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魔物な娘と過ごす異世界生活  作者: 世見人白洲
第二章 森に犇く者達
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七十三.アラクネさん家の事情4

「取り合えず、座って話しましょうか」


 アラクネさんは六つの脚を綺麗に畳んで座ると「ふぅ」と一息呼吸を整える。

 彼女が心を落ち着けるように深呼吸をする度、丸出しになっている形の良いお椀型の胸が上下する。


 見てはいけないと思えば思うほどカリギュラ効果で俺の目は釘付けになってしまうのは、男に生まれた運命さがと言うものだ。


「兄さん!」


「はい……すみません……」


 アネモネから鋭い叱責が飛び、俺は即座に謝罪した。


 曰く、アラクネは元来胸を隠す習慣がない。


 そもそも服を着ていないのだから当然と言えば当然なのかも知れない。しかしだからと言って、剥き出しになっている女性の胸を見ても問題ないのかと聞かれたらこれまた難しい問題には違いない。


 年頃の娘……妹からしても複雑な気分になるのもまた当然であり、下手に言い訳するよりも素直に謝るのが出来る男である。


「あ、あの……?」


「いえ、こちらの話です」


 ビクッと肩を揺らし、心配そうにこちらに視線を向けたアラクネさんに対して俺はそう言うと首を軽く振った。


 アラクネさんからしたら深呼吸したら突然俺が怒られたように映っただろう。

 しかし、俺が怒られた理由を服を着る文化……もとい、胸を隠す必要性を知らない彼女たちに説くのは難しい。


 アネモネも突発的に口に出してしまっただけで、ここで俺一人に言っても意味はないと説明する手間を省く事にしたのか、「もう!」と気炎を吐くと二度目はないぞと睨みを利かせた。


 俺が視線を下に落としたのを見届けたアネモネはアラクネさんを監視するようにじっと彼女に視線を送り、たまにチラッと指にしゃぶりついて眠る小アラクネちゃん達を見ていた。

 少しばかりその視線が気になったが、多分子供だからと警戒していない俺に代わって彼女達を警戒してくれているのだろう。


 アネモネに嫌なことをさせてしまっている後ろめたさは後日償うとして、そろそろ本題をどうぞと促すとアラクネさんはぽつぽつと話を始めた。


「先程は取り乱してしまってすみませんでした」


「お気になさらず。こちらも……ちょっとした手違いでまごつきましたので。それで、何があったのか聞かせてもらえますか?」


「はい。あの、ぶしつけな質問ですみませんが数日前に森に響いた音はお聞きになられましたか?」


 音と言うと心当たりは一つくらいしかない。オーガがアネモネを襲っていたときのアレだ。


 アネモネをチラリと見る。

 視線に気が付いたアネモネはこくりと頷いた。


 意見は同じようだ。


 俺より森に入っているアネモネがそうだと言うのならばそれ以外に心当たりはない。


「あぁ、アレですか」


「はい。すぐに静かになりましたが、あの音でどうやらこの私達の住処の近くに魔物が寄ってきてしまったらしく……」


 アラクネさんの話を聞いている間もアネモネは難しい顔をしっぱなしだった。


 それも無理はない。


 聞けば、彼女達アラクネは糸に魔力と言うものを通すことで他の生物を察知する能力があるらしく、その能力を使って魔物が普段あまり寄ってこない場所に住まいを決めていたが例の件で魔物が呼び寄せられてしまったようだ。


 幸いにもまだ犠牲者は出ていないとの事だが聞いた限りそれも時間の問題に思える。


 住処を守るための住居の要塞化が図られ、防衛設備の設営が一段落したので子供をここに避難させてもらおうと住処の皆で話が纏まり、連れてくるだけが彼女の役目だったそうなのだが日向ぼっこしながら眠る俺達を見て未だ住処の中で脅威に怯えている仲間を思い、感情が溢れ出して泣いてしまったそうだ。


 安全かどうかは別として、勝手にうちを避難場所にしないでもらいたいが……他に頼れる場所もなかったのだろう。


「勝手な事を言っているのは重々承知なのです。森に住む者であれば覚悟もしているつもりでした。でも……でも……」


「うぅん……」


 どうしたものか……。


 アネモネがアラクネさんを見る目は厳しい。しかし、その中には警戒とは別の思いが宿っているように見える。


 涙ながらに訴える彼女の言葉に嘘は見出せない。それどころか俺達を巻き込もうとしていることを心の底から悔いている気配すら感じる。


 アラクネさんが腹芸の一つでもしてくればふざけるなと叩き返していたところなのに、魔物であるからかそれとも生来の性質か、彼女達はアネモネも含めて物腰柔らかく穏やかで、正直だ。


 これが人間だったら体良く俺達を利用しようとして黙って住処に招き、共倒れになりたくなければ戦えと言って来そうだなんて考えてしまう辺り、俺の人間嫌いと偏見も相当来る所まで来ていると呆れる。

 

 だから正直に事情を話し、助力を求めてきた彼女達の力にはなっても良いかと思っている。戦いになる事は間違いないが、それに対して否もない。


 よくもまぁそんな単純な理由で命を掛けれるなと自分でも思うが、そもそも危険と隣り合わせの森に住んでおいてそれは今更な話だろう。


 しかし、この話を受けるにあたって躊躇っているのは別のところにある。


 アネモネだ。


 アネモネがオーガと戦って怪我を負ったとき、我を忘れるくらいどうしたらいいかわからなかった。あんな思いをアネモネにさせたくない。だからアネモネがやめてくれと言うなら非情と(そし)りを受けても俺はアラクネさん達を見捨てる覚悟だ。


 だがそれでは優しいアネモネはこの先、心に一生深い傷を負ったままになる可能性がないとは言い切れないだろう。

 

