●──【3】ソフィールズ館の住人たち
あたしがお世話になっているレイチェルさんは、家系をさかのぼれば国王家ともつながる名門スタンフォード家の第一八代当主だった。
スタンフォード一族は代々、サーリア市の東部一帯にイザーク湾に沿うようにしてひろがる広範な丘陵地帯──ソフィールズ地方──を領有してきた。豊穣な土地と良港に恵まれたこの地方を治めるということは、こと収入にはこと欠かないということで、スタンフォード家は王侯貴族のなかでもきわめて裕福な一族だった。
けれどそれゆえ貴族社会内での妬みや嫉みも強く、ソフィールズ地方の領有をめぐる権謀術数にたびたびまきこまれ、一族のあいだにいくつもの悲劇を生んできた。
さらにはありあまる富をめぐって一族内でも数々の争いがおき、多くの呪いが一族の身にふりかかったという。
気がつけば、兄の早世により十年前に爵位を継いだレイチェルさんが、一族の直系では唯一の生きのこりになっていた。
スタンフォード一族の直系が代々暮らしてきた屋敷は、ソフィールズ館と呼ばれてきた。新館と旧館にわかれ、渡り通路によってコの字型につながっている。
レイチェルさんは、第一八代ソフィールズ侯の跡目を継いでからはずっと、その新館にて使用人のグレービー夫妻とともに暮らしている。
ほかにいっさい使用人を雇わないその禁欲的な暮らしぶりは、さながら世捨人か修道尼のようだという人もいる。
もともとレイチェルさんは社交的な人物ではなかった。うかつに社交の場にでれば、財産めあてのハイエナ連中につけ狙われるという事情もあったんだと思う。だとすれば両親とは幼い頃に死別し、さらに兄までを亡くした女侯爵が、まだ女盛りだったというのに隠栖を選んだのは、あながち不思議なことではない。
そんな彼女が、使われなくなってひさしい旧館に居候をおくようになった動機は、よくわからない。たんなる気まぐれだったのか、それとも隠遁的な生活に飽き、人生になんらかの変化をもとめようとしたのか。
ともかく、最初にソフィールズ館の旧館にころがりこんできたのは、自称青年実業家のジャック・フォービル氏だった。三年前、あまりの貧乏ゆえに当時住んでいたアパートさえ追いだされてしまったところを、縁故のツテでレイチェルさんに救ってもらい、そのまま館に住みついたという。
いつか王国一の実業家になってみせるという大望を抱くフォービル氏は、たしかにスタンフォード一族の遠縁にあたる人物でもあったけれど、家系図を見てもどこでどうつながっているかわからないほど血が離れていたため、侯爵家を継ぐ資格も権利ももっていない。本人自身、そんなものはいらないといつも公言してはばからない。一族の資産にたよらず自分の実力だけで成功してみせるのが彼の野望で、現在は事業拡大に奔走するかたわら、レイチェルさんの財産管理を手伝っている。
つぎに旧館の住人になったのが、師匠とどっこいどっこいの大酒呑み、ボネット少佐。
なぜか他人に少佐と呼ばせたがるこの老ドワーフは、正真正銘の元海賊だった。
まだ聖フェンウィック王国が旧大陸の魔境勢力と戦争をしていたころ、サーリア市局から私掠免状を受け、私掠戦隊を率いて魔境国の船々を容赦なく襲いまくっていたという。十年前に戦争が終結すると交易事業を手がけ、二年半ほど前に持ち船を自慢の孫たちにゆずって隠居生活にはいるや、このソフィールズ館で暮らしはじめた。くわしいことは不明だけれど、レイチェルさんの父親になにやら恩義があり、もともとスタンフォード家とも親しかったらしい。
人騒がせなあたしの師匠、チャンドラセカール元大教授が旧館にきたのは二年前。
きっかけも単純。例によって酔い癖を発揮してしまったあげく、それまで自分が住んでいた下宿を半壊させてしまっただけのこと。修理費はきちんと支払ったものの、それでもいよいよ大家に愛想をつかされ、師匠は下宿を追いだされてしまった。
ちなみに資産家な師匠はもともと自分の屋敷を所有してはいたんだけれど、結局その屋敷も自分自身で全壊させてしまい、以来ずっと下宿生活を送っていたといういきさつがあったりする。
で、命より大切だという莫大な数の蔵書をかかえて路頭に迷っていたところを、レイチェルさんに拾ってもらったというしだい。師匠の苦境を人伝にきいたレイチェルさんが同情したらしいんだけど、それにしたって女侯爵は人が善すぎる。
その半年後に、あたしは人身御供となってこの館のお世話になることに……
元王宮騎士のレスター・ムーアと彼の弟子にして養子のエスティ・ムーアが館にやってきたのは、まだわずかに半年前のこと。
それまで新大陸で冒険をつづけていたふたりが、なぜフェンウィックにもどってきたのかは、あたしはほとんどなにも知らない。ふたりは自分たちのことをあまり語りたがるタイプの男ではなかったし、あえて詮索するようなことでもないとあたしは思ってる。
たしかなのは、エスティがこの館にきてくれたおかげで、それまで気苦労ばかりだったあたしの人生がいくらか薔薇色になったということ。
それだけは、まぎれもない事実。