メリダ幻想
『 メリダ幻想 』
もう十年になる。追憶は美化される。
過度に美化されない内に、十年前に起こった事件を語ることとしよう。
私がこれから語る事件は、十年という歳月を経る中で、今でもなお、私の脳裡に焼き付いて離れない。 甘美と苛酷、双方が交錯する状況の中で、この事件は起こった。
そして、この事件に関して、私ほど、語るに相応しい者もいないだろう。
私はその当時、メリダという街で暮らしていた。
メリダという街はメキシコのユカタン半島のほぼ中央に位置する都市で、かつてはマヤ文明の都市国家として栄えた都市であった。
マヤ! 何という柔らかで幻想的な響きを持った言葉であろう。
少年の頃に夢中になって読んだ漫画雑誌に、時折、この不思議な文明が特集記事として掲載されていた。階段状のピラミッド、高度に発達した天文学、おどろおどろしい神聖文字、残酷な人身供養の儀式等、少年の頃に受けた鮮烈な印象は今でも記憶の片隅に残っている。メリダは、そのマヤの中心的な都市国家の一つとして栄えた街なのだ。
メリダ! 白き街、シュウダ・ブランカ(白き街)。
そのような別名で呼ばれる街だ。この亜熱帯の街には、白い家々がとても良く似合う。
自分たちをメヒカーノ(メキシコ人)とは呼ばずに、ユカテコ(ユカタン人)と呼ぶ、苛烈な反逆と屈辱の弾圧の歴史を持つ、誇り高いメスティーソ・混血の民。
十年を経た今でも、マヤを、メリダを想う時、私の心は昂揚し、胸の高鳴りを覚えるのだ。
私、陸奥研一郎は第八回の日墨交換研修生の一員として、このメリダのユカタン州立大学に留学した。勤務している銀行がメキシコからの研修生を受け入れた関係で、私が交換研修生として選ばれたという事情で、特に志願したわけでは無かった。
しかし、独身で気楽な立場にあった私にしてみれば、このメキシコ研修留学は楽しいことが一杯詰まっている宝箱のように思えた。
一九七八年の七月初旬、百人を越す留学研修生の仲間と成田を発ち、十数時間かけて、メキシコシティに到着した。高原の爽やかな暖かさが私たちを迎えてくれた。
私たちはメキシコ政府が手配してくれたオアステペックという国民休暇村で二週間ほどの事前教育を兼ねた合宿生活をおくり、メキシコの気候に身体を慣らした後で、各人の留学研修先の大学、施設のある街に、それぞれグループ別に分散し、旅立った。
私の研修先であるユカタン州立大学のグループは十名であった。
大学生留学生が六名、私のような社会人研修生が四名という構成だった。
そして、ユカタン州立大学の人類学科の主任教授に引率され、メキシコシティ空港から飛行機に乗り、メリダ空港に着いたのは七月も下旬になっていた。
メリダ空港に到着したのは夜であったが、飛行機のタラップを降りた私たちを待ち受けていたのは、蒸し風呂のような陽気であった。
昇降口からタラップの階段に足をかけた途端、私の眼鏡は完全に曇り、視界はゼロという状況に陥った。急いで、眼鏡を外し、一歩一歩、踏み段を確認しながら、慎重に降りた。
暑い、という話は日本に居た時から聞いてはいたが、現地の蒸し暑さは私の想像を遥かに越えていた。 誰かが、おい、このままメキシコシティに戻ろうぜ、と叫んでいるのが聞こえた。実際のところ、許されるものならば、そのままUターンして、快適なオアステペックに戻ってしまいたかった。しかし、そのようなことは到底許されることではなく、私たちは迎えに来てくれていたホームステイ先の人に連れられて、それぞれ三々五々、車に乗って空港を離れた。私のホームステイ先は、街の中心地からはかなり離れた、ハルディーネス・デ・メリダという新興住宅地にあった。もう、真夜中になっていたが、家族と一通りの挨拶を済ませた後で、私にあてがわれた居室に入り、簡単な荷解きをしながら寛いだ。部屋は十畳ほどの広さで、セミダブルベッドと机が一つ、それに洋服ダンスといった殺風景な部屋だった。ベッドのクッションはあまり上等なものでは無かったが、長旅で疲れていたので、寝つくのは早かった。
何時間ほど寝たのだろう、ふと目を覚ますと、暗い天井で何か光るものがあった。
かなり強烈な輝きを持って、それは点滅していた。
部屋の灯りをつけて、私はそのあたりを見詰めた。
小さな蛍であった。蛍は地球儀で言うと、日本の丁度反対側にあたる、このメキシコにも居たのである。私は嬉しくなり、灯りを消して、暫く、その蛍が放つ光の点滅を楽しんだ。その蛍は平家蛍ほどの小さな蛍だったが、夜の闇の中で、実に強烈な光を放っていた。
その夜は、そのまま、蛍を眺めて過ごそうと思ったが、いつの間にか、また眠ってしまった。翌朝、その蛍は黒い小さな異物として床に転がっていた。少し嫌な予感がした。
私のメリダでの暮らしが始まった。気楽な暮らしと言えただろう。
大学は夏休みで学生は居なかったが、スペイン語が話せない私たち、社会人研修生のために、特別に語学教室が開かれ、その授業に出席するのを日課とするだけで良かった。
日本でのように、会議、出張、報告書作成、残業、夜の付き合いといった煩雑なことは何も無かった。 来年の四月まで、完全な自由が保証されていたのだ。
週末になると、仲間と語らって、メリダ近くのマヤの遺跡、マヤパン、ウシュマル、チチェンイッツァ、エズナー、カバーといった遺跡をほとんど毎週のようにバスに乗って見物して廻った。
チチェンイッツァ。エル・カスティージョ(城塞)と呼ばれる階段状ピラミッド、天体観測所と言われている蝸牛状建築物のエル・カラコルなどで最もよく知られている巨大な遺跡である。私は僧院と呼ばれている遺跡の頂上に立ち、エル・カラコルとエル・カスティージョを眺めた。それらは、ほぼ一直線に並んでおり、白く美しい景観を構成していた。
その後、エル・カスティージョの急な階段を登り、その頂上に立って、周囲を見渡した。
周囲は緑の密林で視界を遮る障害物は何も無い。私はふと、緑に覆われたこの風景に恐怖を感じた。亜熱帯の地域では樹々の生育は信じられないほど早く、草原は放置されれば、十年ほどで鬱蒼とした密林と化すと言われている。
エル・カスティージョから数百メートルほど歩いて、生贄の泉と云われるセノーテの縁に立つ。足元が崩れ、泉の淵に墜ちる恐怖感に包まれた。かつて、幾多の生贄を呑み込んだであろう、このセノーテは暗緑色の静謐な水を湛え、今も生贄を待っているかのように見えた。しかし、何と言っても、この遺跡の圧巻は、エル・カスティージョであろう。
幾何学的の整った四角錐の秀麗な階段状ピラミッドで、階段の傾斜は非常な急勾配となっており、取り付けられた鉄の鎖を伝って登っていく。とても、スリリングな経験を持つことが出来る。
ウシュマル。現実離れした美しいフォルムで知られる魔法使いのピラミッドを有する遺跡である。緑の草原の中に忽然とその流麗な美しさで屹立するこのピラミッドはやはり想像を絶する急勾配の階段を持っている。神秘な静寂が支配する中で、大きなイグアナがのそのそとユーモラスな姿で徘徊している。そして、夥しいチャック(マヤの雨の神様)の彫刻を前にして、私は茫然と長い間佇んだものだった。
私たち、留学研修生が学ぶ校舎はユカタン州立大学の人類学科の中にあり、こじんまりとした建物だった。周囲は鬱蒼とした樹木に囲まれており、午後は暑さを避けて木陰に机を並べ、勉強している学生もよく見かけた。二階建ての校舎の前には、バスケットボールのグランドコートと小さなプールがあった。プールサイドの水色の椅子に腰を下ろし、ゆらゆらと揺らめいて漂う水面を眺めながら、よく冷えたコーラを飲む。悠然とした時が滑るように静かに流れていく、そんな時間が好きだった。
企業から派遣されて来た研修生で、特に親しくなった一人に御坂潤一が居た。御坂は大手の旧財閥系の会社に勤めているエンジニアで、同年という気楽さもあって、私とは特に親しくなった。一緒に、遺跡巡りもした。私と違って、彼は日本に婚約者を残してここに来た。来年春に日本に帰ったら、大学を卒業した彼女と結婚することとなっていた。
彼女の名前は、星野小百合と言い、都内の国立大学の文学部に籍を置く学生であった。
彼の部屋の机には彼女のポートレート写真が飾られており、カメラに向かってすこしはにかむように微笑む彼女はとても魅力的であった。来年、日本に帰っても、結婚の当てなぞ全く無く、独身寮暮らしが続くであろう私にとって、御坂潤一は羨望の的と言える存在であった。御坂はメリダのセントロ(街の中心。センター)に近いが、周囲は住宅街で閑静なところにホームステイしていた。
その受け入れ先の主人は、女主人で数年前にご主人を不慮の交通事故で亡くした未亡人で、二人の子供を抱えて暮らしていた。イサベルと言う名のそのセニョーラは私が行くと、いつも陽気に迎え、歓待してくれた。私がホームステイ先の不満をこぼすと、いつも真剣に聴いてくれた。そして、間に立って、私のホームステイ先と交渉してくれ、不調に終わるや否や、学校近くのアパートを紹介してくれたのも、彼女であった。彼女のおかげで私は最初に入った下宿を円満に出ることが出来た。最初の下宿に対する私の不満というのは、食事の内容と学校からあまりに遠いという距離の問題に尽きた。食事内容については、下宿の主人夫婦が街の商店を経営しており、朝早く家を出て、帰りも遅いといった状態で、おざなりの食事しか作れなかったという先方の事情によるものであった。
イサベルが紹介してくれたアパートは、ミ・カシータ(私の小さな家)という名前のアパートで学校のすぐ近くにあった。平屋のモーテルといった感じのアパートで、自炊設備も付いており、一人暮らしにとっては家賃も安く快適なアパートであった。
二十畳ほどのところを分割し、キッチン、シャワー・トイレ、ダブルベッド、化粧台、洋服ダンスといった家具が使いやすく配置されていた。
イサベルは言わなかったが、後で、私が私たちの主任教授から聞いた話では、数年前までは、娼婦が屯する売春宿であったとのことだった。私はその主任教授にたどたどしいスペイン語で質問した。あなたは昔、ミ・カシータに行ったことがありますか?、と。
私のスペイン語が通じたのか、独身の彼は肩を大袈裟にすくめ、悪戯を見つけられた悪童のように、軽くウインクをしてみせた。それが、彼の答えだった。
そのミ・カシータの管理人は、小学校の教師を長年勤めあげ、定年で退職した老人であった。彼が私のスペイン語の先生になってくれた。彼は暇を持て余し、いつも、管理人室の前にある受付台のところに新聞を広げて座っていた。彼と私は毎日二時間ほどは話した。
私が文法を間違えて話すと、彼は繰り返しゆっくりと話して、訂正してくれた。
おかげで、私のスペイン語は急速に上達し、九月の中旬頃には日常会話ならほとんど間に合うくらいにまで上達することが出来るようになった。同時に、スペイン語に対するヒアリング能力も格段に伸びた。語学というものは、或る程度、一定期間の潜伏期間というものを経て、急激に飛躍、上達するものだと思った。
その頃であった。
御坂が失踪したのである。
学校の新学期が始まっても、彼は学校に姿を見せなかった。
御坂を除く他の留学研修生は、アカプルコ、コスメル、イスラ・ムヘーレスなどの海岸、或いは島々への旅行で真っ黒に日焼けした元気な顔を見せて、通学してきたのであるが、彼、御坂だけはいつまで待っても学校には来なかった。
私は御坂の下宿を訪ねてみた。イサベルが彼女の十歳になる娘と共に迎えてくれた。
御坂は一週間ほど前から家を空けているという話だった。変わった様子は何も無く、旅行でもしているのだろうと思う、というのがイサベルの言葉であった。
御坂は旅行するのが好きな質で、それまでも時々ふらりと旅行に行っては、ふらりとまた戻ってくる、との話であった。特に気にかけてはいない様子のイサベルを見て、私も旅行でもしているのだろうと思い、立ち去る他は無かった。
念のため、御坂の部屋を見せてもらったが、特に変わった様子は無く、几帳面に片付けられた彼の机の上では、星野小百合の写真が相変わらず静かに微笑んでいた。
心なしか、少し悲しげに見えた。
それから、一週間が過ぎても、御坂は現われなかった。
旅行先からの便りも誰にも届かなかった。私もその間、もしやと思い、各地に分散留学している留学研修生のグループ・リーダーに電話をかけ、御坂を見かけたらメリダの私に連絡して欲しいという依頼をしておいたが、どこからも御坂発見の報は届かなかった。
御坂は完全に行方不明となった。
私は緊急会議を開催し、メリダ・グループ全員に集まってもらい、御坂行方不明の件で相談した。皆の意見はいろいろに別れたが、とにかく、警察に捜索願いを出しておいた方が良いだろうという結論に達した。
翌日、語学に堪能な征木という大阪外語の留学生を伴って、メリダ警察署を訪れ、事情を話した。オチョアという名の警部が親切に応対してくれた。太った腹を揺すりながら、オチョア警部は、心配することは無い、その内、日本からセニョリータを連れて戻ってくるよ、と陽気な口調で語った。しかし、一応はメリダを含め、近隣の町の警察に連絡はしておく、ということも彼は約束してくれた。
警察署の前で征木と別れ、私はイサベルに会いに行った。警察沙汰になったということを知らせておこうと思ったからだ。あいにく、イサベルは留守だったが、娘のマリアと息子のロドリゲスが留守番をしていた。イサベルむの齢は知らなかったが、子供たちの齢から判断すると、三十歳くらいであったのだろう。
年上のマリアの了解を得て、二階の奥にある御坂の部屋に入らせてもらった。途中、二階の階段のすぐ傍にあるイサベルの部屋の前を通った時、部屋の中の様子がちらりと目に入った。ドアが開けっ放しになっており、部屋の中に洗濯物が干してあった。色とりどりのショーツやブラが干してあった。夫を亡くしたビューダ(未亡人)には相応しく無いような下着に私は一瞬戸惑った。イサベルをずっと年上のように思っていたが、まだ若く色香は失ってはいないのだな、と思うと同時に、急にイサベルが生々しく感じられた。
ほどなく、イサベルが帰って来て、私が居る御坂の部屋に入って来た。
私はイサベルに、警察に捜索願いを出したこと、オチョアという警部がその内、ここにも調べに来ることなど、事の顛末を包み隠さず、全て話した。
イサベルの顔が少し曇った。御坂の行方不明に責任は無いものの、自分が預かった留学生の失踪に関して、心配しているという表情を浮かべていた。
イサベルは、御坂の部屋のものには一切手を触れてはいないこと、時々は簡単に、部屋の掃除はしているものの、箪笥の中や、机の中のものには一切手を触れていないことなど、くどく思われるほど、私に繰り返し繰り返し語った。
私の目の前で身振り手振りを交え語るイサベルにはスペイン系の血筋が色濃く流れており、欧米系の白人に対して多分にコンプレックスを抱きがちな私たち日本人には十分過ぎるほど、魅力的な顔立ちをしていた。少しきつ過ぎると思われるアイシャドウも、ほどよく日焼けした彼女の肌にはごく自然な輪郭を与え、豊満な胸も薄手のワンピースから透けて見えそうな感じで、二十八歳の私の眼にはとても魅惑的に映った。堅物の御坂では無く、私がここにホームステイしていたならば、イサベルの成熟した女としての魅力を前にして、果たして何事も無く、居られたかどうか、自信が持てなかったろう。ビューダと下宿人の間のラブ・アフェアーなど、世間には履いて捨てるほど、ありふれているのだから。
触らぬ神に祟りなし、という格言もある。
私はあまり長居をしないよう心掛け、御坂の下宿を去った。
しかし、そのまま、ミ・カシータには帰らず、セントロにある映画館に行き、映画を観た。メリダの映画館は日本と比べ、格段に大きく立派な建物であった。映画がまだ主要な娯楽であり、席数も日本と比べたら、比較にならないほど多かったが、老若男女の観客でいつもほぼ満員といった盛況を博していた。当時の料金は十五ペソであったから、邦貨換算で百五十円程度の料金であった。メキシコの人気俳優が出ているコメディが上演されており、細々とした微妙なセリフの中味はいまいち解らなかったものの、私にも十分に楽しめるストーリーであった。いつか、イサベルを誘ってみようかな、と勝手に思いながら観た。ふと、座席の中ほどに座っている一組の男女が目に留まった。そこに、留学生仲間が肩を寄せ合って座っていたのだ。先ほど、メリダ警察署の前で別れた征木義彦と奥村志保美という女子留学生であった。二人は親密そうな間柄のように見えた。征木は大阪外語大学の四年生で、奥村は名古屋の大学の二年生であった。メキシコに来て、はや三ヶ月、男女の仲間同士が好きあうのも自然のなりゆきであろうし、それぞれの責任でやっていく分には、メリダ・グループのリーダーである私の管轄する責任範疇では無い。そう思ったが、正直に言えば、少し羨ましかったのも事実であった。俺も結構、俗物だな、とも思った。
映画の後、セントロを散策していたら、偶然、辻井真一郎と出会った。辻井は私と同じ社会人研修生の一人で、郵政省から派遣されて来たキャリア官僚で、最年少の男だった。
私たちは連れ立って、エル・トロバドール(吟遊詩人)というバル(居酒屋)に入った。
テキーラ・ベースのカクテル、マルガリータを注文し、御坂に関する情報をあれこれ交換しあった。その時までに、私たちが知り得た情報を整理すると、次のようになった。
・御坂は二週間前までは確かにここ、メリダに居た。
二週間前にセントロにある中央郵便局で辻井が彼に会っている。
・だが、それ以降、彼を見た者は誰もいない。
・辻井が見た二週間前の御坂は元気が無かった。
普段は明朗闊達な御坂だが、郵便局で辻井が声をかけた時の御坂は元気が無く、少しぼんやりとした感じだった。
・彼は旅行に出ているのか?
