11.手をつなごう
「こうしてだな」
シザリーはほっそりとした長い指で、ケイトリンの低い鼻をちょんとつまむ。
そしてあごの下に手を沿えくいっと上を向かせると、木漏れ日がもっちりとした頬に光の粒を落とした。
「上を向いてじっとしてる。そしてこれで」
ミシェルが用意した飲み物を冷やしていた氷を少し拝借してきたものを、手早くハンカチでつつみ、ケイトリンの眉間に当てた。
「つめた・・・っ」
「ここを冷やすと鼻血が止まりやすいんだ。死んだおばあちゃんが言ってた。ガマンできるか?」
「ふぁい・・・」
「じゃ、氷は自分で当てて。冷たすぎたら少し離して当てなおすといい」
鼻声で返事をするケイトリンを見て、シザリーはほっとしたように微笑んだ。
「・・・そうか、家族が見つかっていたんだな」
ライアンのことを言っているとすぐにわかった。ケイトリンがシザリーに会ってすぐ感じた違和感はこれだ。
「あのう・・・兄とヴィンセントの共通の知り合いっていうことは、シザリーさんはディンザークの、王国軍の方ですね?」
「そうだよ。今じゃあの頃の同期メンバーで残ってるのは私だけだけどね」
「兄が生きてること、驚かないんですね」
木陰で二人。ケイトリンは、甲斐甲斐しく寄り添ってくれるシザリーに、小声で尋ねてみた。シザリーも、周囲を伺うと耳打ちで返す。
「君はどれくらい聞いている?」
「多分ほどんど・・・兄が記憶をなくしてヴィンセントに出会ってから、アリステニアに隠れ住むまでのことは。」
「じゃあヴィンスに・・・」
シザリーはケイトリンの鼻をつまんだまま、にやりと笑ってみせた。
「私という元カノがいたことは?」
「え゛っ!?!」
「誰が元カノか。」
突然背の高い影が差したかと思うと、ランドルフが救急箱を持って立っていた。
「ソフィアに借りてきた。」
「無粋だな、相変わらず。こんなハレの日に、うら若い乙女の鼻に二度も綿を詰めようと言うのか?今ここで私がピタリと止めてしんぜよう」
「・・・そーかよ。お前こそ相変わらず上から目線だな」
「あのあの、それで・・・えっ?・・・その、お二人は、そうなんですか?」
「ん?」
軽口を叩き合う二人の間で目線を左右させるケイトリンの顔を、じーっと覗き込むと、シザリーはぎゅっと鼻をつまむ指に力を込めた。
「あぶっ。ぐるぢぃ・・・」
「苦しんでる顔もそそるな!」
「なんなんですかっ」
「はい動かないー。・・・案ずるな乙女よ、私達はただの昔の同僚だよ」
用無しになった救急箱をどさりと置くと、ランドルフも木陰に腰を下ろした。
「それも最悪のな。腕は確かだが、昔はこいつも俺も血の気が多くて、何かしら起こる度、俺達の内のまだキレてない方が、先にキレた方を半ギレでなだめるみたいな。そんな関係だった。」
「ヴィンスは当時赤鬼と呼ばれていたが、私は狂犬の名をほしいままにしていてだな。根に持つ分私の方が多少タチが悪い」
「怖っ」
「ライアンが死んだと報せが出たときもそうだ。シザリーはブチ切れて原因を作った王子を」
「暗殺しようとしたっけ。あはっ、あとちょっとだったのに惜しかったよなぁ!お前が止めなければなぁ・・・」
「怖い怖い怖い怖い!」
ぞっとするような笑顔を浮かべるシザリーの美しい唇から物騒な単語が出て、ケイトリンはそんな人物に鼻を文字通り掌握されていることに身が竦んだ。
「まぁそんなわけで、こいつには落ち着いてもらわないと困ると思って、ライアンは生きてるってことだけは伝えておいたんだ」
「そのくせ、どこでどうしてるかってことは、どれだけ聞いても絶対に教えてくれなかったけど。それでもお前がうまいこと立ち回れるよう、影に日向に協力してやったんだから、寛大な私に日々朝晩感謝することだな」
「してるって」
「どうだか。ちなみに、戦果を挙げた褒美に土地をもらうなら、アリステニアがいいよって教えたのも私。この、町外れの風の村で、初等学校卒業まで育ったからさ。アリステニアが素朴で、人の出入りも多くて、誰かを匿うのにぴったりな町だと思って提案したんだ」
すぐ近くの集落に住んでいたことがあると聞いて、ケイトリンが口を挟もうとすると、遠くから呼ぶ声がする。
花嫁が、慌てたように手を振っていた。
「シズ姉ー!そろそろ戻ってくれなくちゃ!証人なしじゃ始められないのよーっ!?」
「ごめん、すぐ行く!」
返事をするとシザリーは、やっとケイトリンの鼻から指を離し、覗き込んだ。
