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続·アリステニアの恋愛調香師。  作者: 小鳥遊ことり
3/12

3.魔除けの実

「いい?お兄ちゃん。今日はわたしと一緒に、猛獣と魔物とその他もろもろがはびこる北西の山へ、ソフィアのための素材を採取しに出掛けます。」


「はい、ケイト隊長。」


「なんだねライアン君。」


動きやすい着古した服にケープをかぶった赤ずきんちゃんのような格好のケイトリンに、ライアンがきりっとした表情で手を挙げる。ケイトリンも上官よろしくきりりと返答する。


「確かにこの間、ケイトとお出かけしたいって言ったけどさぁ・・・お兄ちゃんとケイトの二人で行くの?危なくない?護衛は?」


「大丈夫よ、頼れるお兄ちゃんがわたしを護衛してくれるから。」


「ぇ。お兄ちゃんは誰が守ってくれるんだ?」


ライアンはこの時、ケイトリンが“わたしがお兄ちゃんを守るよ”と言ってくれるのをほんのり期待した。


「自分の身は自分で守るのよ。しっかりね!」


甘かった。


たしかにライアンはかつて王国軍に所属していたが、ランドルフほど腕がたったわけではなく、どちらかというと、その知恵で上手いこと立ち回っていた方だ。正直腕に自信はない。

ぐぅっと項垂れるライアンに、ケイトリンは申し訳なさそうに苦笑した。


「本当は傭兵ギルドに護衛を頼むつもりだったんだけど、一週間先まで予約が埋まっちゃってるんだって。ソフィアの大事な結婚式のための香りだから早く材料を揃えたいし、できるだけ危なくない経路で行くから・・・ね?お兄ちゃんお願い!」


「・・・わかったよ。ぅぅ、なんだか胃が痛くなってきた。」


かわいくお願いされたら仕方ない。ライアンは、念入りに準備を始めた。


「お兄ちゃん、これ飲んでね。」


ケイトリンが差し出した手のひらには、銀色のとても小さな粒がいくつか乗っている。ライアンが3つ受け取ると、ケイトリンも残りをごっくんと飲み込んだ。


「何だいこれは?」


「聖ロガンの実よ。聖人ロガンが育てたという魔除けの木の実で、飲めばその日一日、魔物や猛獣が嫌う香りが体から立ち上るの。あと、お腹の調子を良くしてくれるらしいわ。・・・この間採取中に、同行してくれた人がわたしを庇って大怪我を負ってしまって・・・。力がないわたしでも、身を守れるものがないかなって探してたら、旅の商人さんが売ってくれたのよ。香りで魔除けだなんて、なんだか私たち向きよね。」


ライアンは勧められるままに一気に実を飲み込んだ。なんだか苦いような渋いような、平たく言うとおじさんっぽい香りが体の奥から強烈に立ち上ってくる。


「ケイト、お兄ちゃんオヤジ臭くない?」


「わたしはもう鼻がまひしちゃったからわかんないけど、臭ければ臭い方がいいのよ。わたしからも臭ってるはずだし、お兄ちゃんも気にしないで!」


人一倍鋭い嗅覚を持つケイトリンは、すでに香りが感じ取れなくなっていたが、危険な目に遭うよりは遥かにマシだ。

不思議な香りを纏った兄妹は、明るいうちに帰ってこようと、北の山へ急いだ。


---

以前ダニーと深夜にこの山を訪れた時には随分不気味に感じたものだが、昼間の山は心地良い。木漏れ日は優しく、リスやタヌキなどの可愛らしい姿を見ることもできた。道中何事もなく、目指していた地点に到達する。


