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●──【15】そして、後日談

 レイチェルさんがレスターさんを連れてもどってきたのは、合成獣キメラとの決着がついてから、さらに一時間も経ったころのことだった。

 小広間の惨状を目撃したふたりの驚愕がどれほどのものだったかは、たやすく想像できる。

 なにしろ床といわず壁といわずいたるところ血で真っ赤に染まった小広間には、ぐちゃくちゃになった二匹の合成獣の死骸がころがって、むせかえるような血と香水の臭いが充満していたのだから。

 この世のものとは思えぬ光景に、ふたりは心底震えあがった。

 さらに、あたしとエスティが中央のソファで折り重なるように眠っているのを見たとき、レイチェルさんは、あたしたちが死んでいるんだと思って身がすくんだという。

 あたしは自室のベッドに運ばれ、エスティにはすぐさま治癒士が呼ばれた。

 夕暮れにさしかかった時刻になって、やっとあたしは目が覚めた。ベッドわきで、レイチェルさんがあたしを看てくれていた。外傷こそなかったものの、小広間の光景があまりに陰惨だったため、あたしが精神的にショックを受けてないかと、女侯爵はずいぶん心配してくれていた。なんともないとこたえ、あたしはまっさきにエスティのことをきいた。

 レイチェルさんによると、朝早くにサーリア市から呼びつけられた治癒士は、かんかんに怒っていたという。というのも、大量に血を失った時点で絶対安静にすべきだったエスティが、そのあとも無茶をしたため、もうすこしでとりかえしのつかないことになるところだったから。

 いくら人狼の血をひいているからといって過信はいかん──等々、その治癒士はさんざん苦言を呈しつつ(善い人だ!)、エスティの右肩にしっかり術をほどこして帰っていった。常人なら一、二週間は安静が必要だけれど、人狼の回復力を有するエスティにはその必要もないだろう。後遺症の心配もない。それが治癒士さんの診たてだった。

 それをきいて、あたしは安心した。

 それからしばらくして、レスターさんがチャンドラ師匠をともなって、あたしの様子をうかがいに部屋にはいってきた。

 師匠は、哀れなほどうちひしがれていた。すでにレスターさんとレイチェルさんからさんざん小言をくらったらしく、めずらしく反省している様子だった。くわえて、命より大切にしていた魔導書や魔導具の一部が修復不可能なまでに損傷したことに、落胆を隠しきれていなかった。でも、二匹の合成獣キメラが暴れたことが、師匠の部屋のあの惨状の一因だとすれば、それは自業自得でしかないわけで──うん、いい気味、いい気味。

 あたしは、小広間での出来事を三人に語った。

 ついで、合成獣を館にもちこんだことについて、師匠に釈明をもとめた。

 師匠によると、あの二匹の合成獣は、昔、師匠自身が創ったものだということだった。

 十ン年前、まだ戦争がつづいていたころ、軍部の某機関から秘密裡に依頼されて創造したのだという。ところが納品する前に終戦になってしまい、用なしになってしまった。だからといって手塩にかけて創った合成獣をあっさり処分するのはしのびなく、なにより人工的に創造された生命だとはいえ生きる権利くらいはあると考え、師匠は二匹を結界封印して──疑似冬眠させて──人目のつかない場所にしまっておくことにした。

「──で、その場所というのが、ロスフェル研究所だったわけでのう。当時は研究所の建物の一角にわしの研究室があって、その天井裏に合成獣を封印したのじゃが……もうずっとそのことをすっかり忘れとってな……」

「忘れてた?」

「……ああ、いや、つまり……ロスフェル研究所の建物のとり壊しが決まったと知らされたとき、ふと思いだしたわけじゃよ。で、今朝方、研究所の連中に引っ越しの手伝いを頼まれたとき、いい機会だと思うて、ひそかに回収したわけじゃ」

「で、もち帰ってきたってわけ?」

「建物の解体がはじまれば、いやでもだれかに見つかってしまうからのう。それだけは絶対に避けたかったんじゃ。なにしろ秘密裡に創られた合成獣キメラなわけで、その存在が公になるといろいろ問題になると思ってな。

 いまさら軍当局に持ちこんでも厄介物あつかいされるだけじゃと思ったし、場合によっては戦時中の軍部のいろいろヤバいネタが蒸し返される可能性も……ああ、いやいや。

 と、ともかく……結界封印をしてずっと眠らせたままじゃったから、この館に運んでも問題ないと思ったんだがのう……ううむ、まさか檻が壊れて逃げだすとは……十何年のあいだずっと術をかけっ放しだったせいか、効力がずいぶんと弱まっていたのかのう」

 ちょっ……! そんなに永くかけっ放しだったのなら、ふつうは効力がじゅうぶん残存してるか確認して、封印をかけなおしたりするもんでしょう!

 それに、気遣いする相手がちがう! いまさら軍部の醜聞を気にするより、ソフィールズ館の住人を気にかけるべきじゃないの!

