5.泣き虫ユージュと弱虫ナユユ
「ケイトリン先生、ライアン先生、今日はよろしくお願いします!」
ケイトリンの工房は、朝からにぎやか。
今週はケイトリンの母校でもあるアリステニア中等学校の一年生たちが、街のあちこちの商店や工房など各受け入れ先で、班に分かれて職場体験をすることになっている。卒業生のケイトリンとライアンの営む工房でも、男子と女子合わせて4人の生徒たちを受け入れることになっていた。
「みんな、よく来たね!こちらこそ1週間よろしくお願いします!まずはそうね、自己紹介をお願いしようかな?」
ケイトリンは初々しい様子の一年生たちを笑顔で見渡すと、一番元気の良さそうな男の子を指名した。
「じゃあキミから右へ順番に!」
「はい!俺はレオン·ヴァールハイト。父ちゃんみたいな世界一の封魔師になるのが目標です!」
「すごいね!」
「へへ!先生よーく見るとまぁまぁ美人だから、俺が一人前になったらケッコンしてやってもいいぜ!」
「はー?生意気!」
腰に手を当てて苦笑するケイトリンの横で、ライアンがもじもじする。
「いやぁ、美人だなんて照れるなぁ。」
「オッサン先生の方じゃねぇよ!」
レオンから間髪入れずツッコミが飛ぶと、子どもたちから笑い声が上がる。ケイトリンとライアンもつられて笑ってしまった。きっとこのレオンという子は、いつもこんな調子で明るく、クラスでもムードメーカーなのだろう。
「じゃあ次の子!」
レオンの隣の男の子、次いでその隣の女の子が自己紹介する。
運動が得意なギルという男の子とお花が好きだという女の子アビーは、レオンと仲良しでいつも一緒なんだという。二人とも活発そうな、はきはきと喋る子どもだ。
「じゃあ、最後にあなた!」
ケイトリンが端に佇む女の子に声を掛けると、女の子はびくっと肩を揺らし、震える白い手をもう片方の手でぎゅっと握った。
「う・・・あ、あの・・・」
「?」
女の子は、答えを待つケイトリンの顔を上目遣いでそっと伺った。笑顔を向けられたことに安心すると、控えめに口を開き小声で名乗る。
「ユージュ・・・ユージュ·インヴィレ 、です。わたしは、えっと・・・好きなものは、あの、えっと・・・」
「ユージュおそーい!早くしなよ先生待ってんじゃん!」
「ほんとトロいな!うすのろユージュ!」
「えっと・・・ご、ごめんなさい・・・!」
アビーとギルに急き立てられ、自分の口下手さが悔しくなったユージュの目に、涙が浮かぶ。
「いいんだよ、ゆっくりで。ユージュちゃんのこと、わたし達に教えてほしいな!」
ケイトリンが肩に触れると、ユージュはこくりと頷き、目元を拭うと気を取り直して再び自己紹介を始めた。
「・・・ユージュ·インヴィレ です。将来は、看護師さんになりたいと思っています。えっと、それと、好きなものは・・・」
「ひだまりマフィンだろ?もういいよ、先生ー。早く実習始めてくださーい。時間なくなりまーす。」
「まだユージュちゃんが喋ってるわよ。」
口を挟んだレオンを窘めようと向き直ったケイトリンの袖を、ユージュがそっと引いた。
「いいんです、先生。わたし、本当にひだまりマフィンが好きなの・・・。」
「そうなの?わたしもミリアさんのマフィン大好き!気が合うね。」
元気づけるように笑いかけるケイトリンに、ユージュもはにかんで微笑む。レオンは気に入らなさそうにそっぽを向いていたが、ケイトリンは敢えて見なかった振りをした。
「さ、じゃあ午前中は座学!調香師のお仕事や役割について、オッサン先生に説明してもらいます。お兄ちゃん、お願いね!」
「げ。ケイトまで俺をオッサン扱いするなよなぁ・・・」
子どもたちを座らせ、ライアンがレジュメを配っていると、玄関のドアが開いた。木箱を抱えた、少年がドアをくぐる。すっかり調香工房の仕事にも慣れてきたナユユだ。
「ケイトリン先生、ハンスさんからアトマイザー3ダース預かってきましたよ!どこに置きますか?」
「ナユくんありがとう!ご苦労様。2階に運んでくるね。」
「僕が運びますよ。重い荷物は僕が運ぶって言ったでしょう?」
「そういえば、そんなこと言ってたっけ。じゃあ、お願いしようかな。」
