十八.風呂を作りたい3
目が覚めると凄まじい重量感に襲われ、始めて金縛りと言うものを体験した。
と言うのは冗談だ。
昨晩、髪を撫でられたのが相当嬉しかったのか一緒に寝たいと申し出をされた俺は二つ返事で了承をした。
隣で腕に抱きつくように寝ていたはずのアネモネはいつの間にか馬乗りで俺の胸に顔を押し付けるように寝ており、大きな蜘蛛足は俺とベッドを抱きかかえるように押さえ込んでいる。
ただ馬乗りにしているだけならそれ程重いと言うわけではないと思うのだが、足を使って強烈な力でサンドイッチにされれば重いと言うよりは苦しい。
「重……」
間違いなく寝ているはずなのだが、女性の本能とでも言えばいいのか。俺を押さえ込んでいる六本の足のうち一本が拘束を緩めるとベッドを貫いた。
最後まで言わせまいとするその根性。なんと言う防衛本能だ……これが女子力と言う奴なのか?
恐ろしい……
腕も一緒に押さえ込まれているので何も出来ず、気が付けば再び眠りに落ちていた。
▽
「――さん」
朝早かったからまだ眠いんだ……
「兄――ん」
もうちょっとだけ……
「兄さん、朝ですよ」
ドスッと体の近くに何かが刺さる気配に、少しだけ目が覚める。
開きかけた瞳に映ったのは穴の開いたベッドと床。
結局天井に吊るされているがもう慣れてしまった。
「……知っている床だ」
「おはようございます、兄さん」
「おはよう、アネモネ。とりあえず、下ろして?」
「ツーン」
腕を組み、顔を背けながらも一本だけ伸びた蜘蛛足は顔の横に突き刺さったままになっている。
今日は一体何に照れているのだろうか。
「どうしたんだ?」
「見ました……?」
「ん?」
「わ、わた、私の……寝顔……」
「寝顔ならよく見てる気がするけど」
「じゃなくて、その、寝相と言いますか……」
「あぁ、あれか。いつもあんな風にして寝てたのか?」
「……はい」
そう言うと少しだけ暗い顔をして下を向いてしまった。
どうやら俺を抱え込んで寝ている事を気にしていたようだ。
むしろそのうち一緒に寝たいとすら言われなくなることを考えれば今は思う存分堪能しておく期間だと思う。
何より俺が寝たのを見計らってからいそいそと馬乗りになるなんて、可愛いじゃないか。
でもそれを伝えてしまうと照れ屋なアネモネはもっと拗らせてしまうので胸の中で楽しむ事にしよう。
「ちょっと驚いたけどいいんじゃないか? 温かいしな」
「え?」
「ん?」
「もう一緒に寝たくないとか、思ってないんですか?」
「思ってないよ」
そう言うと瞳を潤ませて素早く糸を伝って天井に来ると簀巻き状態の俺に抱き付き、顔を摺り寄せてきた。
「うわぁぁん! もう一緒に寝ないって言われると思ったよぉ!」
「はっはっは。可愛いな、アネモネは。俺がそんな事を言うわけないだろ。と言うより、下ろして?」
「あ、はい。すぐに下ろしますね」
この切り替えの良さは誰に似たのか。
抱き付いていた体をぱっと離したアネモネは足を四本だけ器用に動かして糸玉を作り上げて行く。
いつものように自分で引き千切ってもよかったのだがこれもコミュニケーションだ。お願いして解いてくれるならそれに越した事はない。
「風呂が出来たらまた一緒に寝ような」
「はい、兄さんっ」
ぱぁっと花も綻ぶような可愛らしい笑顔を向けたアネモネは小動物の如く頭を擦り付けてくる。
しっかりしているようでまだまだ甘えんぼうと言う事か。
▽
身支度を済ませた後、昨日と同じく風呂作りを始めたのだが石台作りをあっという間に終わらせてしまったアネモネは暇だからと隣に座って作業を見ていた。
ただ見ているだけならよかったのだが……
「はい、兄さん。クリミアですよ」
「ありがとう」
「はい、兄さん。お魚焼けましたよ」
「ありがとう」
「はい、兄さん――」
今までこっそりとしていた事が公認となったのが余程嬉しかったのか木を削っている横で鼻歌を歌っては次から次へと食料を口に詰め込んでくる。