旅行好きだったのは事実だが、二、三日といった小旅行が普通で、二週間という長期の旅行はこれまで行なったことが無い。ホームステイ先の家にも大きなスーツケースは残されている。
・彼は日本に帰ったのか?
研修生が日本に帰国する時はグループ・リーダーか、担当の主任教授に理由を届け出ることとなっている。陸奥のところに、何の連絡、届け出も無かった。気紛れな学生の研修生ならともかく、社会人研修生ではまずあり得ないことである。
・近々、彼の婚約者がメキシコに来ることとなっていた。この件は、辻井からの情報で、一、二ヶ月後に予定されていたことであった。言葉に慣れた時点で彼女をここに呼び、婚前旅行をするつもりでいる、と御坂は辻井に語っていた。私には、日にちが確定した時点で話すことにしていた、という辻井の説明であった。
・彼は誘拐されているのか?
誘拐ビジネスという言葉があるくらい、誘拐事件が結構多いお国柄であるが、誘拐されたとしたら、誘拐犯人から何らかの連絡が入るはずで、警察も知らないし、身近に居る私たちも知らないというのは変である。
・彼はどこかで死んでいるのか?
これが一番恐れていることであった。殺されたということならば、その遺体はどこかに隠されてしまい、行方不明のままであろうが、自殺したということならば、どこかで発見されるはずで、警察にも情報が入るはずである。現在のところ、情報は何も入っていないと、オチョア警部は話していた。
・二週間前に御坂は忽然と私たちの前から姿を消した。それ以後、誰も見ていないし、誰へも連絡が無い。
このようなことを私は辻井と話しながら、マルガリータを三杯ほど飲んだ。
バルの小さなステージでは、ロス・マガーニャスという流しのバンドがユカタン・ソングを唄っていた。エジャ(彼女)、ボカ・ロカ(気を狂わせる唇)、キシエラ(愛したい)といったユカタン地方独特の甘いラブソングを聴きながら、ふと、御坂の婚約者である星野小百合のことを思った。彼女にも連絡をしなければならなくなるのか。憂鬱な連絡になるだろうし、愛する人に会うために、メキシコに行く日を待ちわびているだろう彼女にどういうふうに話したらいいのか、考えれば考えるほど、私はどんどん気が重くなっていくのを覚えた。
ステージからロス・マガーニャスが降りて来て、何かリクエストはあるかい、と尋ねられた。私はベサメ・ムーチョ(いっぱい、僕にキスしておくれ)をリクエストした。この曲はユカタン出身の女性が作った曲で、私にとっては、メリダに来て初めて覚えたスペイン語の歌であった。作詞作曲した女性の名前は、コンスエロ・ベラスケスという十七歳の乙女で、キスをしたことも無い少女であったと云われている。
私は彼らの美声を聴きながら、急激に酔いがまわってくるのを感じた。
嫌なことは、アスタ・マニャーナ(また、明日)さ、と思うこととした。
その夜、イサベルを抱いている夢を見た。
数日、経った。午後、部屋で天井扇を回しながら、スィエスタ(午睡)を楽しんでいると、管理人のフアンがドアをノックして、電話だよ、と言ってきた。
電話はメリダ警察のオチョア警部からだった。相手と向き合って交わす会話はともかく、顔が見えない電話での会話は苦手であったが、警部はゆっくりと話してくれたので、何とかあらましを掴むことは出来た。警部の話はこのような話であった。昨日、イサベルの家に行き、御坂の部屋を徹底的に捜索したこと、捜索の結果、彼の預金通帳はそのままであり、特に引き下ろされた形跡は無いこと、荷物も大体のところ元のままであり、特に減っている様子は見受けられなかったことなどを手短に私に語った。尚、日本語で書かれた手紙を数通保管してあるので、明日にでも警察に来て、念のため、内容を確認してくれないか、という依頼もなされた。私は明日必ず行く、と言って、電話をきった。
オチョア警部は、セニョール御坂は忽然と我々の前から姿を消してしまった、と言った。
電話の間、フアンは私の傍らで聞き耳を立てていた。日常的に刺激の少ない暮らしをしている彼にとって、この電話は十分に刺激的であった。好奇心に満ち溢れた彼はいろいろと私に訊いてきた。ご心配めさるな、ドン・フアン、私は何も悪いことはやっていない、友人のセニョール御坂が行方不明になっており、警察に彼の行方を捜してもらっているだけなんだよ、と私はたどたどしくこれまでの経緯を説明してやった。セニョール御坂が行方不明なのか、と御坂を知っているフアンは心配そうな口調で言った。
警部からの電話の後、私は部屋に戻り、ぼんやりとした空白の時を過ごした。
翌日、私はメリダ警察に行き、オチョア警部と面会した。
「これらの手紙が残されていたのだが、日本語で書かれてあるので、何のことやらさっぱり判らん。読んでみて、何か失踪事件と関りがあるのだったら、教えてほしい」
数通の手紙を私に渡しながら、警部が言った。私は渡された手紙を注意深く読んだ。
手紙は四通あり、母親からの手紙が一通、残りは彼の婚約者からの手紙であった。
他人の手紙を読むのはさすがに抵抗があったが、心の中で、勘弁してくれよ、と御坂に詫びながら読んでいった。母親からの手紙では失踪に関する情報は何も得られなかった。
星野小百合からの手紙には、この頃、便りが無さすぎるので心配していること、コスモスはメキシコが原産と聞いているので、日本のコスモスの種を送るので、庭にでも蒔いて、咲いたら違いを教えてほしい、とか、メキシコ行きの件は家族が反対しているので、少し遅れるかも知れないけれど、私、必ず行きます、と云った内容が綺麗な字で書いてあった。
私は要所だけ訳して、オチョア警部に話したが、コスモスという単語は知らなかったので、携えていった和西辞典で調べながら話した。意外なことに、コスモスはスペイン語でもコスモスであった。植物の種は検疫でアウトかな、と一瞬思ったが、ええいとばかり、そのまま話した。警部は大雑把な男で、気に留めなかったようだ。
「コスモスの種? そんなもの、彼の所持品にあったかな?」
と、分厚く、毛が密生した手で所持品リストを捲りながら呟いた。
「無い。コスモスの種の入った袋などというのは、このリストの中には無いよ」
暫くして、彼は断定するような口調で言った。
「おそらく、庭にでも蒔いてしまったのだろう」
そして、彼は葉巻を口に咥え、黄燐マッチで火を付けながら、おもむろに私に話した。
「どうも、これまでの捜査では手掛かりとなる情報は何も無い。このまま、地方からの情報を待つこととなるが、今後、有力な情報が何も無ければ、残念ながら捜査は打ち切らざるを得なくなる。その点は了解しておいてほしい。いいね」
メリダ警察署を去った私は、その足でイサベルの家を訪れた。
イサベルは私を御坂の部屋に案内して、階下に去った。
私は彼の机の椅子に腰を下ろして、中庭を窓越しに眺めた。コスモスなぞ何処にも咲いていなかった。ブーゲンビレアの紅い花が鮮やかな色を見せて咲いているだけであった。
私はイサベルにお礼を言って、セントロに向かった。
セントロで少し買い物をしてから、カフェテリアでお茶を飲んだ。当時、ハマイカという名の甘酸っぱいドリンクを飲みながら、木の実がいっぱい入ったパイ(パイ・デ・ヌエス)を食べるのが私の好みだった。ハマイカの紅い色を目で楽しみながら、今後のことを考えた。御坂失踪の件に関しては、進展は期待できないだろう。やはり、日本の領事館に正式に連絡して任せるしか無いのだろう。御坂の両親にも手紙を書いた方が良いだろう。そうすることしか、現時点では残されていないのかも知れない。私はこのように考えながら、自分の無力さに腹が立ち、皆目見当のつかない状況に言いようのないじりじりとした苛立ちを感じた。
また、一週間が過ぎ、事件は謎の失踪事件として処理されてしまった。
領事館から担当の係員も派遣されてきたが、処置無しといった顔でメキシコシティに帰って行った。
私たちは再び、単調な学生生活に戻っていった。イサベルの家にも行かなくなった。
九月も下旬にさしかかった頃。私のところに、日本から国際電話がかかってきた。
「陸奥研一郎さんでいらっしゃいますか? 初めまして、私、星野小百合と申します。潤一さんの件で、いろいろとお世話になり、ありがとうございました」
電話から、若い女性らしい艶のある声が聞こえてきた。
「陸奥です。あなたが御坂さんのフィアンセの星野さんですか。いやあ、びっくりしました。日本からの国際電話というので、僕はてっきり、実家からかな、と思ってしまいましたので。まさか、あなたから、とは思いませんでした」
私は滑稽なことに、少しあがっていた。声も上ずっているのが自分でも分かった。
「早速で恐縮ですが、その後、潤一さんの件で何か新しいことがありましたでしょうか?」
「いや、残念ながら、何もありません。警察からも何も情報が無くて・・・」
「そうですか。・・・、実を申しますと、来週、そちらへ発とうと思い、お電話を差し上げた次第なんです」
小百合は思い詰めたような口調で語った。小百合の言葉を聞いて、私は驚いた。
「来週、あなたが? こちらへ、と言うと、このメキシコに、ですか?」
「ええ、来週の月曜日午後の到着便で、メキシコシティへ、まいりたいと・・・」
「失礼ですけど、スペイン語はお出来になられるのですか?」
「大学では、英語を専攻しておりまして、英語で何とかなるのでは、と思っているのですが・・・」
「いや、英語は残念ながら殆ど通じませんよ。空港とかホテルまでです。まして、若い女性の一人旅はお止めになった方が・・・」
「でも、・・・、そちらに行って確かめたいのです。潤一さんのおうちの方も大変心配しておりまして・・・。ご両親も出来れば行きたいと申してはおりますが、現在のところ、行けるのは私ひとりだけなんです」
「・・・、・・・。分かりました。それでは、こうしましょう。僕がアテンドします。メキシコシティの空港までお迎えに行きます。メキシコシティに着かれるのは、来週の月曜日の午後の便ですね。必ず、お迎えに行きます。当日のシティの宿と、翌日のメリダまでの飛行機の便も確保しておきます」
小百合は恐縮して、メリダまで何とか行きますので、そんなご心配はなさらないでくださいと言ったが、私は彼女のナイトにでもなったような気分で、迎えに行くと主張を繰り返した。その時、私は想い姫に常に変わらぬ思慕の念を抱く騎士にでもなった気分だった。
「本当に、お願いしてよろしいのですか? 何だか、申し訳無くて・・・。陸奥さん、・・・、本当に良い方なんですね」
言葉の最後のほうは、涙声になっていた。
電話の後、私は多忙を極めた。
セントロにある旅行会社で、メリダからシティまでの飛行機とシティのホテルの予約を行なった。その後、パン・アメリカン・ホテルに行き、彼女の部屋を予約した。とりあえず、三泊ということにしておいた。予約の後、私はパン・アメリカン・ホテルのレストランで遅い昼食を摂った。メイン・ディッシュはパエージャ・ア・ラ・バレンシアーナ(バレンシア風パエージャ)にした。パエージャは私の大の好物であった。海老、牡蠣、鶏肉、米などをオリーブ・オイルで炒めた上で、トマトとピーマンを加え、サフラン水で十分煮込んだ、言わば、具の多いチャーハンといった感じの料理である。私はボエミアという名前のセルベッサ(ビール)を飲みながら、熱々のパエージャを食べた。メキシコのビールの銘柄は多く、コロナ、テカテ、スペリオール、カルタ・ブランカ、ネグラ・モデーロなどと数ある銘柄の中で、私が特に好んだビールはボエミアであった。日本で言うと、キリンのラガービールと良く似た味で苦みが好ましく、買い置きしては部屋の大きな冷蔵庫でキリリと冷やしてはよく飲んでいたものである。
正直に言おう。私は妙に浮き浮きとした気分になっていた。御坂には申し訳無いことであるが、星野小百合をエスコートする行為自体が楽しいことのように思えた。ナイトになってみるのも悪くない。当時、一人ぼっちの異郷のアパート暮らしの中で、孤独をひそかに楽しんでいたはずなのだが、孤独の自由さを満喫すると同時に、孤独の寂寥さをも噛みしめていたのかも知れない。
夜、アパートで、セントロにあるメルカード(市場)で買ってきた細長い西瓜を切って、ひとりボソボソと食べていると、辻井がやって来た。彼はカルーアという名のコーヒーリキュールの瓶を抱えていた。一緒に飲みましょう、と言う。私たちは早速カルーアを牛乳で割って飲みながら、話し込んだ。話題の大半は他愛もないことであったが、やはり、最後には御坂の件に落ち着く。
「一体、御坂さんは何処に行ってしまったんでしょう。もう四週間にもなろうとしているのに」
辻井が二杯目を飲みながら、呟いた。
「警察も皆目見当が付かないようだ。我々は外国人だし、このメリダに来て二、三ヶ月では、そう、他人の恨みを買うようなことも無いはずだし、・・・」
と、私も呟いた。
「もしかすると、・・・、御坂さんはもうこの世には居ないんじゃないでしょうか? 殺されているのかも、・・・」
辻井がドキリとする言葉を吐いた。
私は思わず、辻井の顔を見詰めた。冗談じゃないよ、と私は思った。
「誰かに恨みを買うようなことでもしていたのかい? 辻井君、何か思い当たる節でもあるのかい?」
辻井はゆっくりと首を振り、
「全然思い当たることはないんですが。しかし、何というか、勘なんですが、殺されているような感じがするんです」
と、言った。私たちの会話は暫く途切れ、私はカルーアの甘ったるい酔いに身を委ねた。
「実はね、辻井君。今日、御坂さんのフィアンセから国際電話があったんだよ。来週、メキシコに来る、と言うんだ」
「あの星野小百合さんですか? このメキシコに、来るんですか?」
「そうなんだ。彼の消息を自分の眼で直接確かめたいと言うんだ。反対するような内容でもないし、・・・。それで、僕は一応、彼女を迎えに行こうと思っているんだが」
「えっ、わざわざ、シティまで、ですか? それは、少し、疲れる話ですね。まあ、メリダ・グループのリーダーとしては仕方のないところでしょうけれども」
辻井は、内心浮き浮きしている私の気持ちを知らず、無邪気に同情した。
「シティですか、・・・。僕も行きたいけれど、今はお金が無くて」
辻井がつまらなそうに言った。私は辻井の懐具合を知っていたので、つい、軽口を叩いた。辻井の金遣いの荒さは研修生の誰もが知っている話であった。
「それはそうだよ。辻井君みたいに、金遣いが荒くては、残るものも残らないよ」
彼はこのところ、カサ・デ・スィータと呼ばれる悪所、売春宿に通っていた。私も念のためということで、日本から持ってきた抗生物質の錠剤をあらかた彼に進呈していた。
辻井はニヤリと笑い、陸奥さんには敵わないや、と言って腰を上げた。
彼が去った後、私は部屋を出て、白い壁に囲まれた庭に立った。
夜空には満天の星が巨大なイルミネーションのように瞬き輝いていた。
メリダもようやくこの頃になって、蒸し暑さを感じなくなっていた。
