一.プロローグ
拙作では御座いますが楽しんでいただけたら幸いです。
異世界に移るには様々な方法がある。
働き者の転生トラックに輸送を頼む。
主人公的な人格を兼ね備えた男前と才色兼備な美少女の金魚の糞をしていたら勇者召喚に巻き込まれる。
退屈な毎日を送るニヒルな人間になって他者を見下しながら大量召喚の一人に紛れ込むなどだ。
だが俺は――
「起きなさい」
うるさいな……
「起きるのです」
俺は引き篭りだぞ。放っておいてくれ……
「起きてください、兄さん」
――ドゴッ
何かが顔の横を掠めて行った。
「……知らない床だ」
幾度となく促がされた覚醒の言葉に、俺は嫌々であったが重い瞼を開く。
寝ていたのはベッドでもなければ床でもない。
天井に貼り付けられ、床を見下ろしていたのだ。
寝相が極端に悪く天井に張り付いていただとか、そう言う構造をした家に住んでいるとかそんなちゃちなものじゃない。
体を包む白い繭。
そして背中の後ろに作られたシルクのような白さを持つ糸は粘りがあり、美しい模様を描いている。
「アネモネ。また寝ぼけて俺を巣に貼り付けたのか」
「……」
俺を叩き起こした子の名前はアネモネ。
たまたま拾った卵を温めていたら、そこから生まれてきた自称アラクネ族の女の子。
何故自称かと言うと俺はこの世界の人間ではなく、アラクネ族と言うのをアネモネ以外見た事が無いからだ。
この世界に迷い込んだ原因はわからない。
何かにつけて金、金、金の現代社会に見切りをつけた俺は、実家が所有する山の奥地に拠点を構えそこに引き篭った。
小さい頃から祖父に山で生きる為の雑学から狩りまでを仕込まれ、体を苛められてきたので苦労はしなかったし、俗世から離れた生活は気楽でよかった。
迷い込んだ日もいつものように狩りに出かけ、気付けばこの世界に迷い込んでいたと面白味の欠片すらないものだったが、現実はこんなものなのかも知れない。
泰然自若、山は動かじ。泣こうが喚こうが、来てしまったものは仕方ない。
切り替えの早さも行きていく上で必要な事だ。何より、楽隠居を決めて込んだ時点でベッドの上で死ぬなんて考えていない。こういう事もあるだろうとありえないことに理解を示すのも大事だ。
ただ不思議なのは、森から出ようとすると透明な壁に阻まれて出られない事。一緒に行ったアネモネは出る事が出来たので、俺だけが出れないと言う事になる。
つまり神はこう言っているのだ。
『社会への未練は断ち切ってやった。だから好きなだけ引き篭れ』と。
まさに天啓、ありがとう神様。
でも引き篭りたいのは繭の中ではないので、まずは自由を手に入れることにする。
「ふんっ!」
力を込めて腕を伸ばせばブチッと音を立てて糸は千切れた。
しかし背中に貼り付けられた綺麗な模様を描く糸は柔軟性があり、瞬間接着剤で付けられたようにピッタリと背中に吸い付いるため、逃れるのが難しい。
これは生成者であるアネモネでなければ外せないので、素直に頼まなければならない。
「下ろして?」
「ツーン」
どうやらご機嫌はあまりよくないらしい。
顔を逸した時に翻った黒髪は艶やかで、普通の目の他にクリッとしたアーモンド形の目が四つ、額に掛かる髪に隠れるようにして付いている。
目が合計で六つあると言っても髪を掻き上げたり、下半身が蜘蛛のそれである事を除けば見た目は普通の女の子だ。
そんな子が頬を膨らましてプイッと顔を背ける姿は中々に可愛い。
「頭洗ってあげるから」
「そ、それだけじゃイヤです」
クッ……だんだん贅沢になってきたな。
最初は頭を撫でるだけで言う事を聞いてくれたチョロイ子だったのだが……。
「仕方無いなぁ。背中にくっ付いてていいから」
「本当ですかっ」
俺は本当の親ではない。なので俺が親代わりのつもりなのだが、本人が俺の事を兄と呼んでいるように、彼女は兄妹的な何かを望んでいるらしい。
ここ数日は手を繋いだり、くっついていたりとボディータッチ系を引き合いに出すと結構言う事を聞いてくれる。
妹物の本を読み漁った俺に死角は無い。予習復習は完璧だ。まさかこんな日が来るとは思いもしなかったが。
「本当だよ」
「うひっ」
なんて下品な笑い方をするのだろうか。
これは矯正しなければお義父さんは心配で君をお嫁にだせないよ……
「そこに座りなさい」
「え?」
「座りなさい」
「あ……はい……」
「いいか? 笑うときは口に手を当てて、ホホホと笑うか顔のラインに手を沿えて、うふふと笑うんだ」
「それは兄さんの願望ですか?」
「そうだ」
恥じる事はない。俺は自分の心に素直に生きている。
アネモネは可愛い顔立ちをしているので、俺の見立てでは将来どえらい別嬪になるだろう。
……親バカの気持ちが少し理解できた気がする。
「わかりました……おほん。うふふ」
「百点満点だ。よくやった」
「えへっ」
やはり、俺の見立てに間違いはなかったと確信した瞬間だった。