10.おめでとうの空
♪新しい 一日を
迎える よろこび
機嫌よく歌を口ずさむシェンの細く白い指が、灰鼠色の髪を丁寧に編み込んでいく。
その前で椅子に座り髪を預けているソフィアは、純白のドレスを纏いうっとりと聴き入るように目を閉じ微笑んでいた。
「できたわよ、ソフィ」
常春の町アリステニアにも、季節というものがある。
町の花に指定されているヨイゾメランが、白い花をつけている間を白期、紅い花をつけている間を紅期と呼ぶ。
一般的に、紅期に花弁から取れた頬紅をつけて白期に結婚式を挙げるのが喜ばれるとされている。
すっかり親しくなった友人に愛称で呼びかけられたソフィアは、すっと目を開け、鏡を見た。
幸せいろに頬を染めた花嫁がこちらを見つめ返している。
「なんか・・・自分じゃないみたい」
「とても綺麗よ」
「すごいわね、シェン。自分じゃこんな風に結えないわ」
褒められて少し照れた様子を見せると、シェンはソフィアの頭にヴェールを飾りながら答えた。
「私の結婚式のときに、ソフィがドレスを貸してくれたり、支度を手伝ってくれたでしょう?だからずっと恩返ししたいと思ってて、あれからお勉強したのよ、着付けも、お化粧も。役に立ててよかった」
「シェンは結婚してからどんどんおしゃれになったものね。歌手のお仕事でもあっという間に人気が出て、どんどん遠い人になっていくんじゃないかってたまに寂しくなるわ」
「やだ」
そんな風に思ってたなんて。驚いたシェンは、思わずソフィアをぎゅっとハグした。
柔らかいソフィアの体からは、この日のために特別に調合された花嫁の幸せを願う香りが立ち上る。
シェンはその香りを深く吸い込むと、心を込めて囁いた。
「いつだって私たちはお友達だし、あなたは私の一生の恩人よ」
ソフィアもシェンの背中に腕をまわし、応えるようにとんとんと手の平を当て叩いた。
「ああよかった。それに、ケイトリンもでしょ?」
「もちろん!・・・ケイトリン、まだ来てないみたいね。受付を頼んでるんじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど・・・遅刻なんて珍しいね」
「うん・・・まだ余裕あるし、きっと大丈夫よ」
顔を見合わせて肩をすくめると、二人は支度を続けた。
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「ねーーーーケイト!どうしよう、ネクタイの色、赤と青ならどっちがいい?それとも間を取って紫がいい?」
「紫はヘン!っていうかお兄ちゃん、本当、正直どっちでもいいから早く!」
余所行きのドレスでばっちり支度を終えたケイトリンは、ライアンの部屋の扉の前でイライラと足踏みをする。
さっきからこの調子で、チーフや靴下やベルトの色でお伺いを立てられているのだ。
「髪は?髪型は、下ろした方がいい?後ろに流したほうがいい?いっそ立てる?」
「マジでどうでも・・・!じゃなかった、どっちでもいいよぉぉぉぉ」
ケイトリンが頭を抱えて座り込むと、階下から、おおいと呼ぶ声がする。
「ヴィンセントだ・・・来ちゃったじゃん!もう、お兄ちゃん、とにかく何かしら着て下りてきてよね!自分のセンスを信じて!がんばれ!!」
「わかったぁ」
返事が聞こえるよりも早く、階段を駆け下りる。玄関先には、しっかりと礼服を着込んだランドルフが立っていた。
「おはようヴィンセント!迎えに来てくれてありがとう」
「ああ、おはよう。行き先は同じなんだ、気にするな。準備はできてるみたいだな」
「わたしはね。でもお兄ちゃんが・・・」
ヴィンセントはケイトリンのうろたえた様子から察すると、しまったと額に手を当てた。
「言っておくんだった」
「え?」
「ライアン、ここぞって時に緊張して準備に時間がかかるんだよなぁ。ケイトリンと再会させた時だってそうだ。パンツの柄からなにまで相談しに来るから、アルの奴が全部用意してやってだな・・・」
「うわぁ・・・なんて言ったらいいか、兄がすみません」
ケイトリンはふと、幼い頃、母親がお菓子を買ってくれると言った時に、選ぶのにライアンが30分もかけていたことを思い出した。
「ケイトぉ」
とんとんと階段を下りてくる音がする。
「これでいいかな?」
