六十.匠オークの家改造4
オーク君が他のオークの調教を終えていると言っても二人で住んでいる家の改造を俺の一存で決めるべきではないとの結論に到り、アネモネが帰って来たら相談して決めると伝えた。
それまで時間が空いた俺はオーク君の鼻がとてつもなく良い事を知り、彼に臭気測定器になってもらいシャーネ臭を落とすべく何度も体を洗ってはオーク君が嗅いでを繰り返す事数回。ようやく臭いが落ち着いた頃にオーク君は何故俺が女の臭いをさせていたのかを聞いてきた。
「と言うわけで俺の体から臭いがだな……」
「……神よ。神託だからと申されましたもいきなり「と言うわけで」では我輩、理解できませぬ。面目次第も御座いませぬフゴッ」
「アネモネにも近いことを言われた」
ぶっかけられた事を話すのは気が引けたがそこを教えないと話は進まない。
渋々あらましを話すとオーク君は前のめりで聞き始めた。
彼は隣で「全然、これっぽっちも、まったく興味なんてありませんよ?」と言った様子で平静を装っていたのだが、やけに相槌が多かったり質問が多かったりと落ち着かないのが逆に興味ありますと証明してしまっていた。
どこに惹かれる要素があったのか理解出来ないが耳がピクリと反応していたのはアネモネを襲った時や俺に粗相をした時だったので、ひょっとしたらオーク君は尻に敷かれたいタイプなのだろう。
顔が猪なだけに、とんだ豚野郎だ。
俺が送っている胡乱げな流し目すらもスパイスだと言わんばかりにオーク君は自身の内で渦巻く熱い感情を込めた深い息を吐いた。
「神を怒らせるとは……随分な命知らずも居たものですな」
「今は仕方なく縛り付けて放っているんだが、ここに置いておくと碌な事にならないだろうから早く帰って欲しいんだけど中々上手くいかなくてな」
「ふむふむ、なるほどなるほど。では仮に……仮に、ですよ? 私が口説いてみて私の虜に出来たらその時は……?」
「好きにしたらいいんじゃない? そこは当人次第だ。俺が口出しすることじゃない」
「おお……神よ。慈悲に感謝します!」
「頑張れよ……」
シャーネをオーク君のところに送り込んで俺達の平和を取り戻すことが出来れば俺とオーク君のどちらも幸せになれる。
なので彼には頑張って貰いたい。
「じゃあ――」
「では、早速始めましょう!」
待ちきれないとオーク君は一足先に腰を浮かせ、俺はその背を追って再びシャーネの元へと赴いた。
▽
流石は将軍なだけあって口の端から涎を垂らして絶頂しているシャーネを見てもオーク君は顔色一つ変えなかった。
豪胆だと感心しているとオーク君は地面がめり込んで足跡を残すほど力み、ズンズンとシャーネに近づいた。
何をするのかと見ていたが、彼は小細工は弄せず初っ端からキメる作戦にしたみたいだ。
オーク君が右の蹄を大振りに引いた。
――メキッ
小気味良い音をさせてシャーネを括り付けている木に突き刺した。
あれは……あの技はまさか……!
俺も本で読んだ事しかないのだが、何故異世界生物であるオーク君があの技を知っている?
愚問だ。
愛を得るための手段は世界の壁を越え、オーク君もそこへ至っただけ。
ともすればあれは恐らく女性に対して必殺必勝の威力を誇り、女性を落とすためだけに生みだされ、そして数多の悲劇を生んだ高等テクニック『壁メキ』ならぬ『と木メキ』!
屈強な腕から繰り出された拳が顔に向かって突き出される事で頭を潰されると錯覚した脳が生命の危機に際し種の存続のために快楽物質を大量に生成する。それによって生まれた激しい鼓動を恋心だと錯覚させる事で偶発的に起こり得る吊橋効果を自発的に作り出す禁断の魔手!
死なば諸共。失敗すれば相手にとことん嫌われてしまう最終手段とも言える切り札をいきなり切ったのだ。なんと言う男らしさ。
いつにも増して大きく映るオーク君の背を見守りつつ、心の中で応援を送った。
頑張れ、オーク君……君は今、輝いているッ!
「やぁ、美しいお嬢さん?」
どちらかと言えば高い声であるオーク君が声のトーンを落としてシャーネを口説き落としにかかる。
低めにシフトした声はやや渋く、目を閉じていればダンディなオジ様に思えなくもない。
だが問題になるのは声をかけられて正気に戻ったシャーネがバッチリと目を開けてオーク君を凝視してしまっている事だ。
転地が逆転しようが今更目を閉じようが、インパクトのあるオーク君の猪顔は忘れられる物ではない。
悲しいかな。残念な事に同じ人類である俺とシャーネの美的感覚はそう大きくズレていなかったらしく、眼前に迫ったオーク君の猪顔にシャーネは驚きで目を見開いていた。
「な、なんだこの気味の悪い生物は……。旦那様、助けてくれ!」
「……」
さも当然の如く助けを求めて来ているがオーク君の背後に立っているのだから味方ではない事くらいわかりそうなものだが……余程焦っていて理解出来ていないのか、それともわかっていて助けを求めているのか……。
今までの行動を鑑みるとシャーネの状況判断能力は疑わしい。
きっと理解出来ていないのだろう。
俺はオーク君の味方であると伝えるために目を伏せて拒否の意思を示した。
「そんなぁ……」
シャーネから気落ちした声が届く。
若干、良心の呵責に苛まれたがここで折れたら全てが水の泡になってしまう。素直に帰ればこんな仕打ちをしなくても済んだのだが全ては自身の行動の結果。
それに何も取って食おうと言う訳でもないのだ。オーク君渾身のアプローチが終わるまで耳元で囁かれる甘ったるい言葉を聞いていればいいだけで。
動かない俺を追い風と読んだのか、オーク君は更に畳み掛けた。
「お嬢さん」
「貴様ァ! 私をお嬢さんと呼ぶんじゃあない! 甘ったるい言葉も囁くな、気色悪いッ!」
「これは失礼、麗しの人。良ければ我輩とダンスでも――」
「ち、ちち、近寄るなと言っているんだ! それ以上近寄るな! ぶっ飛ばすぞッ!」
「フッ、連れないお方だ。そんな所も……素敵だ」
「ヒィィッ」
……おや?
