完成
「何か、変?」
薬品を入れてから数日が経過した。
入れた直後は変化のなかった修のホムンクルスは、現在もあまり形が変わらない。
ただ、変わらなかったのは形だけで、大きさは違う。体の大きさは他の子のものと同じように、手に乗るか乗らないかという位まで膨らんだ。
形の方は握りこぶしのような、なんだかよく分からない塊のままだ。
「あれー、おっかしいなぁ?」
男もその事を不思議に思っている。
何かしらの変化は起こるものだ、と彼は製造元から聞いていた。
「説明に書いてない事とか、したかい?」
「実は……」
修は、薬品といっしょにラムネを何粒か混ぜたことを話した。
「あー……、多分それだよ」
冊子の説明には、付属以外の薬品を入れないよう注意書きがしてある。
それ以外にも、男には心当たりのある事があった。
「このセット、前に入荷が遅れたって言ったよね? そうなったのは、このセットにこういう問題があったからなんだ」
溶液へ入れるものによっては、ホムンクルスは製造者が想定しない変化をする可能性がある。場合によっては、容器の外に出て逃走してしまう、ということも。
「えっ、逃げるのこいつ」
「聞いた話だと、そういう事もあるみたいだね。本当に逃げられてしまうと大変だから、液の中に入れるものは用意した薬だけにするよう説明に書いてあるんだ」
どうせなら、逃げ出すようになって欲しかった。
修は面白い結果を求めて、説明書に無いものを入れた。見た目に変化が無いというのは、普通にやるよりもつまらない結果だ。
こんなことになるなら、普通にやってどんな形になるかを見れば良かった。今更そう思っても、後の祭りでしかない。
「元気だしなよ。これから……」
ビクリ、と彼のホムンクルスが震えた。二人は、ビーカーの中で浮いているそれに顔を近づける。
「これはまだ、何かあるかもしれないね」
「動き回るようになるかな」
「それは、どうかなあ……」
――――
翌日修が店に行くと、男が一階のカギを開けようとしているところに出くわした。
「あれ、今日はまだ開けて無かったの?」
「……他の子の宿題のためにいろいろ見てたら、遅くなっちゃったんだ」
いつもと比べて元気が無い。
キットを買った子全員の、多くて学校の一クラス分くらいの人数を見るのに加えて、店の仕事もしている。現在の彼は、とても忙しい。疲れているのだろう。
「カギは預けるから、先に上を開けておいて」
「うん」
二階のカギを受け取って、修は階段を上がった。
「……何だろ? こんなに散らかってたっけ?」
床にゴミや、他の区画で使っているであろう器具が落ちている。
ここは人がよく出入りするが、整理整頓するように注意がされているし、男も掃除や片付けをやっていたはずだ。
昨日は、特に忙しかったんだろうか?
疑問を感じつつも、ビーカーのある区画に向かう。
どのビーカーも倒れ、ひとつとして中身が無い。
「えっ!? 何これ?」
様々な姿のホムンクルスは、彼のものも含め、全て姿を消していた。倒れたビーカーの周りに溶液がこぼれ、テーブルを汚している。
昨日言っていた、あれだろうか。自分のホムンクルスが、歩けるようになったかもしれない。
もし、逃げていたら大変だ。今すぐ知らせなければ。
がたり。
パーティションの向こうで、物音がした。
まだ、ここにいる?
ヒタヒタという軽い足音。人間のものとは思えない。
いる!
