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魔物な娘と過ごす異世界生活  作者: 世見人白洲
第二章 森に犇く者達
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七十五.アラクネさん家の事情6

 腕の中でスヤスヤと眠りこけている小アラクネちゃん達を他のアラクネさん達に預ると、始めに案内されたのは小さな畑だった。

 木が密集している場所の為、それほど大きなものではないのだが、木の上の糸を伝って移動する彼女達は地上を踏み荒らす必要がないらしく、綺麗に区画整理された畑が所々に点在している。


 その中の一つに目が止まった。


「あれは?」


 青々と生い茂る楕円形の葉。

 この世界に来る前に、見た覚えのあるそれが、風に吹かれてそよいでいたのである。


 これは、期待しても良いのでは……?!


 路端に落ちていた本に、イケナイ男心を擽られた少年の如き輝きを宿した瞳をアラクネさんに向けると、彼女は一瞬だけ何かに驚いた表情をした。

 しかし、どうしたのかを確かめる前に彼女は綺麗な青髪をふわりと翻して畑に向き直った。振り向きざま、僅かに見えたその頬が、少しばかり赤かったのは気の所為だったのだろうか。


「あ、あれはクインの石眼(いしめ)です」


 横髪を手漉きしながら、アラクネさんが早口に答えた。


 聞き覚えのないそれに、俺は僅かに首を傾げる。

 この世界に来てからそこそこ時間が経つが、如何せん引き篭もりである俺の知識はアネモネに拠る所が殆どだ。

 特に森の中に生えている食材などは頼りっぱなしの状態であり、何があるのかを確認しようとした事すらないダメ人間っぷりを今更ながらに反省する。


「近寄って見てみても?」


「よかったら一つ掘ってみましょうか?」


「いいんですか?」


「はい、大丈夫ですよ。ただ、今だと時期的に小ぶりになってしまうのが申し訳ないのですが……」


「そんな、無理を言っているのは俺達の方ですから気にしませんよ」


 いやいや、そんなそんな、とお互い謙遜してしまうのは、どうやら世界共通らしい。


 業を煮やしたのか、いつまでやっているのだと半ば呆れ気味にアネモネから放たれた一言で終止符が打たれ、アラクネさんは畑の中に入っていった。


 畑を荒らさないように気をつけながら俺達も(うね)の間を歩く。


 やはり、見れば見るほどアレに似ている……。


 予想が正しければこれは大発見だ。


 ――ドドドドド。

 ボルテージは最高潮。

 興奮に心臓は唸りを上げ、留まる所を知らない。


「では、失礼しますね」


「は、はい! 宜しくお願いしますッ!」


 自分で言っておいて何を宜しくお願いするのかわからないが、アラクネさんはにこりと笑うと「ぅん、しょ」と可愛らしい声を出しながら茎を掴んで引き抜いた。


「うおおぉぉ!」


「兄さん?!」


「こ、これは……これはああぁぁ!」


 アラクネさんの嫋やかな細腕に抱かれて姿を現したのは、一つの茎からいくつもたわわに実ったジャガイモであった。


 アネモネの驚いた声すら耳に入らず、俺は――。



 ――少し、ジャガイモの話をしよう。


 ジャガイモの歴史は古く、彼の空中都市で栽培されて主食となっていた事が明らかになっている。

 温暖な地域で育つ食物は数あれど、寒冷に負けず、低地高地と言った環境に左右されることなく逞しくゴツゴツとした雄々しき体を作り上げる。栽培が容易で数も確保出来る上に汎用性も多岐に渡るジャガイモはまさに、食物界の王者(チャンプ)と呼ぶに相応しいのである。


