四十四話.アネモネの小さくて大きな冒険5
四十から四十三話までの地の文(語り口調)が私の中でしっくり来なかったので変更致しました。
内容に大きな変化は御座いません。以降もお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
動物が水を飲んで体を晒している湖畔の反対側。そこにひっそりと佇み数本の根を湖に漬けた一本の木にナイトオウルが凄まじい風切り音を鳴らしながら蹴りを見舞う。
――ミシッ
鈍い音が空気を震わせた。
「そんな事して大丈夫なんですか?!」
「大丈夫よ。こうでもしないとエルダートレントはずっと寝てて起きやしないんだから。こら、エルダートレントのジジイ! 起きなさいな!」
それが本当なのか疑問は残りますが……生きている長さと経験ではナイトオウルには遠く及ばないので私が何か言っても無駄なのでしょう。それにしても羽を下ろした枝をギシギシと揺さぶり鋭い爪で樹皮を引っ掻いて荒々しくエルダートレントを起こそうとしている事には驚くしかありません。
知能が高いだけの動物であるナイトオウルも今の私も、魔物の一撃を食らえば即死する可能性もあると言うのにどうしてこうも余裕を持った態度で居られるのでしょう……? これが『大人の余裕』と言う奴なのでしょうか……? だとしたら大人の世界とは私が思っているよりも奥が深いのかも知れませんね……
そんな事を考えていると起こすのに疲れたのか、ナイトオウルは荒い溜息を吐いて枝に座り込んでしまいました。
「ふぅ……まったく起きる気配がないわね」
「本当にこの木がエルダートレントなんですか?」
「私、雄を見る目はないけど記憶力だけはいいの。ほらここ、この傷……前に見つけたとき普通の木と間違えて巣を作らないように目印の傷を付けておいたの。だから間違いないわ。ま、その時も起きたと思ったらモゴモゴ言ってまた直ぐに寝ちゃったんだけどね」
むんっと胸を張って翼の先で縦に入った三本線を指されたそこを見ると、確かに先ほど蹴りを見舞った時と同じような傷が付いていました。
「もしかして……既に死んで、ただの枯れ木に? この傷を付けた私の一撃が強すぎたのかしら」
本気か冗談かわからない事をナイトオウルが呟いていると、ガサリと頭上の葉が揺れました。
何かと二人して上を見上げていると、広大な大地を思わせる低く響く、少し間延びした不思議と頭に残る印象のある声が何処からともなく聞こえてきました。
「なんじゃあ……かしましいのぅ。折角気持ち良く眠っていたのに……一体何用じゃあ、鳥と魔物の娘よ」
ナイトオウルはその声を聞くと「あ、生きてたみたい。ね? エルダートレントだったでしょ?」なんて小さく笑い、留まっていた枝をバサリと揺らして飛び立つと、湖を背後にする形でエルダートレントに回り込む。そこには苔がハの字型に生えて眉を作り、中心から少し下には口に見える樹洞が開いていた。
恐らく、これがエルダートレントの正面なのでしょう。それなりに顔っぽくなっています。
じっくりと観察していると地に降り立ったナイトオウルはトットットと地面を飛び跳ねてエルダートレントに近づきました。
先程まであんなに攻撃的にしていて、もしあの時僅かにでも意識があったら報復されてしまうのでは? と言う不安から、羽毛をグッと抱きしめているとナイトオウルは小さい声で「大丈夫よ」と声をかけてくれました。
やっぱり、どこか兄さんに似ている。そんな気がします。
「エルダートレントの爺様。この子にかかった異常を解きたいんだけど、良い知恵はなぁい?」
打って変わって媚びるような仕草でエルダートレントにナイトオウルは問いかけました。
なるほど、雌を武器にするとはこういう事かと感心半分、私の為にしてくれているとは言え変わり身の早さに呆れ半分です。こう言うのが強かと言う事なのでしょうか? 果たしてこれを私がやったとき、兄さんは喜んでくれるのでしょうか……? 慎重に試して行くべきですね。