シャーネの様子がおかしい。
胸を掠めた小さな違和感。
それはオーク君が口説き文句を言う度に大きく膨らんでいった。
「貴女の美しさは今まで見てきたどんな人族よりも抜きん出ている……。嗚呼ッ! こんな事があって良いのだろうか!」
「ヒッ」
「ええ、わかっております。しかし! 種族の壁に横たわる愛憎の果てに、我が愛の証明在り! 我足を止める困難、種族が生み出す問題、仲を引き裂く宿命、その全てを背負いその全てを我輩と貴女の愛の僕にしてみせるッ! どうかこの手をお取り下さい。そして我輩に愛の口付けを……」
「うげぇえ!」
シャーネは青い顔をして蛙が潰れたような声を搾り出した。
酷い奴だ。
オーク君が紡ぐ愛の言葉の意味はさっぱりわからないが必死なのは伝わってくる。それをなんて声で返すのだ。
ここまで言っても伝わらないなら普通はもうやめておけと言ってやるのが筋だろう。
しかし俺はオーク君に声援を送る。
何故ならシャーネの胸に愛は届いていないがダメージは与えられているからだ。
最低なのは理解している。それでも俺はシャーネを追い出さないと毎回何をされるか怖くて仕方がないんだ!
「効いてるぞ! 押せ、押せッ!」
「神よ、御照覧あれ!」
「も、もう……やめて……」
弱弱しくシャーネが懇願して来るがそんな見え透いた罠にかかるほど愚かではない。むしろ弱っているなら今攻めずにいつ攻める。
今だそこだとオーク君を嗾けていると肩をぽんぽんと叩く感触があった。
何者かは知らないが今は忙しい。相手をしている暇はない。
シャーネが体勢を整える前に一気呵成に攻め立て勝負を決めるなら今しかないのだ。
執拗に肩を叩いて来る手を払うと更にオーク君を囃し立てた。
「オーク君、手を休めるな! やれ!」
「兄さん」
「悪いが後にしてくれ!」
「兄さん」
「後だ!」
「兄さん? 何をしておられるのですか?」
「拷も……口説いてるんだ!」
「誰が、誰をです?」
「豚やろ……オーク君がシャーネを!」
「どうしてです?」
「シャーネを追い出すためだ! えぇい、オーク君手を休めるんじゃない!」
「い、いや……しかし……」
オーク君はシャーネを口説くのをやめてこちらを見ていた。
それどころか彼は口をあんぐりと開けて動こうとしない。
何なのだと思い背後を振り返るとそこには腕を組んで眉を寄せたアネモネが般若の形相で俺達を見ていた。
その背中からひょっこり顔を出しているルサルカの少女も声にこそ出してはいないが呆れ顔で両肩を竦めていた。
その瞬間、野生の勘とも言える直感が囁いた。
これはヤバイ……と。
「あ……いや、その……これは違って、だな……?」
「何が、どう違うんですか?」
「え、えーと……それは……その……」
「恋心を何だと思っているんですか! バカーッ!」
風切り音を鳴らし、アネモネの脚の一本が一瞬ブレる。
矢の速さに目が慣れているので迫ってくる脚の動き自体は目で追えていた。しかし避ければアネモネを更に怒らせてしまうのは明白。
ではどうするか……そんなものは決まっている。
俺が取れる行動は最初からアネモネの思いを受け止めるの一択しかなかった。
幸いな事にいつの間にか脚には糸が巻かれていた。方法は変わったが手加減をしてくれているのだ。
まったく……優しい子だ。
そうして鋭く振るわれたアネモネの前脚が脇腹を薙ぎ払った。
「ヘヴンッ!」
肺の中の空気が搾り出され、意味不明な言葉が口から漏れる。
忘れていたが今日は体が本調子ではなかった。
糸がクッションの代わりになって痛みはそれほどでもなかったのだが、受身を取ろうとするとズキリと脇腹に走った痛みで行動が遅れた。
きりもみしながら吹き飛ばされた俺は受身も取れぬまま木にぶつかり、逃がされなかった衝撃全てが全身を駆け抜ける。
感覚が麻痺したと言ってもいい。
甘く、蕩けるような甘美な痛みが感覚神経を通じて脊髄を駆け巡り、大脳へ至り凡そ我慢出来る限界を超えた痛みの危険信号が俺の意識を強制的に遮断する。
薄れゆく意識の中、きゃーきゃーと大慌てで駆け寄ってくるアネモネの姿を霞んだ視界の先に見たが体はピクリとも動かない。
全身を重く包み込む泥を想起させる闇の中に、意識はゆっくりと沈んでいった。




