製作中
いつもより中身の多い財布を持って、修は陽射しの強い道を歩いていた。
初めて店に行った日の夜、彼は母親にお願いをした。
自由研究用に、教材を買うためのお金を出して欲しい、と。
普段の様子からして、お金を出してもらえるかどうかは怪しい、と彼は思っていた。しかし、思いのほかあっさりとお願いは通る。
彼の母は、修が宿題を積極的に片付けようとしているのを知っていた。キットを買うために必要な金額も安く、お金を出し渋る理由は無い。
一応条件は付けられた。「どんなことをしているのか、連絡すること」というものだ。
さすがに、本当のことをそのまま伝える訳にはいかない。店のおじさんに言い訳を考えてもらう必要がある。
「やっぱ、変な感じがする」
店の前に着いた。例の装置から出ているらしい謎のパワーに、何とも言えない妙な感覚を覚える。
耐えがたいほどではないが、うっとうしい。できるなら装置を切ってもらいたい。
「いらっしゃい!」
二階のドアを開けると、あの男の声がするものの姿は見えない。
生きものの入った容器がある区画に行くと、彼はエプロン姿で、ポリタンクからビーカーに液体を注ぎ足していた。
「やあ、君か。もう形はでき始めてるよ」
指さす先にあるのは、修の作っているホムンクルス。
あの日、他の容器がそうだったように、形のはっきりしない塊が浮いている。
「これ、残りのお金」
財布から百円玉を三枚取り出し、男に渡す。
最初にここへ来た日、修は持っていたお金から二百円だけ先に払っていた。先払いをしておけば、その日のうちに製作を始められたからだ。
「改めて、お買い上げありがとう」
作業の手を止め、エプロンのポケットに代金を入れる。
「それ、何やってんの」
「ああ、これ? エサやりだよ。セットに付いてる冊子は読んだ?」
背に下げたカバンから取り出した、彼の冊子。表紙のタイトル部分に、駐車禁止の標識と同じデザインのシールが貼られている。
このシールは、例の装置と同じように思考を誘導する作用を持つ。細かいことが気にならなくなるように。
「えーと、……ここのこと?」
心当たりのあるページをめくって見せる。
「そうそう。こいつらは自分たちが浸かっている液から栄養を摂るから、こうやってやらないと死んでしまうんだ」
「けっこう作るの大変だよね、これ」
エサになる水溶液は、一般家庭にあるような材料で製作できる。だが、溶かすものの計量や水の煮沸など、実際にやるとなったら面倒な手順が多い。
「そういう子のために、ここで預かったりペットボトルに入れた溶液を提供してるんだよ。これでもかなり簡単にしてるらしいんだけど……、これ以上簡単にしちゃうと別の問題があるらしいんだ」
「ふーん。あ、そうだ」
再び、ペラペラと冊子のページをめくる。修が探していたのは、形態の変化について書かれたページだ。
「ここに書いてある、薬を液に加えるのをやらせて」
「いいよ」
三階に置いてあるキットを持ってくるため、男は部屋を出る。彼が戻ってくるまでやる事のない修は、この区画に置いてあるビーカーを眺める。
この生きものは、とことん普通じゃない。
ビーカーの中で生まれて、ビーカーの中で死ぬ。
形も決まっていない。キットに付いている数種類の薬品を、比率を変えて与える事で様々に変化する。
修の作っているものはまだ、形態が定まる前の状態だ。だが他の子が作っているホムンクルスは、もう形が定まってきている。
あるものは鳥、あるものは魚……のような形。キメラのように、複数種類の動物が混ざっているものもある。
与える薬品によって姿が変わる、と説明が書いてあったが、どう与えるとどんな姿になるのかは書いていない。誰がどんな風に薬を与えたのか……。
「お待たせ、これが君のだよ」
男が戻ってきた。手には、薬が入ったビニール袋を持っている。
「ありがと」
「それと……はいこれ、はかりと皿だよ」
薬と一緒に計量用の道具も持ってきてくれていた。プラスチックのかごに入ったそれが、床に置かれる。
「じゃあ、下で別の作業してるから……」
「ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」
「ん? なんだい」
「他の子がどういう風に入れたかって、メモとかしてない?」
彼には、「この形にしたい」という思いがある訳ではない。だが、先にこれをやった人がいて結果も出ているなら、「どうやったのか」を知りたいと思うだろう。
「ごめん、薬を入れるところに立ち会ってないから、他の子がどんな風に入れたかは分からないよ」
「ダメか。……どうやって入れよう」
必要なものや質問があれば言ってね。
そう言って男は下へ降りていった。部屋の中には修ひとりだけ。
「こうなって欲しい」という具体的な形はないが、せっかく作るんだから珍しい形になってもらいたい。
どうすれば、そうなるだろうかと少しの間考えたが、何もヒントがない状態では無駄だ、とすぐに悟った。
えんぴつのサイコロで決めてしまおうと、カバンを開ける。
「ん? 待てよ……」
カバンの中に入っていたもののひとつ、ラムネの容器が修の目に入った。それが彼の頭に、ある考えを浮かばせる。
これを入れたら、どうなるだろう。
何も起こらない可能性はあるが、少しでも思いがけない結果が出て欲しい。口に入れるものだから、これを入れてホムンクルスが死んでしまう、ということも無いはずだ。
付属の薬はサイコロの出目の数だけ計量スプーンで取り、ラムネも同じく出目の数だけ、入れる事にした。
ラムネの粒をしっかりと砕き、入れるもの全てを皿の上に載せたら、今度はそれを水に溶かす。
水溶液を作るための水は、ボトルに入った状態で置いてあった。それを撹拌用の容器に注ぎ、粉末を入れて撹拌棒で溶けるまで混ぜ続ける。
「面倒くさいなあ」
製作を始めた日も、同じような事をした。
ホムンクルスのタネだという粉を、今浸かっているのと同じ溶液に入れて、色が付き粘り気が出てくるまで混ぜ続けたのだ。
粉や液をこぼしそうになったり、棒を容器にぶつけそうになったり、大変だった。
辛抱しながら混ぜ続け、入れた粉が見えなくなったら、自分の生きものが入った容器にそれを注ぐ。「何かが起こるかも」という期待と不安を抱きながら、少しずつ液を注いでいく。
液に浮かぶホムンクルスは、あの日と同じく身を震わせるだけ。それ以上の事は何も無い。
「まあ、すぐに形が変わったりはしないか」
ほっとしたような、がっかりしたような。
あとは、今日の姿を記録してコメントを残しておかないといけない。カメラを借りるため、修は下の階へと降りていく。
人気のなくなった部屋の中、修のホムンクルスが一際大きく体を震わせた。他の動物の心臓のように、ドクン、と。