付与するなんて聞いたことがないぞ。
そもそもイリナは、発動に天性の素質が必要な治癒魔術を使えるのは初耳だ。
まあ、妹が使えるのなら姉が使えるということもあり得る……のか?
しかし……アイラとイリナも俺の知らないところで牙を研いでいた、ということか。仲間としては頼もしい限りだが、俺もうかうかしていられないな。
さて、そろそろこの茶番を終わらせる時間だ。
もうすぐ昼だし。
「で、ロッシュ殿? 誰が誰に絶望を味わわせてくれるって?」
痛みでのたうち回るロッシュを、俺はそんなセリフで挑発してみる。
「うわぁ……にいさまがチンピラみたいなセリフを吐いているわぁ……」
後ろでアイラのドン引きした声が聞こえるが、知らんな。
俺がチンピラならば、お前らは鬼畜姉妹だろ……
「クソ……下等ナ冒険者ど『――《時間展延)』……げぶふっ!?」
最後のあがきとばかりロッシュが襲いかかってきたが……
まあ、その後のことは特に言うまでもないな。
ボコボコになり沈黙したロッシュを捕縛した俺たちは、そそくさとグレン商会本部を後にしたのだった。




