四十一話.アネモネの小さくて大きな冒険2
森が巨大化?
それは違います。マニコイドにそれほど大きな事変を起こせる力はないはず。
となれば……
「私が小さくなった……?」
帰ろうと意気込んだばかりなのに、幸先が悪い話です……
ただでさえ現在どこに居るかもわからないと言うのに視線は低くなり、今までの一歩は今の数十歩にも匹敵する程になってしまっています。無闇に歩き回れば更に迷う事になりますし、更に言えば他の魔物に遭遇した時の危険度は今まで以上でしょう。
下手に行動すべきではない。わかっています。頭ではわかっているのに……
「今は一刻も早く兄さんに会いたい……!」
ギュッと胸を締め付ける苦しい気持ちに突き動かされて体は自然と動き出してしまいました。
▽
視線が下がった世界は未知に溢れていました。小さくて食べ応えのないと思っていた茸は家のように高く大きく聳え立ち、地面から生える雑草自体が深い森のように視界を遮っています。
葉先が自重でしんなりと枝垂れた草が幾重にも重なってアーチの道を作り出し、いつもなら見逃すような小さな花も風に吹かれてその頭を頭上からずいと寄せて来る。大きな花が頭の上から落ちてくるものだから、突然の事に驚いてしまうがその光景は花がお辞儀をしているようにも見えて、ついつい挨拶をしてしまいます。
「ふわぁぁ……あ、お花さん。こんにちは」
当然、返事などありません。わかっていますが、こうでもしていないと寂しくて落ち着かないのです。
「帰ったら兄さんにも私のお話を聞かせてあげないと!」
いつもは眠る前に兄さんの話を聞くばかりでした。だからこの冒険を聞いてもらいたい。
与えてもらうばかりから、今度は少しでも与えたい。そう思うだけで心はぽかぽかと温かくなって寂しさも紛れます。
だから。
「ちょっとだけ、ちょっとだけなら寄り道しても兄さんも許してくれます……よね」
少しだけ、我侭を許してください。兄さん。
▽
しばらく歩いていると突如、頭上からガサリと音を立てて葉先が目の前に枝垂れ落ちてきました。
そこには一匹の蜘蛛がくっ付いていました。
何事かと見ていると、驚く事にその蜘蛛は前足を上げて挨拶をしてきました。
知識を継ぐアラクネと言っても基本的な動物と魔物は全く繋がりがありません。ハーピーだからと言っても動物である鳥の言葉は理解しないし、魚の下半身を持つルサルカだからと言って魚と会話するなんて事はありません。なのに、今はマニコイドの胞子が原因なのか不思議な事に虫の言葉が理解出来るようになっていました。
『へい、そこ行く彼女ぉ!』
なんとも軽い挨拶……それが無性に腹立たしいのはどうしてでしょう?
言葉がわかる事に多少面食らったものの、体が小さくなるなんて事もあるわけだから今更驚く事もないですね。
「なんですか?」
『オレッチとひと時のランデブーを楽しまないかい? あ、ランデブーってのは交尾の前哨戦の事さ』
「結構です!」
『ヒュー! ツレないお嬢さんだ! そんなクールビューティーなところも素敵だぜぇ』
どうやら私は言い寄られて居たようです。
いくら寂しいからと言っても兄さん以外の男に言い寄られて靡くことなど世界が変わってもありはしません。
まぁ、言い寄られて悪い気はしませんが……でも、それを言って欲しいのは貴方ではないのです。
「私はそんなに安い雌ではありませんので!」
『そんなところもイイネ! でもそんなに怒らないでおくれよ。怒った顔も可愛いけど、きっと君は笑った顔の方が素敵さ!』
理想の相手と対極に居る蜘蛛の軟派な態度についついキツく言い返してしまいましたが、軟派蜘蛛はその程度では挫けなかったようです。数多の雌に声をかけながら、その大半を断られたとしても次の獲物を見つけにすぐさま気持ちを切り替える軟派な思考を持つ相手は存外、鋼の精神を持つのかも知れません。
いえ、だからと言って意味もなく八つ当たり気味に接していいと言うわけではありませんよね……不思議な世界に迷い込み、浮かれ半分寂しさ半分な自分に声をかけてくれた相手。それも初対面の相手に対してでは余りに余りな態度でした。
反省しないと。
「はぁ……ごめんなさい。今のは八つ当たりでした」
冷静になった私を見た蜘蛛は驚いた様子も見せず六つの目をジッと向けています。
『ふぅむ、訳ありかい?』
普段なら不用意に話したりすることはないのですが、何故だか今はとても誰かと話したい気分だったと言うのも相まって、気が付けば今までの事を話してしまいました。
『つまり、あんたは魔物のアラクネってのがマニコイドって奴の攻撃でオレッチ達みたいな動物になっちまったって事かい?』
「いえ、多分動物になったわけではないと思いますけど」
『ふぅん? ま、難しい話はわからねぇな!』
「貴方は普通の蜘蛛ですからね」
『おいおい、オレッチをそこいらの蜘蛛と一緒にするんじゃねぇよ?』
「何か違うのですか?」
『オレッチは……蜘蛛呼んで、韋駄天の蜘蛛!』
「あ、はい」
器用に二本の後ろ足で立ち上がり胸を張った韋駄天を自称する蜘蛛は、ふさふさと毛が生えた太い前足を擦り合わせて何かのアピールを始めました。
「あの……何をしているんですか?」
『今からアンタにオレッチの最高最速に格好いいところを見せてやろうと温めてんだぜぃ!』
「え? 何のために?」
『その兄さんって人間ん所、帰りたいんだろ?』
「はい。それはもう」
『だから、オレッチ自慢の足で場所を探ってきてやろうって寸法よ。そしてアンタはオレッチに惚れて、ランデ――』
「それはないですね」
『……行って来るぜぃ』
いくら鋼の精神を持つからと言っても打たれ強いわけではなかったのか、気落ちした様子で声のトーンを落とした蜘蛛はカサカサと走り出しました。
速度は確かに速い。速いですが……
『あぁぁれぇぇぇ!』
ビュゥ! と吹いた風に飛ばされ、韋駄天の蜘蛛は森の彼方へと飛ばされて行ってしまいました……