 ならばすべき事は最初から一つしかなかったと言う事か……。


 アネモネがアラクネさんに向けていた厳しい視線の中にあった複雑な思い。それはきっと、俺やアラクネさん達を案じた物だ。


 アラクネさん達を助けたいと言えば俺に危険が及び、俺の安全を優先すればアラクネさん達が傷つく。どちらも取りたいがどちらも選べない……葛藤。


 俺が首を縦に振るのは容易だが、それではアネモネの気持ちを無視した結果となってしまう。だから選択はアネモネ自身にしてもらい、気持ちを整理する必要がある。その中で少しだけアネモネの迷っている背中を押してやり、期待を裏切らない働きをすればどちらも取る事が出来る。


 二兎を追う者は一兎をも得ずなんて言うが、追って得られるならそれに越したことはない。人は強欲と言うが、何を今更。俺は人間なんだから強欲で当然。可愛い家族のためなら多少大変でも頑張れる。その後飛び切りの笑顔を貰えたら、それが役得ってものじゃないか。


「アネモネはどうして欲しい?」


 そう言うとアネモネは更に深く眉を寄せ上げた。


 突然の問いかけに戸惑いを見せない辺り、アネモネも俺が何かを聞いてくるのは予想していたのかも知れない。


「ズルいです、そんな言い方……」


「わかってる。でも、アネモネの気持ちを聞きたいんだ」


 不安げに蜘蛛脚の関節とキシリと鳴らして立ち上がったアネモネは、何も言わずに背後に回りこむと背中をぎゅっと掴んだ。


 押し付けられた頭からじわりと温かな感触が、少しずつ、少しずつ広がっていくのを感じる。


「うぅ……うぅぅうぅ……!」


 漏れる嗚咽を俺は黙って聞いた。


「兄さんは怖くないんですか……?」


「怖いよ」


「じゃあなんで……」


 その問いに俺は小さく首を振った。


 言葉は呪いだ。


 アネモネの為だなんて言ったらこれから先アネモネは何かをするとき俺の言葉に縛られてしまう。

 言わなくとも行動は結果に結びつき、結局として俺がアネモネの為に動く事はわかってしまう……いや、もうわかっている可能性もあるが、それでも伝えているのと伝えていないのでは心持が大きく変わる。


 だから俺は本人に対してその言葉を言わない。言ってはいけない。


「なんでだろうな」


 答えが不満だったのか、トン、トン、と背中を叩かれた。


「兄さんが危険な目に合うのは嫌です。なのに、それでも同族を見捨てたくもないんです……」


「わかってる」


「危ないことはしないって、約束してくれますか……?」


「無理――」


「約束、してくれますか?」


「します……」


 戦う事が既に危ないと思うのだが……うちのお姫様は難しいことを言ってくれる。


 しかしアネモネが案じる気持ちもわかっているつもりなので、出来るだけ要望に応えれるよう努力はすべきか。

 幸運にも得物は弓なので格好付けて近寄ったりしない限り危険に身を晒すことはないだろう。


「もう一つ。私も一緒に行かせてもらいますからっ」


 勿論、こう言って来るのも想定の範囲内だ。


「駄目だって言っても来るんだろ?」


「はい」


「わかった」


 少し前の俺だったら絶対に駄目だと断っていたと思う。しかし今は多分アネモネならそう言って来るだろうなとも考えていた。


 オーガとの戦いが終わってから記憶が薄れる程時間は経っていない。

 それなのにまたしてもお互いが離れた状態で危険な戦いに身を投じているのを一人で待つのは苦行もいいところだ。


 なのでそれほど驚くことはなかった。

 それに多分だが、駄目だと言ってもアネモネは勝手に付いて来てしまうだろう。


 ならば認めてしまったほうがいい。それとは別にここも安全だと言う確証は誰にも約束出来るものではないので、近くに居てくれた方が俺も安心していられる。


 アネモネは拒否されると思っていたのか、背中に頭を預けたまま上擦った声をあげていた。


「え……? いいんですか?」


「俺が飛んでいかないように手綱を握っていてくれるんじゃなかったか?」


「勿論です!」


「じゃあ問題ないな。俺はやられない、アラクネさん達も助ける」


「兄さんはすぐそうやって……格好付けるんですから」


「たまには良いところも見せないとな」


「そうですね。最近一人だけ楽してましたからねっ!」


「耳が痛い……」


「それじゃあ私は準備してきますね」


 憂いが取り払われ、元気を取り戻したアネモネはそう言うと外に出て行った。


 何の準備かわからないが、外にある物と言えば干した食べ物くらいなので非常食の準備か何かだろう。

 俺の気が回らない所に気が付いて行動するとは……よくできた妹である。


 とりあえずの方針が決まった俺はあれよあれよと話が進み、ぽかんと呆けていたアラクネさんに向き直った。


「まぁ、そう言うことなので」


「あ、えぁ」


 アラクネさんは素頓狂な声を出して驚いた。


 自分達の事だろうに……ちゃんと話を聞きなさい。


 彼女からしてみれば同族であるアネモネと暮らしていても人間である俺が助けてくれるとは思っていなかったのだろうな。


「ですから、そう言うわけなのでどこまで出来るかわかりませんがお力にならせていただきます」


「ふぐっ。ぐず……あり、ありがどう、ございまず! なんとお礼を言っていいのか……うえぇえぇん!」


 滂沱の涙を流し、子供のように泣いて何度も床に頭をつけては感謝を述べるアラクネさん。

 その声におちびちゃん達も目を覚ました。


 眠たそうにとろんと半開きにされた瞳で俺を見上げ、ちゅばっと音をさせて解放された指は……見事にふやけていた。

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新作短編です。宜しければ読んで頂けると嬉しいです
おっさんずスティグマ―年齢の刻印―
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