六十三.匠オークの家改造7
家に帰って来た頃には夕日もとっぷりと暮れていた。
オーク君の姿は見えなかったので恐らく夜が明けてから来るのだろう。その辺りの打ち合わせはもう少し綿密にしておくべきだったか。
ルサルカの少女は川をたゆたいながらぼんやりと空を眺めている。その哀愁に満ちた眼差しはどこかモアイ像を彷彿とさせた。あまり構ってやれなかったから暇すぎて悟りを開いてしまったのだろう。
そしてシャーネと親しくなった事で怒り心頭かと思われたアネモネはと言うと……
「アネモネさん?」
「なんですか?」
「歩きにくいんですけど……」
「兄さんは、私の! 兄さんなんです!」
シャーネに激しく嫉妬していた。
俺を盗られるとでも思ったのか、アネモネはシャーネと別れてからずっと腕を絡めて引っ付き虫と化している。
「頭撫でてくださいっ!」
「わかった、わかったから」
そして時折こうして撫でろと顎に頭をぐりぐりと押し付けてくるのだ。
うーむ……可愛いっ!
「ほら、どうだ? よしよし――」
「足りません! 今度はぎゅってしてくださいっ!」
「ぎゅ――」
両手を広げて背中に手を回したところで俺は気がついた。
先程まで空を見上げていた半魚人が物欲しそうな目でこちらを見ていることに……。
「アネモネ……半魚人が見てる……」
「あっ……」
チラリとルサルカの少女に視線を送ったアネモネは「あうぅ……」と可愛く唸った。
我が家の照れ屋さんは基本的に俺との二人暮らしなので外部の刺激に弱い。と言うより忘れてしまう事が多い。
そんなところも可愛いのだが。
それは兎も角として、いつものように他の存在を忘れてしまった甘えん坊なアネモネは、
「今日は眠るとき、兄さんの上から動きませんからっ」
と宣言して俺との抱擁もそこそこに家の中に入って行った。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「私も……」
「見つかったらアネモネに何されるかわからんぞ」
「……またの機会にお願いするの」
「それがいい」
川の中からずぶ濡れで出てきた半魚人の頭を軽く撫でると後を追って家に向かった。
▽
翌朝、目を覚ますと アネモネは先に目覚めていたようで胸の上に顔を乗せたまま俺の事を眺めていた。
見ていて面白いものでもないと思うのだが、俺もアネモネの寝顔を見ていたりするので同じなのだろう。
問題は俺の体が大の字に開かれており、手首と足首を床に縫い付けられている事だろう。
気分はまな板の上の鯉だ。
「放して?」
「ツーン」
「俺はどこにも行かないから」
「本当ですか……?」
「シャーネの誘いだって断っただろ?」
「それは、その……兄さんは森の外に……」
「出れないから、か?」
「……はい」
どうやらアネモネの中では俺が森の外に出ることが出来たらあの誘いを受けていたのではないかと思っているらしいがそれは大きな間違いだ。
人は自分に足りない何かを常に求めている。それは俺だって例外じゃない。だが、俺の求める物はここにある。
同時に、人は慣れる生き物でもある。そして慣れれば倦怠が生まれ、倦怠を乗り越えるために刺激を外に求める。
でもそれは一時的なものだ。
もし俺が人里に出れたとしてもその中で人の営みに嫌気が差せば再び森に戻ってくるだろう。
結局は堂々巡りだ。スタート地点がどこにあるかの違いでしかない。
それがわかっていて態々飛び込んだりはしないし、俺にはアネモネと言う刺激が常に隣に居るのだから人恋しいなんて願望は生まれない。
シャーネとは系統が違うが、腹に一物を抱えていそうなルサルカの少女も扱いこそぞんざいだが心底嫌っているわけではないし、オーク君やたまにこっそり日向ぼっこしにくるアラクネのお姉さん方との交流もあるので楽しく生活している。