木箱を抱え直すナユユの額に汗が光る。初めて会った時、どこか弱々しさのある少年だったナユユは、この頃少し逞しくなってきたと、ケイトリンは思う。背も少し伸びた。
「ナユユ。」
「ナユユだ!」
子どもたちにひそひそと名前を呼ばれ、ナユユは立ち止まってそちらを見る。
「そっか、みんなはナユくんと同じ歳だったね!」
ケイトリンが手招きすると、ナユユは子どもたちの前に立ち、工房のスタッフ側のひとりとして、ぺこりと頭を下げた。
「よぉナユユ。最近見かけないと思ったら、こんなところにいたのかよ。」
レオンが挑発的な笑みを浮かべて声をかけると、一瞬ナユユの肩がびくっと震える。が、ナユユはひるまなかった。しっかりとレオンの目を見ると、清清しく微笑んで見せた。
「レオン。みんなも、久しぶり。先生は腕のいい職人だから、しっかり勉強していってね。」
余裕の態度が癇に障ったのか、レオンはますます不機嫌そうにナユユを睨みつける。
「先輩気取りかよ。学校にも行ってない、初等学校レベルが・・・!」
「そこまでっ!」
不穏な空気を切り裂くように、ケイトリンが手を叩いた。
「レオンくん、“こんなところ”とは随分ね!不満なら帰っても構わないのよ?」
「あ・・・いや・・・」
「キミが言ったとおり、ナユくんはみんなにとってこの1週間、先輩にあたるわ。彼からもいろいろと教えてもらってね。」
ユージュが澄んだ声ではい、と答えると、他の子ども達も続いて小さな声で返事をした。
「それにね。」
ケイトリンは、ナユユの肩に手を置いて得意げな笑顔を浮かべた。
「ナユくんには、私以外にもこの町中にたくさん先生がいるの。学校では教えきれない山ほどのことを勉強してるのよ。現状に満足してあぐらをかいているようじゃ、あっという間に抜かされちゃうかもね!」
「学校に行かずに勉強・・・!?」
レオンは目を丸くし、ナユユを改めて見る。ケイトリンに褒められたために照れ笑いをしながら、ライアンに頭をなでられている様子を見ると、随分かわいがられているようだ。
初等学校時代、成績がよく、学力では常に上位だったナユユを、レオンは気に入らないと思っていた。
普段大人しいナユユが、成績こそあまり良くないが学年一の人気者の自分を差し置いて、注目を浴びるテスト期間が大嫌いだった。
そんなナユユが中等学校へ進学しないと聞いたとき、これで自分が常に人気をキープできると清々したものだ。
卒業後のナユユがどうなっていくのかなど、想像しようともしなかった。いや、心の底のさらに底では、できれば落ちぶれていてほしいと思っていた。
だが、今のナユユは強く当たられてもにこにことかわす余裕を身に着けている。それはレオンには無いものだ。
レオンの負けん気に火がついた。
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午前中の座学が終わると、午後からは全員で森へ採取に出かけた。
レオン、ギル、アビーの3人は、わいわいはしゃぎながら、あれこれと花や木の実を手に取っていく。
ナユユは、少し離れた場所で花を摘んでいるユージュにこっそり話しかけた。
大人しい者同士、初等学校の頃は仲良くしていたのだ。
「・・・驚いた、ユージュがあの3人と同じ班だなんて。」
気の弱いユージュがレオンたちにからかわれる度に隠れて泣いていたことを、ナユユは知っている。
周囲は皆人気者のレオンに肩入れするため、ユージュは学校で孤立しがちだった。
「うん・・・。人数であぶれてしまって、入れてもらったの。」
「中等学校ではどう?楽しくやれてる?」
心配するナユユに、ユージュは泣きそうな顔で、首を振った。
「・・・ナユユがいなかったら、この実習も初日だけ出て、明日から休むつもりだった。ねぇナユユ、どうして中等学校に一緒に来てくれなかったの・・・?」
今にも涙がこぼれおちそうな瞳で見つめられると、ナユユは小さく、ごめんね、と返すことしかできなかった。
子どもにはどうすることもできない事情が、あったのだ。
「・・・実習の間だけは、できるだけ僕がユージュを守るようにするから、最後までがんばろう、ね?」
ナユユの励ましに、ユージュはこくりと頷いた。