夏が去り、秋が近づいていた。これから、三月までが一番良い季節となる。四月になると、ぼちぼちスコールのシーズンとなり、耐え難いほど、蒸し暑くなってくる。
しかし、その頃には、私たちはメリダを去っているのだ。
もう、三ヶ月が過ぎてしまった。残りの六ヶ月はベスト・シーズン。充実した時としたい。何処からか、ギターの音色が流れてきた。誰かが恋人の窓辺で愛のセレナータを唄っているのだろうか。窓のカーテンは彼のために開かれるのだろうか。
ギターの爪弾きを聴きながら、ロマンティックに生きたい、切実にそう思った。
十月初旬の日曜日、私はメキシコシティに居た。
オテル・ヘノバ(ジュネーヴ・ホテル)というホテルのベッドに横になって、明日から始まる星野小百合との旅のことをぼんやりと考えていた。
オテル・ヘノバの部屋は二間続きでかなり広く、落ち着いた赤を主題にした色調で統一され、洗練された雰囲気を醸し出していた。ベッド・カバー、椅子、ソファー、キングサイズのダブルベッド、全てクラシックな赤で統一されていた。クリーム色の品のある壁、褐色のカーテンは洗練された趣味の良さを感じさせ、私は気に入った。
また、このホテルはシティ一番の上品な店が建ち並ぶ、ソナ・ロッサ(ピンク・ゾーン)という繁華街の中にあり、買い物、食事、交通の便など、いろいろな面で利便性の高いところにあった。
ホテルを出て、『東京』という名のレストランに入り、久しぶりの和食を食べた。
三ヶ月振りに食べる和食の味は少なからず私を感激させた。メリダには和食の店は無く、中華料理屋しか無かったのである。シティで学ぶ仲間の研修生を羨ましいと思った。この巨大な街には、メリダには無い、刺激があると思った。メキシコシティという巨大都市は遠くから見ると、車の排気ガスによるスモッグに覆われている盆地の都市であるが、都心は超モダンな現代建築と、植民地時代の豪壮なゴシック建築が融合する都市であり、人々はメリダと違って足早に歩いていた。また、言葉もメリダと違って、早口に話す人が多いという印象を受けた。到底、メリダでは味わえない文明の輝きと心地よい刺激が私を陶然とさせていたのである。
夜、私はベージャス・アルテスと呼ばれる国立芸術院に行き、民族舞踊の色濃い踊りを観た。何階もの桟敷で周囲を巡らし、緋色のシックな感じがする椅子を何千と所有する、この劇場はそれ自体が芸術作品となっていた。私はこの素晴らしい劇場の椅子に凭れ、古き良き時代の古典的ヨーロッパの香りに触れていた。
その民族舞踊の舞台は静寂と熱狂が交互に支配する世界で、原色の世界の中で乱舞するダンサーはそのまま、メキシコそのものであった。主題は常に、愛、闘い、古代への郷愁と熱き想い、滅びた民への想いと絶望、そして、宗教であった。深い感動に包まれて、私はメキシコの過去、現在、未来を混沌の中に見出し、激しい感銘を受けていた。
翌日、私は星野小百合を迎えに、メキシコ国際空港に行き、彼女が乗っている飛行機の到着を待った。電光表示板を見たり、椅子に座ったり、周囲を歩いたり、売店を覗いたり、私は落ち着きを失くしていた。事情を知らない人が見たら、私は、はるばる日本から駆けつけてきた恋人を迎える男のように見えただろう。
彼女の勇気を思った。御坂の安否を気遣うあまり、居ても立っても居られない気持ちで悶々と過ごしていたのに違いない。メキシコに一人で来て、一人旅を続け、御坂に関する情報を集め、日本で待つ御坂の両親に伝える。言葉も通じないところで、その企てはあまりに無謀過ぎると私は思った。しかし、無謀を無謀と思わないところに、おそらく、一途な愛があるのだろう。御坂にはこのような女性がおり、現在の私には星野さんのような女性はいない。御坂は幸せ者だと思った。恋に恋するのは若者の特権であると、かつて聞いたことがある。私も、まだ見ぬ星野小百合という女性に恋をしていたのかも知れない。
日本からの飛行機は少し遅れているようであった。
私たちの時も、ロサンゼルスでかなり待たされて、六時間ほど遅れてシティに着いた。
シティに着いた時は、既に日はとっぷりと暮れており、その分、シティの夜景を十分に堪能することが出来た。千二百万人以上が住むと云われる、この巨大な盆地の夜景は圧巻であった。パイロットもその点を配慮しているのか、ぐるぐると何回も盆地の上を回ってくれたようであった。私たちは眩いばかりの光の渦に圧倒され、言葉も無く、ただ茫然と機内の窓から眼下に広がるナイトショーを眺めるばかりであった。
予定より三十分ほど遅れたが、飛行機は無事到着した。
私は到着ロビーに向かい、星野小百合を待ち受けた。
彼女は少し緊張した面持ちで、私の前を通り過ぎようとした。
彼女は写真よりずっと綺麗だった。白を基調とした淡い柄のワンピースに身を包み、白いスーツケースを持って現われた彼女は、まさに白衣の貴婦人であった。
「星野さん、ですね。陸奥です」
躊躇いがちな私の呼びかけに、彼女は振り向き、にっこりと微笑んだ。
正直に言えば、その微笑みで、メリダから、言わばのこのこと出かけてきた私は、何だか救われたような気分になった。遠慮する彼女から奪うようにして、スーツケースを持ち、私は彼女を案内して、足早にリムジーンバスの方へと向かった。
「すみません。陸奥さんのご迷惑もかえりみず、ずうずうしく押しかけてきて・・・」
小百合はとても恐縮がっていた。
「いや、御坂さんのことは、僕にも無関係なことではありませんし、あなたを始め、彼のご家族の方のご心配も痛いほど分かります。僕も、研修生仲間も本当に心配しているのです」
「ありがとうございます。私も、日本で漫然と連絡を待つのが辛くて・・・」
小百合は少し涙ぐんでいた。
空港の出口からリムジーンバスに乗り込んで、ホテルのあるソナ・ロッサ地区に向かった。
「ところで、星野さん。今後の日程なんですが、・・・。今夜はシティで一泊し、明日の昼の便でメリダに発ち、メリダでは三泊の予定でホテルを予約していますが、何か別なご予定を立てていらっしゃいますか?」
「いえ、別に、とりたてて、希望というものはございません。一週間程度の滞在ということで参っております。それより、陸奥さんに何かとご負担をお掛けいたし、本当に申し訳ございません」
「いやあ、僕も、三ヶ月振りでシティに来たので、こう言っちゃ何ですが、結構エンジョイするつもりでいるんです。そのようなご心配はご無用にしてください」
小百合は私の眼を見詰めてから、軽く頷いた。少し、ほっとした様子であった。
「ほら、前方に見えるモニュメントが独立記念塔です。スペイン語では、モヌメント・ア・ラ・インデペンデンシアと言います。金色に輝く天使像が見事でしょう。ここらあたりが、ソナ・ロッサですから、もうすぐ着きます。ソナ・ロッサは日本語で言えば、ピンク・ゾーンですが、別に、変な意味はありません。日本で言えば、銀座のような繁華街となりますね」
小百合は私の説明を聞いて、少し微笑を浮かべた。
メキシコには荘厳な記念塔が多く、この独立記念塔の他にも、革命記念塔など壮麗なモニュメントを数多く見ることが出来る。街を、通りを美しく飾る熱意は、どうも日本には乏しい、これは伝統的なものなのだろうか、日本の街は確かに機能的な感じはするものの、その根底においては文化的に貧しいのではないか、と痛切に思うことがよくあった。
私たちはオテル・ヘノバに入り、彼女の宿泊手続きを取った。ホテルのマネージャーは好奇心に満ち溢れた表情で、私たちを見比べながら言った。
「彼女はあなたのノビア(恋人)か? 一緒の部屋にしてあげてもいいよ」
「いや、違うよ。彼女は僕の友達のノビアだ」
「おや、それは残念。あなたの友達はハッピーだね」
マネージャーは肩を竦め、軽くウインクした。
チェックイン手続きをしてから、彼女の部屋の前でロビーでの待ち合わせの時間を決めて、私たちは別れた。
私は自分の部屋でシャワーを浴び、少し寛いだ。快い疲れを感じていた。これからのことは混沌としていた。明日はメリダに帰る。メリダで御坂に関する新しい情報が得られるのか、彼女がどう納得して日本に帰っていくのか、全てが不透明のベールに包まれていた。
そんなことを考えていたら、いつの間にか、私はうとうとと微睡んでしまった。
つい、寝過ごしてしまった。私は約束の時間より五分ほど遅れて、ロビーに降りて行った。彼女は既にロビーのソファーに腰を下ろし、窓の外を行き交う人の群れを所在無げに眺めていた。
「失礼しました。お待たせして、すみませんでした」
私が謝ると、彼女は頭を微かに振りながら、微笑んだ。
「いいえ、今来たばかりですから」
「少し、周りを歩きませんか。その後、食事にしましょう」
私は彼女と連れ立って、ホテルを出た。暫く、賑やかな通りをぶらぶらと歩きながら、ウインドウ・ショッピングを楽しんだ。時々、彼女は店のウインドウの前で立ち止まり、中を覗き込んだ。物珍しさも手伝っていたのかも知れない。彼女はノースリーブのTシャツに着替えていた。連れ立って歩く私の眼に、彼女の肩の白さと滑らかさが否応なく、眩しく飛び込んできた。きめの細かい乳白色の肌は私をドキリとさせるのに十分であった。
微かな産毛が夕陽を反射し、そのキラリとした輝きは官能的ですらあった。行き過ぎる人の中には、私たちを振り返る人も居て、少なからず私を誇らしく、嬉しい気分にさせた。
私たちは夕闇に包まれ始めたソナ・ロッサを談笑しながら歩いた。街灯の灯りと商店のイルミネーションが融和したソナ・ロッサの通りは美しく輝いていた。傍らを寄り添うように歩いてくれる小百合の横顔を横目で見ながら、不謹慎ながら、私は幸せを感じていた。
「メキシコ料理のレストランはいかがですか。お口に合わないかも知れませんけれど、一度召し上がってみられるのも悪くないですよ」
私たちはメトロ(地下鉄)の近くにあるレストランに入り、タコスを注文した。
トウモロコシの粉で出来たトルティージャという薄皮に牛肉、野菜などを包んで食べる、この料理はメキシコ料理の中で私が特に気に入っている料理であった。
「このトルティージャに肉と野菜を載せて、そのチレ・アバネーロを少し、ほんの少しだけかけて、このように包んで食べるんです。あっ、そんなにチレをかけちゃ駄目です。ものすごく辛くなってしまう」
チレ・アバネーロはチレという香辛料の中の王様と言ってよいほど、メキシコ料理ではよく使われる。少し、余分にかけ過ぎたので、小百合は一口食べてから、慌ててオレンジジュースを飲んだほどだった。
「ほら、言わんこっちゃない。ものすごく辛いでしょう」
彼女の慌てた様子を見て、私は冷やかした。
「本当に辛い。うん、でも、美味しい」
「辛いけれど、美味しい。その表現は当たっていますよ。不愉快な辛さじゃ無く、爽快な辛さなんですね。美味しい辛さなんです。初めは慣れないけれど、その内、このチレをかけないと、料理が物足りなくなってくるんです。それに、チレはビタミンCをたくさん含んでいて、野菜をあまり食べない人でも、十分にビタミンCを摂取出来るという話です」
「チレ・アバネーロと言うのですか」
と言いながら、小百合はまたオレンジジュースを口に含んだ。やはり、余程辛かったらしい。私は微笑みながら小百合に言った。
「ええ、一番辛いチレです。日本では、ハバネロとも言いますね。そう言えば、ピーマンと呼ばれるものがありますよね。あれもチレの一種で、メキシコではチレ・ドゥルセ、甘いチレと言うんです」
そんなことを話しながら、食事をしたのであるが、見たところ、彼女の食はあまり進まないようであった。日本からメキシコまでは約十二時間の長旅であり、やはり相当疲れていたのであろう。食事は早々に切り上げ、私たちはホテルに戻ることとした。
「明日は、昼の便ですから、少しのんびり出来ます。九時にこのロビーで落ち合うこととしましょう。では、ぐっすりとお休みください」
彼女を部屋まで送った後、私はロビーに戻った。煙草に火をつけながら、明日からのことを思った。メリダに着いたら、仲間に彼女を紹介しなければならないし、イサベルの家にも行かなければならない。警察のオチョア警部に対してはどうしようか、一応は引き合わせておいた方がいいのか。いろいろな考えが脳裏に浮かんでは消えていった。
遠くから、微かにマリアッチのメロディーが流れ聞こえてきた。聞いたような感じの曲であった。今年の夏、七月にメキシコに着いて二週間ばかり、シティ近くのオアステペックというリゾート地で私たち研修生は合宿生活を送った。私たちに対する事前教育とメキシコの風土環境に慣れさせようというメキシコ政府の配慮であった。その時のことだが、或る晩、メキシコ政府がシティからマリアッチの楽団を呼んで、私たちの無聊を慰めてくれたことがあった。この政府の粋なはからいは嬉しかった。私はその時初めて、マリアッチという音楽を聴いたのであるが、実に陽気な音楽であり、楽しい曲ばかりであった。
元来、フランス語のマリアージュ(結婚)という言葉から派生し、結婚式用の音楽であったが、いつの間にか、メキシコの代表的な音楽様式となってしまったとのことである。
しかし、こうして、夜微かに聞こえてくるマリアッチは決して陽気なものでは無かった。
むしろ、もの悲しく、メランコリックでノスタルジックな雰囲気、情緒を漂わせていた。
ノスタルヒア(郷愁)。ふと、日本に居る家族の懐かしい顔が私の脳裡に浮かんだ。
陽気さの陰に隠れた、本質的な抑圧された暗さ、憂鬱さ。
これもまた、このメキシコという国の本質の一つかも知れない。
翌日、私たちはメキシコシティを離れ、メリダに向かった。
巨大都市、メキシコシティを眼下に見ながら、私たちの飛行機はメリダ国際空港に向かった。スィエルラ・マードレ山脈が雪で覆われた白い尾根を綺麗に見せていた。
小百合は時々、機内の窓から下を覗き込んで、眼下に広がるメキシコの大地を眺めていたが、メリダが近づくにつれて、何か考え込むようにぼんやりとした眼差しを膝元に落とすようになった。
「彼のことを想っていらっしゃるのですか」
私は躊躇いがちに訊ねた。
「いえ、そんなことは・・・。ただ、こうして来ても、実際は何のお役にも立たず、何にも出来ないのだと思うと、・・・、悲しくなってきて、・・・」