思ったよりちゃんとした服装のライアンを見て、ケイトリンはほっと胸をなでおろした。
必要以上に不安がることはないのにと思う。
「すごくいいと思うよ、お兄ちゃん。でも」
スリッパを履いた足元で視線が止まる。
「"こぐまのアンディちゃん"の靴下はくなら、絶対に人前で靴脱がないでね」
「えっ!アンディちゃんダメ!?」
ともかく、3人はヴィンセントの用意した馬車で結婚式会場へと急ぐのだった。
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ツバキは、丁寧に風呂敷で包まれた荷物を持って歩く。
案内状に書かれていた結婚式の会場は、ロランとソフィアの気球乗り場だった。
広い草原の只中に、ガーデンパーティー風に、均等にテーブルとイスが並べられ、その一つ一つに、美しくアレンジされた花が飾られている。
大きな長机には立派な肉料理とそれを囲むようにオードブルが並べられ、深緑の美しい髪をポニーテールに結った女性――ミシェルが料理にソースを盛り付けている。すらりとした長身の男性――オルトは、ミシェルに指示をあおぐと、各席にカトラリーを並べ始めた。
ツバキにとっては初対面の顔ぶれだ。
「おはようございます」
邪魔をしてはいけないかと、慎重に声をかけると、二人は気持ちよく挨拶を返してくれた。
そんな二人のさらに奥に、祭壇に見立てたのであろう気球が停められているが、そこに蹲って作業をしている人物を見てツバキは驚いた。
「ロランさん・・・?」
「おっ。よおツバキ!来てくれたか」
「こんなところで新郎が泥だらけのツナギ姿で何やってるんですか・・・!準備は?」
「今まさに準備中だよ!余興でこの気球使おうと思ってな!」
「よ、余興・・・?」
「気球バンジー!」
「絶対やめたほうがいいですって」
ロランが手で鼻をこすると、顔に機械油がぺたりとつく。
「それより頼んどいたやつ、やってくれたか?」
「見ての通りですよ。昨日までいた雨雲はきれいに払っておいたし、風も止めてあります。」
「サンキュー!・・・ん?その包み、なんだ?」
「ああこれ」
ツバキはほんのり微笑むと、大事そうに抱えた包みを撫でた。
「デザートの差し入れです。牡丹餅・・・」
「あ、ああ。アレな」
包みの大きさから大体の個数を予想すると、ロランは引きつった笑いを返した。
「うまいよな、お前の嫁さんのあんこもち!でももうちょっと少なくてもいいかな」
「あんこもちじゃないです。牡丹餅」
「お、おう、ソレな。・・・ん?」
少し離れた場所に馬車が停められると、中からケイトリンが転がり出てきた。慌てた様子でこちらへ走ってくる。
「おーい!転ぶなよー!!」
ロランが声をかけると、ケイトリンは走りながら満面の笑みで手を振り――そしてすてんと転んだ。
「あぁあぁ・・・言ったそばから」
むくりと起き上がると、涙目で再び駆け寄ってくる。
ミシェルとオルトに一声掛けると、そのままロランの前までやってきてはぁはぁと肩で息をしながら片手を挙げた。
「転んだ!」
「だな、見てた。」
「遅刻してごめん!私とお兄ちゃんが受付係なのに」
「いいさ、手伝いのみんな以外まだ誰も来てないんだし。ていうか大丈夫か?」
「だいじょうぶ!」
ケイトリンが鼻息を荒くして自分の無事さをアピールしようとすると、その勢いでたらりと鼻血が下りてきたのをロランは見逃さなかった。
半分呆れたように笑うと、普段気球乗り場の事務所として利用している小屋を指した。
「あそこで、ソフィアたちが支度をしてるから、ソフィアに言って手当てしてもらってくれ」
「う、うん、ありがと!」
ケイトリンが素直に従ったのを見送ると、ツバキはロランの手首をぐいっと掴んで引っ張った。
「さ、ロランさんもさっさと支度しますよ。いつまでその格好でいるつもりですか。まずは一旦シャワーで泥と油を流してください」
「ああっまだバンジーのリハーサルが・・・!」
「やめなさいそんなもんー。大事な挙式前にー。」
ずるずるとツバキに引っ張られ、渋々ロランも支度に取り掛かることになった。
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「はい、これで大丈夫。でもあんまりはしゃいだり無理しないでね」