離れた場所で友達2人と一緒に採取に取り組んでいたレオンは、その様子を苦々しげな表情で見つめると、談笑するギルとアビーを置いてずんずんとナユユたちに近寄ってくる。
「おいナユユ、俺のおもちゃにちょっかいかけてんじゃねーよ。」
「ユージュはレオンのおもちゃじゃないだろ。そういうのもうやめなよ。」
正面から堂々と言い返されると余計にいらだつ。以前のナユユなら黙ってうつむくだけだったはずだ。
「弱虫ナユユが、泣き虫ユージュをかばって、王子様気取りかよ!笑わせる!」
「・・・さっきは僕を初等学校レベルって言ってたけど、レオンこそ、初等学校のころとやってることが変わらないね。残念だよ。」
カッとなったレオンがナユユにつかみかかろうとすると、ナユユはその手を軽くいなしユージュに危害が及ばないように木陰に逃がした。
いつの間に身を守る術を身に着けたのか。ナユユは確実に成長している。――気に入らない。気に入らない気に入らない。
レオンは雄たけびをあげると、ナユユになぐりかかろうとする。レオンが眼前に迫り、ナユユもやむを得ず手を出そうとした。
と、その時、大きな手が二人の首根っこを掴む。
「ストップ!」
はるか以前に戦いの場から退いていても、元騎士。すばやい身のこなしで仲裁に入ったのはライアンだった。
「王子様にはちと荷が重いかな。レオンくーん、激しい運動がしたいなら、オジサマが相手になろうか?」
へらへらとした笑顔を向けられて興が削がれたレオンは、舌打ちをすると遠巻きに見ている友人達の元へ戻っていった。
ナユユはしょんぼりとしてライアンに声をかける。
「ごめんなさいライアンさん。僕、ダニー先生に教わった体術をケンカに使おうとしてしまった・・・。」
「ん?」
ライアンは落ち込むナユユの頭に軽く手を乗せるとふわりと微笑んだ。
「大切なものを守るために、戦わなくちゃいけない瞬間が男にはある!・・・なんてね。でも友達には手加減してやるんだぞう。」
ナユユも笑顔を返すと頷いて、花々の入った籠を抱え、採取を続けようとユージュに声をかけた。
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「はーーーーーー。男の子って難しい。なんですぐケンカになっちゃうのー。」
その晩、ケイトリンはぐったりとして食卓に突っ伏した。
ライアンが用意したおいしそうな手料理が並ぶが、疲れすぎて食欲が出ない。
「なんだなんだ?おい、今日何があった?」
夕食を一緒に摂る約束をしていてベネット兄妹の工房を訪れていたランドルフは、死にそうな様子のケイトリンを見て戸惑った。
苦笑しながらライアンが答える。
「ウチで預かってる中等学校の子たちに、ケンカっ早いというか、ちょっと元気がよすぎる子がいてさ。初日でへばってるってわけ。」
「ねぇ、二人も子どものころ、あんな感じだった?男の子って、そういうもの!?」
がばっと顔を上げ問いかけてくるケイトリンに、ランドルフはうーんと唸って記憶をたどった。
「俺は、気に入らない奴全員叩き伏せたな。」
「野蛮!」
ライアンは二人のやり取りを見て愉快そうに笑うと口を挟んだ。
「でもケイトだってなかなかだったよな!ホラ、元彼だったムエタイ部の部長を張り倒した事件・・・」
「なにっ元彼!?」
「ちょっとお兄ちゃん、それは忘れてって私言って・・・!!!!」
猛抗議をしようとしたケイトリンだったが、思わず口をつぐんでしまう。
「お兄ちゃん・・・記憶が戻ったの?わたしが中等学校だったのころのこと・・・」
「あれ?俺、今咄嗟になんか言ったね?」
指摘されて、ライアンは自分が口走ったことについて冷静に考え込む。
「うーん。いやさ、ケイトが中等学校に通っていたことは思い出せないんだけど、他に彼女がいたとかなんだかで、付き合って3日のムエタイジュニアチャンピオンをひっぱたいて泣いて帰ってきたことだけ詳細に覚えてる気がするんだよなぁ・・・。なんでだろ。」
「強烈過ぎたんじゃね?」
恐ろしいものを見るような表情で二人に見られ、ケイトリンは真っ赤になった頬を押さえて声を上げた。
「な、な、何よーーーーっ!!」
都合の悪いことだけ都合よく思い出した兄ライアン。それでも、記憶が戻りつつあるのかと思えば喜ばしいことだった。