「そうですか。・・・、でも、メリダに着いたら、いろんな人に会うことになりますよ。研修生仲間とか、ホームステイ先のセニョーラ、イサベルとか、メリダ警察のオチョア警部とか。研修生の仲間で、私のような社会人研修生は、辻井真一郎、豊原栄一という二人がいます。辻井は東大の法学部を出た秀才で郵政省のキャリア官僚です。豊原はコンピュータ会社のシステム・エンジニア、プログラマーです。御坂さん、私ということで社会人研修生は四名です。他に、学生の研修生というか、留学生が六人います。大阪外語大学四年の征木義彦、田中浩一、上智大学三年の山田ひとみ、上智二年の早川緑、愛知県立大学二年の奥村志保美、安岡妙子の六人です。みんな、いいやつばかりですから、すぐに仲良くなりますよ。我々社会人はスペイン語は下手ですが、学生は全員、スペイン語科の学生ですから、上手に話します。まして、彼らは若いですから、ユカタン大学の人類学の学生とも仲良くなるのが早く、完全に打ち解けた関係となっています。御坂さんのホームステイ先のセニョーラ、イサベルは英語流に言えば、エリザベスという名前になるわけですが、数年前にご主人を交通事故で亡くした未亡人で、現在十歳になる娘のマリア、八歳のロドリゲスという男の子、二人の子供と暮らしています。とても親切なセニョーラで、御坂さんは我々の中では一番優遇されていたはずです。僕なんか、最初のホームステイ先にはあまり恵まれず、ひと月で出たくらいです。イサベルはその時、僕のアパートを探してくれました。親切なセニョーラで、僕は感謝しています」
「現在は、ホームステイでは無く、アパートに移られているんですか」
「いや、ホームステイは僕には合わないみたいで、今はアパートでの一人暮らしを楽しんでいますよ」
「では、お食事はどうなさっていらっしゃるですの」
「ええ、大半は外食で間に合わせています。おかげで、レストランのメニューだけは完全に理解できるようになりましたが、家庭料理となると、残念ながら、あまり知りません」
「メリダに日本料理のレストランはございますの」
「いや、それが残念なことに一軒もありません。但し、中華レストランだけは、全世界共通だと思うんですが、メリダにもあります。確か、僕が知っているだけでも、二軒はあります。レスタウランテ・コンティキとドラゴン・デ・オロの二軒はあります。どちらも、量はたっぷりで値段もまあまあで、かなり美味しい料理を食べさせます」
そんなことを話している内に、飛行機は高度を下げ、メリダ国際空港への着陸態勢に入った。いよいよ、メリダに着きます、と私は彼女に告げた。
彼女の顔に微かな緊張の色が浮かんだ。
メリダはやはり暑かった。十月の初旬とはなっていたが、メキシコシティと比べると、その蒸し暑さはまた格別であった。常春のシティと比べ、メリダには夏と春しか無いといった印象が私たち異邦人は受ける。しかし、七月、八月の猛暑はさすがに影を潜め、季節は確実に春(或いは、秋)の陽気に移行しつつあった。
「話には聞いておりましたが、メキシコシティと比べると、随分と暑いところなのですね」
小百合は花柄の刺繍が入ったレースのハンカチで額の汗を押さえながら、私に語りかけた。
「それでも、先月までの暑さと比べたら、まだしのぎやすくなりましたよ。今の季節なら、もう、スコールも無いし。これから、メリダに暮らす者にとっては、最高の季節となります」
タクシー乗り場に向かいながら、私たちは今日からのことを話し合った。
「これから、真っ直ぐ、ホテルに行きます。ホテルはパンアメリカン・ホテルで米国式のホテルです。ソカロと呼ばれる中央広場からは少し離れていますが、閑静なところにありますので、疲れをとるには最適なところではないかと思います。さあて、僕はどうしましょうか。仲間に連絡しながら、ロビーで待つことにしましょうか」
「陸奥さんさえ、お差支えなければ、ホテルには荷物だけ置いて、潤一さんのホームステイ先、そのイサベルさんのお宅にお邪魔したいのです。一応、ご挨拶だけでも致したいのです」
「分かりました。それでは、こういうことにしましょう。ホテルに着いたら、タクシーを待たせておき、チェックインが済んだら、すぐにイサベルの家に行きましょう。そして、明日は学校に一緒に行って、仲間にあなたを紹介しましょう。それから、オチョア警部を訪ねてメリダ警察に行って、その後の状況を確認することとしましょう。・・・。こんな予定でいいですか」
小百合は小さく頷いた。
私たちは空港からタクシーに乗って、メリダのセントロ(中心街)に向かった。
運転手は肥った赤ら顔の中年男で、スペイン語を話す日本人は珍しいとみえて、陽気に私たちに話しかけてきた。
「観光かい」
「いや、僕はこの街に住んでいる。ユカタン大学の学生だ」
「セニョリータはノビアかい」
「いや、僕の友達のノビアだ。彼に会いに日本から来たのだ」
彼は軽く口笛を吹いた。
「日本から、このメリダまでかい。遠い日本からか。愛の力がそうさせるんだ。ところで、セニョール、日本の学生がこのメリダで行方不明になっているそうだが、聞いているかい」
「うん、聞いているが。よくは知らないけれど」
私は、その行方不明の男のノビアが今ここに座っているセニョリータだ、と言ってみたい衝動を抑えながら、努めて冷静な口調で彼に答えた。
「警察も必死に捜しているんだが、まだ皆目見当がつかないらしい。多分、・・・、死んでいるだろうけど」
私は小百合がスペイン語を解さないことをひそかに喜んだ。
特に、最後の言葉は彼女に聞かせてはならない言葉であったから。
タクシーはホテルの前に着き、私はタクシーの運転手に少し待つように言ってから、小百合と一緒にホテルのレセプションに行き、宿泊の手続きをした。部屋の鍵を受け取り、部屋に荷物を運んだ。それから、待たせておいたタクシーに戻り、小百合と共にイサベルの家へとタクシーを走らせた。
イサベルの家は閑静な雰囲気が漂う住宅地域にあり、通りは広く、白い家々が道の両側にゆったりとした佇まいで並んでいた。
黄昏は迫っていたが、南国の太陽はまだ疲れを知らぬかのように、その熱い日差しを地上に投げかけていた。けだるい暑さがあと数時間はこの街を支配するに違いない。
その暑さの中に私たちは降り立ち、イサベルの家のドアの前に立った。
玄関のチャイムを鳴らした。
イサベルが明るい顔を覗かせた。
「ブエナス・タルデス(今日は)、研一郎! 元気だった?」
私の傍らにいる小百合を見て、少し怪訝そうな顔をした。
「ムイ・ブエナス・タルデス、セニョーラ。こちらのセニョリータはセニョール御坂のノビアです」
イサベルは小百合をじっと見詰めてから、少しかすれた声で言った。
「ブエナス・タルデス、セニョリータ。初めまして」
それから、私に向かって言った。
「可愛らしい。本当に可愛らしいセニョリータね」
「イサベル、あなたも彼女と同じくらい、綺麗ですよ」
私はイサベルに笑いかけた。
「研一郎はお口がお上手ね。私はもう若くは無いわ。彼女は本当に若くて綺麗ね」
イサベルはそう言って微笑んだが、どこかぎごちなかった。
挨拶が済んで、私たちは御坂の部屋に案内され、暫く三人で談笑した。
勿論、小百合の通訳は私が務めた。やがて、イサベルはお茶を用意すると言い残して、階下に降りて行った。小百合は机の上に飾られた自分の写真を手に取り、見詰めていた。
私に背を向け、暫く見詰めていた。彼女の後姿は泣いていた。私は、そんな彼女を見ているのが辛くなり、眼を窓の下の中庭に移した。紅いブーゲンビレアの花も盛りを過ぎ、庭の眺めは淋しくなっていた。庭の片隅に白い可憐な花が咲いていた。ブーゲンビレアはイサベルで、あの白い花は小百合だ、と私は思った。イサベルは嫉妬していると私は思った。小百合の美貌と若さに嫉妬したのかも知れない。小百合を見た時のイサベルの表情は複雑だった。どうも、女性同士はお互いの品定めに関しては敏感で、無意識の内に、闘争的になるのかも知れない。イサベルもそうなのだろう。まだまだ、枯れる齢では無いのだ。
やがて、イサベルが紅茶をお盆に載せて、部屋に運んで来た。メキシコのレモンはライムのような形をしている。私たちはレモンのスライスを紅茶に浮かべて飲んだ。
コーヒーばかりを飲んできた私にその紅茶はとても美味しかった。日本では、母がお茶の時間に、よく紅茶を淹れてくれていた。ふと、日本で私の帰りを待ち侘びて居る母の姿が脳裏をかすめた。暫く、その紅茶の芳醇な香りと豊饒な味を楽しみながら、私たちは黄昏のひとときを過ごした。
帰りはイサベルが車で送ってくれた。御坂の荷物は私がその内整理し、日本に船便で送ることに決めた。車のドアを開け、降りようとした小百合にイサベルが何か言おうとした。
しかし、言葉にならず、イサベルはただ涙ぐむばかりであった。
私たちはソカロでイサベルの車を降り、夕焼けの通りをゆっくり歩いて、ホテルに戻ろうとした。ソカロは涼しさを求め、そぞろ歩きをする人々で満ちていた。私たちは広場のベンチに腰を下ろし、行き交う人々の群れをぼんやりと眺め、時を過ごした。この広場で、昼はよく見かける栗鼠の姿を今は見ることは無かった。
ただ、涼しい風が鬱蒼と茂った樹木を少し揺らして過ぎ去っていくばかりであった。
「今はいませんが、この広場には栗鼠がいましてねえ、昼、ぼんやりと座っていると近づいてくるんです。そして、きょとんとした眼で不思議そうな顔をして、こちらを見上げるんですよ。まあ、とぼけた表情で、なかなか愛嬌があります」
小百合は静かに微笑み、額にかかる髪を片手でけだるげにかきあげた。
私はその仕草に何処となく悲哀を感じた。
「日本の普通の街にはこういう大きな広場というか、場所がありませんね。人々が何と無しに集まり、ぶらぶらと歩き、語らい、いつの間にか去っていく、といった場所が。日本にあるのは、例えば新宿、渋谷、原宿というように、集まるのは、喧騒な場所を過剰な刺激を求めて彷徨い歩く、さすらいびとの空虚な群れ。それも、一種の現代の文化かも知れませんが、どうも僕はそういう文化には馴染めないんです」
私の勝手な独白に小百合は静かに微笑むばかりであった。
実は、私は驚いていた。こんなことを話している自分に気付き、驚いていたのである。
こんな青臭いことをとくとくと話す自分に驚いていた。と同時に、男に意外な自分を曝けさせてしまう小百合という女性に自分が急速に惹かれていくのを覚えた。
このような女性を婚約者としていた御坂という男に私は激しい嫉妬の念を抱いた。
黄昏はいつの間にか、夜に変わっていた。
広場に巡らされた街灯の灯りは煌々と輝き、人々の数は徐々にその数を減らしていった。
「そう言えば、今夜はメリダ名物のセレナータがあります。セレナータ・ユカテカといって毎週開かれるメリダ市主催の野外音楽会がある日です。まだ、時間があるので。軽く夕食を摂ってから、観にいきませんか。このユカタン地方の民族舞踊と流行り唄を堪能することが出来ますよ」
小百合は私の誘いに頷き、私たちはソカロの広場を去った。そして、セレナータ・ユカテカが開催される教会広場の近くにあるレストランに入り、コクテル・デ・カマローネス(小海老のカクテル)とエスパゲッティ・コン・アルメーハ(浅蜊入りのスパゲッティ。ボンゴレ)で簡単な夕食を摂った。
その後、音楽会会場の前列の方の椅子に腰を下ろし、開演の時を待った。
セレナータ・ユカテカは、司会の挨拶に続き、華やかなユカタン地方の民族衣装を纏ったセニョリータたちの踊りから始まった。
紅い花を手縫いの刺繍で散りばめた衣装が軽やかに舞い、鮮やかな色彩の肩掛けが優雅に靡くその様は地上に降り立った天女のようで、会場をすっかり華やかな雰囲気にして、観客を酔わせた。
私たちは陶然とこのユカタン・ダンスを見詰め、その華麗な優雅さに酔いしれた。
踊りの後には、唄が続く。メリダに住むベテラン歌手が多数出演し、それぞれの持ち歌、カンスィオーン・ユカテカ(ユカタンの唄)を披露し、観客を酔わせた。
ユカタンの唄は全て甘く優しい恋の唄ばかりだ。これでもかとばかり、切ない愛を囁く。
曲が終わると、熱狂的な拍手が起こり、アンコールを繰り返す。小百合も私もいつしか、会場の雰囲気に馴染み、拍手を惜しまなかった。このセレナータは二時間ほどで終わった。
私たちは暫く会場の椅子に座ったまま、ほんの数分前まで続いていた演奏の余韻を深く味わっていた。
「どうです。思ったより、良かったでしょう」
私は小百合に訊ねた。小百合も微かな溜息をつき、キラキラした眼を私に向けた。
「これを毎週観ることが出来るのですか。豪華で素晴らしい催しものですわねえ。何と贅沢なひととき」
私は、イサベルの家で急に寡黙になった小百合が軽くはしゃいでいる様子を見て、嬉しさを感じた。 もっと、喜ばせたい。
「まだ、九時です。今夜はこのまま眠るのが勿体無い気分です。どうです。前に見えるバルで軽くアルコールをいただきませんか」
私は、エル・トロバドールを手で示した。
小百合は少し不安げな顔をした。少し、勘違いしている。
「ご心配はご無用。バル、バーと言っても、日本のバーとは違い、女性のサービスは一切つきません。極めて、健康的です」
「私、日本のバーも知らないので、よく分かりませんけれど、陸奥さんがついていてくださいますから、大丈夫ですね」
私はエル・トロバドールのドアを開けて、彼女を先に中に通した。中は、セレナータ帰りらしい客で賑わっていたが、幸い、奥に私たち二人ぐらいのスペースは空いていた。
丁度、流しのバンドの演奏が始まっていた。空いているテーブル席を見つけ、腰を下ろすと早速、カマレロ(ウエイター)が近づいてきて、ビエン・ベニード(ようこそ、いらっしゃいました)と陽気な口調で言って、小百合に真紅の薔薇を一輪、恭しく差し出した。
その差し出す仕草があまりに大袈裟で恭しかったので、私は軽く笑った。
小百合は少し驚いたようであった。でも、すぐ、嬉しそうな顔になった。
「これがこの店の流儀なんです。女性の客には全て薔薇か、その季節の花を贈る。すると、例外なく、女性は喜び、また男性に連れてきて、とせがむことになります。なかなか商売上手で、良いアイディアですね」
「花を貰って喜ばない女性はおりませんものね。これもメキシコ的なんですか」
「女性を大事にして喜ばせることがメキシコ的というならば、そうですね。メキシコでよく使われる言葉のひとつに、マチョという言葉があります。日本でも、マッチョ・マンとか使われ、ほとんど日本語になっていますが、このマチョという言葉は、雄々しいとか、男らしくとか云う意味なんですが、メキシコの男の子は小さい頃から母親に、マチョ、マチョと言われて育つんです。その割には、マチョにならないところが問題なんです。亭主関白というのは、メキシコでは見たことがありませんね。見た目には、亭主関白のように見えていても、実際は、奥さんの方が強い。亭主関白。さすがに、日本でもその言葉は死語と化しつつありますが、我々男は心の何処かでその言葉に惹かれるところがあります。郷愁みたいなものですが。メキシコではその反対で、女房関白なんですね。家庭の中で、リーダーシップはどうも奥さんが握っているように思えます。まあ、もっとも、その方が家内安泰かも知れませんけど」
「陸奥さんの言葉通りならば、私もメキシコに住みたくなりました」
私は彼女の言葉に思わず、噴き出してしまった。
その時、バンドのリードヴォーカルが私たちに向かって何か言った。
私は聞き耳を立てて、耳を澄ました。
「日本人かい」
「そうだよ」
「俺たち、日本で公演したことがあるんだ」