ソフィアはケイトリンの鼻に脱脂綿を詰めると、すべすべとした低い鼻の頭を人差し指でちょんと撫でた。
「ありがとソフィア」
「でも、あなたが時間に遅れるなんて・・・何かあったのかって心配したわ」
ソフィアから受け取った救急箱を棚の上に仕舞いながらシェンが声を掛けると、ケイトリンはばつが悪そうに笑った。
「ちょっとね、着るものに迷っちゃって・・・」
「特別な日に着るものって、選ぶのが楽しくて悩むよね。わかるわ」
迷ってたのはライアンだと言い出せなくなってしまった。
「シェン。ケイトリンも。こっちへ来て」
ソフィアは呼び寄せると、嬉しそうに2人の手を握った。
「こんな大人になってから、友達がたくさんできるなんて思ってもみなかった。二人とも本当にありがとう。今日はね、私たちのもう1人の、大切な幼馴染も駆けつけてくれるの。とても素敵な人だから、後で紹介させてね」
ソフィアに笑顔を返しながら、ケイトリンは、どんな人なんだろうと思いを馳せた。
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しばらくお喋りを楽しんでいるうちに、もう受付開始の時間を過ぎていることに気づいて慌てて表へ出ると、溢れかえる招待客に混ざって、ちょうどリリーとナユユが揃って受付を済ませているところだった。
「ごめんお兄ちゃん!任せっきりで」
「あ、ケイト。あはは、ひどい顔」
鼻につめた綿のことを指摘され、つい赤面してしまう。
「ケイトリンったら、どういうことなの?」
怪訝そうに眉を顰めるリリーの正面では、ランドルフが名簿にチェックをつけていた。
「領主様に仕事を押し付けるなんて。」
「あーーー!!!」
慌ててランドルフの手から名簿とペンをひったくる。
「ごめんヴィンセント!こんな、ぁぁーわたしったら・・・」
「気にするな、ライアンに頼まれただけだ。それよりあんまり大声出して騒ぐとまた出てくるぞ」
そう言ってランドルフは自分の鼻梁を指して『鼻血』と口パクする。ケイトリンはうっと勢いを落ち着けると、ぺこりと頭を下げた。
「・・・ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして?」
かしこまって返すランドルフの様子がなんだかおかしくて、ケイトリンはぷふっと笑いだしてしまった。それを見てランドルフも頬を緩める。その時、
「すみません、受付はここでいいのかな」
女性の招待客に声をかけられ、ライアンがはいと返事をする。
涼やかな目元が印象的な美しい女性だ。
「シザリー·グリーンフィールドです」
艶やかな笑みを浮かべるその人に、ケイトリンはつい見とれてしまった。
ふと目が合う。シザリーと名乗った女性はケイトリンに気づくと、にこりと微笑んだ。つい恥ずかしくなって、へらっと愛想笑いを返すと俯いてしまう。
「・・・シザリー・・・」
隣からその名を呼ぶ声がする。そちらを見ると、ランドルフが目を見開いて彼女を見ていた。シザリーの方も、はっとする。
「・・・ヴィンス・・・!久しいな!」
「何でここに・・・!?」
「何でって、結婚式に招待されたからに決まってるだろう?いやー、ははっ!!」
シザリーは愉快そうに笑うと手に持っていた荷物をぽいと放り、ランドルフと、その隣でぽかんと口を開けているライアンに飛びついて、その肩に腕を回した。
なんだかよく分からない勢いに、近くに立っていたケイトリンはどしんと尻餅をついてしまう。
「それにライアンじゃないか!元気にしてたか?」
「あぁ、うん・・・!シザリーも元気そうだね!」
「ヴィンスはどうなんだ?んー?」
シザリーはぐいっと両手でランドルフの両頬を挟んで自分の方を向けると、至近距離でじーっと見つめた。
「昔より男っぷりが上がったな!」
「よ、よせ」
照れて顔を背けようとするランドルフの背を、楽しそうにバシバシ叩きながら、シザリーはからかった。
なんなんだろう・・・!?
ケイトリンは、見かねたリリーに助け起こしてもらいながら、目の前の女神のように美しい女性と、鼻に脱脂綿を詰めた自分とをつい比べてしまった。
――この、やけにヴィンセントと親しげなシザリーさんは、ヴィンセントのなんなんだろう・・・!?
どくん。
どくん。
ケイトリンの心臓が、焦ったように高鳴る。
新しい鼻血が滲み出て、つーと垂れてきた。