六十九.初めては蜜の味3
何なのかではなく、何故なのかを話せと年下に言葉を訂正された情けない兄こと俺は蜂との出会いを簡潔に話す。
傷を負って一匹でふらふらしていたと話した辺りからアネモネは何かを考え込むように眉を寄せて険しい目を蜂に向けていた。
それは話が終わってからも続いる。
そこで漸くその仕草が睨んでいるのではなく、何かを思い出そうとしているのだと気がついた。
「アネモネ?」
「あ、ごめんなさい。えっと、多分……ですが……この蜂は蜜玉蟲と呼ばれる虫だと思います……」
「歯切れが悪いな。蜜玉蟲に何かあるのか?」
「知識によれば蜜玉蟲に姿形の特徴は似ています。ですが、それにしては大きすぎるようで……。蜜玉虫はあまり見かけない生き物らしく情報が少なくて。もしかしたら間違っているかも知れません。他のアラクネが居たら知っている方も居ると思うのですが……。あれ? そう言えば最近日を浴びに来ていないような……?」
「確かにな」
シャーネの事があってそれどころではなかったが、言われてみるとアラクネの人達をここ数日見かけていない気がする。
忙しいのだろうか?
それともこの前のオーガのように何か出たのか?
……可能性がないとも言い切れないな。倒してすぐに移動して廻ったと言ってもオーガが暴れまわった際の音はかなりのものだった。あれに引き付けられた何かが来ないとは限らない。
などと心配こそすれ、俺は彼女達の住処を知らないのでどうしようもない。それに彼女達に何かあったのならここを見つけるに到った救助要請の魔力が篭った糸とやらをアネモネがキャッチしているはずなので、やはり単純に忙しいだけだろう。
まだ他の相手に慣れていなかったあの頃とは違って色々と経験して成長した今であれば毎日来ても問題はないから次回誰かが訪れて来たたときはそれとなくアネモネに聞いてみるよう、アラクネのお姉さん方に伝えてみよう。
話は反れたが今居ない人の話をしても仕方が無い。
幸いなことに、この蜂は人間の脳を搭載しているのではないかと疑いたくなる程知能が高いので本人に聞いてみるのが一番手っ取り早い。
「まぁ今居ない人達の事を言ってもどうしようもない」
「ではどうしますか?」
「聞いて驚け。この蜂はなんと、俺達の言葉を理解しているんだ!」
「えぇ?!」
良い反応を返してくれるアネモネに、俺の頬は思わず緩む。
しかしそれだけではないのだ!
「更になんと、肯定するときは右の、否定するときは左の触覚を動かして正否を答えてくれる!」
「……兄さん? 流石に私もそんな冗談には引っかかりませんよ?」
馬鹿なっ! アネモネが俺を疑っている……だと?
なんて事だ……最近は人に働かせて怠惰に生活してたせいか人間性に疑問を持たれているのかも知れない。
俺は腹這いになって蜂に視線を合わせる。蜂の大きな複眼に俺の姿が映りこんでいた。
俺と蜂は同時にこくりと頷く。
どうやら蜂も理解できていないと否定されたのが許せなかったようだ。
証明してやる……!