「本当かい」
「本当だとも。それに、日本語の歌も知っているぞ」
「どんな歌」
「オーケー。じゃあ、君の素敵なノビアのために一曲唄ってあげるよ」
そして、彼らは『知床岬』を朗々と唄ってくれた。笑いさざめいていた店の中が静まりかえり、皆、その流麗な旋律に耳を傾けた。加藤登紀子が唄ったこの唄は私の好きな唄のひとつだった。彼らの唄に遥かな祖国、日本を感じ、もの柔らかな故郷の風景を想った。
感動的な時を過ごした。私の目頭は熱くなり、涙が滲んだ。日本を離れてまだ三ヶ月しか経っていないにもかかわらず、その唄は強烈な郷愁を感じさせた。日本を離れて異国に住む日本人はほとんど例外無く、愛国者になる、と云う話を昔、聞いたことがある。
唄が終わると、ブラボーという声と共に、拍手が鳴り響いた。私は嬉しかった。
日本を知らないこのメリダの人たちが日本の歌に感動してくれた。私はとても嬉しかった。マルガリータを一気に飲んだ。この時のマルガリータの味は最高だった。
バンド演奏が終わり、彼らは拍手と共に、エル・トロバドールを去っていった。
「今夜は感動的なことが多すぎます。今、僕は最高の気分です」
「私もメキシコに思いきって来て良かったと思っています。潤一さんのことは勿論片時も忘れませんが、日本に居てあれこれと考え悩むよりはずっと健康的な気分でいられますもの。少なくとも、潤一さんが暮らした街に今居るのですから」
小百合は昨日メキシコシティで私が迎えた小百合とは少し違う女性になっていた。
意外に、晴れ晴れとした表情をしていた。運命に弄ばれる存在では無く、運命に敢然と立ち向かう存在に変貌を遂げつつあったのだろう。
異郷に旅することで、人は変われるものなのか。
店を出て、私は小百合をホテルまで送っていった。そして、小百合と明日の待ち合わせ時間を決めて、 私はミ・カシータに帰った。管理人のフアンはやはり受付台のところに座り、夜の涼しさを楽しんでいた。
「研一郎、もう帰ってきたのかい。メキシコシティはどうだった。人がいっぱい居て、賑やかだったろう」
「うん、いつでも、どこでも、人がいっぱい居たよ。歩くのも早いし、喋るのも早い。とにかく、忙しい街だったよ。さあて、ちょっと、疲れているから、もう寝るよ。おやすみ、フアン」
私は部屋に入り、荷物をベッドの上に放り投げ、シャワーを浴びた。それから、冷蔵庫を開けて、ボエミアを取り出し、瓶のまま、グラスを使わず、ラッパ飲みで飲んだ。
キリリと冷えたビールが美味かった。ベッドに潜り込んだら、すぐに寝ついてしまった。
翌日、私は早く目が覚めた。ぐっすり寝たせいか、疲れはほとんど消え失せていた。
冷蔵庫のグレーブフルーツジュースをコップに注ぎ、一息で飲んだ。爽やかな冷たさと微かな苦味が心地よかった。
時間がたっぷりあったので、歩いて、パンアメリカンホテルに行った。ホテルのレストランで小百合を待った。ほどなく、ノースリーブのシャツにジーパン姿の小百合が爽やかな表情で姿を見せた。ホテルのウエイターが思わず、口笛を軽く吹いたほど、小百合は綺麗だった。私たちはクロワッサン、パンとハムエッグという軽い朝食を摂った後、ホテルの玄関ポーチで客待ちのタクシーに乗って、ユカタン大学の人類学教室に向かった。
授業が始まる前だったので、学生がロビーとか木陰で和やかに談笑していた。
丁度、辻井がアレホ主任教授と何やら語り合っているのが眼に入った。
私は小百合を促し、彼らのところに歩み寄った。
「ブエノス・ディアス、セニョーレス。セニョリータを紹介させてください。こちらが、セニョール御坂のノビアのセニョリータ星野です」
小百合は彼らと簡単な挨拶を交わした。アレホ主任教授が私たちに言った。
「研一郎、今も真一郎と話していたんだが、潤一はまだ発見されていないんだ。警察も処置無しといったところで、何の情報も入手出来ていないらしい。昨日もメリダ警察のオチョア警部が私を訪ねてきたんだが、肩をすくめて、帰っていった。セニョリータ星野には気の毒だが、何の情報も与えられない状況にあると伝えてくれ」
私は小百合にその旨を伝えた。小百合の表情が少し曇った。
「では、今日、オチョアさんを訪ねても無駄というわけですね。残念ですけど」
「陸奥さん、授業の後、研修生で懇談会を持ちましょう。彼らなりに何か情報を持っているかも知れないから」
と辻井が提案した。私はアレホ教授に告げた。
「マエストロ(先生)、授業の後、我々研修生で潤一の件で少し会議を持ちたいと思っています。教室を一時間ほど使ってもかまいませんか」
アレホ教授は両手を大きく広げて、快く承諾してくれた。
「いいよ、ノー・アイ・プロブレマ(問題無しだよ)」
授業の間、小百合は教室の片隅でスペイン語での講義を興味深く聴いていた。
窓の外では時々、風が樹々をそよがせて通り過ぎていった。それは秋を予感させるものであった。メリダにもようやくベスト・シーズンが到来したのである。
正午。授業が終わり、私は仲間に、会議を開くのでそのまま残っていて欲しいと告げた。
豊原栄一と早川緑が欠席していた他は出席していたので、小百合を含めて八人の会議となった。冒頭、私は小百合を皆に紹介した。その後、御坂に関する情報交換、情報収集の会議に入った。私はまず、御坂失踪の件を概略整理して、以下のように報告した。
「これまでの情報を整理すると次のようになります。御坂さんは八月末に居なくなった。ホームステイ先のセニョーラ、イサベルも彼は急に旅行に出たものとばかり思っていた。取り立てて、心配はしていなかった。彼は八月はほとんど毎週のように、一泊とか二泊程度の小旅行を四、五回ほど行なっていた。その際も、行き先をイサベルにも我々にも特に告げてはいなかった。それで、イサベルは旅行に出たものと思っていたのだ。最後に、彼を見たのは、辻井君である。郵便局で彼を見たのが最後だった。その時、彼は会社宛てに研修報告書を投函している。彼の会社からの連絡では、その報告書には別に悩みとか、失踪に繋がるようなことは何も書いていないとのことだった。しかし、郵便局での彼は何となく元気が無かったような印象を受けた、と辻井君は語っている。ホームステイ先には、日本から持ってきた大きなスーツケースはそのまま残されており、長期間の旅行をしている気配は感じられない。また、荷物もほとんどと言ってよいほど、そのままの形で残っている。日本には帰っていない。その内、星野さんをメキシコに呼ぶ計画を組んでいた。また、誘拐された様子も無い。彼の部屋は荒らされた様子も無く、争う物音もイサベルは聞いていない。結果として、この五週間の間、彼を見た人はおらず、彼からの連絡は誰にも届いていない。最悪のことを想定するようで、ここにおられる星野さんにはすまないけれど、彼は、・・・、死んでいるのかも知れない。自殺か他殺か。しかし、彼の遺体はどこからも発見されていない。これらの認識、共通認識に基づいて、話を進めたいと思います。この他の情報で、何か新しい情報はありますか」
私は仲間に訊ねた。征木義彦が発言した。
「怨恨というか、誰かに恨みを買っていたということは無いのですか」
「怨恨説か。この点で何か気付いたことは無い?」
私の問いかけに辻井が首を振りながら、呟くように言った。
「聞いたことは無いし、メリダに着いて一ヶ月ちょっとだろう。恨みを買うまでの深い人間関係にまではならないと思う」
「御坂さんは夜遊びはする方だった? うーん、例えば、危険なところに出没していたとか」
田中浩一がぼそっと発言した。
「強盗説か。僕の知っている限りでは、旅行はしたけれど、夜遊びはしなかったと思う」
私が言った。
「辻井さんはその反対だな」
征木が茶化し、辻井は苦笑した。辻井の夜遊びは学生留学生の間でも相当有名らしい。田中もニヤッと笑った。
「イサベルさんは疑われていないの? 一番身近な存在だけど」
山田ひとみが元気よく発言した。
「警察も念のため、イサベルからも事情聴取したとのことだよ。そして、イサベルの家の中も、一応家宅捜索の形で調べたとのことだけど、何も不審な発見は無かったとのことだ」
私が答え、辻井も付け加えた。
「イサベルはあの通り、親切なセニョーラだし、動機が無いじゃないか」
「痴情説というのはありえないか。あっ、星野さん、ごめんなさい」
征木が頭を掻いた。私は一瞬、小百合の顔を見たが、彼女の表情に変化は無かった。
「メキシコ国外に出国したということは無いんですか?」
奥村志保美がゆったりとした口調で言った。
「警察の調べでは、無い、とのことだった。まして、御坂さんのパスポートは部屋に残されていたんだし、これは絶対に無い話だよ」
辻井が断言した。その後も、このような話が少し続いたが、有力な新事実は何も無い、ということを確認しただけに留まった。会議の収穫は何一つ無く、私は落胆した。
しらけた雰囲気の中で、征木が突然、フィエスタ(パーティ)をやりましょうと言い出した。私は思わず、苦笑した。征木は真面目な顔で言った。
「こうして、星野さんがわざわざ日本から来られたんだし、御坂さんのノビアをみんなで歓迎するということで、今夜、歓迎のフィエスタをやりましょう。ねえ、陸奥さん、いいでしょう。このところ、ずっと、やっていないし」
落胆している小百合の前で、多少不謹慎かなとは思ったが、フィエスタとなると、話が急に纏まるというのが我がメリダグループの良いところだった。
私のアパートで開くことで話が纏まり、私たちは開催時刻を決めた後、解散した。
私は小百合をひとまずホテルに送って行った。
「こんな時に、パーティを開くこととなってしまい、すみません。さぞ、無神経な連中と思われたことでしょう」
「いいえ、そんなことはありません。私のために開いてくださるのですもの。皆さん、良い方たちばかりですわ」
「そう、おっしゃっていただくと、気が楽になりますが。とにかく、このメリダに来て、御坂さんが失踪するまでは、僕たち、フィエスタばかりやっていたんです。僕なんか、フィエスタ・リーダーと皆からは言われていたんですよ。このところ、開いていなかったんで、皆むずむずしていたんでしょうね。気を悪くしないでください」
ホテルへの道の途中に、グアカマヨという名のレストランがあった。
まだ、昼食を食べていないのを思い出し、私は小百合を誘った。
「おなか、空いていませんか? この店で昼食を摂りませんか。この店はタコスで有名な店なんです。小百合さんの好きな、あのチレ・アバネーロもたくさんありますよ」
小百合は思わず噴き出した。
「あの、美味しい辛さのチレ・アバネーロですか。いいですねえ。食べましょうか」
私たちは笑いながら、グアカマヨの店内に入っていった。
中は広かったが、丁度、昼食時ということで、ほぼ満席といった状態で混雑していた。
私たちは十人ほどは楽に座れる大きなテーブルの片隅に腰を下ろして、ウエイターを呼び、ビールと何種類かのタコスを注文した。すぐに、冷えたビールが届いた。私はボエミア、小百合はコロナ・ビールを飲んだ。よく冷えたビールが空腹の胃に流し込まれる感覚は爽快そのものであった。その内に、鹿肉、牛肉、七面鳥、アグアカテ(アボカード)、レチューガ(レタス)の小皿が運ばれてきた。この店が当時は、メリダでヌメロ・ウノ(ナンバー・ワン)という評判を取っていた。私はたっぷりと、そして、小百合は慎重に濃緑色のチレ・アバネーロを振りかけてタコスを食べた。辛さで焼け付く舌をビールで慰めながら、私は腹いっぱいタコスを食べた。小百合は私の旺盛な食欲を微笑みながら見ていた。
「痩せていらっしゃる方ほど、たくさん召し上がるというのは本当ですわねえ。陸奥さんの素敵な食欲を見ていると羨ましくなります」
「そういう小百合さんもなかなかの食欲ですよ。そのコロナ・ビールもあっさりしていて、美味しいでしょう。レモンスライスを浮かべて飲めば、ニューヨーカーが好むヤッピー・ビアになります。僕は、ボエミアは日本で言うとキリン、コロナはサントリービールと思っているんです」
私は小百合と急速にうちとけていくのを感じた。小百合もビールの酔いも手伝ってか、少し饒舌になった。それまで、このメリダでは、異性とは無縁で孤独に暮らしていた私にとって、小百合との会話の時間は素晴らしいひとときとなった。
その店で一時間半ほど過ごしてから、ホテルに小百合を送って行った。小百合と別れ、私は今夜のフィエスタのために、セントロ・メルカード(中央市場)に行き、買い出しをした。原則として、フィエスタの場所を提供する人は何も用意する必要は無く、迎えられる人が飲み物とか食べ物を持参してくる、というのが私たちのルールであったが、グループでは最年長の手前、そういうわけにもいかず、メルカードに足を運んだという次第であった。メルカードはセントロ近くの中央郵便局の脇にあった。いつも、人々で混雑し、賑わっていたが、その日は珍しく閑散としており、比較的のんびりと買い物をすることが出来た。メルカードには特有の臭いがある。初めて、このメルカードを訪れた時はその独特の臭いに閉口したものだった。凄い悪臭とまでは言えないまでも、数十種類或いは数百種類の生ものの臭いが混じりあった独特の饐えた臭いは日本人の嗅覚には馴染まなかったのであろう。メキシコはフルーツの安い国である。私はメルカードでフルーツ類をたくさん仕入れた。見かけは悪いが、濃厚な風味で甘く美味しいマスク・メロン、細長く十キロほどの重さがあるが、これもたっぷりとした水気があり、甘い西瓜、大きなグレープフルーツ、ジューシーなオレンジといったものをたくさん買った。果物を含め、食料品は驚くほど安い値段で販売されていた。当時、メキシコ人の月収が四万円ほどの時代で、私の日本の給料が十五万円程度であったことを考えると確かに、日本人の目には驚くほど安いという印象を与えたのであろう。抱えきれないほどの荷物になったので、郵便局まで出て、客待ちのタクシーに乗って、アパートに帰った。そして、皆を迎える準備をした。
フアンに椅子を借りると共に、彼も招待しておいた。部屋の冷蔵庫は久しぶりに満杯となった。あらかた準備を済ませてから、近くの酒屋に行き、ウイスキー、ブランデー、テキーラ、ワイン、ビール、カルーアなどのアルコール飲料も買い求めた。
夕方になった。赤く大きな夕陽を受けて、私は歩いて、小百合のホテルに行った。
小百合はホテルのカフェテリアでぼんやりと卓上に飾られている蘭を見ていた。
どことなく、物憂げで淋し気な横顔を見せていた。
「お待たせしました。のんびりと、お昼寝でもなさっていれば良いのに」
私が努めて陽気な口調で言うと、小百合は微笑みながら言った。
「実は、今しがた、日本に国際電話をかけたんです」
「今の時分なら、日本は朝でしょう。で、御坂さんの実家にかけたのですか」
「ええ。今日、陸奥さんがあの教室で整理されたことをかいつまんでお話ししました」
「何も新しい情報は無かったのですが」
