五十三.老木の長話は聞かない3
湖を見ていると一匹の巨大な梟がアネモネの元にやってきた。聞けばこの梟がナイトオウルらしい。
俺には「ホゥホゥ」と鳴いているようにしか聞こえないがアネモネは梟の言葉がわかるのか、色々と話し掛けている。
しかし、その横顔はどこか、少しだけ寂しそうに見えた。
ひょっとしたらこの梟も魔物で同じ魔物であるアネモネだから会話が出来ているのかと思い、そうなのか訊ねたのだが梟は普通の動物らしい。きっと一人と一匹の間には色々あったのだろう。
家出してからの出来事を話を聞けばその理由もわかるとアネモネの横顔を見続けた。
不思議な事に梟はアネモネの言葉がわかっているのか頻りに頭を動かして相槌のようなもの打っている。「この人が私の兄さんですっ」と紹介に与ったので頭を下げると梟もぺこりと礼を返してきた。
やはり言葉を理解しているのだろう。中々に賢い梟だ。
▽
ナイトオウルを胸に抱いて御機嫌なアネモネに案内され、先程まで眺めていた湖をぐるりと半周すると唯一湖畔に根を下ろした老木の元までやってきた。
アネモネは勝手知ったるなんとやらと慣れた足取りで湖を背後に映した木の側面に移動して行く。
倣って後に続くとそこにはハの字に生えた苔と、その中心から少し下の位置に洞が空いていた。
類像現象によって錯覚を起こした脳はそれを顔のように捉えて見せた。
「顔みたいだな」
「顔じゃよ」
「誰だ!」
ぼそりと零した独り言に帰ってきた渋い声。
すかさずアネモネを庇う様に前に出るが背後ではアネモネが暢気な事を言いながらくすくすと笑っていた。
「兄さんが慌ててる……! ふふっ、可愛い」
「何を暢気な事を言ってるんだ」
「大丈夫ですよ、兄さん。目の前の木がエルダートレントさんです」
「え? この木が、か……? 木が、喋るの?」
「はい。この木が、です。木だって喋ります」
「この木が、じゃよ。木だって喋るんじゃ」
「……非礼をお詫び致します、申し訳ありませんでした。それくらいで勘弁していただけませんでしょうか?」
アネモネは俺が殊勝な態度を取った事に驚いているのか、後ろからは戸惑ったような気配が伝わってきた。
そしてそれはエルダートレントも同様だった。
「な、なんじゃ急に?」
「俺をアネモネのところに誘導して下さったのは貴殿では御座いませんか?」
「う、うむ。如何にも」
アネモネに話を聞いた時、もしかしたらとは思っていた。
別の何者かによる可能性も考えてはいたが蜂と別れから感じた違和感と、その正体である不思議な現象はアネモネの知り合いであるエルダートレントが何かをしてくれたからだった事に胸を撫で下ろした。
目の前の木が喋っていると言った事には最初こそ戸惑ったがここは異世界で、俺の常識は通用しない。むしろ今回の件で言えば、木なんだから木を操れてもおかしくはないと納得できる。
そのおかげで俺は今、こうしてアネモネと共に居られる。
誘導があってもギリギリだったのだ。あれがなければ今頃アネモネは……
そんな恩人に失礼な態度を取る事は出来なかった。
同じ土下座と言う言葉でも謝罪するためにアネモネにしたものとは違う、真、行、草と分類される内で最上の敬意を払う真の土下座でエルダートレントに礼を示した。
「ご助力、感謝致します。アネモネも、お礼を言いなさい」
「ありがとうございました」
アネモネのお礼には彼女を知っていなければわからない程微かな不満が宿っていた。そんな失礼な事をする子ではないのは俺がよく知っている。
では何故か。
それはアネモネがこの場所を知っており、尚且つ赤鬼に追い詰められて一人で居た事を思い返すとすぐに思い当たった。
あくまで想像でしかないが、湖の荒れた一部は赤鬼の仕業だろう。恐らくアネモネがここに居る時に赤鬼と遭遇してしまい、木であるために動けないか、動けても足の遅いエルダートレントから赤鬼を引き離すのにアネモネは囮役を買って出た。そして俺に似て頑固なこの子の事だ。自分で何とかすると覚悟を決めたのに思うようにいかず、最終的に追い詰められてしまった上に俺に助けられた。
多分、最初からその場に居なかった俺を巻き込みたくなかったはずだ。あの場に駆けつけたのが偶然だったならまだしも、エルダートレントが故意に俺を巻き込んだと思ったがために生まれた本人も気が付いていない程小さな反発。
自立しようとする精神の成長。
それは喜ばしい事ではあるが、何もかも一人で出来るわけじゃない。その事をアネモネはこれから学んで行くだろう。それらは多くの触れ合いによって育まれるもので、俺一人では与えてやる事が出来ないものだ。そして同時にぶつかり合い、転び、痛みを伴いながら前に前にと進む。
だからここでアネモネを叱りつけるのは簡単だ。けれどもそれは俺に言われて、と言うだけで本当にアネモネの為になるのかは怪しい。
アネモネがもっと成長したとき、聡いこの子ならどうしたら良いかを見つけられると信じて今その事は俺の胸の内にだけ留め置く事にした。
「う、うむ。悪い気はせんがそう畏まられると、ちとむず痒いぞ守護者殿?」
守護者……?