修は息を殺し、パーティションの向こうにいるそれを刺激しないようにした。何とかここを出て、ホムンクルスが逃げそうなことを伝えなければならない。
仕切りの向こうも静かになった。向こうも、こちらが気が付いたという事に気付いている、かもしれない。
一歩、また一歩と、物音を立てないようゆっくりと動く。
あの生きものが立てる音にも注意を向ける。パーティションの向こうで、動いている気配はない。
あと少しで、区画を抜けられる。
そんなタイミングで、足音がまた聞こえてきた。間隔が短く、走っているように聞こえる。
一際大きな音。
「跳んだ!?」と驚愕した次の瞬間、仕切りのプラスチックを突き破って、金属製の杭のようなものが飛び出してきた。
「うわっ!」
しまった、と口を押さえる。
杭が板の向こうへと戻る。着地音に続いて走る足音が聞こえ、パーティションが倒れてきた。蹴り倒されたのだ。
現れたホムンクルスの姿に、抑えた口から悲鳴が漏れる。
動き回っていたのは、修が作ったホムンクルスで間違いなかった。見慣れたピンク色の肉塊に、別の生きもの何体かがくっついてひとつの体を構成している。
鳥、獣、トカゲ、虫。4本ある脚はどれも、違う生き物の形だった。
ホムンクルスを構成する生きものたちの目、その全てが修を見ている。
それが何をしているのか、彼にはわかった。こちらを襲撃する隙をうかがっているのだ。
先ほどの杭が、どこから出てきたのかは分からない。だが、あんなものを突き刺されたら死んでしまう。運が良くても大怪我だ。
目が、逸らせない。
隙を見せたら、この生きものは即座に跳んでくるだろう。それを防ぐには、怯えず視線を投げ返すしかない。
少しの間、彼らの間には均衡が保たれた。それを破ったのは、ドアの開く音。
助けが来た。その事に注意を向けてしまった修に向けて、生きものが跳ぶ。
後ずされず尻をついた彼の手に、当たるもの。とっさに彼は、それを盾にした。
彼が手にしたのは、プラスチックのカゴ。
生きものの体から突き出された杭は、カゴの穴に刺さりそれを壊せない。うまく杭を抜けず、4本の脚をじたばたと動かしている。
「修! それ、投げろ!」
彼の元へ来た男が叫ぶ。
その通りにカゴを投げると、彼は手に持った消火器のようなものを、カゴごと生きものに向けて吹き付ける。
小さく鳴き声を上げたそれはみるみる弱っていき、ついには動きを止めた。
「怪我は、怪我は無いか!?」
「だ、大丈夫……」
死ぬかと思う経験だったが、一応怪我はしていない。
彼に傷がない事を確認し、男は胸を撫で下ろした。
「それ……」
「ん? 何だい?」
緊張状態から急に開放され、うまく喋れない。
「何を、かけたの?」
「ああ、これか」
男は手に持った消火器のような物を掲げる。
「こんなこともあろうかと、って準備していたガス式の消火器だよ。これで体温を奪って、動きを止めたのさ」
「ガス?」
いつかの消火訓練で見たものは、粉を噴出していた。ガスだけを出す消火器なんて、彼は知らない。
「まあ、見たことないよね。ってこんな事言ってる場合じゃない」
動きを止めた生きものへ、念入りにガスをかける。その後手袋をはめた手で、ガムテープを何重にも巻いて拘束した。これで、仮に蘇生したとしてもすぐには動き回れない。
本格的な処置は後でするとして、応急的なものならこれで十分だ。
「とりあえずはこれで、良いか。まさか、ここまで危険な変異をするなんて」
「……ごめん」
「気に病んじゃ、だめだよ」
こういう事は、普通じゃないものに関わっていれば、たまにある。
彼にとっては、わずかな時間とはいえ修が自力で危険を切り抜けてくれた事がありがたかった。
「それより、この後時間ある?」
「あるけど、何で?」
「ここの片付け、手伝って欲しいんだ」
穴の開いたパーティション、割れた器具。
生きものを捕まえるために、二階のスペースはぐしゃぐしゃになってしまった。
「うん、やるよ」
「ありがとう。これから、自宅でやってる子の所に回収へ行かなきゃならないし。猫の手も借りたいんだ」
男の口から出た、「自宅」という言葉。
先ほどあった、恐ろしい出来事。
この二つが、修の頭にひとつの疑問を浮かべた。
「手伝う前に、ひとつ質問していい?」
「何かな?」
「キットに付いてた、ホムンクルスのタネってあったでしょ。あれ、排水溝に流れても大丈夫なの?」
前はこんな事を考えなかっただろう。すぐ死ぬ生きものだと思っていたからだ。
だが、今日の出来事により、ホムンクルスは条件次第で強い生きものになることが分かった。
もし、タネが下水に行ったなら。
あそこには、栄養に出来る物質や温度がある。自宅で作業をした子に、排水溝へ流されたタネが生き続けたら、どうなるか。
「……ごめん、ちょっと電話してくる」
男は部屋を出て行く。少年はひとりで、部屋の片付けを始めた。
部屋の隅に、実験器具を洗う流しがある。そこの排水溝が、ゴボリと粘ついた音を立てた。