「あった!オーキッドペッパーの葉。笛の木の樹液もこの辺りね・・・。」


二人で手際よく素材を集めていく。手分けしたお陰で、必要なものは早いうちに手に入れることができた。


「・・・不思議だな、前にもこうして出かけたことがある気がする。」


「あるよ!まだわたしが小さかった頃、お兄ちゃんの採取について行きたがって、いつも困らせてたんだよね。」


ケイトリンがまだ初等学校の頃、調香師の兄に憧れて、仕事を教えてほしいとせがんだり、こうして一緒に採取に出かけたものだった。ライアンに記憶が戻り始めているのかと、ケイトリンは嬉しくなり、当時のことを色々と聞かせてみようと語りかけた。


「冷えたらいけないからって、出かける時にこういうフードのついたケープを最初に被せてくれたのもお兄ちゃん。今でもちゃんと言いつけ守ってるんだよ。」


珍しいものを見つけるとすぐに駆け出すケイトリンとはぐれてしまわないように、兄はいつも手を繋いでくれていた。

当時を再現するつもりで、ケイトリンはライアンの手を握る。


「こうやって手を繋いで、わたしたちどこに行くにも一緒だった。」


すぐ近くでケイトリンに笑いかけられて、ライアンはさっと頬を赤らめるとそっぽを向いた。


「・・・ごめん、小さい妹のことは、まだ思い出せてない。」


「そっか・・・」


残念そうに微笑むケイトリンを見ると、少し申し訳ない気持ちになる。ライアンは今思い出せそうなことを話してみることにした。


「今のケイトと同じくらいの背丈の女の人と、出かけたような気がするんだ。」


「大人の女の人とってこと?どんな人だった?」


「うーん。姿や格好までははっきり覚えてないんだけど、ちょっと儚い感じというか・・・。あ、ちょうどそこの人みたいな!」


「えっ?」


ライアンの視線を追ってケイトリンが振り向くと、少し離れた木陰に、確かに女の人が立っている。自分たち以外の人の気配はしないと思っていたので、ケイトリンは驚いて息を呑んだ。

女性の方もケイトリンたちに気づくと、ふわりと微笑んだ。こっちへ来て、と微かに聴こえたと思うと、くるりと背を向け走り去ってしまう。


「追いかけなきゃ!」


「え、お兄ちゃん何で・・・!?」


急に駆け出したライアンがはぐれないよう、ケイトリンは繋いだ手にしっかりと力を込めそのままついていく。


(もう!これじゃ子どもの頃と逆だよ!)


そんなに距離を置かず追いかけていたはずなのに、いつの間にか女性を見失ってしまう。二人は山道から離れ、木々の生い茂る山林に入り込んでしまっていた。


「も、戻ろうよ、お兄ちゃん。」


「何か思い出せそうな気がするんだ。彼女に会って話を聞かないと。」


女性の姿を探して視線をさまよわせる様子は、いつものライアンらしくない。ケイトリンは肌が粟立つのを感じた。


「お兄ちゃん・・・なんか、怖いよ。」


「ねぇ、探してるのは私?」


「!!!」


突如、ケイトリンとライアンの間、すぐ後ろから囁くように声をかけられ、二人は勢いよく振り向いた。

声は、耳元のそばから確かに聞こえたのに、背後には誰もいない。声を張らなければ届かないはずの離れた距離に、女性はいた。今にも泣き出しそうな脆い表情に、微笑みをたたえてこちらを見ている様子には狂気を感じる。


「見つけた、あの人だ・・・!」


「お兄ちゃん、ダメぇ!」


ライアンはケイトリンの手を解くと、制止も聞かず女性の方へ一歩、二歩と歩み寄る。


「そうよぉ・・・いい子ね。そんな娘じゃなくて、私を選ぶのよ・・・さぁ。」


女性もライアンに少しずつ近寄る。しかしその足は動いていない。宙を滑るように距離を縮めてくる。

――この世の人じゃない・・・!