「それは、そうでしょうけれど。でも、潤一さんのおうちからは、研修生の皆様に宜しくお伝えくださいと言付かっております。それで、陸奥さんの方からも皆さんに、潤一さんのご両親がとても感謝していました、とお伝え願えれば・・・」
「分かりました。今夜のフィエスタでお伝えすることとします。それと、・・・、小百合さんのご予定なんですが、明日の夜もここに泊まられて、明後日、メキシコシティに発ち、あのオテル・ヘノバで一泊してから、土曜日の便で日本に帰国されるという当初の予定でいいですね」
「ええ。潤一さんのことで新しい進展が無ければ、そのつもりでおります」
ウエイターが注文を取りに来たので、私はカフェ・コン・レチェ(カフェ・オ・レ)を頼んだ。たっぷりと入ったカフェ・コン・レチェが運ばれてきて、私は小百合と談笑しながら、それをゆったりと味わった。
「明日は、もう一度、イサベルの家に行き、別れを告げなければなりませんね。御坂さんの荷物の件もあるし、一応きちんとした形にしませんと」
「ええ、そうですね。荷物は、陸奥さんの方で発送などを面倒みて戴けませんか」
「ええ、それは勿論です。但し、銀行預金の方は警察の証明が必要なので、少し遅れますが、後日、諸経費を差し引いてお送りするということになりますが」
「それで、結構です。潤一さんの実家の方に連絡をしておきますので。・・・、本当に何から何までお世話になって申し訳ございません」
小百合から礼を言われて、私は照れた。正直に言えば、小百合と居て、本当に楽しかったのは私の方なのだ。むしろ、お礼を言うのは私の方だったかも知れない。
暫く、カフェテリアで時を過ごす内に、フィエスタが始まる時刻になろうとしていた。
私たちは勘定を済ませてから、ホテルからタクシーに乗り、私のアパート、ミ・カシータへ向かった。 部屋に小百合を招き入れ、テーブルのセッティングをした。小百合も手伝ってくれた。その内、女子学生研修生が四人で連れ立って現われ、料理を作り始めた。
素晴らしいことに、彼女らはお米とすき焼き用の材料を持参してくれていた。
「糸コン、葱、春菊、それに、醤油と米。何処で買ってきたの?」
と、私は目を丸くして訊ねた。
「数日前に、シティの斎藤さんたちがメリダに遊びに来て、お土産、と言って置いていったんです」
安岡妙子が流しで米を研ぎながら言った。
私たち研修生の中には、看護婦さんも十名ほど、交換留学の形でこのメキシコに来ており、全員がメキシコシティの病院で研修していた。斎藤和子もその一人であった。
シティには和食の食材を売る日系人の店も数店あり、そこへ行けば、すき焼き用の食材、糸コン、葱、春菊、豆腐といったものが、値段は高めだが、買えるのであった。納豆、山葵、醤油、カリフォルニア米もあるということで、シティ研修生はメリダに住む私たちにとって羨望の的であった。
「シティから遊びに来ていたのか。知らなかったなあ。それで、いつ帰ったの」
私が訊くと、今度は葱を切りながら奥村志保美が答えた。
「一昨日です。メリダの次は、カンクーン。コスメル、イスラ・ムヘーレスを旅行するという話でしたよ」
「あちらの方を回るのか。いいなあ、僕はまだ行ったことが無いんだ」
カンクーン、コスメル、イスラ・ムヘーレスというのはユカタン半島の南東にある観光地でメリダからは高速バスで三時間ほどで行くことが出来る。まず、カンクーンに着き、それから、船でコスメル島、イスラ・ムヘーレス(女たちの島、といった意味)に簡単に渡ることが出来る。いつかは行きたい、と憧れていた島であった。
「陸奥さんはまだ行ったことが無いんですか。御坂さんも行ってらしたし、私なんかもう二回行っていますよ」
早川緑が陽気な声で言った。御坂は旅行好きで、近くのカンペチェ、パレンケ遺跡にも行っていた。とにかく、旅行好きな男だった、と私は手持ち無沙汰に鏡台の椅子に腰を下ろしている小百合をちらりと見ながら、そう思っていた。
そんなことを話している内に、豊原栄一が酒を数本抱えて入って来た。
「豊原君、相変わらず耳がいいな。今日の昼に決めたばかりなのに」
「辻井君が連絡してくれましてね。陸奥さんも冷たいな。フィエスタに僕を呼ばないという無法は許しませんよ」
と、豊原は酒瓶をテーブルの上に並べながら、おどけた口振りで言った。
「ああ、豊原君、紹介するよ。こちらが、御坂さんのノビアの星野小百合さんだ。こちらが、豊原栄一君です。バリバリのシステム・エンジニアです」
「初めまして、星野小百合と申します。潤一さんのことでは、いろいろとお世話になりまして」
「いや、そんな、お世話だなんて。御坂さんにはこちらがお世話になっておりました。そうですか、あなたが星野さんですか。いろいろと御坂さんからは、いわば、惚気を聞かされておりましたが。・・・、それにしても、お綺麗ですね。こんな美人とは知りませんでした。御坂さんがぞっこんだったのも頷けます」
珍しく、豊原はあがっていた。豊原の言葉を聞いて、小百合が顔を曇らせ、俯いた。
私は豊原に目配せした。私の視線に気付き、豊原がしまったという顔をした。御坂のことは小百合の前ではタブーで、私たちは努めて話題にならないようにしていたのだが。
その後すぐ、辻井を含め、男子の研修生全員がドアを開けて入って来たので、早速フィエスタを始めることとした。辻井は牛肉を数キロ持ってきた。すき焼きは何と言っても、牛肉勝負となる。女子学生も買って、持参して来たが、足りなくなるのは明らかな量でしか無かったので、辻井の配慮はありがたかった。
私は冒頭の挨拶の中で、御坂の実家からの感謝の言葉を含めて話した。皆、神妙な顔で聴いていたが、すき焼きを囲んで酒を酌み交わす内に、メリダ・グループ特有の仲の良さと陽気さは次第に発揮されていった。
女子留学生は同年代の小百合を囲んでお喋りを始めたし、私たち男の方はと言えば、ホームステイの話、学校の先生の噂話、各地へ旅行したその経験など、話の種には枚挙の暇が無いほど、お互いの話に興じた。
「ムイ・ブエナス・ノーチェス」
という挨拶と共に、アレホ教授が入って来た。彼はガールフレンドを連れていた。彼は一度結婚したことがあるとのことだったが、現在は独身となっていた。彼のガールフレンドとは私たちも顔馴染みで、よくこの種のフィエスタで同席していたのである。カルメンという名で、三十代半ばの幼稚園の先生ということだった。アレホ教授とはもう何年も続いた関係で、私たちの目から見たら、夫婦同然の関係であったが、結婚はしないと言っていた。いわば、大人の交際という関係を欲しており、結婚という束縛関係をお互い望んでいなかったのだろう。カルメンは女子留学生に囲まれ談笑していた小百合のところに歩み寄り、小百合を抱きかかえるようにして何やら話しかけていた。小百合に同情し、励ましの言葉でもかけていたのだろう。上智のスペイン語科学生の山田ひとみがカルメンの言葉を小百合に伝えていた。小百合は微笑みながらも、少し涙ぐんでいた。
その内、フアンもおずおずと入って来た。私は早速彼を皆に紹介し、フアンもにこにこしながら、会話の渦の中に入っていった。フィエスタの終わりの頃に、お握りが出た。
ボラ・デ・アルロース(ライス・ボール)と言いながら、征木がお盆に入れたお握りを皆に振る舞った。アレホ教授、カルメン、そしてフアンも目を白黒させながら、サブローソ(美味しい)と言って食べた。でも、一番人気は何と言っても、すき焼きであった。普段は、菜食主義者のカルメンもこの時ばかりは器用に箸を使って肉を食べた。味醂とか日本酒が無かったので、赤ワインを使い、醤油と砂糖で味付けされた牛肉は彼女にとっても未知の味で美味しく感じられたのだろう。
小百合も含め、私たちは全員、ハイな気分でフィエスタは盛況に終わった。
女子留学生が全員残ってくれて、フイエスタの後片付けをしてくれた。皆を送り出してから、私は小百合をホテルに送って行った。ホテルの前で、小百合は私に手を差し出して、握手を求めた。そっと握った 彼女の手は小さく、しっとりと湿っていた。
おやすみなさい、と言って私たちは別れ、私はもと来た道を辿って帰った。
深夜になっていた、月はほぼ満月で青白く輝いていた。夜空にはオリオンの三ツ星もくっきりと見えていた。風は微かに吹いており、涼しさを運んでいた。私は道端のセイバの樹に凭れ、夜空を仰ぎ見た。快い疲労と酔いの中で、私の手はまだ小百合の手のぬくもりとしっとりとした感触を覚えていた。私は目を閉じた。閉じた目の中に、私に向かって優しく微笑む小百合がいた。私は深い溜息をつきながら、そっと呟いた。テ・キエーロ、と呟いた。愛してしまった、と思った。それは決して許されることの無い『愛』であることは十分承知していたはずであるが。その呟きは風に吹かれ、そして、メリダの夜の深い闇の中に消えていった。
翌朝、私は八時頃、ホテルに行った。小百合は晴れ晴れとした顔で私を迎えてくれた。
「ブエノス・ディアス、セニョール陸奥」
「ブエノス・ディアス、セニョリータ星野」
私たちはまるで旧知の間柄のように笑いながら、挨拶を交わした。
「今日はまず、イサベルのところに行きましょう。荷物の整理もしなくてはなりませんから。そして、その後、時間に余裕があれば、チチェン・イッツァかウシュマルに行きましょう。両方とももマヤの遺跡としては有名なところです。このメリダからはバスも定期的に出ていますし、割合簡単に行けます」
小百合は小さく頷いた。
私たちはタクシーに乗って、イサベルの家に行った。
イサベルはいつものように笑顔で私たちを迎えてくれた。私たちを御坂の部屋に案内して、ごゆっくり、と言って階下に降りて行った。御坂の部屋の荷物は小百合が整理した。
荷物と言っても、大きなスーツケースと小さなバッグに入ってしまうだけの荷物しか無かったわけであるが。
「これらの本はどうしましょうか?」
小百合が指差す本棚には、このメリダに来てから御坂が買い求めた参考書とか文学書があった。御坂はなかなかの勉強家と見えて、ガルシア・ロルカとかオクタビオ・パスといった作家の本や、マヤ、アステカ関連の考古学の本もたくさん並んでいた。また、レコード、カセットの類も相当買い集めていた。
「そうですねえ。本とかカセット、レコードの類は後で、僕が箱に詰めて、そのスーツケースと一緒に船便で送りますよ。船便だと、日本までひと月ぐらいはかかりますが、それでも、十一月の末までには着くと思います」
小百合が細々とした下着、衣服を纏め始めたので、私は手持ち無沙汰に窓の外を眺めた。
中庭の片隅に白っぽい花が密集して咲いていた。
私は群生した、その白い花をぼんやりと眺めながら、煙草を口に咥え、火を付けようとした。その時、不意に恐ろしい想念が私の脳裡に浮かんだ。
どうして、今まで気付かなかったんだ。何度も見ていたはずなのに。
私は転げるように、階下に降りて行き、中庭に飛び出して行った。
危うく転ぶところであった。私はあらい息を吐きながら、その白い花を見た。
二日前にも見ていたはずなのに、その白い花の意味に気が付かなかったとは。
私の胸は高鳴り、今にも張り裂けんばかりであった。
庭の片隅に群生して咲いていた花は、・・・、コスモスだった。
私は混乱した頭を掻きむしった。
震える足元を気にしながら、後ろを振り返り、家の中に入ろうとした。
ドアの後ろの薄暗がりの中に、イサベルが静かに立っていた。
イサベルの顔は蒼ざめ、表情は氷のように硬直していた。
いっぺんに十歳ほど齢を取った表情で静かに立って、私を見詰めていた。
私の顔も蒼ざめていたに違いない。私たちはお互いの瞳をじっと見詰めたまま、その場に立ち尽くした。長い時間が経ったように思われた。
やがて、イサベルが囁くように語り始めた。
彼女の声はいつもの張りを失い、擦れていた。
「あのコスモスの下に、彼が居るわ。・・・。潤一のズボンのポケットにコスモスの種が入っていたのね。・・・。知らなかった」
「どうして!」
訊ねた私の声も擦れて震えていた。
イサベルは傍らのテーブルに片手をつき、身体を支えるようにして、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。 そして、誰に語りかけるともなく、呟き始めた。
「初めて彼と会ったのは、そう、七月の中旬ね。私はあなた方を迎えに空港に行った。空港で、初めて彼を、潤一を見た時に、或る予感がしたわ。・・・。この若者を愛してしまいそうな、そんな予感が、・・・、したの。彼を家に迎え入れ、マリアとロドリゲスに紹介した。潤一はとてもハンサムで感じも良かったので、子供たちも喜んだわ。それに、あなた方が私たち、ホームステイ先に支払う下宿代はかなり高額で、私たちの暮らしも楽になるし。しかし、何より、私には、一人の男性が家に居る、ということがとても嬉しかったの。三年前に夫が交通事故で不意に亡くなり、私の家は急に淋しくなった。私も淋しかったし、マリアたちも淋しかったと思うの。そんな時、潤一が来てくれたの。政府からのホームステイ先・募集を見て、昨年も応募したのだけれど、昨年は駄目で、今年は選ばれたの。嬉しかった。初めての晩、私は潤一の部屋に行き、旅の疲れでぐっすりと寝入っている潤一の顔を見たわ。彼の顔は男らしく引き締まり、私は飽かず彼の顔を見詰めていたの。そう、抱きたい、抱かれたいと思っていたの。でも、その時は勿論、我慢したわ」
イサベルは深い溜息をついた。
「翌日から、私は幸せだった。男の人の世話をするのがこんなにも楽しいことだとは思わなかった。亡くなった夫と比べ、潤一の反応は早かったし、まだ、言葉は上手には話せなかったけれど、彼の笑顔はとても、とても素晴らしかった」
イサベルはこみあげてくる嗚咽と涙を必死に堪えながら、語り続けた。
「でも、笑顔、・・・、笑顔だけでは駄目だったの。私は、・・・、女として抱いてもらいたかったの。それに関しては、潤一の反応は鈍かった。そう、ホームステイ先のセニョーラとして見ていただけ、・・・。ビューダ(未亡人)としては見てくれなかった。それは、そうね。日本に、素敵なセニョリータがノビアとして待っている彼にしてみれば、当たり前のことよね。でも、私は我慢できなかった。だんだん慎みを失くしていった。慎みを忘れていったわ。慎み。慎みなんか、・・・、何にもならない。綺麗なうちに、女として愛して欲しかったの。このまま年老いていくのが、たまらなく嫌だった。でも、潤一はその点に関しては、とても冷たかった。日本のノビアに忠節を誓っていたのか、夜遊びもしなかったようだし、ハンサムな割には女には無関心だった。でも、私は彼に抱いて欲しかった。いろいろと彼を挑発したわ。挑発し、誘惑した。でも、その都度、彼は行き先も告げず、旅行に行ってしまう。そんなことが、そう、八月の中旬まで続いた。誘惑するために、私はそれまでの慎みを失くし、派手な化粧をして、より若く見せたり、・・・、透けて見える服に恥ずかしいほど派手な下着をつけて、彼に見せたりしたわ。そして、とうとう、或る晩、私は決心した。子供たちが寝静まった頃を見計らって、私は思い切って、彼の部屋に行った。どうしようも無い気持ちだった。・・・。彼は私を抱いてくれた。とうとう、抱いてくれたのよ」