「もう止まったかな?」
「はい、おかげさまで・・・!」
「じゃ行こーか乙女よ。貧血を起こすといけないから私がエスコートしよう」
「いやあの、だいじょう・・・」
「し·よ·うっ?」
「ははい」
半ば強引に手を取られたケイトリンは、ぐいぐいとシザリーに連れ歩かれることになった。
「いざ参らん、遅れをとるなよヴィンス」
「お前な、何勝手に・・・!」
「"遅れをとるな"と言ったのがわからんか。いつまでもぐずぐずしている貴様が悪い!気の利かない男め」
見透かしているぞと言わんばかりのニヤニヤ笑いに、ランドルフは、ぐっと唸るしかなかった。
「あらっ!二人、もう腕を組むくらい仲良くなったのね。どんな話をしていたの?」
傍から見ると仲良さげに寄り添って歩くシザリーとケイトリンを見て、ソフィアはつぶらな目をもっと丸く見開いた。
「なに、昔話をちょっとな。そうだろう?乙女よ」
「そっ、そそそそそうでーす」
ややぎこちないケイトリンを訝りながらも、ソフィアは二人を会場に誘いながら紹介した。
「ケイトリン、この人が、さっき話した私達の大切なもう一人の幼馴染、シザリーさんよ。美人で運動神経もよくて、小さい頃から私の憧れなの」
「うん、いろんな意味でつよい人だね・・・なんとヴィンセントとも知り合いなんだって。びっくり」
「そうなの?世間は狭いわねー。それでシズ姉、この子はケイトリン。恋愛調香師さんよ」
「・・・恋愛?調香師?聞いたことない職業だ」
「香りの力で人の恋愛がうまくいくように導いてくれるの。私とロランのキューピッドでもあるのよ」
「へぇ・・・うん、覚えておこう」
一瞬シザリーは表情を曇らせ、何かを思案したようだったが、すぐに元の朗らかな様子に戻ってみせた。
なんだか、その様子が無性に心に残った。
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直前までバタバタとしたが、全員が揃うと、いよいよ式が始まった。
シェンが歌う、風の村のウェディングソングに合わせて、ロランとソフィアが入場すると、湧き立つように拍手が青空いっぱい鳴り響く。
照れたように笑顔をかわす二人は、今ではすっかり信頼で固く結ばれたパートナーに見えた。
二人の結婚式は人前式の形で行われ、ぐるりと囲うように並べられたテーブルの中央に、祭壇のように浮かべられた大きな気球まで辿り着くと、ロランはごそごそと、懐からぐしゃぐしゃの紙を取り出した。
「あー、えー・・・本日は、私、ロラン·エマールと、そのつ、つつ、つ・・・」
「つ?」
ごにょごにょと言い淀んだかと思うと、ロランは黙りこくってしまった。よく見ると、めそめそ涙を流している。
「えっ!?早くない!?」
一瞬引いたソフィアだったが、意を決したようにロランの手から紙を引き剥がすと、凛と前を向いて読み始めた。
「その妻、ソフィア·エマールの結婚式に、証人としてお集まりいただきありがとうございます。私たちはこれからも永劫変わらず、この澄んだ青空のように曇りのない愛をもって互いを思いやり、そしてそれは、どんな暴風が襲いかかっても揺るがないことをここで皆様にお誓い申し上げます・・・!」
微笑んで一呼吸置き、お辞儀をすると、再び拍手が沸き起こる。祝福の笑顔に包まれる中、傍らのロランがまだ立ち尽くしたままなことに気づくと、ソフィアはその後頭部をそっと押して、自分同様にお辞儀させた。
「シズ姉、お願いします」
「あぁ!二人とも、本当におめでとう」
全員を代表して、ロランとソフィアに縁の深いシザリーが結婚証明書に証人として署名した。
晴れて夫婦となったロランとソフィアの姿を見て、ケイトリンは二人との出会いを思い返す。雨降って地固まる。すれ違いを乗り越えて本当の絆を見つけた二人が眩しく見えた。
式はガーデンパーティーへと移る。ミシェルが前日から仕込んだ料理の数々が華やかに並び、皆が思い思いに立食と会話を楽しんだ。その中、一際大きな声が響いた。
「嫌だ!俺は絶対にバンジーをする!」
「危ないからやめてってお願いしてるのに、聞き分けがないんだから!こどもなの!?」
ぎょっとしてそちらを見ると、さっきまで幸せ百点満点だったはずのロランとソフィアが言い合っていた。
「ど、どうしたの二人とも?」
料理の取り皿をテーブルに置くと、ケイトリンは仲裁に入るつもりで慌てて駆け寄った。
