四十五話.アネモネの小さくて大きな冒険6
回想。
可愛い、アネモネちゃん可愛い! ちゃんかわ!(暴走)
アラクネに受け継がれる知識に共同体の概念はあっても家族と言われる概念はありません。私が兄さんを兄さんと呼び、兄さんが私を娘と呼ぶのは偏に、兄さんが生まれたばかりの私に人間の知識を教えてくれたから。
だから私にとって、家族に関する思いは少しだけ特別で……
私は少し前……兄さんと初めて出会った頃を思い出す。
▽
何処とも知らない暗闇で一人微睡みに揺らいで居た時、それが起こったのは突然の事だった。
ドンと揺さぶられたような大きな衝撃。そしてそれから継続に伝わってくる、トクン、トクンと言う振動と、不思議な温かみ。
その不思議な感覚の正体を早く知りたいと願ったからか、私はすぐにそれを知る事になる。
魔力で出来た卵を破って初めて外の世界を見た時、その人は木々の間に張った網の上で私の卵を抱きかかえて眠っていた。
『うにゅ……起きて、起きて……』
目を開けないその人に、私はどうしたらいいかわからず頬を突いたりしていたのだが何分、生まれて間もなかった私に体力は殆どなく、早々に疲れてしまった。
『起き、て……』
襲い来る眠気に負けた私はその人の胸に倒れ込んだ。
そして理解した。
胸から頬に伝わる熱と、一定の間隔で伝わるトクン、トクンと言う振動。
この人がずっと一人だった私の傍に居てくれた人なのだと……
お礼を言わなくちゃ。一緒に居てくれてありがとうって。
そう思いながら、私の意識は深い闇に沈んだ。
▽
それからどれくらい経ったのか、突如上げられた大きな声とドシンと伝わる振動に私は再び意識を取り戻した。
『どわぁ!』
びっくりはしてもハッキリとしない意識。まだ眠たいと訴える体。言う事を聞かない瞼を擦り上げて目を開けるとそこには何をしても目を開けなかった人が私を抱きかかえて地面に背中を打ち付けていた。
体は痛くないのに胸はズキリと痛み、ザワついた。
『いったぁー……』
『だい、じょーぶ?』
『おぉ? 目が覚めたか、お姫様?』
『おひめ、たま?』
『目が覚めたらゴムボールから蜘蛛の足を生やした女の子が半身乗り出して寝てるから驚いたよ』
言いたい事を一方的に伝えているだけの会話とも言えない会話。
直ぐに兄さんと呼ぶ事になるその人は、私の頭をくしゃりと撫でた。
『俺の名前は――だ。宜しくな』
まだまだ眠り足りない私の意識は空ろで、何かを喋っていてもどこか上の空だった。
『……?』
『ははは。まだ眠いみたいだな。起こしちゃってごめん。大丈夫、俺はここにいる。だからまだ寝てるといい』
くしゃくしゃと頭を撫でながらその人は私の頭を胸に抱いた。
『う、ん……』
細いのに力強い腕。
不思議な安心感に私の意識は再び落ちていった。
『ははは、可愛いな。ちょっと驚いたけどこの世界も悪くないかもな』
この世界って、何? と聞こうにも、私は睡魔に負けた。
▽
しっかりと睡眠を取ったからか『ぐぎゅううう』と鳴る音に今度は直ぐに目を覚ました。
『あ、また起こしちゃった?』
どこか恥ずかしそうに頭をポリポリと掻くと、その人は俯いた。
『どう、ちたの?』
『子供にこんな事言うのは恥ずかしいんだけど、その……腹が減って……』
私を抱きかかえたその人と同じように『ぎゅるるる』と魔物の咆哮のように鳴るお腹。
眠っていて気にならなかったけど、お腹が空いた事に気がついた私は本能に従って近くの木の根元を見る。
そこには小さなキノコが生えていた。それを見た瞬間、私の中に知識が流れ込んできた。
いや、違う。
忘れていた何かを思い出すと言った方が正しいそれは、そのキノコが食べても大丈夫なキノコであると教えてくれた。
『どうした?』
『はなちて』
『うん? 危ないからそんなに離れるなよ?』
『うにゅ』
体を開放された私はキノコを千切った。
『あい』
『ん? 食べろって事?』
『うにゅ』
眉を寄せて躊躇いを見せたものの、その人は『先にこの子に食べさせて毒でもあったら可哀想だしな……』と言うとキノコを齧った。