なのでそれ以上を求めるのは贅沢に過ぎると言うものだ。
「安心しろ。俺の居る場所は、アネモネの隣だ」
「っ――! に、兄さんはすぐそうやって誰かを垂らしこむんですから! これはもう、私が見張ってないと駄目ですねっ」
と言っているがアネモネの顔はにっこりと綻んでいる。
「そうだな、見張っててくれ。頼んだぞ?」
「に……逃がしません、から……」
襟の部分を掴み、アネモネは胸に顔を埋めると頬ずりを始めた。
もちもちすべすべな頬が気持ち良い。
下心丸出しで口角を緩ませていると、玄関口に三つの団子が出来ていることに気が付いた。
最近は覗き見が流行っているのだろうか。
アネモネに教えるべきか迷ったが、教えるとオーク嫌いが悪化しかねないのでこっそりとオーク君に目配せすると彼は軽く頷いた。
流石オーク君だ、わかっている。
そう安堵した俺が間抜けだった。
オーク君はスッ――と立ち上がると猪顔に爽やかな笑みを浮かべ、片手を上げながら旧知の友に挨拶するような気軽さで家の中に入ってきた。
「神よ、朝からお盛んでございますな!」
「そうじゃねーよ!」
「キャアアアア!」
その後、オーク君が連れてきた二人のオークも含めて俺達は天井から逆さ吊りにされる折檻を受けたのは言うまでもないだろう。
▽
共に折檻を受けた二人のオークはオークドルイドと言うらしいのだが……
「なんて言うか、出会った頃のオーク君と見分けつかないな」
体は引き締まっているわけでもなく、動くたびにぽよんと跳ねるでっぷりと肥えた腹をしており、顔の毛は長いとまではいかないが無精髭のようなざんばら感があって全体的に小汚く見えてしまう。
唯一出会った頃のオーク君と違うのは服装だろう。
彼等は腰蓑ではなく蔦と葉が生い茂った自然の腰蓑を身に纏っている。貝殻ビキニの森版、とでも言えばいいのだろうか。お前らがその格好をするなと言いたくなる服装だ。
「総評すると、汚い」
「そいつぁないですぜ、大旦那!」
「そうでやす。男前ざんしょ?」
「……しかも喋り方は下っ端感丸出しだな」
「「プギャッ?!」」
でも息はピッタリだ。
「二人は兄弟なのか?」
「そんなわけないですぜ、大旦那!」
「そうでやす。あっしの方が兄っぽいざんしょ?」
「いや、どっちもどっち」
オーク君の人選を疑うようで悪いのだが、彼等で大丈夫かオーク君に耳打ちすると中身はこんな風だが仕事はきっちりこなすと返ってきた。
不安は残るが贅沢を言える立場でもないのが辛いところだ。
能力を把握するため手始めに彼等の得意とする魔法を使ってもらったのだが、確かにオーク君の言う通り今回の内容ではかなり有用だった。
「エルダートレントに似た能力か」
「そんなわけないですぜ、大旦那!」
「そうでやす、エルダートレントと比ぶるべくもない。あっしらの方が圧倒的に能力が下でござんす」
「自信を持って言う事じゃないけど、自分の能力を正確に把握してるのは良い事だな……」
自分は弱いと胸を張って言える彼等にプライドはないのだろうか。
まぁ、実力以上を申告されても困るのでありがたいのだが。
そんな彼等はエルダートレントみたく森の木々を動かしたりするなどの大規模な魔法ではないが、硬い木を粘土の如く操れる。エルダートレントの魔法で一度見ているが木材がぐにゃりとうねる姿は何度見ても奇怪だ。
俺の背に隠れているアネモネに興味を示す素振りも見せない辺り、オーク君にしっかりと調教もされているようだしこのまま作業をしてもらってもいいだろう。
「よし、じゃあ宜しく頼む」
「へい、御用とあらば!」
「オークドルイドにお任せでござんす!」
絡みは少々鬱陶しいが、慣れればこれも愛嬌だろう。
▽
オーク君には大きな大剣で木の伐採を頼み、俺は地面に図面を書き起こしていた。