俺は手先しか動かしていないので体力は有り余っているし腹もそれほど減っているわけではない。
だが、可愛い娘が差し出してくる食べ物を断ることが出来るだろうか? 断じて否。押し寄せる猛攻をただただ甘んじて受け入れるしかなかった。
そのおかげとも言うべきか……恐ろしい応援効果に因って作業効率は増大し、あっという間に浴槽は完成を迎えた。
人間追い詰められると凄まじい力を発揮すると言うがまさかこんな事で経験する事になるとは……
「思ったより早く完成してよかった」
「もっとゆっくりでもよかったのに……」
残念そうな声を出しているところ悪いがあのまま口に延々と食べ物を詰め込まれたら俺はこの世にはいなかっただろう。
すまない、目に入れても痛くない程可愛がっているが流石にあれ以上は入らない。
気を取り直してアネモネを見れば口を尖らせて若干拗ね気味だ。
まぁそんな事も風呂に入ってしまえば全て忘れてしまえばいい。風呂にはそれだけの魅力がある。
でもその前に……
「初めての風呂、一緒に入るか?」
「はいっ」
アネモネも楽しみにしているのだろう。
元気な返事を聞き、二人掛かりで浴槽を石台の上に置くと丸太をU字型に削った管を通して川の水を浴槽へ溜めていく。
川の勢いはそれなりにあるので火を着けて水が温まる頃には十分溜まる予定だ。
その間、特にやることもないので少しずつ溜まっていく水を二人で眺めていると、ふいにアネモネが口を開いた。
「ところで兄さん」
「ん?」
「何で裸に?」
「風呂は裸で入るものだからだ」
「そうなんですね……」
まだ準備段階ではあるが待ちきれない俺は既に裸となっていた。
勿論、いくらなんでも突然人前で全裸になるほどデリカシーの欠片もない人間ではない。
褌一丁で待機しているところなのだがアネモネは目を覆い隠しながらも指の隙間からチラチラと覗き見ている。
そうやって恥ずかしがられてしまうと無性に自分が恥ずかしい事をしている気持ちになる……
「あの、アネモネさん?」
「な、なんですか?」
「そうやって見られると恥ずかしいんですが」
「見てません……よ?」
「いや、見てるよね?」
「見てません! 兄さんのスケベ!」
「解せん」
▽
アネモネにスケベ認定されてしまい、一緒に風呂に入るのを拒否されるかとも思ったがその心配は杞憂に終わった。
流石に二人しか使わないから妥協も必要だと言う事で、俺は褌、アネモネは胸に自分の糸で作ったさらしを巻いている……と言ってもアネモネは普段からもさらし一丁なので格好に関してはあまり代わり映えしていない。
唯一変わったのは長い黒髪を湯船に浸けないようにと伝えた事で巻いている事くらいか。
「はふぅ~」
「ふぅ」
浴槽の縁に肘を掛け、二人して満天の星空を見上げながら蕩けた声をあげた。
しばらく絶景を堪能していると、ちゃぷんと湯面が揺れたので夜空から視線を下ろせばアネモネが隣まで来ていた。
「どうした?」
「あ、あの! 髪を、洗ってもらえませんかっ」
意を決したように息巻いていたので少し驚いたが、思い返せば川の水は冷たいので洗髪はすぐに終わらせていた。
温かい風呂ならゆっくり洗ってもらえるとわかっているが、それはそれで恥ずかしいのだろう。うずうずしている様子のアネモネを見ていると思わず頬が緩んでしまいそうになる。
「あぁ、いいぞ」
「やたっ!」
グッとガッツポーズをするアネモネに浴槽から半身を乗り出すように伝えて髪を解く。少しばかり水分を含んだ髪はいつものように軽やかではないが、夜を写し取ったように艶めいていてとても綺麗だった。
「いつ見ても綺麗な髪だ」
「髪だけですか?」
「勿論全部纏めても、個々に見ても、な?」
「っ~! もうっ」
自分で言わせておいて恥ずかしいのか、手で顔を覆ってバタバタと暴れ出したアネモネを微笑ましく見守りながら幸せな一時を過ごした。