『うーん……大丈夫っぽい……? キノコはヤバいのもあるから我慢してたけど、問題なさそうだ。美味しかったありがとな』
その人はお礼の代わりか、私の頭をくしゃりと撫でる。それがやけに気持ち良く、私はその度にドキドキと胸が高鳴った。
お腹が膨れた私は再びその人に抱きかかえられていた。
『お前さんは帰る家はあるのか?』
『わかん、にゃい……知らにゃい』
『そっか……』
ぎゅっと、私を抱きしめる力が強くなった。
『……?』
『あ、ごめん。痛かったか?』
私は頭を横に振った。
それどころか、もっと近くで感じたい。もっと、もっと……
気がつけば私は胸の前で交差した腕にしがみ付いていた。
背中越しに「ふっ」と笑い声が聞こえてきた。
『よかったら、俺と家族にならないか?』
『かじょ、く?』
『そう、家族だ』
『わかん、にゃい……』
『家族が?』
『うにゅ……』
『そうか。じゃあ、まずはそこからだな』
その人はしがみ付いて離れない私を嫌がる事もなく、お腹に回した左腕はそのままに、右手で私の頭を優しく撫でた。
▽
『じゃあまず家族とは何かから教えるぞ。あくまで俺の思っている事だから、そう思うように!』
『あいっ!』
『いい返事だっ』
お腹が膨れて一眠りした私は目を覚ますと先程言っていた家族と言うものを教えてもらう事になった。
抱きかかえるのが好きなのか、私を膝の上に乗せて後ろから抱いたまま、空いた手で木の枝を握って地面にガリガリと何かをしていた。
『家族ってのは……えー……色々あるんだがこの場合は娘……になるのか? いや、こんなに可愛いんだから妹ってのもありか……? ありだな。だけどお父さんと呼ばれるのも捨てがたい……うーん……』
勢い良く始まったと思ったら早速その人は自分の世界に入り込み、ぶつぶつと独り言を始めた。
よく分からない私はとりあえず聞こえてきた音を口にした。
『むしゅめ? いもーと?』
『あぁ、ごめんごめん。娘ってのはお前さんを産むのに関係した人の事だな。お前さんが大人になるまで守る責任がある人の事でもある』
『……?』
『難しいか。俺も上手く言えなくて悪いな』
くしゃりと撫でられた頭に、上を向くと少し悲しそうな顔が映った。
何故だか、ズキリと胸が痛む。
よくわからないけどそんな顔しないで欲しい。私はそればかりを思うようになっていた。
『痛い痛い?』
『なんだ、心配してくれてるのか? お前さんはいい子だな』
『いい子いい子?』
『あぁ。いい子いい子』
『えへへ』
ぎゅっと抱きしめられた背中から伝わるトクン、トクンと言う振動。
背後から「ふー」と吐かれた息が私の髪を揺らした。
『ありがとな。それで、妹って言うのは一緒に居たい人……? いや、違うな……妹って……やべ、妹の概念は本には乗ってなかった……まぁ俺はお前さんが大きくなるまで守るから父親代わりかな? お義父さんと呼びなさい』
唸りを上げながらまた自分の世界に入ってしまったが、一緒に居たい人と言う言葉がやけに耳に残った。
『父親……やっ!』
『なにぃ?!』
『いもーと! なんて呼びゅ?』
『ぐぎぎ……妹だとお兄ちゃんとか、上品ならお兄様? いやいや、兄さんか? うん、兄さんだ』
『うにゅ……にーたん、にーたんっ』
『うーん……お義父さん……』
『にーたんっ』
『そのうちお義父さんって呼んで……?』
『やっ!』
『ぐぐっ……意外と強情だ。しかたない。それじゃあ、いつまでもお前さんとは呼べないし今更だけど名前はあるのか?』
『ない……?』
『そうか。生まれたばかりだし、それもそうだよな。じゃあ今日からお前さんはアネモネだ。アネモネってのは花の名前で――』
花言葉とか、本とか、分からない言葉ばかりを使うその人は、何か大切な事を言った気がしたけどその最後の言葉は森を駆け抜けたさざめきにかき消されて聞き取れなかった。
後一話二話で再び兄さんサイドに戻ります。
今しばらくお付き合いお願い致します。




