三十五.女の事情と情事4
気が付いたらカオスな内容に……哲学だなぁ(白目)
人間とは業の深い生き物である。
目の前で涎を垂らし、内股を摺り合わせる変態女と俺は分類学上では同じであるが出来るならば目の前の女は猿科であって欲しいと願った。
しかし、俺の個人史に於いて経験上、願いとは叶えられない事が九割を締めている。
何故なら、俺の人生で初めて強く願ったであろうこの女との普通の会話を成立させると言う願いは、猿に言葉を教えるよりも難しく、最大の努力を以ってしても依然として達成されていないからだ。
いや、それは猿に失礼と言うものだ。正確には猿の方が賢く常識的であると表現するのが正しいのかも知れない。
獣だって人間のように社会を築くし、その中には身分社会も存在する。
本能的なそれは強い種を残すため、強き者が絶対であり、音を鳴らしたり獲物を多く取ったりと多種多様な戦いを見せる。そして晴れてその結果が追いついたとき、始めて獣達は人間社会で言うところの夫婦となって種を残すのだ。
獣にもあるそんな常識的な過程をすっ飛ばし、いつの間にか空席であったはずの嫁の立場に居座った女は獣にすら劣るのではないだろうか?
何より、同じ人間であるのならば人類は言葉と言うコミュニケーションツールを使うのだが、彼女は肉体言語に特化しすぎていた。
理性を以って己を律するのが人間であるとは一体誰の言葉だったか。それが書き記されたであろう人類の英知は宇宙の闇に飲まれてしまったようだ。
言葉も通じず、只管肉体で語る人間など見た事はない。つまり、目の前の存在は俺のような矮小な存在が感知出来るものではなく、最高の知能を持った数多の人間が挑み、そして散って行った夢の果てなのである。
そこで間違えていけないのは、俺は決して女の人格を否定したいわけではない。
全ては無知無学な俺が招いた結果と言えよう。
……どうやら、まだ俺は混乱しているらしい。
「んはぁっ! 金と女と権力にしか興味がない勘違い上流貴族共がスラムの人間を見るような濁った視線! いいぞ、その調子だっ」
しかしだ。如何に俺が悪いのだと言ってもそれを受け入れられるかは別の問題である。
女の口から語られた、人間の三大欲求全てを兼ね備えたその勘違い上流貴族とやらがこの目の前の変態を引き取らなかった事を、ただただ恨むばかりだ。
それにしても、何度思い返しても好きだなんて言葉を向けられる覚えがない。むしろ嫌われる方が順当だ。
「旦那様、愛しているぞっ」
それだと言うのに女は俺が視線一つ動かす度に内腿をもじもじと摺り合わせ、乙女のように恥じらいを見せて愛を囁いている。
裸は見せても恥ずかしくないのに、気持ちを表すのは恥ずかしいのだろうか?
それはおかしい。おかしい事だらけだ。
語尾にハートが付いているのが透けて見える程に甘い言葉。
普通、美女に好きだの愛しているだの言われて喜ばない男はいないだろう。
だが、俺の背筋はゾゾゾ――と肌を粟立たせていた。
「俺は愛してない」
「んはぁっ! そんなツレないところも、いいっ!」
「変に溜めを作るな、感じるな」
「ハァ、ハァ……ッ!」
「興奮するな!」
女の突飛な言動の数々は間違いなく俺を苦しめる為の作戦だ。
そうとしか思えない。
ズキズキと痛み始めた頭を抱え、口からは唸り声が漏れ出た。
「どうした、旦那様?」
「お前のせいで頭が痛いんだ……」
「お前なんて他人行儀な……私の事はシャーネと呼んでくれ」
女改め、シャーネは相も変わらず話を聞かずに今更ながらそう名乗った。
その事が俺に一つの閃きを授ける。
そう……そうだったのだ。俺達は名前も知らない……いや、名前だけは知ってしまったが、そんな相手と愛を育めるわけがない。
所謂、価値観の相違と言う奴だ。
学校や会社を問わず、更には人目すらも憚らずにそのアツアツぶりを見せ付けた男女ですらこの言葉の前には膝を着かざるを得ない力を秘めている。
自分とは全く違う人生を過ごして来た他人と言う存在はシャーネのように見た目に反して中身がかなりアレであるように、何が飛び出すかわからないパンドラの箱である。
それが悪いと言うわけではない。
学校や会社と言った一部の時間の共有と、同じ苦難とも言える時間の拘束を乗り切った二人は吊り橋効果にも似た開放感によって更に感情を高め合い、そこでついには同棲に至りこの時始めて本当の意味で相手を知り得る。
そして箱から飛び出した相手への絶望の数々を共に乗り切り、底に残った希望と言う名の栄光を掴み取った者達こそが本当の愛を知る者だ。
ちなみに、同棲しているからと言っても婚前交渉を行うのは以ての外である。
そんな面倒臭いと言われる価値観を持つ俺と性の獣であるシャーネは水と油以外の何物でもない。
俺達の愛の行方は試す前に結果は出てしまっていた。
「シャーネ。悪いんだが俺達はお互いの事を知らなさ過ぎる。そうだろう?」
「む……それもそうだな」
変態とそうじゃない時の緩急が激しすぎて無性に腹立たしくはあるが、やっと成立した会話を下手に刺激して壊すわけにはいかないので黙って次の言葉を待った。
するとシャーネはくねくねとよじっていた体をピンと伸ばし、内腿を摺り合わせるのを止めると踵をピタリと閉じた。
今までとは違い、纏った雰囲気は場を知っているとでも言うのだろうか。
どこか、俺を鍛えてくれた祖父に良く似ていた。
「改めて名乗ろう。私はワイスタリア王国第二騎士団団長シャールネリア・ド・アイネヒルト。出はアイネヒルト侯爵家だが騎士団に入ったときに捨てているのでシャーネで通している」
「……」
凛と張られた透き通る声に俺は言葉を失うしかなかった。
やはり、格好の通り騎士だった。
だが、騎士や侯爵なんて言われてもこの世界の言葉の意味と俺の知っているそれとが内外共に同じであるとは限らない。
事実、その精神性は知っている物とはだいぶ違う。騎士が人質とは名折れもいいところだ。
それにこのような変態女が何かしらの長の座にいると言う事には恐怖すら覚える。そんな人間に団長の役職を授ける国は大丈夫なのか?
間違いなく破滅への道を確実に歩んでいると思うんだが……。
「旦那様? どうしたのだ、そんな渋い顔をして」
「あ? あぁ。ちょっと驚いてな」
「私が貴族だった事が……か?」
「いや、お前自体はちゃんと人間社会で生まれ、そして育てられたと言う事実にだ」
「んっ……!」
「それやめろ……頼む……」
「仕方ないな」
「仕方なくないだろ……」
だらしなく弛緩した空気を醸し始めたシャーネに俺は溜息しか吐く事が出来なかった。