 そんな素晴らしい食材が今、アラクネさんのたわわな胸に負けじと姿を現した。


 これを喜ばない存在はいない。


 俺も盛大に喜んだ。

 理性を忘れ、獣堕ちすらした。


 そうしてジャガイモを挟んでアラクネさんに飛びつき、抱き付いた。そして、アネモネに張り倒された。

 真っ赤に燃える紅葉型の跡がついた頬が熱い。


 一瞬の早業だった。

 素早くビンタをキメたアネモネは俺の頭だけを出した状態で簀巻きにして地面に転がした。

 アネモネも日々成長しているのだと実感する。


 だが喜んでばかりもいられない。


 俺は体をくの字に曲げて、土を舐めながら懇願する。


「反省してます。許してください」


「許しませんっ!」


「わ、私は嫌じゃ……なかったですよ……?」


「そういう話じゃありませんっ!」


 被害を受けたアラクネさんよりも、アネモネの方が怒っていた。

 アラクネさんも耳まで顔を赤く染めて両頬に手を添えながらだが、援護かそうじゃないのかわからないフォローをしてくれている。


 しかし怒髪天を衝く、と言った様子のアネモネには逆効果だ。


 まぁ確かに、理性を忘れ去って女性に抱きついたら怒るのも理解出来る。

 だからこうしてひたすら頭を擦り付けているのだが、アネモネの怒りは収まりそうにない。


 どうしたものかと思考を巡らしていると、地面に転がったジャガイモが視界に入った。

 これしか手段はないだろう……。


「アネモネ、俺は反省しているんだ」


「ツーン!」


「本当だ、信じてほしい」


「さささ、さっきのあ、あれを見て何を信じればいいのですかっ!」


 浮気現場を見られて尚、彼女の足にしがみついて追いすがるダメ男の如き情けない言い訳をしている俺であるが、しかし、そんな鉄壁を崩す秘策は我が手中に有り。


「あれは、なんて言うかその……アネモネの事を考えていて、つい、な?」


 後頭部から、アネモネがピクリと反応した気配を感じた。


 やはり、チョロい。

 このチョロさは可愛くて仕方ないが、他の男に引っかかったらと思うとお兄さんはとても心配だ。


 尤も、まだまだ可愛いアネモネに手を出すような男は埋めてしまおうと考えているのではあるが。


「その、なんだ、クインの石眼? は人間の世界ではジャガイモと呼ばれていてな。アラクネさん達なら知っていると思うが、煮て良し焼いて良しの万能食物なんだ」


「それがどうして私に繋がるんですか?」


「俺達は魚か、アネモネのが森で取ってきてくれる果物やキノコばっかり食べてるだろ?」


「そうですね」


「アネモネは森に食材採りに。俺は畑で土いじり。これが俺達の分担だ。そして俺はこの食材の美味いを知っている。つまりだ、アネモネ。もし、このイモを株分けして貰えたら俺達の食生活は激変するんだ!」


 デンプンを抽出すれば麺類も作れるだろう。

 抽出技術と知識の有無は別にして、幅が広がる事に変わりはない。


 暴走をなかった事にはできないが、それでもアネモネには色々としてやりたい気持ちに偽りはなかった。


「だから、な。その……」


「はぁ……。もう、仕方ないですね。今回だけは許してあげますけど、次に同じことしたら許しませんから!」


「……気をつけます」


 必死の懇願が通じたのか、それとも美味い美味いとイモの良さについて熱弁を奮ったのが功を奏したのか、アネモネは渋々であったが糸を解いてくれた。


 食べ物に釣られてしまうアネモネのチョロさに俺は一人、地面に顔を埋めながら悩む。



 情けない姿を晒したにも関わらず、変わらぬ優しげな視線を送ってくれるアラクネさんに感謝して再び住処を見て回り、一通りの紹介が終わった頃にはすっかりと夜がやってきているとわかる程に、森には闇が降りていた。


 葉が空を覆い隠してしまうほど鬱蒼とした森の中と言うのは一切の光源が存在しない。

 明るい時には心地よく聞こえるさわさわとさざめく葉擦れの音すらため、暗い森の中では不気味に思える。


 だが、そこはやはりファンタジーな世界。

 彼女達の家の玄関や木の根元に生えていたキノコは食べるためかと思っていたのだが、暗くなるにつれてぼんやりと光りを放ち始めたのである。


 光キノコと言うらしい。

 誰が名付けたのだろうかと気になるセンスをしているが、いちいち細かい事を気にしていたらキリがない。


 アラクネさんに垂らして貰った糸を伝って木を昇り、家の玄関先に生えていたキノコを観察していた時だ。

 光キノコが放つ淡い緑の光はどうやら胞子が光っているようで、何かの拍子にふわりふわりと明かりが立ち上った。蛍のような淡い光が不規則に舞い、暗い森を薄く照らす。その光景はどこかノスタルジックな寂しさを伴いつつも幻想的で、思わず足を止めて魅入ってしまった。