ソフィアが涙目で眉をつりあげ訴えてくる。
「聞いてよケイトリン!ロランったら、気球バンジーをするって言って聞かないの!」
「今日のために専用の気球を作って準備したんだ!俺の苦労、職人のお前ならわかるよなケイトリン?」
「まって、おちつこ?」
目を丸くするケイトリンを挟んで、夫婦喧嘩はお構い無しに続く。
「そんなの聞いてないわ!結婚式当日に私を未亡人にする気なの?」
「サプライズのつもりだったんだ!俺が死ぬって決めつけるなよな!」
「ま、まぁまぁ・・・」
「まぁまぁ。」
宥めようとするケイトリンに被せるように仲裁に入ったのは、ツバキだった。
「ソフィアさん、俺がちゃんと雨風が来ないように操作してあるし、見張りとして無茶をしないか同乗するから許してあげなよ」
「むぅ、ツバキさんがそう言うなら・・・」
「うわっ・・・ツバキの信頼度高すぎ・・・?」
軽く引くロランに、ツバキは眉をピクリとも動かさず向き直った。
「だってさ。よかったね、ロランさん?」
「お、おぅ、助かるわツバキ・・・。よし、んじゃさっそく上に行こうぜ!」
ロランに促されて気球に乗り込むツバキの口元が、一瞬愉快そうに歪んだ気がした。
「・・・わたし、ツバキくんが何か企んでる気がする」
「ケイトリンも?私もよ・・・」
不安と期待の混じる視線の中、気球はふわりと空へ浮かんだ。予定していた高度に達すると、準備していた安全装置を身につける。
ゴンドラから下を見るとその高度を実感する。何度も気球を飛ばしてきたロランだったが、飛び降りるのは初めてだった。掌が湿り気を帯びる。
「ぉぉぉ・・・さすがに肝が冷えるな。やっぱやめようかな」
「ロランさん、せっかくなのでここからソフィアさんに一言どうぞ」
「よっしゃ!」
身を乗り出すと、地上から見上げているソフィアに向かって両手を振った。
「ソフィアーーーー!!愛してるぞーーーー!!!」
それを受けてソフィアは顔をトマトのように赤らめる。
「も、もう!恥ずかしいんだから!!」
その時。
「じゃあ行ってらっしゃい」
「お?」
ロランが降ってきた。
ハンズフリー状態のロランの背中を、ツバキが軽やかな手つきで押したのだ。
「ぁぁぁぁああああああああ!!」
ヨーヨーのように上下するロランを見上げて、男らしく度胸を見せたと思っている観衆からは拍手が起こった。
「ツバキくん・・・思いっきり突き落としたよね・・・」
「きっとお灸を据えてくれたんだわ。ツバキさんはいつだって私の味方だもの」
日頃からロランの調整した運天席を扱っているツバキは慣れた手つきでロランを回収するリールのスイッチを押すと、泡を吹くロランに構いもせず、操縦用のレバーを難なく操り気球を元の発着場所へ降下させた。
「つ、ツバキおめー、や、やりやがったな・・・!」
目を回しながら抗議するロランの首根っこを軽々掴むと、いつものツバキらしい飄々とした様子でソフィアの前に突きだした。
「アンタはソフィアさんや俺がどれだけ言ったって、やってみなきゃ気が済まないし痛い目見なきゃわからんでしょーが」
「だからって・・・!優しくねーよなぁ!ケイトリン!!」
「へぁっ?そ、だね・・・!?」
必死に味方に取り込もうとするロランを一瞥して鼻で笑うと、ツバキは近くのテーブルから牡丹餅をひとつ掴むと美味しそうに頬張った。
「これに懲りたら、ちゃんと奥さんの意見に耳を傾けることですね」
かくして、ロランのロランによるロランのための余興は拍手の中円満?に遂行され、また元の和やかな雰囲気に戻り、太陽が真南から少し西に傾くころ、パーティーは終わりを迎えた。
ケイトリン達は片付けの済んだ会場に暫く残り、そのまま遠距離用の気球で新婚旅行へ旅立ったロランとソフィアを見送る。
ぐんぐん遠ざかり小さくなる気球を見上げていると、風に乗って爽やかな草の香りが、頬を撫でた。
「ときに乙女よ」
声を掛けられ、振り返る。
夕方を迎え赤みを帯びた日差しをステージライトのように浴びたシザリーが、気球が飛び去った彼方を見つめている。その佇まいのあまりの美しさにケイトリンは、はっと息を飲んだ。
「どうしたんですか?」
やっと問い返すと、澄んだ瞳がケイトリンを真っ直ぐに見つめる。そこには意外にも、少しの躊躇いと、少女のような戸惑いを含んだ光が揺蕩っていた。