「まず壁面にはニッチ……つまり寝る場所だ。壁の一部を掘り込んでそこを寝台にする。次に――」
気になっていた部分は二つ程ある。
一つは明り取りがなく、部屋が暗い事。もう一つは高い天井空間が空いていて勿体無い事だ。
俺は使い捨て、大量消費文化の国民性を持つ遺伝子を正しく受け継ぐ男であるがそれは近代になって産業が急成長してからの文化である。物を大切に使う遺伝子も組み込まれているので俺の塩基配列の奥底には勿体無いオバケを飼っている。なので有り余る天井空間を持て余すなど以っての外だ。
そこで部屋の中心に一本の柱を立て、それを軸に半円状の足場を設置して屋根裏を作る。
それでも空間は余るので三階も設置したかったのだが、そうすると明かりが取り難いのでは? とドルイド達に指摘されたので見送りとなった。
二階はアネモネの部屋にするつもりなので話し合いにアネモネにも参加してもらい、アラクネはどんな構造なら住み心地が良いのかを聞くと太陽光があればなんでもいいと言われてしまった。
普段ならもう少し口数も多いはずだが背中に隠れて出てこない辺り、ドルイドの二人がオークで苦手意識があると言うのもあるだろうが、あまり親しくないので照れているのかも知れない。
確か、蜘蛛は徘徊性、造網性、地中性、半地中性と言う四つの性質を持っていたはずだ。
アネモネの下半身は蜘蛛だが一緒に暮らしているとその生態系は人間と変わらない。ただ、俺と暮らしているから合わせてくれている可能性もあるが。
今度そこのところをアラクネのお姉さん方に聞いてもいいだろう。
なので取り合えず二階は柱から放射状に足場だけを組み、後はアネモネの好きにしてもらう事にした。足場のみなら光が遮られる事もないしアネモネの部屋にも光が入るので都合も良い。
残る問題はガラスやプラスチックがないことだ。
明り取りの穴を開けるのは簡単だがそれでは雨ざらしになってしまう。光も入りますが雨も入りますでは欠陥住宅もいいところだ。
元の世界の山郷では水に強い和紙が窓代わりになっていたがこの世界では手に入らないだろうし……さてさてどうしたものか……。
「窓ってオークの住処ではどうしてるんだ?」
「決まっておりやす!」
「吹き曝しでござんす!」
「あ、そう……」
聞いた俺が愚かだったのだろうか……。
森には資源が溢れているがそれはあくまでそこにあるだけで生かすも殺すも使い手次第。
この深く薄暗い森の資源をどうやって生かすか……。
後頭部を掻きながら良い案は無いものかと頭を悩ませる。
そこでふと、視線を移した森の薄暗さが目に付いた。
「天然のブラインドか……」
「ブラインド? なんですか、それは?」
思いの外、一番に食いついてきたのはアネモネだった。
口で説明するのは難しいのでアネモネが生まれたばかりの頃のように地面にガリガリと絵を書いて見せる。
蔦を昇降コード代わりにしてスラットは葉を魚の鱗状に重ねれば何とかなるだろう。イコライザーなどの機構を付けるのは大変なので柱に位置調整用のストッパーを設置する。窓の一つ一つにブラインドを設置するのは難しいので一つを引けば窓を覆う葉の全てが動くようにすればいい。
「ざっくりとだが、わかったか?」
「わかりやしたぜ、大旦那。こんなの朝飯前でさあ! にしても、すげぇのを思いつくもんですね!」
「あっしらにかかればちょちょいと言う間に完成でござんす。まったく、将軍様が神と呼ばれるのも納得でござんすね」
「ほへぇ……やっぱり兄さんは凄いです……」
「……」
俺は激しい罪悪感に苛まれていた。
何せブラインドは俺の発明ではないのだ。
それをさも自分の発明の如く説明し、あまつさえ称賛の雨を受けるなど良心の呵責に苛まれるのは当然ではないだろうか。
しかしこの世界でそれを言っても仕方ない。
心の中で発明者に謝罪をすると、俺達は作業に取り掛かった。




