二十二.でかい魚がやって来た
長く続いた雨が止み、漸く晴れた空には虹がかかっていた。
虹を見たのは初めてなのかアネモネは大興奮ではしゃぎ回り、抑圧されていたのも相まってか虹を捕まえてくると言って飛び出してしまった。
まだまだ子供の部分を見せてくるアネモネを優しく見守りながらあまり遠くへは行かないように伝えると俺は畑や川の様子を見る事にした。
「さて、今のうちに魚で……も……」
長く続いた雨によって川は増水しているが元々それほど大きく作ってはいないし、氾濫するなんて事はない。
それに普通とは違って糸で補強しているので支流自体が川底の泥を巻き上げて汚れることもないが、それでも少し水が濁っているのは上流を流れる本流が増水して汚れているからだろう。
だが今はそんな事は問題ではない。
魚をキャッチするためのネットを見れば、そこにかかっていたのは人間大の魚。
ではなくアネモネと同じく上半身が人間で下半身が魚。
半魚人だ。いや、人魚と言った方がいいのだろうか。
網に突っ込んでいる頭から広がる髪は糸と同じように白いが僅かに光を反射している。その輝きは銀糸のようだ。
少し幼さを残しながらも形良く緩やかに曲がるスッキ通った眉に、高くも小さな鼻。左目の下には泣き黒子。アネモネと同じくらいある胸にはまたしても衣類を付けていない。
もしかしてこの世界はヌーディスト御用達なのか……? だとしたら異端は俺の方だと言う事になる。そうであって欲しくないと祈るばかりだ。
半漁人は眠っているのか、それとも死んでいるのかピクリとも動かない。
この半魚人をどうしたものかと思い、とりあえず川から引きあげた。
未だ雨の影響でぬかるむ地面に横たえておくわけにも行かず、家の中に運ぶといつも食事をしているテーブルの上に寝かせた。
どうしてベッドじゃないのかって? 知らない、それも濡れている相手をベッドに寝かせるわけないだろう?
それにしても……半魚人とは言え、大きな魚の足がテーブルの上に乗っているとどうしてこうも美味しそうに見えるのだろうか。
朝食前と言う事もあり、俺の腹は空腹を訴えていた。
「魚が食べたくなってきたな。雨のせいでここ数日食べてなかったし、ナイフの手入れでもしておくか」
懐に入れてあったためこちらの世界に持ち込めていた手拭いを使ってナイフに付いている水気を取る。
ジューシーに焼き上げた魚を思い浮かべて腹を鳴らしていると一人分の音に混じってもう一つ音が重なった。
「……ん?」
誰か来たのかと周囲の気配を探るが特に変わった様子はない。
「となると……」
視線は自然とテーブルの上に向かっていた。
少しだけ悪戯心が顔を覗かせる。
ナイフをギラつかせ、太陽を反射した光が未だテーブルの上で眠る少女の瞼に重なる。
「あーあ。なんか、魚が食べたい気分だなぁ?」
「……っ!」
「おやぁ? こんな所に大きな魚が乗ってるなぁ……?」
「ひっ……」
「最近雨が降ってて魚食べてなかったからなぁ……。うっかり食べちゃうかもなぁ?」
「お願いなのです! 私を食べても美味しくないのですっ! 殺さないでっ」
「お、おい。危ないだろっ」
恐怖が限界を越えたのか、ビクンと跳ねるように体を起こした少女はナイフを持っていると言うのに抱き付いて殺すなと懇願してきた。
そんな事しなくても上半身が人間の子供を取って食う極悪非道な人間に見えるのだろうか? だとしたらショックだ。
半漁人の少女は余程怖かったのか、うわーんと大きな声をあげて怖かったと縋りついて泣き始めてしまった。
アネモネと同じく整った顔をしているので歳も同じくらいだと思っていたが、もしかしたらずっと幼いのかも知れない。
「冗談だって。悪かったよ」
なんとか泣き止ませようと色々してみるが声を掛ければ掛けるほど泣き声は大きくなる。それなのに逃げるどころか、俺の胸に顔を埋めてズビズビ言い出す始末だ。
何とか宥めようとして頭を撫でながら背中をさすっていると、満足げな顔をしたアネモネが家の戸を開いた。
「私から逃げ遂せるとは、虹ってのも中々やり……ます……ね?」
すっと目のハイライトを失ったアネモネはとても冷静だった。いきなりヒステリックに喚き散らしたりはしない。しかし、その冷静さはこちらが怖くなるくらいに冷静すぎた。
だがその気まずさ足るや、俺は浮気現場を目撃された旦那の如くしどろもどろになりながら言い訳がましくアネモネに説明を始めた。
「あ、いや。これは違うんだ」
「それ、なんですか?」
「そ、それ?」
「その生物です」
「あ、あぁ。拾ったんだ。川で」
「捨ててきてください」
「え?」
「我が家はペット禁止です」
「ペット?!」
「違うのですか?」
「違う……と、思いますが……」
有無を言わせぬは迫力を醸すアネモネに気圧されながらもなんとか言葉を絞り出す。
こんな様子のアネモネを見るのは初めてなのでどういう反応をしたらいいかわからない。
背中を嫌な汗が滴る。
言葉を吟味し、慎重に慎重を重ねなければ俺も半魚人の少女共々命はないだろう。
襲い来るプレッシャーにゴクリと喉が鳴る。
だが俺も男だ。負けじと口を開こうとしたときだった。
「お、お兄さんは悪くないのです!」
おい、やめろ。今お前が喋るのは逆効果だ。そんな事もわからないのか……! しかもお兄さんだと? 見ず知らずの相手に兄と呼ばれる筋合いはない!
何故庇う?
わからない。話をややこしくするプロかよ。
刻一刻と悪くなっていく状況に頭を痛める。そんな俺を他所に冷め切った目をしたアネモネは半魚人の少女がお兄さんと言ったのを耳聡く聞き逃さなかった。
「兄さん、どいて。そいつ殺せない」




