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魔物な娘と過ごす異世界生活  作者: 世見人白洲
本編.第一章 異質な兄妹
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五十二.老木の長話は聞かない2

 すっかり本題を忘れていたが本人曰く、手っ取り早く治すなら折れた脚は千切ってしまうのが良いらしい。


 自切して脚が生えるとは……アラクネと言うのは実のところ、蜘蛛ではなく蟹の魔物だったのだろうか?

 考えてみれば黒光りしている硬質な脚はひょっとしたらキチン質的な甲殻か何かなのかも知れない。


 そんな事を考えてしまったが最後、俺の我侭な(リップ)は勝手に言葉を紡いでいた。


「蟹……?」


 ぼそりと零してしまった数秒前の自分を恨んだ。


 今の今までにこやかに微笑んでいたアネモネはカッと一瞬だけ目を見開くと、静かに、しかし力強い詰問を突き立てた。


「え……? 兄さん? 今、なんと?」


 にっこりと天使の微笑みを浮かべながら僅かに声を震わせてアネモネが問う。


 いや違う。微笑んでいるのではない。その(まなこ)は歪められていると言うべきだ。

 

 アネモネはそれ以外何も喋らず、ただじっと返答を待っている。


 ――沈黙。無言の圧力が重い。


 送られてくる視線はぞっと背筋を凍えさせる闇を孕み、背筋を這い回る。

 背中から、冷たい汗が滝の如く流れ落ちるた。


「えっと……」


「今、何か、いいましたよね?」


「……」


 お返事が聞こえませんよ? と言わんばかりに長く、艶やかな黒髪を形の良い耳にかける。そして「もう一度よく聞かせて下さい」と片手を耳に添えて突き出してきた。


 間違いなく怒っている。激(おこ)である。


 美人を怒らせると割増で怖いと言うが、それは真実であった。


 アネモネの見た目は十七歳の頃かと言った、どこかあどけなさを残しながらも大人の艶を持ち始めたばかりの美しさがある。贔屓目もあるだろうが街を歩けば十人中十人が振り返るであろう美人なのは間違いない。


 しかし、弓なりに歪められた目は極限まで温かみを奪い去った虚無を写し取り、背筋を震わせる濃密な無言の圧力が俺の精神を潰しにかかって来ている。

 男が放つ粗野で暴力的な荒々しい怒気ではない。全てを灰燼に帰さんとする燎原の炎の如き烈火の怒りを静かに内に秘め、男と言う生物の根幹を刈り取らんとする根源的な恐怖。


 それは絶対的強者の威圧。


 男と女では与える恐怖と言う概念の性質が違う。この恐怖は単純に感じる怖いと言う感情ではない。もっと複雑怪奇で、纏わり付くような、そんな悍ましさがあるのだ。


 勝てない。


 物言わずして静かに微笑む目は、俺の心を圧し折り屈服させるのに十分過ぎる威力を持っていた。


 恐怖に打ち震える俺の膝は自然な流れで地面と接吻を交わす。

 金と権力に弱い国民性の遺伝子を正しく受け継ぐ俺は、気が付けば、洗練された芸術とまで言われる作法、土下座を慣行していた。


 元々、立礼や土下座は謝罪のためではなく自身より身分の高い者……専ら大名行列などに際して行われた礼法で、跪礼、つまり恭敬にある。それがいつしか略転して恐れ多きと謝罪に用いられるようになり、現代では謝罪は土下座とイコールに扱われていった。


 だからこの世界に土下座が存在しているか、なんてのは些細なことだ。

 何故なら土下座は理解するものじゃなく、感じるものだからだ。


 もし感じないのなら、鬼気迫る気迫で感じさせるのみ。


 見せてやろう、本物の土下座と言う物を……!


