二十七.ルサルカは寂しい5
川に溶け出してしまいそうなほど脱力しきった少女から、一体どうしてここに住みたいなどと言う話になったのかを聞き出すのは大変な労力を要した。
と言うのも少女は断られたのが悲しかったのか、それともアネモネと仲違いをしてしまったのが悲しかったのか。川にたゆたいながらしくしくと涙を滲ませて自分の殻に閉じこもってしまっているからだ。
女性の殻は外部刺激にとても敏感で、下手に触ろうものなら要らぬ怪我の元となる攻撃性の防御とでも言ったらいいのだろうか。表現するなら同じ水生生物の海胆。アネモネのようにツンツン言っている訳ではないが、何が飛び出すかわからないびっくり箱。それが女性と言う生き物だと個人的には思っている。
そんな殻を突いて良いものかと悩みぬき、導き出した結論は少女が自分で開いてくれるまで川辺での根競べと相成ったのである。
川のせせらぎと森を風が駆け抜けたさざめきに混じり、この世に未練を残して逝った怨霊の如く恨めしげな嘆きの声がしくしくと晴天の下に響く。
それをバックコーラスに、遅くはない川の流れに逆らってその場で背浮きしながら留まり続ける少女をただ眺め続けた。
この拷問のような時間はいつまで続くのだろう……
狩りをしていたから待つのは慣れている。しかし、息を潜め、身を隠しているわけでもなく堂々と姿を晒しているので気分をそちらに移行させることは難しい。
人によっては罵声の一つでも飛んで来そうなほど贅沢に時間を使っているが全く嬉しくないので勘弁願いたい。
▽
無為に過ごす時間の迷宮に迷い込み、酸素をただ消費するだけの真の警備員となった俺はこの拷問から逃げ出すべく家に戻ったのだが、中ではアネモネが気持ち良さそうに昼寝をしていた。
可愛い寝顔の口は小さく開いており、時折すぴーと寝息を立てる。それをじっくりと堪能していると普段であれば俺もすぐ横になってしまうのだろうが、だからと言って家の前で泣く少女を放置しておくわけにも行かない。いかに他人だろうと寝ている間にどこかに行かれてしまうと言うのはそれはそれで据わりの悪い話であるし、何より少女はアネモネの友達になってくれそうなのだ。仲良く出来るかは本人達次第だが、場を整えるのも大人の務めである。
それに俺は警備員。家の前で泣く迷子を放っておく事など許されない。
名残惜しいが幸せそうに眠るアネモネの頬を突っつき、にへらと笑う可愛い笑顔を貰うと再び戦地へと帰還を果たした。
勝負はまだこれからだ。そう気持ちを切り替え、気が付けば頂点に近かった太陽が少し傾き始めて溜息と欠伸を何度か噛み殺したとき、漸く少女は己の殻の隙間から顔を覗かせた。
「お兄さん……」
「なんだ?」
「ぐすっ……ごめんなさいなの」
「もういいのか?」
「はいなの。いっぱい泣いたらちょっとスッキリしたの」
「そうか。ところで、なんであんな話になったんだ?」
「……お姉ちゃんのお兄さん自慢を聞いてたら羨ましくなっちゃったの。後、ご飯も美味しかったの。初めてがいっぱいでもっとここに居たいの」
「……それだけ?」
「それだけなの」
「そうか……」
▽
ルサルカは女しかいないとは本人の言。そんな女社会で生活してきた少女にとって兄と言う存在は大変輝いて見えてしまったようだ。
俺にとってアネモネは可愛い娘であるが、本人曰くは兄。そしてそれを聞いて兄という存在へ憧れを抱いてしまった少女へ伝授するのはアネモネすらチョロめかしてしまう妹知識の宝庫、数多読み漁った妹物の本の中で最も分厚く最も信頼性の高い『妹攻略の秘訣大全』の一節である。
元の世界の本であるため手元に現物はない。だがその中の一文はしかと俺の胸に刻み込まれている。
『妹を攻略する秘訣の一つは、仲を取り持つ存在である。探せ、ご近所さん家の至宝を』
流石、大全と銘打つだけの事はある。簡潔ながらも仰々しい一文は妙な力強さを湛え、この世の果てを見てきたような貫禄を醸す。これを初めて見た時は震えたものだ。勿論、何を言っているのだろうと言う部分でだが。
だがそれはこの場に置いて救いの一手に他ならない。ルサルカの少女には是非ともアネモネの良き友となってあげて欲しいと言う親心を満たしながらも二人の静かな時間を壊して欲しくない俺の願いも守ってくれている。
あくまで俺は近所のお兄さんであるためルサルカの少女は自分の家に帰る事になるし、万事解決だ。
早く自分の家に帰れと言う部分は省略して伝えたが少女にはさぞ魅力的な内容に映ったのか、目を輝かせて言葉に細かく相槌を打っていた少女は話しが終わると味わうように言葉を反芻して大きく頷いた。
「それで行くの! それならお姉ちゃんとも仲良くできるの!」
よし来た!
問題の解決を無事終えて僅かに口角が上がるが最後の難関が待ち受けているが故に俺の口角は再び下がり、元の顔に戻ったので笑った事はバレていないはずだ。
「そうか、満足したならそろそろ帰った方がいいんじゃないか? 母親を心配させてるのはわかってるだろ?」
「うっ……そうだったの。お兄さんも来て欲しいの……ダメ?」
「わかってるよ」
「ありがとうなの!」
ゴリゴリのマッチョと成ってしまったオーク君とは違ってか弱そうな少女を放り出す訳には行かない。彼女達も野生で生きているようなのでもしかしたらしっかりと戦えるのかも知れないが、迷子を親元まで届けるのが大人の務めなのだ……
「今から向かうのは危ないから明日にするぞ」
「っ~! やっぱりお兄さん優しい人なの!」
やれやれと疲れた息が出そうになるのを何とか飲み込む。
キャッキャと騒ぐ少女を担ぎ上げ、どうやって彼女の保護者に言ったものかと頭を抱えながら重い足取りで家へと向かった。