恐らくアネモネの事を言っているのだろう。
少ししか話を聞いていないがその口ぶりからはそれなりにエルダートレントに懐いているようだし、俺としてもアネモネの親として認められているみたいで悪い気はしない。
「そんなに煽てないで下さい」
「……? まぁそれはいいとして、じゃ。アネモネちゃんから話は聞いておるか?」
「話と言うと、うちに来たいと言う話ですか? それとも他に何か?」
「いや、その話であっとるよ」
湖に来る道すがらアネモネからエルダートレントがうちに来たいと言っている、と言う話は聞いていた。
助けてくれた相手。それも命に関わる事に関しての恩人の頼みである手前、否と言う事は難しい。だが、その理由だけは確認を取りたいと考えていた。
「やはり気になるか?」
「失礼ながら」
「当然じゃの」
「お聞かせ願えますか?」
「どうしても聞きたいか?」
「よっぽどでなければお断りするつもりはありませんが、良好な関係を築くのであれば必要かと存じ上げます」
「うむ……まぁ、そうじゃの。恥ずかしいからあまり言いたくないのじゃが、理由はいくつかある。アネモネちゃんに言ったのも理由の一つではあるが、ここでは寂しいと言うのが一つ。そしてもう一つは動けないからワシを守って欲しいと言うのが一つじゃ」
爺の世話なんて誰が好き好んでするかーい! いい歳なんだから自分の身は自分で守れ!
と突っ撥ねたくなる衝動を必死に抑え込んだ。
しかし、アネモネに言った理由はなんなのだろうか?
俺はそれを聞かされてはいない。気にはなるがアネモネが伝えて来なかったと言う事は同じくしょうもない理由だったのかも知れない。
そんなエルダートレントのどうでもいいような理由に驚いたのは俺だけじゃなかった。
「え?」
「アネモネ?」
「あ、いえ。私のときは教えてくれなかったのでもっと凄い理由があるものだと……」
その気持ちはよくわかるぞ……!
「案外、大した理由じゃなかったな」
「そうですね」
「大した理由じゃないとはなんじゃ! お主らにはわかるまい……力のある魔物が水を飲みに来るたびに攻撃されるのではないかと怯えねばならぬワシの気持ちが、寝たら次は目覚められないかも知れないと怯えるワシの恐怖が!」
寝たら目覚められない? それは老衰ではなかろうか。
だとしたら大往生だと思うのだが本人はそう思っていないらしい。
声を荒げて捲くし立てるエルダートレンント。そんなに怒ると血圧? 木だから蜜圧? が上がってポックリ逝ってしまいそうだが猛るエルダートレントは止まらない。
「ワシはぐっすりと眠りたいのじゃ! 悪いか?! そんなに悪い事なのかっ!」
「わかりましたから、落ち着いてください。はい深呼吸して、ほら」
「スゥーハァー、スゥーハァー」
「落ち着きましたか?」
「う、うむ。すまんかったの」
「いえ……」
「じゃからの、お主らの邪魔はせんし、礼もする。どうじゃ、悪い話じゃなかろう?」
俺の予想が外れていなければアネモネは赤鬼を引き付けてエルダートレントを救い、エルダートレントは俺を導いてアネモネの命を助けた。そう言う意味では貸し借りはないので確かに良い話だ。
何の邪魔をしないのかよくわからないが、本人は眠りたいと言っている事もあって断る理由はなかった。
「お受けしましょう」
「おお、それはよかった。それと、もっと楽にしてくれていいんじゃぞ?」
嬉しそうな声を上げたエルダートレント。
恩人と言う事もあって礼を弁えていたが、俺としても堅苦しいのは望むところではないので申し出に従わせてもらう事にした。
「わかった。そうさせてもらう」
「それでじゃ、すぐに出発するか?」
「その事なんだが……」
森を覆う他の木々に比べればエルダートレントの大きさはその半分にも満たない。だが、肩と手を負傷している今の状態で運ぶのは難しい。
適当な理由を付けて一度引き返しても治るまで待つとなればアネモネにバレてしまうし、無理をしてもどこかでバレてしまうだろう。
自分の事を棚上げしたツケが回ってきた。
だからと言ってここで白状するつもりはなかった。
吐いた唾は戻らないが嘘は吐き通せば真実となる。
何より、アネモネを怒らせると怖い。怪我を黙っていたのが知られればどんな折檻を受ける事になるか……。
偉そうに説教をした時、一緒に白状しておけばよかったと後悔しても後の祭り。
これからは素直になろう。
だが、今だけは嘘を通させてもらう!