「す、すみません……でしたっ!」


 両手を地に突き亀のように蹲って許しを請う。

 今の俺の背は、さぞ煤けて見えている事だろう。 


 そんな俺の頭上からは首筋に刃物を当てられているような、体の芯を震わす怒りをひしひしと感じる。


 しかし、この土下座と言う物の真髄はそこではない。


 立礼だと下から顔を覗かれてしまうが、土下座の場合は地面と隣接しているため見られない。

 つまり顔を覗かれる心配がないため許されるまでどれだけでも頭を下げ続けられるところにある。


「本当に、すみませんっでしたぁ!」


 頭を下げてどれくらい経ったか、冷や汗が数度地面を打った時、下げた後頭部に深い溜息が吐かれた。


 許されたわけではない。呆れた、諦めた、と言うニュアンスを多分に含んだ溜息だった。


「これに懲りたら失礼な事を言わないでください。糸が出るんだから蜘蛛です。絶対蜘蛛っ! もう間違えないでくださいね?」


「は、はい……」


 あの一言はアネモネ、()いてはアラクネのアイデンティティに関わる問題だったようで、大変な地雷原を踏み抜いてしまった事をようやく悟った。


「もうっ!」


 お姫様はプンスコと大変ご立腹だ。


 興奮冷めやらぬアネモネに平謝りを繰り返し、何とかお許しが出たところで改めて本当に自切しても大丈夫かを確認するとアラクネと言う魔物の詳細を語ってくれた。


 アラクネの下半身と言うものは基本的に魔力で出来ているらしい。つまり、内臓や筋肉と言ったものは入っていないそうだ。

 糸を出す器官も魔力なのかと訊ねると顔を真っ赤にしてもごもご言っていたので聞き取れなかったが、ひょっとしたら蜘蛛糸を出す器官やいくつかは違う機能があるのかも知れない。


 魔力で出来ていると言っても痛みや感覚はあり、攻撃を受ければ痛いし触られればくすぐったいと来ている。内臓や筋肉がないならば、恐らく神経系もないと思うのだが一体どうなっているのかと聞いても知らないと返されてしまった。そういう物なのだと押し切られてしまえば俺が言える事など何もない。


 実際、他のアラクネが来た時も糸の救難信号がどうのとか言っていたから本人にしかわからない、或いは本人にすらわからない何かがあるのだろう。人間だって医者でもない限りざっくりとしか知らないのだからアネモネがそう言うのも理解せざるを得ないだろう。魔力なんて超物質がなかった世界で生きてきた俺はそっち方面の知識が皆無なのだから尚更だ。


 結論として言ってしまえばよくわからないと言うのが正直なところだが、原子で構成されている物質の他に、下半身の基礎は魔力と言うもので構成されていると言う事なのだろう。


 ともあれ、自然に治すよりも切り取ってしまってから魔力を取り込み生え変わらさせた方が治すと言う意味では早いらしい事は理解出来た。魔力なんでもありかよ、と突っ込んだのは言うまでもない。


 一先ずアラクネの下半身については理解したが、歩く度に痛みで顔をしかめるアネモネを見るのは忍びない。

 処置するか訊ねたのだが、切るところを見られるのは恥ずかしいから今はやりたくないと、またしてもおかしな恥ずかしポイントを発揮したアネモネに強く拒否されてしまったので諦めるしかなかった。





 アネモネに案内を受けてしばらく歩くと大きな湖に出た。

 

 開けた場所ではある。だが、何者かの意思が介在しているのか、それとも大自然の神秘かわからないが木々(アイアンウッド)が湖の上まで腰を曲げて伸ばし、樹冠が全体を覆ってしまっているため他とあまり変わらない程度に日の光が少ない。何故そうまでして森の中に光を入れたくないのか聞きたくなる程だ。


 しかし、かくして翠蓋に覆われているからこそ、差し込んだ僅かな木漏れ日が湖の神秘性を際立たせ、言い表すことが出来ない美しさと静謐を匂い立たせ、森を縫って走る風に立てられた波紋の浮かぶ湖面が凪いだだけでも一種の芸術のように映えている。


 一部、地面が捲り返っていたりとかなり荒れているのが不思議だったが、それもまたこの場所に足りない不均一さであり、湖は一枚の絵として取り込み、飲み込んでいた。


「綺麗な場所だな」


「兄さんと見れてよかったです」


「今度はもっと元気な時に来ような」


「はいっ。約束ですよ?」


「ああ、約束だ」


 アネモネは横に立ち並ぶと、こてんと頭を倒して俺の肩の上に乗せた。


 サラサラとした黒髪と静かな呼吸が耳を擽る。


「私、兄さんと居れて幸せです」


「あ、ありがとう」


 アネモネが変わったのか、それとも俺が変わってしまったのか。いつものように甘えられているのだが、何故だか胸がドキリとして言葉が上手く出てこなかった。


 お互いの呼吸と、やけに早い自分の鼓動だけが耳を打つ。

 肩を伝って感じるアネモネの少しばかり高い体温。


 こんな時間(とき)がいつまでも続いて欲しいと願いながら、そのまま少しだけ二人で湖を眺めて過ごした。

老木の長話は聞かないは3話で終了します。

本日20時に投稿予定です。


以降もお楽しみ頂ければ幸いです。

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新作短編です。宜しければ読んで頂けると嬉しいです
おっさんずスティグマ―年齢の刻印―
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