「兄さん……」


 アネモネも同じような事を考えていたのか、静かに隣に立つと手を握ってきた。

 小さく、靭やかで少しだけ冷たい手。

 俺は、この手が大好きだ。


 きゅっと結ばれた手を軽く握り返すと、自分のしていた事に気が付いたのか驚きと共に気恥ずかしさが混じった戸惑いの気配がしたが、それでも手を離す事はなかった。



 どれくらい魅入っていたのかわからないが、図らずも兄妹の家族愛を確かめてしまった俺達に嫌な顔一つしないでいてくれるアラクネさんにまたまた感謝しつつ、促されるまま本来の目的を果たすべく、招かれるまま家へと入った。


 家の中は玄関続きのワンルーム。

 当然と言えば当然なのだが、下駄箱のない土足(アメリカンスタイル)は他人の家だと少し抵抗があった。


 部屋はところどころに生えた光キノコのおかげで暗くはない。

 ふわりと香る木香が心地良く、壁際に食料が掛けてあるくらいで家具らしい家具は殆どなかった。

 目につくものと言えば部屋の奥で一文字に広がる壁から壁へと貼り付けられた糸のハンモックと、その手前の切り出した丸太をドンと据えた男気のあるテーブル。一言で言えば閑散としていた。


 他の家もこうなのだろうか?


 なんて失礼な事を考えながら不躾にもまじまじと部屋を眺めて居ると、どこか悪戯っ気のある声が響いた。


「ふふ、何か面白いものはありました?」


「あ、これは……すみません。お邪魔しています」


「お邪魔、します」


 彼女は、テーブルを挟んだ向こう側に居た。


 六つの脚を蜘蛛の下半身の下に仕舞い込むようにして座る彼女は彫塑的だった。

 人の部分と蜘蛛の部分を分ける骨盤の辺りまで流れ落ちる真っ白な髪は光キノコの光を反射して清流の如き輝きを返し、臍を隠すようにして重ね置かれた両手、その肌は色白なアラクネに措いても尚白い。薄く開かれた瞼から覗く双眸は、赤く光ってすら見える。


 アルビノ、と言っただろうか。

 差詰め、アネモネが夜を落としたオニキスなら、彼女は透き通るようなダイアモンドと表現するのがしっくりと来る。

 蜘蛛の下半身までしてシミ一つない白を湛えた彼女のあまりに現実離れした美貌に、失礼極まりないが置物か何かかと思っていた。


 そんな失礼な考えすらも見通していたのか、彼女は嫌な顔せず、手を唇に当てながらくすりと笑った。

 アラクネさんたちの器の大きさに、思わず涙が零れそうだ。


「うふふ、ごめんなさい。人間は男や女の絵を書いたり、置物にしたりするのでしょう?」


 置物にするとは、狂気を含んだ猟奇的な発言だが、強ち間違ってはいない。


「まぁ、そうですね。俺はあまり興味ありませんが、彫像を作ったりはします」


「まぁ、やっぱり! 昔、ここに来た人間さんが木で作ってくれた事があるの。もうずっと昔の事だから形としては残っていないけれど、それでもここに……」


 そう言って、彼女は手を胸の上に添えた。

 芝居掛かりながらもそう見えないのは、彼女がその誰かを大切に思っていると言うことだろう。


 ……待てよ?

 今、聞き捨てならない事を聞いた気がする。


 俺の目の前にいる女性は存在が希薄とも言える透き通った美貌を持っているが、高校生程度には若干の幼さを持った顔立ちをしている。にも関わらず、ずっと昔?


 どう考えてもおかしな話だ。


 見た目と言動が合致していない。

 それが、俺の感じた違和感の原因か。


 気になる。とても気になる。

 だがッ!


 俺は紳士を自称する男。

 いついかなる時も女性に対して失礼な言動は慎むべきである、と理性が働いた。


「えっと、ずっと昔とおっしゃいましたが……おいくつなのですか?」


 ナイスだ、アネモネさんや。

 男である俺は聞けないが、同性であるアネモネなら問題はない。


 的確に穴を付いたアネモネに賛辞を送り、彼女の返答を待つ事しばし。

 何かを考え込むようにしていた白い彼女は(おもむろ)に唇に指を押し当て、


「ナ・イ・ショ、です」


 そう言って悪戯な笑みを浮かべると、パチリと一つ、ウインクを飛ばして見せたのだった。

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