意気込み、そして
「お手エェッ!」
空を切り裂く奇声が森を駆け抜けた。
……ふ。
どうやら……思いの外人間性を疑われた事が効いていたらしい。言葉の選択を、間違えてしまった。
それでもただでは終わらない。何せ相手は頭に虫からしたらスーパーコンピュータ並の頭脳を搭載している巨大昆虫。
奇声と共に伸ばされた俺の手の上には、鉤爪の脚がスゥ――と差し出されて乗っかっていた。
ありがとう。これで変な人間扱いされなくて済みそうだ……。変わりにお前さんが変な昆虫扱いされるかもだが、俺は出来る限りの言葉を尽くして君を守るよ……。
「ふ……。どうだ、アネモネ? 見たか? ちゃんと見てるか?」
「何をそんなに喜んでるんですか。そんなの、動いたから反応して乗っけただけかも知れないじゃないですか」
「言ったな?!」
「はい、言いました。違うならもっと違う証拠を見せてください!」
「よし、ならば見せてやろう」
俺は「お前さんは蜜玉蟲か?」と質問すると、蜂は右の触覚を動かした。
なるほど。この蜂はアネモネの言う通り蜜玉蟲で間違いない。
ならば何故大きいのかだが、蜂は卵を産み落としたときに次期女王蜂となる卵にローヤルゼリーを注入させることで他の蜂より大きくなるそうだ。そして大きくなる蜂が次期女王蜂となる。
そうして女王蜂となるべくして生まれた幼生は、保険のために同じくローヤルゼリーを注入された卵を攻撃する事で一つの巣に対して一匹の女王として君臨する。
素晴らしきかな。自然が生み出した縦社会である。
常識を悉く飛び越えてくるこの世界だが今の雑学が可能性としては無いとは言い切れない。俺の推測が正しいのならば、この蜂は女王蜂……いや、前女王蜂だ。するとあの怪我は成虫となった女王蜂が皇太后とも呼べるこの蜂を巣から追い出すために攻撃したことで負った傷か。
やっと話が全て繋がった。
おや? 待てよ……?
すると、俺がうちに来いって言ったのは……。
いつの間にかアネモネの腕に抱かれ、じっとこちらを見ている蜂と目が合った。
「……そう言うこと?」
蜂はこくりと頷いた。
……本当に、この蜂は昆虫なのかと疑いたくなった。
▽
俺と蜂の一連のやり取りを見ていたアネモネは蜂が言葉どころか感情を理解していることを認めた。
俺の考察を話したところアネモネも蜂の境遇に同情したのか、悪さしないなら巣を作ってもいいと快諾。場所は玄関ポーチの近くに巣を作ればいいと言って譲らない。
羽音が五月蝿いかと思ったが、どうやらあの「ブブブ」と鳴らして飛ぶのは存在を知らしめようとするためのもので、普段移動するときは驚くほどに静かだった。あの時も助けを求めて羽音を鳴らしていたなら中々の勝負師だが、女王とは得てしてそう言う生き物なのかも知れないな。
それはさて置きアネモネはどうして玄関ポーチの近くを固持するのだろうか。
「なんでそんなに玄関ポーチの近くに作らせようとするんだ?」
「ふふん、それはですねぇ……蜜玉蟲は習性として蜜玉を作るらしいのですが、これが絶品なんだとか!」
「うん?」
「家賃代わりに蜜玉を納品して頂くことで話は付いています!」
「いつの間に……」
「兄さんが考え事をしている間にです」
アネモネさん、いつの間にやら強かになられましたね……?
でもね、お兄さん、可愛いアネモネに業突く張りにはなって欲しくないんだ……。
なんて事を考えているのが顔に出ていたのか、聡いアネモネは言葉を訂正した。
「あ、でも無理矢理じゃないですよ? 蜜玉蟲はあくまで習性として蜜玉を作るだけで自分達では食べたりしないそうです。これは先ほど本人? 本虫? に確認したので安心してください」
「そう……? ならいいんだけど」
作るだけ作って食べないなんて変な習性だな……。
まぁ、アネモネがすぐにバレそうな嘘を付くとは思えないし、しばらくすればわかることだ。
何より体を左右にうきうきと揺さぶって楽しみだと歌っているアネモネの笑顔を守りたい。
それは蜂も同じだったようで、俺達は視線を交わすと頷いた。アネモネの良さがわかるとは……凄い蜂だ。
尤も、俺の場合は少し前までは父性を刺激されて守ってやらないといけない娘と言った感じだったが今はいじらしい可愛い妹。皇太后蜂からしたら母性を擽られる娘と言ったところだろうか。
「んふふー! みっつだま、みっつだまっ! はぁぁああ……楽しみぃ……」
まぁ……その……なんだ。歌はアレだが、頬を綻ばせてこれほど楽しみにしている子が可愛くないわけ、ないよなぁ?
「すまないが、これから蜜玉とやらを宜しく頼めるか?」
玄関ポーチの手摺りに留まっている蜂に視線を遣ると、蜂はぴょこんと片脚を挙げた。
「助かる」
俺は握手を求めているようにも見えるその脚を、今後とも宜しくと握ったのだった。