ケイトリンはぺたりとその場に座り込んでしまった。


「その娘と違って、私なら貴方を愛してあげられる。」


手の届く距離。女性はライアンの首に抱きつこうと腕を伸ばす。その肌は腐食するようにどんどん黒みを帯びていき、美しかった唇は耳まで裂ける。口だったはずの赤い裂け目からは無数の鋭い歯が覗いている。


「そんなみすぼらしい恋人と別れて、私のものになるのよ。」


ライアンも腕を前へ伸ばす。

ケイトリンは、兄が人ならざるものと心を通わせるのを見ていられなくて、顔を背け目を閉じた。


「・・・じゃない。」


「なァに?」


うっとりと聞き返すそれは、ぐっと胸倉を捕まれ、ライアンに引き寄せられた。


「恋人じゃないし、みすぼらしくもない!ケイトは俺の大事な妹だ!!」


「ぐぅっ・・・」


「取り消せよ・・・!」


異形は苦しそうに顔を歪めるが、それは肉体的なダメージからではない。

ライアンの吐く息に、苦悶の表情でうっと顔を逸らした。


「うう、オヤジ臭い・・・!この香り・・・ロガンめ・・・!!ぁあぁ口惜しいぃぃ!!!」


悶えながら、霧のように山の空気へ溶けていった。

聖ロガンの実の効力は、本物だったのだ。


「俺、そんなにオヤジ臭いかな・・・。」


ほんのり傷ついたライアンは、座り込むケイトリンに駆け寄ると支えて起こし、服についた土や落ち葉を払ってやった。


「びっくりしたな、なんだあれ。魔物?お化け?いや、まさか妖怪・・・?ひぇ・・・」


自分で言って自分で怖がる様子は、いつものライアンだ。

兄が魅入られなくて本当に良かった・・・!ケイトリンはライアンに抱きつき、子どものように泣きじゃくった。


---


「・・・ということがあってさ。」


まさかの恐怖体験に体力も精神力も消費した兄妹は、山からほど近い、麓にあるランドルフの屋敷で少し休ませてもらうことにした。

ライアンは事の次第を、ランドルフに説明した。ランドルフは腕を組み、落ち着いた様子で耳を傾けている。


「・・・どう思う?」


「けしからん。」


「だろ?うわ!」


「ベネット嬢に抱きつかれたってどういうことだ!兄としての立場を弁えろ貴様ぁぁ!」


「弁えてる!弁えてるよ!!」


ライアンは、てっきりランドルフもあの異形の恐ろしさやケイトリンへの暴言に対する怒りについて同意してくれるものだと思っていたが、思わぬ視点から詰め寄られて目を白黒させた。

ケイトリンに温めたタオルを渡しながら、ランドルフの付き人アルドリッジがやかましさに顔を顰め口を挟む。


「恐らく、北西の山の怪異ハウリンでしょう。旅人の心を読み、欲望を引き出し、それを音として耳に吹き込み洗脳する。そうして手に入れた人間をいたぶり、最後は骨の一欠片も残さず食べてしまうと聞いたことがあります。」


「怖い・・・」


ケイトリンが顔を青くすると、アルドリッジは、怪談が苦手だなんてかわいいなと思いながら、肩からブランケットを掛けてやった。


「“その娘と違って、私なら貴方を愛してあげられる。”がお兄ちゃんの心を読んだ洗脳なら、お兄ちゃんってわたしを・・・うわぁぁ、怖い・・・!」


「貴様ァ!!」


「だからはっきり否定したしちゃんと撃退しただろ!!」


「うわ、お前の息オヤジ臭いな・・・。」


「言うなよぉぉぉ!地味に傷つく!」


理不尽にもランドルフに責められる兄の言葉に、あの時、咄嗟に異形に立ち向かった兄の姿を思い出す。


『ケイトは俺の大事な妹だ!!』


ケイトリンはわかっている。ライアンが少しずつ、自分を家族と認め始めてくれていることを。


(大丈夫。わたしたちきっともうすぐ、元の仲良し兄妹に戻れるよ・・・!)