イサベルは激しく嗚咽し始めた。私は茫然と彼女の話を聴いていた。
イサベルの悲痛な独白は続いた。
「嬉しかった。本当に、私は嬉しかったの。それから、毎晩、彼の部屋に行き、彼に抱かれた。彼は情熱的に私を抱いたわ」
私はイサベルに背を向けて、壁に手をついて涙を堪えた。この世には、男と女しかいないというのに、何故、こんなに悲しいことがあるのか。
「しかし、彼は悩んでいた。あの晩、彼はいつものように愛した後、ベッドの縁に腰かけて、私に背を向け、言ったのよ。来月になったら、ここを出る、そして、優次郎のようにアパートを借りる、と。私は彼から棄てられる、と思った。逆上した。気が付いた時は、私はナイフを握りしめて、シャワーを浴びている彼の背後に立っていた。そして、彼の背中を刺した。心臓を貫かれた彼は声も無く、私の足元に崩れ落ちた。・・・。私は暫く、シャワーに打たれて、立ちすくんでいた」
イサベルは乾いた声で、尚も、呟き続けた。
「自分がした行為が信じられなかった。取り返しのつかないことをしてしまったのだ。衣服をつけ、私はそのまま警察に自首しようと思った。階下に降りて行き、寝入っている子供たちにお別れのキスをしようとした。その時、マリアが目を覚まし、寝惚け眼で、誕生日のプレゼントは何?、と私に訊いてきたの。その瞬間、私の心の中で、先ほどまでの自首しようという意志は音も無く崩れ落ちたの。私はひとりでは無いのだ。この子供たちを残して、監獄に入ることは出来ない。そう、思った。・・・。その夜、私は忙しかった。死んだ潤一に服を着せ、背中に背負い、階段を下りて、庭に出て、あのコスモスの花のところに彼を埋めた。泣きながら、埋葬した。潤一を愛していたわ。潤一を埋めながら、私は愛も一緒に埋めた。これからは誰も愛さないし、愛せないのだ、と思いながら、・・・」
イサベルは静かに目を閉じた。涙が溢れていた。
私はその場を離れ、階段のところに歩いて行った。
いつの間に降りて来たのか、階段のところに小百合が佇んで、イサベルの方を見詰めていた。私は小百合を促し、中庭のコスモスの花のところに連れて行った。
コスモスの花は風に吹かれて、静かに揺れていた。
私は、その白い花を指差して、静かに小百合に言った。
「このコスモスはあなたが御坂さんに送ったものです。そして、・・・、御坂さんはここに眠っています。あなたのコスモスに囲まれて」
小百合は大きく眼を見開いて、私とコスモスを見比べた。
時が突然、止まったように感じられた。
小百合はゆっくりと崩れ落ちるように足元に身をこごめ、両手で顔を覆って泣き始めた。私にとっても、それは辛いひとときであった。
小百合は暫くすすり泣いた。やがて、泣き止むと、泣き腫らした眼で、しっかりと私の眼を見詰め、言った。
「ごめんなさい。もう、泣きませんから。・・・、どうしてこうなったのか、事情をお話しください。イサベルさんのことも含めて、どうか包み隠さず、ありのままの事実を。私、・・・、知りたいのです」
私は小百合の眼を見詰めながら、極めて冷静な口調で話そうと思った。
それは、難しいことであったが。
「あなたは大変聡明な方だと僕は思っています。事実は事実として、正確に知っておかれたほうが妙な誤解を持たずに済みます。イサベルから聞いたことを話しますから、冷静に聴いてください」
私はこのように前置きしてから、先ほどイサベルから聴いた話を正確に小百合に伝えた。
しかし、イサベルの告白であまりに赤裸々な愛情表現は省いて話した。
それが故人への最低限のマナーと思ったからである。
小百合は私が話すイサベルの告白をじっと聴き入った。
私の話が終わっても、小百合は何も言わなかった。
彼女の視線は風に震え、揺れるコスモスの白く淡い花弁を追っていた。
「これが、イサベルから聞いた告白の全てです」
私も風に弄ばれるコスモスに視線を投げかけながら、呟くように言った。
「これから、イサベルを伴って、警察に行きましょう。・・・。事件は解決したのです」
私は出来るだけ快活さを装って、立ちつくしている小百合を促した。
すると、小百合は静かに首を横に振った。私は怪訝に思い、小百合を見詰めた。
彼女は静かな口調で私に語り始めた。何処か、地下の潤一に語りかけているかのようにも思えた。
「警察に行って、どうするのですか? イサベルさんを殺人犯として突き出すのですか? それで、誰が、幸せになるのですか? イサベルさんの子供たちはどうなるのですか? そんなことをしても、潤一さんは帰ってこないし、不幸せになる人が多すぎます。潤一さんのご両親も果たして幸せになりますか? 陸奥さんも他の留学生の方も幸せになりますか? 事件が解決するだけでしょう。不幸せになる人が多すぎるのです。不幸せなのは、・・・、私だけで、・・・、十分です」
小百合はまた、大粒の涙を浮かべて、私を見詰めた。
私もまた、小百合の思わぬ言葉に深い哀しみにも似た感動を覚えていた。
それでいい、のかも知れない。御坂は永遠に失踪したままで良いのかも知れない。
彼を殺したイサベルの心は既に奈落の煉獄にある。今更、肉体も監獄に繋ぐ必要があるのだろうか。刑事事件として裁かれることは必要であろうが、私たちはそれを望まないのだ。御坂も果たしてそれを望んでいるのか。私の心も沈鬱に、重く沈んでいた。イサベルと御坂の秘密は私たち二人しか知らない。私たち二人が黙して語らない限り、御坂は謎の失踪のままで、イサベル、小百合、そして、私の三人以外の人の中で、生き続けることになる。・・・。このままで、いいのだろう。これで、いいのだ。
私は小百合に手を差しのべた。小百合は私の手を握りしめた。
私たちの中で、了解、暗黙の了解が生まれた。
私たちは家の中に入り、イサベルのところに近づいた。イサベルはテーブルの上に両肘をつき、両手で顔を覆って忍び泣いていた。
私はイサベルの肩に手を置いて、イサベルに語りかけた。
「イサベル。もう、いいんだ。泣くのはよして。・・・。僕たちは帰るよ。明日、セニョリータ・星野は日本に帰るんだ。彼女はもう、あなたのところには二度と来ない」
イサベルは泣き腫らした眼を私たちに向けた。
「イサベル。セニョール・御坂は失踪したままなんだ。永遠に失踪し続けるんだ。いいね。真実は我々三人だけに留めるんだ。いいね。そして、イサベル、あなたはマリアとロドリゲスのために、これからも生き続けるんだ。いいね」
私たちはイサベルの家を去った。私たちは言葉を交わすことも無く、メリダの乾いた白い通りを歩き続けた。私は傍らを歩く小百合の肩に躊躇いがちに手をかけた。小百合は肩に置かれた私の手を握りしめた。私たちは白い街並みを何処までも歩き続けた。
私はこの道が何処までも続いてくれ、と心の中で祈っていた。
私は小百合をホテルまで送り、そこで別れ、ひとりアパートに帰るつもりだった。
「こんなことになってしまって。・・・。マヤの遺跡を見物しに行くような雰囲気じゃなくなってしまいましたね。僕は帰ります。あなたはホテルでお休みになられるか、もう大体、道もお判りでしょうから、セントロ周辺を散策されたら如何ですか」
小百合は私の手を取って言った。
「お願い、まだ、・・・、ひとりにしないでください。ひとりになったら、私、・・・、ひとりになるのが怖いのです。もう暫く、一緒に居てくれませんか」
私たちはホテルのカフェテリアに入り、お茶を飲むこととした。私たちはほとんど話もせず、静寂に包まれた時を過ごした。時々、二言、三言、話すものの、会話は続かず、少し気まずい雰囲気になった。
「日本に帰ったら、卒論が待っているんじゃないですか」
「ええ、もう大分、準備は進めているんですけれど」
「ああ、そう言えば、就職先はもう決まっているんですよねえ」
「ええ」
「どちらへお決まりなんですか」
「〇〇書房です」
「出版関係なんですね」
「文学部ですから、一番遣り甲斐があるのではと思って・・・」
こうした会話が続き、お互い、あまりにぎごちない会話に続き、思わず顔を見合わせた。
「なんだか、僕たち、お見合いをしているみたいですね」
「そう言えば、そんな感じ」
小百合も微かに微笑んだ。
「日本に帰っても、時々はお便りをください」
「ええ、勿論。陸奥さんも来年の四月には日本に帰って来られるのでしょう。・・・。そしたら、時々は会ってくださいます?」
「勿論ですとも」
「陸奥さんのいいひとから叱られるかな」
「いいひとが居れば、別ですけど。残念ながら、現在のところ、おりません」
小百合は私の眼を真っ直ぐに見詰め、そして、紅茶の紅い色に目を移しながら、小さく呟いた。
「私のいいひとは、いつの間にか、いなくなっちゃった」
長い睫毛が微かに震えたように感じられた。
午後の気怠さの中で、私たちは静かな時を過ごした。
その日は結局、夕食まで彼女と一緒に居た。彼女も私と居る時は結構寛いでいたように思われた。私も何となく、嬉しかった。
午後は彼女と連れ立って、メリダ市内を散策して過ごした。
メリダは別名、シューダ・ブランカ(白き街)と呼ばれ、白を基調とした落ち着いた色彩で街自体が統一されている。セントロに位置するメリダ政庁舎、ゴシック調の壮麗なカトリック寺院であるカテドラル、スペイン人がマヤ人の頭を踏みつけにしているレリーフで有名なモンテホの館、植民地時代の壮大な館が両側に並ぶモンテホ通りを私たちは歩き、見物した。私には既に見慣れている光景も小百合には異国情緒に溢れた、珍しい風景であり、想像を十分かきたてられるものであっただろう。その日も暑く、摂氏ではおそらく、四十度近くまでは気温は上昇していたと思われた。モンテホ通りで、歩き疲れた私たちは木陰に整然と並んでいるS字形のベンチに二人横向きに腰を下ろして、ひとときの休息を取った。丁度、スィエスタ(昼寝)の時間とも重なり、通りにはさしたる人影も無く、通りを走っている車の数もまばらであった。
「明日は、この街ともお別れ・・・」
と、小百合は白いうなじの汗をハンカチで軽く押さえながら呟いた。
私はパナマ帽を団扇代わりにして首筋に風を入れながら、空を見上げた。樹々の葉陰を通して、眩い青空が眼に入った。
「明後日はあなたともお別れです。来年の春に、僕が帰るまでのお別れ、ということになります」
小百合は何も言わず、私を見詰めた。御坂の件で、私たちは図らずも共通の秘密を持った。真相を知りながら、それに対して、あえて黙すること、それが良いことか、いけないことか、私たちには判らなかった。ただ、言えることは、その真相を知らなかったことにするほうが良い、と判断しただけなのだ。イサベルの恐るべき告白は、メリダの暑さの中に消えていく蜃気楼であり、幻想だったのかも知れない。
幻想はそのままにしておくほうが良い、そう思っただけなのだ。
翌日、金曜日の午後、私たちはメリダ国際空港からメキシコシティ国際空港へ発った。
メキシコシティでは、四日前に泊まったオテル・ヘノバに再度宿泊した。
そこで、一晩過ごした後、土曜日の午後の飛行機で小百合は日本に帰っていった。
「これで失礼します。いろいろとありがとうございました。帰ったら、潤一さんのご両親にメリダでのことをご報告いたします。勿論、イサベルさんの件は話しませんが。潤一さんの行方はまだ掴めていない、それだけをお伝えするつもりでいます」
「そうですか。彼のご両親に宜しくお伝えください。後日、彼の荷物とか本、レコード等は纏めて船便で送ります。そのこともお伝えください」
「陸奥さん。お便りを待っています。私からもお便りを差し上げても宜しくて」
「ええ。でも、僕は生来筆不精の方だから、そうまめには差し上げられないかも知れませんけれど。ああ、もう時間ですよ」
「では、また、日本でお目にかかる日を楽しみにしております」
「それでは、お気をつけて」
私は彼女に白いスーツケースを渡した。彼女の手に触れた。彼女は出発ゲートの方へ歩き始めた。ゲート前で、彼女は立ち止まり、私の方を向いて、手を振った。
私も手を振った。白い服の彼女がぼんやりと霞んで見えた。
彼女の飛行機をロビーから見送った後、私はオテル・ヘノバに戻った。部屋のベッドに横になり、この六日間の出来事を思った。御坂潤一、イサベル、そして、星野小百合のことを思った。涙が自然に溢れ、頬を伝って零れ落ちた。悲しかった。全てが悲しかった。
メリダに戻った私は、御坂の銀行預金の解約、実家への送金手続き、荷物の発送などで暫く忙しい日々が続いた。特に、イサベルの家に行く時は暗鬱な思いを嫌というほど味わった。そして、暗いイサベルの表情は私の心をさらに重く沈ませた。
御坂の荷物をメリダ中央郵便局で船便扱いで発送し、アパートに帰ると、小百合からの手紙が届いていた。
「前略。先日のメキシコ滞在中は本当にお世話になり、ありがとうございました。お蔭様で無事、日本に着き、今、自宅でこのお手紙を書いております。昨日は潤一さんのお家に行ってまいりました。潤一さんのメリダでの暮らし振りをお話ししましたところ、ご両親は涙を浮かべておいででございました。また、潤一さんの荷物などの処置に関して、陸奥さんが一切をお手配くださるとのこと、お話ししましたところ、大層感謝されていらっしゃいました。潤一さんの失踪に関しては、まだ希望は失ってはおられないご様子でしたが、私が受けた印象では、半ば諦めかけていらっしゃるようにお見受けいたしました。私も明日からまた、学校に戻ります。単位はもう殆どの科目で取得しており、毎日は授業に出る必要も無いのですが、空いている時間は図書館でメキシコ関連の勉強をするつもりでおります。今頃になって、こういうことを申しますと、お叱りになられるかも知れませんが、正直に申し上げることとします。あのイサベルさんの告白は、私にはそう意外なことでは無かったように感じられました。あの日、メリダに着いた初日、火曜日だったと記憶していますが、初めてイサベルさんのお家を訪れた際、玄関口で私を迎えたイサベルさんの表情、態度が少し変だ、と感じたのは私だけだったでしょうか。陸奥さんは何も感じませんでしたか。あえて申しますと、私を見るイサベルさんの眼には敵意がある、と私は感じたのです。初めて会う人に、果たして、このような敵意という感情を人は持つものなのでしょうか。何故、私は敵意を持って、イサベルさんに見られなければならないのか。イサベルさんはどういうわけで、私を敵意を抱いて見るのか、その夜はホテルのベッドに入っても、あの一瞬見せた、イサベルさんの眼が忘れられず、気になって一時過ぎまで眠れませんでした。今、思うと、私はイサベルさんの愛のライバルだったのですね。潤一さんを愛した彼女の愛のライバルが私だったということだったのですね。愛ゆえに逆上し、潤一さんを死に至らしめたイサベルさんを、私は憎もうとしました。自分勝手に愛し、誘惑して、理不尽に殺した彼女を憎む権利は私にはありますから。でも、憎もうとしても、どうしても私には憎みきれなかったのです。潤一さんも、イサベルさんとそうなった以上、私の憎しみの不十分さを、あの世で許してくれているはずです。今もそう信じております。陸奥さん、イサベルさんの告白は、やはり私たちだけの秘密にしておきましょう。長々と書いてしまいました。お許しください。これからもお便りします。では、お元気でお暮らしください。草々。小百合より」