足蹴にされていた事はさして気にしていないのか、それとも寝ていて気づいていないのか、エルダートレントはハの字型の苔の片方をもったりと持ち上げると「ふぅむ」と唸りました。
「ふむ。存じておる、存じておるよ……木々が知らせておる。お主はアネモネと呼ばれているアラクネの娘。知っておる、知っておるよ……マニコイドの菌にかかったのか、ふむふむふーむ」
「知ってるならさっさと答えなさい!」
「まぁ、まぁ。お前さんは気が短いのぅ。そう慌てるでないわ」
そう言うとエルダートレントは私達にはわからないように何かをしているのか、一人で「うぅむ……うぅむ……」と唸っては「ほぉう……ほぉう……なるほどのぅ……」と独り言を漏らして何やら納得しているみたいですが何をしているのかわからない上にお願いしに来ている立場上、私達は現状何もできる事がありません。
それがつまらないのか、少しだけ気の立った雰囲気を漏らすナイトオウルを宥めながらしばらく待っているとエルダートレントは「うむ」と力強く言い、ガサリと葉を揺らしました。
「あの、エルダートレントさん?」
「一人で納得してないで説明しなさい!」
「まったく、気の荒い鳥じゃ……」
「いいから!」
兄さんに対する私の気持ちを話した時や体を元に戻したいと言ってからの行動の早さを鑑みるに、ナイトオウルはせっかちなのかも知れません。それも含めてこれ程ピリピリしているのはきっと、攻撃されたときに逃げれるように気を張っているから。だからこのちょっぴり、のんびりとしたエルダートレントの喋り方が気になって仕方ないのかも知れません。
ならばここからは私が交渉の席に着いて少しでもナイトオウルの負担を減らすべきなのでしょう。それにこれは私の問題。全てをナイトオウルに丸投げしていい事ではありません。
「すみません、エルダートレントさん。何かお分かりでしたらどうしたら元に戻れるのかを教えていただけないでしょうか? 出来る限りのお礼はさせていただきますので!」
するとエルダートレントは苔の眉を持ち上げた。
「そう気を張るでない。別に取って食ったりはせんよ」
その言葉で明らかにナイトオウルは警戒を緩めた。
「ちょっと安心しましたね?」
「そ、そうね」
「して、小さくなった体を元に戻したい……じゃったかな?」
「それと、出来ればお家に帰る道を……その……」
「素直なのは良い事じゃ……。ワシは長年この森と同化してきた。お主等の事は他の木々が教えてくれておるから両方とも解決できる。じゃがその前に、お礼の話じゃな」
「何あんた。困ってる子からお礼貰おうって言うの?! とんだスケベ爺ね。どんな要求するつもりよ!」
「なっ……スケベとはなんじゃ! 別に変なことを要求するつもりはないわい!」
「じゃあどんな見返りを求めるつもりよ!」
先程まであったエルダートレントの厳とした雰囲気は一瞬にして吹き飛んでしまい、当の私をおいてどんどん熱くなる二人。別に私はよっぽど変な事でなければいいのですが……私も勢いに任せて兄さんに嫌いなんて言ってしまったばかりなので人の事は言えませんが、こう言う時は一度冷静にならないと痛い目を見てしまうものです。
どうやって二人を落ち着かせようかと考えているとエルダートレントは「ふふん」と笑い、その笑みになんだか少しだけ嫌な予感を感じました。
「そうじゃな……」
「あんた、まさか……!」
ナイトオウルは何かに慄いています。エルダートレントの要求がわかるのでしょうか……?
「アネモネちゃんや」
「……はい」
緊張で喉がゴクンと鳴ってしまいました。
「体を元に戻す報酬は……ワシをお爺ちゃんっと可愛く呼ぶのじゃ!」
「……はい?」
何故お爺ちゃんと呼んで欲しいのか、私にはまったく理解が出来ませんでした……




