七十一.アラクネさん家の事情2
肉……肉だ……動物性タンパク質が、足りないッ!
そう。この世界に来て数ヶ月、まともに狩りをしていないどころか肉を口にしていない。
肉より魚派な俺だが、たまには噛み応えのある肉を食べたくなる。
「狩りに行く」
そう言うとアネモネはぎょっと驚きに目を見開いた。
「まさかあのヘンテコな弓を使ってですか?!」
「いや……この、使い物になるかわからない弓を使って……」
俺は握っていた今にも壊れそうな、弓の形をしているだけの木工細工を見せた。
「……」
「反応はわかるけど……」
「いえ、そうじゃありません。多分ですがその弓でも結構な威力が出てしまうと思いますよ?」
「え?」
またまたぁ! アネモネさんはおべっかも上手になったようだな!
と思ったのだがそうではなかった。
「あのヘンテコな弓の基本性能がおかしいのは言うまでもないのですが、恐らく兄さんは無自覚に体を強化しています」
「良くわかったな。俺は座っているときも立っているだけのときも常に筋肉を苛められるように意識している」
「いえ、そうではなく。以前から兄さんは……その……い、良い匂いがすると思っていましたがあれは魔力の匂いです」
「魔力? 俺に?」
「はい。どうしてアイアンウッドを素手で引き抜いたり折ったり出来るのかずっと不思議でしたが、無自覚に肉体強化のをしているだと思います。矢の威力もですが、あれも無自覚にスキルを使っているんじゃないかと」
「どうしてそれを今頃?」
「わざと隠しているのだと思っていましたが、どうもそうではないっぽいとわかったので……」
「……」
家族に見つけられては絶対にならないスケベな本を見つかったときのような気まずさだ。
どうする……次はなんて言えばいい……?
大丈夫だ、焦るな。焦った者から死んでいくのが世の倣い。
この局面を乗り切るのに最も相応しいのは『なかった事にする』だ。
最善の妙手を狙え。俺は、弓射る狩人だろうが……ッ!
「な、何を言ってるんだ? そんなわけないだろう……? アレはわざとだよ、わざと」
「動揺しているのがバレバレですよ?」
「……」
駄目だったよ……。どうやら俺には難易度が高すぎたようだ。
アネモネは「もぅ」と言うと、やれやれと言った風に頭を振った。
「どうしても隠したいんですね? 仕方ありません、じゃあいいです。代わりにその弓っぽいのであの木を射ってください」
「任せろ!」
指されたのは川向こうにある森の口。
任せろなんて言ってしまったがどの木かわからないので適当に狙いを定めて矢を継がえる。
ショートボウなど引いたことがないのでどうすればいいか戸惑ったが取り合えず腕の力だけで乱暴引くとミチチ、と弓から伝わる嫌な音と手応えに思わず眉が寄る。
こんなんで飛ぶのかどうかも不安だが、やるしかない。
弓がミチリ、ミチリと撓り、矢がまだかまだかと飛びたがっている。
弓が描く弧が頂点を向かえ、最も矢に力が伝わる瞬間を見極める。
――パァン!
弦から離れた矢は標的にしていた木を粉砕し、小気味良い音をさせて爆散させた。
しかし、それでも矢は止まらない。二本、三本と木々を圧し折り、ようやく四本目でガツンッ! と硬質な音を響かせ、当たった。
残心を解き、アネモネに振り向く。
「……どうだ」
「狙っていたのは一本目ですよね?」
「はい、すみませんでした」
「もう……兄さんは意地っ張りなんですから」
嘘を言った仕返しにツンツンと頬を突かれてしまった。
「これでわかったと思いますが、やはり兄さんはスキルを使っています」
「そうか。普通の弓矢くらいに出来ればいいんだが……アネモネは力の使い方わかるか?」
「残念ですがわかりません」
「そうなのか?」
「兄さんは手をどうやって動かしているか、説明できますか?」
「どうって、そりゃあ――」
「ちなみに、動く仕組みの話じゃありませんよ?」
「……なるほど」
今日のアネモネはやけにグイグイ来るな……。嫌な予感がする。
と言っても女の子は難しいので、気のせいと言う事もある。
そんな事よりアネモネも上手いことを言うようになった。
アネモネが言いたいのは手がどうやって動いているかではなく、動かそうとしているのかを問うているのだ。構造的な話ではなく、感覚の話。自然に出来すぎるが故に、説明がし難い。
どこで習うでもなく手を使って物を掴み、足で立って歩くように、アネモネの言うスキルとはそう言うもののようだ。
推測でしかないが、本来であれば弓に触ったことのない状態から熟達していき、その過程でスキルとやらの使い方も自然に学ぶのだろう。だが俺は別の世界で技術を磨いてからこちらの世界に来ているので順序がズレている。
今後、このスキルとやらの使い方がわかるようになるかには疑問が残るが、それを今から心配しても仕様のない話だ。
「いえいえ、わかってもらえてよかったです」
「いつも助かる」
なんとなく、先ほど覚えた嫌な予感に不安になった俺はアネモネの手を取るとにぎにぎと握った。
見る見る茹蛸になっていくアネモネは既に耳も真っ赤だ。
「ににに、兄さんっ?! 何を!」
「いや、ちょっとな。苦労かける」
「そ、そんな……私は兄さんとならずっと……あ、あぅ」
火傷しそうなくらい熱くなっているアネモネの手からは、しっとりとした汗が滲みだす。
次第に目をとろんと蕩けさせたアネモネは俺の手を顔の近くに持っていくと頬ずりを始めた。
やはりアネモネは猫っぽい。うーむ……可愛いッ!
依然として威力は高いままだが機械和弓と違ってショートボウは肉片も残さず吹き飛ばすほどの威力はない。
頭を狙えば十分狩りが出来るとわかったので急いで出かける必要もないとしばらくはアネモネの成すがままにされることにした。
▽
アネモネと日光浴をしながら家の外でごろ寝をしていると妙な気配に目が覚めた。
「おや、お久しぶりですね」
なんて馴れ馴れしく声をかけているが実際は日光浴をしに来ていたアラクネのお姉さんで、話したことは一度もない相手だ。何せ物凄い美人なのに胸が丸出しなのだ。気が散る上に気まずくて何を話せばいいかわからなくなってしまう。
アラクネのお姉さん方も最初にここを訪れた二人に何か言い含められていたのか、特に俺達に干渉することなく静々と日を浴びてはいつの間にか帰って行っていた。
そんなアラクネのお姉さんがどうしてか今は目の前にまで来ているのだから声を掛けないのも寂しい話だ。
アラクネのお姉さんは声を掛けられた事に驚いたのか、わたわたと焦ったと思うと勢い良く腰を折る。
「あ、あのっ! すみません!」
「何が?」
「ひぃぃ……」
アラクネのお姉さんは小さく悲鳴をあげるとそのまま頭を抱えて動かなくなった。
……あの二人は俺の事をなんて伝えたのだろう。気になる。
それより今は誤解を解くのに専念するべきだ。
アネモネはまだ眠っているがいつ起きるともわからない。こんな現場を見られたら修羅場まっしぐらなのは想像に難くない。
蹲って震えるアラクネのお姉さんに声を掛けようと近寄り手を伸ばすと、袴を両側からクイクイと引っ張られる感覚があった。
「ん……?」
視線を落とす。
そこには――
「ねーたん、いじめないで」
「ねーねー……こわいこわい?」
生まれたばかりと思われる二人の小さなアラクネが居た。