若造の俺一人では難しいかも知れないが、当事者であり年寄りでもあるエルダートレントの協力と知恵を借りればこの場を凌ぐ事が出来るはずだ!
そのためにもまずはアネモネ必沈の手段で時を稼ぐ……!
「あー、アネモネ? 話し合いが長引きそうだから、ほら、これを向こうで食べて来なさい」
懐から取り出したのは乾燥させた樹皮で作られた包み。
そう。蜂にも食べさせた魚肉団子だ。
「それは?」
「魚肉団子」
「魚肉団子?」
包みを開くと中からはコロコロとした白身魚の団子が顔を出した。その魚肉団子をアネモネは不思議そうに眺めている。
それもそのはずだ。
調味料も器具もない状態で料理なんてまともに出来るわけがないし、その場ですぐに食べてしまうから必要がなかっただけなのだが普段、俺はアネモネが拾ってきてくれた森の恵みや魚を焼くだけと言う原始的な調理しかしてこなかった。
それが急にいつもと違う処理をして持って来たら不思議に思うのは当然だろう。
そんな日頃の行いが祟ったと言うべきか、それとも幸いしたと言うべきか……。
いつも料理をしていたら有り難味も何もないが、おかげでこの魚肉団子はただの魚肉団子以上の破壊力を持つ。
信じろ、アネモネを、俺自身を!
「そう。魚肉団子。アネモネに食べて欲しくて作ったんだ」
「兄さんが、私のために?」
「そうだ。アネモネのために、だ。飯も食わずに飛び出して行ったから腹を空かせていると思ってな」
「そう、なのですか……。兄さんが、私のために……うひっ」
口の端を不気味に歪めて女の子らしからぬ笑いを零すアネモネ。
俺は確信した。この戦いの勝敗は決まった、と。
「受け取ってくれるか? この、魚肉団子を」
「はいっ! もちろんですっ」
俺は信じていた。アネモネのチョロさ、そして成長した部分も多いがそうじゃない部分も多いと感じた俺のアネモネ観察眼を。
そして賭けに勝った。アネモネは未だ純真なままでいてくれたのだ……
口車に乗せられて元気のいい返事をしたアネモネは、まるでその魚肉団子が壊れ物であるかのように包みをそっと両手で受け取った。
食べているところを見られるのは恥ずかしいだろう? と助言するのも忘れない。
素直なアネモネは俺の言に従って少し離れた所に移動すると、目をキラキラさせながら魚肉団子を空に翳していた。
すまない、アネモネッ! それは宝石じゃないんだ……。透かしても向こう側は見えないんだ……!
「お主、悪い奴じゃのう……」
「ほっといてくれ。純粋な子を騙して一番傷ついてるのは……俺だ」
「ならよせばよいものを。これだから人種は理解できんわい」
「まったくだ」
一人と一本でままならないと溜息を吐いた。
「して、何故こんな事をしたんじゃ?」
「それはだな――」
赤鬼との戦いで右手と肩を自爆した事、アネモネに説教しておきながら自分は棚上げした事で言い出せなくなってしまい困っている事を伝えた。
「して、ワシにどうしろと?」
「アネモネに知られずにやり過ごす方法はないだろうか」
切羽詰った俺の様子にエルダートレントは困ったように「うーむ」と唸った。
「どれくらい効果が出るかわからんが、癒しの魔法を使ってみるかの」
「宜しくお願いする」
「どれ、『リフレッシュヒール』」
エルダートレントがそう言うと、足元からポコンと小さな芽が芽吹いた。
芽はあっという間に成長し、大きな蕗の葉のようになると葉の表面から薄緑の光が立ち上り始めた。
「おお……?」
蛍の光を連想させる光はふわりと宙を舞い、怪我を負った部分に吸い込まれていく。
光に温度は感じない。ただ、光が吸い込まれた部分からはスゥ――と痛みが引いていった。
手を握ったり開いたりしても痛みは感じず、肩を回しても違和感はなかった。
「治った……?」
「あまり使わん魔法じゃから効果は然程期待してはおらなんだが、上手くいったみたいじゃな」
「助かった」
「何、世話になる前払いじゃ」
太っ腹なエルダートレントに礼を言っていると異変を察知したアネモネが戻ってきた。
「兄さん、今のは?」
「エルダートレントに元気になる魔法を、ちょっとな」
「そう……ですか?」
「ああ。な? そうだよな?」
「あ、ああ。そうじゃ。オーガとの戦いで疲れておるようじゃったからな」
「そうそう。これから運ぶから体力をな」
「ならいいのですが」
嘘ばかりついてしまっている事を心の中で詫び、帰ったら存分に甘やかそうと誓いを立てる。
そのためにもまずはエルダートレントを運ぶ大仕事を終わらせなければいけないと気合を入れた。
題名にある老木の長話とは、兄が守護者と言われた事を深く聞かずに勘違いして流した事だったのだ!(超解釈)