ランドルフにしばかれるライアンをよそに、アルドリッジが淹れてくれた消臭効果のあるお茶を、のほほんと味わうケイトリンだった。


---


ティータイムでほっと一息つくと、ライアンは仲良しのアルドリッジとチェスを打ち始めた。ランドルフは所用があるとかで書斎に戻ってしまったし、暇を持て余したケイトリンは応接間を抜け出し屋敷の中を探検することにした。

勝手に部屋のドアを開けて回るのはなんだかデリカシーに欠ける気がするし、とりあえず長い廊下を何往復かしてみる。往路はふつうに、復路は早歩き。その次はスキップで、帰りはくるくる回りながら。

窓からは、前にランドルフと語り合った花のない庭が広がっていた。衝動的にあの時の庭に出てみたくなって、階段を一段飛ばしで降りる。装飾の少ない屋敷だが、玄関ホールには一つだけ大きなシャンデリアが下がっていた。それをぽやっと口を開けた間の抜けた表情で見上げながら通り過ぎ、玄関の扉に手をかけたところで、


「コラおてんば娘。」


声をかけられて振り返るとランドルフがいた。特に悪いことはしてないはずなのに、思わずドアノブに掛けた手を引っ込めてしまう。


「どこ行くつもりだ?」


「えっとね、ちょっとお庭に・・・。」


気まずそうに答えると、ランドルフは重い扉を開けて庭へ連れ出してくれた。


「ごめんなさい勝手にウロウロして。」


「 構わないけど、書斎の前を行ったり来たりする音がするから気になって様子を見にきた。」


「あわわわ、お仕事の邪魔を・・・!」


「飛び跳ねてたな?」


「・・・すいません。」


スキップをばっちり見られていた。

顔を真っ赤にしてしょんぼりするケイトリンを見て少し笑うと、ランドルフは表情を引き締め、長椅子にケイトリンを座らせる。目線を合わせるようにしゃがみ込むと、低いトーンで語りかけた。


「もう山に行くなよ。二度も危ない目に遭って。」


「・・・仕事に必要なものが、山にたくさんあるのよ。」


叱られた子どものように口ごたえする。


「じゃあちゃんと護衛を雇え。」


「そうしようとしたけど今回は仕方なかったの!」


「なら何で俺を頼らない?」


金の瞳が正面からケイトリンを見据える。少し怒ってるようにも見えて、思わず目を逸らしてしまった。


「だって・・・わたしのせいで、あなたに何かあったらやだもん。」


猛獣から自分を庇って深手を負ったダニーの姿を思い出す。シェンにダニーの傷を癒してもらった時に、ケイトリンの自責も和らいだはずだったが、今日の出来事とあの時のショックが重なって、また目にじわりと涙が滲んでしまう。


「ケイティ・・・」


「んっ?」


自分を案じるいじらしい様子に、思わずかつてダニーとして呼んでいた愛称が口をついて出てしまう。ケイトリンも耳ざとく反応した。


「あ、やべ。」


「今ケイティって呼んだ?」


「呼んでない、聞き間違いだ。」


「呼んだもん。呼んでくれていいのに!」


「駄目だ、呼ばない!」


「なんでよ!」


――今はまだ、“ベネット嬢”と“ランドルフ様”の距離。でも・・・

軽快なやり取りに、ほんの少しだけ、友達同士の距離を縮めてもいい気がした。


「・・・“まだ”呼ばない、ケイトリン。」


「・・・意地っ張りね、ヴィンセントは。」


ランドルフのわずかばかりの譲歩にケイトリンも応えると、二人は顔を見合わせて笑い合う。


「とにかく、細かいことはいいから、次護衛が雇えなかったら俺にも声掛けろよ。友達だろ。」


「はぁい。」


照れくさそうに立ち上がり勝手に歩き出してしまったランドルフを追いかけて、ケイトリンはもう少しだけ、庭を散歩してから帰ることにした。

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