三十八.女の事情と情事7
唐突なファンタジー要素があります
聞けば、ルサルカの少女が遊びに来ると家は倒壊し、見知らぬ人間の女がアネモネの糸で木に括り付けられて騒いでおり、俺が地面で伸びていたため陸地で自力移動が難しいのにも関わらず川から這い上がって魚の足で頭を冷やしながら介抱していてくれたらしい。
「迷惑かけた。ありがとう」
「い、いいの! でもお姉さんには内緒にして欲しいの」
「何で?」
「怖いから……」
「仕方ないな」
そうこうしてシャーネの前にやってくると、シャーネはまたしても訳のわからない事を言っていた。
「流石は我が旦那様だ。またしても魔物ではあるがそのような幼い娘すら手篭めにする鬼畜っぷり……感心したぞっ」
「しなくていいんで……」
今日はやけに溜息が出る日だ、なんて考えていると、ルサルカが地面に降ろしてくれと言って来た。
「本当に大丈夫か? こいつ結構凶暴だからここで見守っててもいいんだぞ?」
「確かにちょっとおかしな人だけど……」
そういってルサルカはシャーネを眇めた。
「なんだ、小娘。旦那様と仲が良さそうだな?」
そんな威圧を放つがルサルカは気にした様子を微塵も見せなかった。
「うん。やっぱりお兄さんはちょっと離れてて欲しいの」
「理由を聞いてもいいか?」
「うーん……女の、話?」
「俺に聞かれてもな……まぁわかった。けど、念のために矢は継がえておくから」
「ありがとうなのっ」
こっちこそな、と頭を軽く撫でてその場を離れた。
▽
お兄さんがその場から離れて声が届かない事を確認するとお兄さんが言っていた問題の元凶に向き直った。
「それで、人間さん」
「何だ?」
「ここには何をしに来たの?」
「ほう……それがお前の本性か?」
「どっちも私なの」
「食えん奴だ」
人間にして見れば一生かも知れない年月は私達ルサルカにしてみれば一瞬。
森のあちこちで結界を張って暮らしているエルフと違って私達は姿と精神が一致するような成長はしない。
姿自体は時間の拘束を受けようと、精神は学べば学ぶだけ成長する。体が成長しきる前に、好奇心旺盛な幼い精神では、他の魔物に食われていずれ種は絶える。
これは、魔物が生き残るために必要な事なの。
……それでも、大人になってもやっぱり好奇心は大事!
「お兄さんは私を三枚に下ろして食べようとしたけど」
「ぐへへ……やはり旦那様は素敵だな」
「その演技も、もういいの。あの距離なら流石のお兄さんも聞こえてないの」
「そんなに遠くないように思えるが?」
「力こそ化け物級でも他の基本的な部分は多分人間……っぽい?」
「ふぅん?」
「もう一度聞くけど、ここには何をしに来たの?」
「言うと思うか?」
「どっちでもいいの。だけど、私がお兄さんに……この森の守護者に伝えたらどうなるか、わかるの?」
「さぁ? でも妹だなんだと言っていたあのアラクネの雌を人質に取っても私を殺す覚悟がない甘ちゃんだぞ? まぁ、そういうところも意外にいいんだが……ぐへへ」
「それは驚いたの……」
いや、そうでもない?
確かにお兄さんは一見、冷酷そうに見えるけど案外面倒見がいい。
私もあの時は間違いなく殺されると思ったけど、案外甘えがいのあるいいお兄さんだし……結構、いえ、本当は……じゃなくて!
「多分だけど、次はない?」
「さてな」
「嫌いなの、人間のそういう面倒な部分。お兄さんは少し変だけど、そういう真似はしないの。早くお兄さんとお姉さんを仲直りさせてご飯食べたいから、素直に腹を割って話すの『アクアブレイド』」
作り出したるは水の刃。
下手な鉱石よりも固いと言われるこの森のアイアンウッドすらゴブリンの首のように切り落とす事が出来る魔法の水刃。
これこそ本当に腹を割って話すと言うものなの。
お兄さんの死角である胸の前で小さめに作っているから気付いた様子もない。
「脅しか? いや、そっちが本当の本性だったと言うべきか?」
「魔物だから仕方ないの」
「ふん。お前こそ面倒じゃないか?」
「私は素直なの。お兄さんと、お姉さんには」
「やっぱり魔物だな。セイレーンめ」
「私はセイレーンなんかじゃないの」
「何……?」
「人間のお姉さんに言うつもりはないの」
「私の方こそお前が何を考えているのか聞きたいものだ」
「人間如きにそんな義理はないの。私がお兄さんに何か企んでいると伝えれば全部終わりなの」
「……ふん。仕方ない、か」
「ちゃっちゃと吐いて楽になっちゃうの」
「……取引だ」
自分が圧倒的不利なのに、この後に及んで取引?