「その・・・教えてくれないか。身分違い、というか。到底手の届かない恋について、どう思う?やはり早々に諦めた方が賢明だろうか。恋愛調香師としての君の見解が聞きたい」
シザリーは恋をしているらしい。とても真剣で、思い詰めているようだ。
ケイトリンは少し考えて慎重に答えた。
「えっ・・・えと、一応聞きますけど、お相手は、人間です、よね?動物とか、絵の中の人とかだとさすがに無理だと思いますけど・・・」
「も、もちろん人間だとも!」
焦ったような仕草が、女神や女王のような風格のあるシザリーに似つかわしくなくて、なんだかかわいいなと思った。
身分違い。
ケイトリンは少し離れた場所で兄とふざけ合っているランドルフの背中を盗み見る。
シザリーを見つめ返す前に小さく二度頷いたのは、自分の気持ちを肯定するためだった。
「・・・じゃあ、納得いくまでがんばってみても、いいんじゃないかなって。何もせず諦めて、後悔を引きずって、そんな時がわたしにもあったけど、ちっとも幸せじゃなかった・・・。それに、み、身分違いっていうなら、わたしだって、そのぅ」
「・・・!そうか。やはりそう思うか、私も同感だ、ははは!」
シザリーは張り詰めていた緊張が解けたようにぱっと破顔すると、口を大きく開けて笑った。ケイトリンもつられてへらりと笑う。
形のいい手が差し出される。
「また会おう。次に顔を合わせた時にはいい報告ができるよう、お互いがんばろうじゃないか」
「はい・・・!」
握り返したシザリーの手の平は、優美な印象とは裏腹に、日頃の鍛錬で出来たタコでごつごつとしていた。
どんなに努力をしていても、傍目にはそれを感じさせずエレガントに振る舞う。
彼女はそういう人なのだろうと思った。
そんな彼女が心から想う相手は、きっとステキな人に違いない。いつかシザリーからその人の話を聞ける日に、ケイトリンは思いを馳せた。
シザリーがにんまりと笑顔を向けてくる。
「お近付きの印に、今日は乙女にちょっとしたチャンスをプレゼントしようじゃないか」
「えっ?」
「おーーいライアン!」
シザリーはドレスの裾を翻すと、猛ダッシュしていきなりライアンの背中に飛びかかった。
「どわぁぁ!?」
裏返った悲鳴が上がる。どうやらそのままバランスを崩して倒れ込んだようだ。
「む!これはいかん!ライアンは重傷を負ったようだ!救急搬送せねば!!」
そのまま長身のライアンを軽々担ぐと、シザリーはランドルフに敬礼してみせた。
「人道的行為のため馬車と御者をお借りしますぞランドルフ卿!」
「は!?何言ってるんだ!?てか何やってるんだお前!俺達の帰りの足は!?」
「御御足がどうかしましたかな?ではなっ!」
そのまま高笑いを残し脱兎のごとく馬車に乗り込むと、無茶を言って急発進させ、シザリーたちは走り去った。
重傷を負ったことにされたライアンの、助けてヴィンセントぉぉぉぉ、という悲鳴が微かに聞こえた気がする。
車輪の音が遥かに遠ざかると、乾いた風が吹く草原に、小さくカラスの声が響く。
ぽつりと、ランドルフとケイトリンの二人。
「あ、歩いて帰るしかないね・・・」
「やられた・・・その靴で大丈夫か?」
「平気だよ」
「じゃあまぁ・・・帰るか」
とぼとぼと歩き出す。
チャンスをプレゼントしよう、とシザリーは言った。ものすごく手荒で強引で雑な手を使って、人払いしてくれた、ということだろう。
心根の優しさを無骨に取り繕うところが、まるで女性版ダニーのような人だなと思った。
「ケイトリン」
少し前を歩いていたランドルフが、立ち止まってこちらを見ていた。頬が少し赤く見えるのは、夕日のせいだろうか。
「手を繋ごう」
「なに?どうしたの?」
「なんとなくだ。今日はそうしたい気分なんだ」
ケイトリンはなんだか嬉しくなった。
――シザリーさん。人間同士に、手の届かない距離ってないんじゃないかな。
同じ世界にいて、お互いに手を伸ばしてさえいれば、人と人はこんなにも近いもの。
「そうだね、つなごう」
差し出された大きな手をしっかりと握り返す。
シザリーと同じようにごつごつとしたその手は、彼もまた努力を怠っていないことを語っていた。
「・・・遅れをとるな、か」
「?、なんか言った?」
気にするな、というふうに首を振ると、ランドルフは晴れやかに微笑んでみせた。
ケイトリンも甘えたようににこにことする。
それから二人は、街までの遠い遠い道のりを、一言も話さずゆっくり歩いて帰った。