小百合からの手紙を読み終えた私は、暫く、眼を閉じ、過ぎ去った情景を思い浮かべた。
小百合の指摘の通りだった。御坂を挑発し、誘惑していた時のイサベルの愛のライバルは常に、御坂の机の上で微笑む、まだ見ぬ星野小百合だったのだ。
小百合を迎えた時のイサベルの眼差しを思い出そうとしたが、思い出せなかった。
男は鈍い生き物だ、と思った。女には女にしか解らぬ心の機微があるのだろう。
しかし、私は、御坂にはすまないが、星野小百合という女性を愛してしまった。
私にとってのライバルは、これからは、御坂潤一ということになるのか。私は暗澹たる思いに沈んだ。死者を相手にしていかなければならないのか。若くして死んだ死者には永遠の若さと歳月と共に美化される思い出がある。生き続けて、齢を重ねていく生身の人間に到底勝ち目は無いのだ。現実の愛が果たして、それらに勝ち得るのか。
死ぬまで続く闘いとなるのか。私は絶望的な気持ちになった。
その後も、小百合との文通は続いた。お互いの近況を知らせ合った。或る手紙では、末尾に追伸として、次のような文面が書かれてあった。
「追伸。陸奥さんにひとつ忠告があります。聞いてくれますか。煙草は止めたほうがいいですよ。煙草は身体に良くありません。潤一さんにも、忠告しましたが、聞いてはくれませんでした。陸奥さんは、どうですか」
この手紙を貰った後、その日から喫煙本数を半分にしていった。
結果、一週間で私は禁煙に成功した。
女の髪は象をも繋ぐと云われるが、私は小百合という女性に心を縛られてしまったようだ。心ばかりか、身も縛って欲しい、と思った。
やがて、年が変わり、三月となった。
或る日、私のところに電話が入った。小百合からの国際電話だった。
「陸奥さん? お久しぶりです。星野です」
電話から聞こえてくる声は半年振りの小百合の声だった。懐かしい声だった。
「小百合さんですか。いやあ、懐かしい。半年振りくらいになりますねえ。元気そうで、安心しました」
「無事、大学は卒業しました。来月の入社式まで、暇を持て余しておりますのよ」
「それなら、こちらにいらっしゃい。暇つぶしをさせてあげますよ」
私は、言ってしまってから、自分の言葉にびっくりしていた。こんなこと、気軽に言えることでは無いのだ。きっと、小百合から私は軽蔑される、と思った。
「あら、どうしてお分かりになったの。そちらへお邪魔します、宜しく!、というご連絡を今からするつもりでおりましたのに」
「だって、あなたからの電話はいつもそうだもの。僕は驚くばかりで」
「まだ、たったの二回目ですわよ」
「そうでしたね。でも、半年前も、今回も、いきなりだから、正直、驚いてしまいますよ。で、それで、いつ?」
私の声は自分でも照れるくらい、弾んでいた。
「陸奥さんがご迷惑なら、行きません」
小百合は少し拗ねてみせた。私は慌てた。
「そんな、迷惑だなんて! 僕は、いつ、って訊いただけですよ」
「来週の月曜日です。前回と同じ便でまいります」
「それで、今回は何日間ぐらい」
「予定は特に無いんです。強いて言えば、陸奥さんが私のお守に疲れ、私をカリブ海に放り出すまで、かな」
「分かりました。でも、それじゃ、来月の入社式に間に合わなくなりますよ。来週の月曜日ですね。OK。また迎えに行きます」
「それと、・・・、お願いがあります。今回は、潤一さんを忘れる旅にしたいのです。どうか、潤一さんを思い出させるところには、お連れなさらないで」
「・・・。分かりました。では、月曜日、シティの空港でお待ちします」
電話をきってから、私は暫くこれからのことをぼんやりと思った。小百合の意思を強く感じた。全ては、これから始まる。これからが、私と小百合の人生なのだ、と。
月曜日の午後、私はメキシコ国際空港に居た。半年前の重苦しい気分とは異なり、今回は、スペイン語の響きの中で私が一番気に入っている言葉、エスペランサ(希望)があった。
今回も前回同様、飛行機は少し遅れて到着した。入国手続きを終えて歩いて来る人込みの中に、セーター姿の小百合が居た。彼女は淡いベージュのセーターとマリンブルーのジーパンというラフな服装で、こちらに向かって歩いて来た。
私は彼女に手を振った。彼女は小走りに駆けて来た。
「ビエン・ベニード・ア・メヒコ!(メキシコへ、ようこそ)」
「陸奥さん」
私たちは手を取り合った。
「お疲れになったでしょう」
「ううん、陸奥さんのお顔を見たら、疲れが一遍に飛んでしまいました」
「僕の顔は疲労回復剤ですか」
「はい、星野小百合専用の疲労回復剤です」
私たちはお互いの手を取り合ったまま、吹き出して笑った。
私は彼女のスーツケースを持った。半年前に迎えた時のスーツケースより、ひとまわり大きなサイズのスーツケースだった。
「今回は大きなスーツケースなんですね」
「ええ、冬と春の服を持ってきましたので。それと、メリダのお仲間の人たちに、お煎餅とか、羊羹とか海苔といったお土産も持ってきましたので、大きなものにしました」
「そうですか。みんな、喜びます。ありがとうございます」
私たちは市内のホテルに向かうリムジーンバスの方に歩いた。
「日本はどうですか。今は三月と言っても、まだ冬の季節ですから、相当寒いでしょう」
「成田では雪が降っていました」
「ここは常春ですから、暖かいでしょう」
「ええ、こんなに暖かいなんて。メリダはもっと暖かいですか」
「暑いくらいですよ。そうだ! ここに居る間に、水着を買っていきましょう」
小百合はくすりと笑って言った。
「実は、持ってきたのです。いつか、陸奥さんが話してくれた、あのコスメル、イスラ・ムヘーレスに連れていってもらおう、と考えて。連れていってくださいますよね」
私は苦笑し、承諾した。
「その水着が無駄にならないように、予定をつくりましょう」
独立記念塔の前にあるマリア・イサベル・シェラトンという名のホテルに着いた。
「今夜はこのホテルに泊まります」
私は荷物をホテルのボーイに手渡しながら、ホテルの外観に見惚れている小百合に言った。
「立派なホテルですねえ。いかにも高そうといった感じのホテル」
「高級ホテルですが、日本人の料金感覚で言えば、そう高くもありません」
「この大通りの向こう側に、確か、オテル・ヘノバがありましたわね」
「そうです。向こう側がソナ・ロッサ地区で、前回泊まったホテル、オテル・ヘノバがあります」
私たちはチェック・インを済ませ、それぞれの部屋に入った。
その夜は、トルレ・ラティノアメリカーナ(ラテンアメリカ・タワー)の四十一階にある、ムラルトというレストランで夜景を楽しみながら、夕食を摂った。カルド・デ・ポージョ(チキンコンソメスープ)、エンサラーダ・デ・レチューガ(レタスサラダ)、フィレーテ・デ・レス・コン・チャンピーニョン(マッシュルーム入り牛肉のヒレ肉ステーキ)、パステル・デ・ケソ(チーズケーキ)、コーヒーといったフルコースを赤ワインを飲みながら食べた。
「相変わらず、素敵な食欲ですわねえ」
小百合が軽く私を冷やかした。
「前もそんなこと、言われましたね。でも、この店は一度来たかったんです。昨日、シティに着いてすぐ、予約を入れたんです。シティの夜景が素晴らしい借景となり、食欲がより旺盛になりました」
地上四十四階の高さを持つ、このタワーからの夜の眺望は素晴らしく、シティ中のビルの照明が宝石の輝きを散りばめた巨大なカンバスとなって、一望に見渡すことが出来た。昼間は自動車の排ガス起因のスモッグで覆われるこの巨大都市も、夜になり、自動車の数が減りだすと、本来の高原の清冽な大気を回復するのであろうか。
私たちは食事の後、カクテルを飲みながら、この贅沢な夜景を心から楽しんだ。
私はクーバ・リブレ(自由のキューバ)というラムベースのカクテル、小百合はメリダのバルで馴染んだテキーラベースのマルガリータを味わいながら飲んだ。澄み通った夜景は私たちを祝福するかのように私たちを優しく包んでくれていた。
翌日、私たちはメリダに発ち、小百合はソカロ(中央広場)近くのオテル・メリダにチェックインした。そして、次の日から、私たちのカリブ海への素晴らしい旅が始まった。小百合の大きなスーツケースは私のアパートに置かれた。
第一日目
私たちはメリダの中央バスターミナルまで歩き、プラヤ・デル・カルメンまでの切符を買って、高速バスに乗り込んだ。六時発のこのバスはカンクーン、プエルト・モレロスを経由して十一時に、目的地、プラヤ・デル・カルメンに着いた。暫く、ヨットの並ぶ白い砂浜で遊んだ。前方に広がる渺茫たるカリブの海はエスメラルダ(エメラルド)の緑の輝きを放って、私たちを圧倒した。十二時の船で、コスメル島に渡った。
途中、船と並走して泳ぐ飛び魚の群れに遭遇した。一時五分に船はコスメルの港に着いた。私たちは降りた。港には客引きの少年たちがたくさん居り、私たちはひとりの少年に強引に案内されるままに、オテル・アギラールという小さなホテルに投宿した。チェックイン後、港が見えるレストランに行き、ランゴスタ(伊勢海老)の蒸し焼きを昼食として食べた。山葵と醤油が欲しい、と小百合に言ったら、そうね、と彼女も笑っていた。その後、ソカロを散歩して、浜辺にも出て、海を赤く染めて沈んでいく壮麗な夕陽を見送った。私は小百合に、ここはマヤの女性たちの聖地で、女性は一生に一度だけ巡礼に来ることを許されていたということです、今ではすっかり、観光地化してしまいましたが、本来は神秘的な聖地として崇められていたようです、と説明した。小百合は浜辺に腰を下ろし、傍らの砂を弄びながら私の言葉に耳を傾けていた。
第二日目
私たちはホテルのバイクを借りて、この島の隅々まで走り回った。バイクはホンダであった。島の中央を走る真っ直ぐな一本道をバイクで飛ばした。途中、道の両側に並ぶ、ゴツゴツとした岩の頂上に登って日向ぼっこをしているイグアナを無数見た。
岩に一匹ずつ。まるで、岩に彫られた彫刻のように見えた。小百合は歓声をあげながら私にしがみついた。小百合の乳房の感触に私の感性は揺さぶられた。
第三日目
私たちは底がガラス底になっていて、海底を見物することが出来る遊覧船に乗って、海底の眺めを堪能した。何年か前に墜落した飛行機を海底に観た時は少し冷たいものが背筋を走った。この日、初めて水着に着替えて、ホテルのプールとか海岸に出て、泳ぎ戯れた。熱帯魚が悠然と泳いでいた。その魚が身体に触れる度に、小百合は小さな悲鳴をあげた。彼女の縞模様の水着が海の中で揺らめき、私たちは海水をお互いに掛け合って戯れた。
第四日目
朝早く起き、七時の船に乗って、プラヤ・デル・カルメンに向かった。そこから、プエルト・フアレスまでバスに乗った。そして、プエルト・フアレスからまた、船に乗り、イスラ・ムヘーレスに渡った。船の所要時間は三十分ほどで、イスラ・ムヘーレスには昼の十二時に着いた。細長い小さな島で、幅は狭いところで十分も歩けば横断出来るほどの島である。しかし、珊瑚礁に囲まれたこの島は純白の白い砂浜と七色に輝き煌めく美しい海を持っていた。ホテルは港と反対側の海に突き出した、オテル・ロカマルというホテルにした。カリブの海に臨む部屋は法螺貝のランプシェードで飾られ、カリブの情緒に満ち、ロマンティックな雰囲気に満ちていた。窓の外はすぐ、海になっており、海側のドアを開けると、そこは小さな海岸になっていて、波が時折降り立った私たちの素足を濡らした。
この日から、私たちの部屋はひとつになった。
いつものように、ホテルのレセプションの前に立った私が、シングルルームを二つ、と頼もうとした時、傍らの小百合が私に囁いた。
「ツインの部屋にして」
私は思わず、彼女の顔を見た。
「だって、・・・、お部屋代が安くなるでしょう」
彼女の声は少しかすれ、震えたように感じた。私はツインルームを頼んだ。
ホテルのレセブショニストは宿泊カードを私に渡しながら、事務的な口調で言った。
「エジャ・エス・スー・エスポーサ? (彼女はあなたの妻か)」
「スィー。エジャ・エス・ミ・エスポーサ(そう。私の妻だ)」
そう答えた時の私の声も、語尾が少し震えたのを覚えている。
私が代表して、宿泊カードの記載箇所を埋めた。
「エスタ・エス・ラ・リャーベ・デ・スー・アビタスィオン(あなたがたの部屋の鍵です)。テンガ・ブエナ・エスタンスィア(素晴らしい滞在となりますよう)」
「グラスィアス(ありがとう)」
私たちは部屋に入った。
そして、部屋の中央で私たちは静かに抱き合った。
私は彼女を抱きしめ、彼女は私の胸に顔を埋めた。
私たちはお互いの胸の鼓動を聴いた。
それから、・・・、甘美な時が流れた。
このホテルには三日、滞在した。一週間の旅を終え、メリダに戻った。
その後、一週間ほど、彼女は私のアパートで暮らした。
日帰りでウシュマル、チチェン・イッツァに行き、マヤの遺跡を見物した。
メキシコシティに戻り、近郊にあるテオティワカン遺跡を観た翌日、彼女は日本に帰っていった。
今日は、朝顔が二十五ほど咲いた。
キッチンからは、妻が料理をする音が微かに聞こえてくる。
私はその音を聴きながら、縁側からぼんやりと庭の朝顔を眺めている。
過去は、過ぎ去っていくものであり、今を忙しく生きている私たちに、御坂潤一という若者の存在はもはや希薄なものになりつつある。
かつて、彼の恋人であった星野小百合は私の妻、陸奥小百合となっており、子供にはまだ恵まれていないが、私たちは今を十分幸せに生きている。
今日も暑い一日になりそうだ。蝉が鳴き始めている。
その鳴き声を聴きながら、あくまで青く澄み渡った夏の空を見上げる。
あの頃、あのメリダの空はいつでもこのように青く澄み通った空だった。
スィエロ・アスール(青空)。
十年前に眺めた、あの残酷なほど、蒼かった空。熱く、そして、乾ききった哀しみ。全てが虚偽であり、真実であった原色の国、原色の時間。
今、私はそれら過去のことを懐かしく思い出す。
あのメリダで精一杯生きた豊穣の時を。
イサベルはあれから、五年生きた。そして、五年前に死んだ。
私はイサベルの死を辻井真一郎から聞いた。
辻井は毎年届く当時のホームステイ先からのクリスマスカードでイサベルの死を知った。早過ぎる死を悼んだ文面だったそうだ。
死因に関しては、何も書いていなかったと、辻井は私に語った。
完