やっぱり、人間は嫌い。本当に面倒なの。
「もうそれでいいの。条件を言うの」
「私とあの男をくっつけてくれ……!」
「……へ?」
「確かに私はある任務を担っている。お前は今、このイトの森の東、森を抜けた先にある山脈の向こうに住む魔族が動き出したのを知っているか?」
「少し森が騒がしいとは思ってた程度でしかないの」
「それは仕方がないのかも知れないな。人間の世界ではこの森は人と魔族が争わないようにと神が据えた不可侵の森だと言われている。普通であればそんなものは風化し、無視されるがこの森にはお前達のように他では考えられないほど知能が高い亜種や上位種のような魔物がゴロゴロしている。命知らずの馬鹿が入って行くと言う話は聞くが、人間にも魔族にもここは危険な場所と一応は認識されている」
うーん……確か、長ろ……一番上のお姉様がそんな事を言っていたような……
「そして人間と魔族が緊張を高めたとき、神が選定した者がこの森に現れる。と言うか実際本当に神託が降りたらしく、教会からお達しがあって私はここを訪れたと言うわけだ。内容までは詳しく話せないが大方はそんなところだ」
「じゃあ、ここにはどうやって辿り着いたの?」
「……花を摘んでいたら通りかかったオーガのような気持ち悪い生物に驚いて頭をぶつけて気を失って、気が付いたらここに居た……」
「情けないの。じゃあなんでお姉ちゃんを人質なんかにしたの? お兄さんがその神託とやらの人なら、その大事な人を傷つけたら不味いのがわからかったの?」
「うるさい。あの時は……その、混乱していたのと下着を取られたと言う興奮で……」
「馬鹿なの」
「うるさいっ」
「まぁいいの。でもなんでお兄さんなの?」
「お前はなんとも思わないのか? 性格は確かに人を殺す覚悟がない甘ちゃんみたいだが、時折見せる人を人とも思っていないような鋭い視線。私の服を乱暴に剥ぎ取る雄雄しさ。そして何より、私を、すすす、好きって……」
「まったく思わないの。そしてそれは妄想なの。お兄さんは間違ってもお姉ちゃんの前でそんな事を言う人間じゃないの。お兄さんが本当にそんな事言ったらお姉ちゃんに食べられちゃってるはずなの。アラクネは嫉妬深いの……」
まだお兄さん貸し出しの約束をする前、ちょっと甘えたとき見せたあの視線を思い出すだけで背筋が凍る思いなの……
「言ったんだ! 私の裸を見据えて、綺麗だ。むしゃぶりつきたい……とな! わははは! 城や社交界では戦いしか興味のない二十四歳の行き遅れ侯爵令嬢だとか見てくれと上っ面だけで判断する豚共ばかりだが、あの男は混乱して見せた本当の私を見ても、私を綺麗だと言ったんだぞ? もう結婚しかあるまい!」
「その任務とやらはいいの?」
「確かに任務は大事だ。だが! あの男……旦那様がその相手であるなら問題はないし、そうじゃなかったとしても私が愛する相手と任務の男は関係がない。苦節二十四年。ついに迎えた私の春を逃してなるものか!」
「必死すぎて怖いの……」
「と言うわけ私はちゃんと話した。約束だ、私と旦那様が結ばれるための手伝いを頼むぞっ」
「わかったの。でも、私の言う事はしっかり聞くの」
「了解した」
疲れた……
お兄さんが言っていた通り、この人間のお姉さんは少し……いや、だいぶおかしな人だったの。
早くお姉ちゃん帰ってこないかなぁ。一緒にご飯食べてお話したい。
はぁ、と溜息を吐いた拍子に胸の前で射出を控えていたアクアブレイドも、バシャリと音を立てて形を崩した。
「じゃあ、まずは――」