 ……と、思わず怒鳴りつけたくなるのを、あたしは必死に抑えこんだ。

「おそらくは、結界に使った媒介が劣化して、壊れやすくなっておったんじゃろうなぁ……」

 なに、開き直って冷静に分析してるかな、この爺さん!

 ちなみに結界というものは通常、無生物を媒介にしてほどこしたりする。結界学の坐学はまだ修めてないあたしでも、それくらいの基礎知識はある。

 すなわち結界そのものがいくら強力でも、媒介が破損してしまえば効力はなくなってしまうことになる。

 そこで、とりわけ何ヵ月、何ヵ年という長期的なスパンで効果を期待したいときは、媒介が物理的に破損したりしないようなんらかの対策を講じておく必要がでてくる。複数の媒介を用意して複数の結界を展張して、結界|(および媒介)同士を相互に補完させるというのが、一般的なやり方になる。

 複数の結界をどう展張させ補完させ合うかってことは、縦列方式とか並列式、覆蓋式、鍵錠式……とか、いろんな方法があって、それだけで専門の魔導書が何冊も書けるほど──らしいのでこれ以上の説明はしないけど(そもそも説明できる知識があたしにはない!)、とにもかくにもあの檻は錆びついて一部が腐蝕していて、ちょっとした衝撃で簡単に破損しかねない状態になっていた。

 でもってその檻そのものが媒介として使用されていたから、檻が破損すると同時に結界封印も解除され、めでたく合成獣が逃げだしててしまったというわけらしい。

 昔、自分が施した封印結界がどんな状態になっているか、ちょっとばかり手間を惜しまず確認すればいいだけだったのに、師匠はそれを怠った。確認作業を面倒くさがっただけなのか、研究所の資料整頓作業等々に忙殺されて暇がなかったのか、うっかり者の思いこみで単純にその必要がないと問題を先送りしてしまったのか?

 とはいえいまさらそんなこと、師匠に追求するのも億劫すぎる。

 そのかわり、

「と、に、か、く!」

 怒気もあらわに、あたしは師匠を睨みつけた。

「エスティが目覚めたら、ちゃんと謝ってよ、師匠。へたすれば彼、一生右腕が使いものにならなくなってるところだったんだからね!」

「ああ、わかった、わかったとるわい、ミリアム。だから、そうがならんでくれ。本当にわし、こう見えても海より深く反省しとるんじゃ……」

「どうだか」

 なにか事件をおこすたび、きまって海より深く反省する師匠の言葉はあてにならない。ほとぼりがさめたらどうせまた、なにかとんでもない事件をまきおこすにきまってる。師匠とは、そういう人物なのだ。

 そう思うと、いまから頭が痛かった。


 あんな事件に遭ったからといって、あたしやエスティの日常のなにかが変わった、なんてことはない。

 あたしはあいかわらず魔導書を読み解いたり、魔導学院の講義や実習に出席したりと、魔導修行に忙しい。

 もともとあたしは師匠のお目つけ役としてなかば無理やり見習いにされてしまったわけで、正直、魔導士になりたいと本気で思ったことはない。けれどあの事件でエスティが負傷したとき、なにもできずにただおろおろするしかなかったあの悔しさだけは、二度と味わいたくないと思っている。だから、一人前になる努力をもうすこしまじめにしてみてもいいかなと、最近は考えはじめている。

 そういう意味では、すこしはなにかが変わったかもしれない。

 エスティはといえば、しばらくはおとなしく肩と腕の治療に専念してたけど、さすが人狼の回復力というべきか、たった五日ほどで全快してしまった。

 そこであたしは思いきって、回復祝いもかねて彼をデートにさそった。デートといっても、あたしが勝手にそう思いこんでいるだけで、じっさいはただの気軽なピクニック。イザーク湾を望む岬の先端まで、お弁当をもってふたりででかけただけ。

 ソフィールズ館から歩いて三十分ほどで着くその場所は、サーリアの街も港も、さらにはイザーク湾全景が、旧館の窓からなんかよりずっとよく眺望できて、あたしやエスティのお気にいりの場所だった。

 サーリアの港にも、いつもの日常がもどっている。

 大型の外洋帆船から沿岸航海用の小型船まで、いろんなタイプの船が接岸していたり、沖合の泊地に泊まっていたり。

 あの嵐では、港の施設が一部壊されたり、船が数隻沈んだりと、やはりそれなりの被害はでたらしい。それでも予防措置がしっかりとれたおかげで、被害は最小限ですんだと港湾関係者はほっと胸をなでおろしている。

「まあ、それなりに楽しかったよ」

 活気に満ちた港街を見渡しながら、エスティがつぶやいた。

「楽しかった?」

「冒険者をしていたころのことを、なんとなく思いだしたから。ああいう状況下での緊張感が、妙にわくわくしたっていうか」

「あたしは、二度とごめんだわ」

「まあ、不覚をとって怪我までして、かなり身体がなまってたこともわかったし……それが反省点かな」

 そういってエスティは、うんと大きく背伸びをして、治ったばかりの右腕をぐるぐるまわした。

「父さんに頼んで、また一から鍛えなおさないと」

「思うんだけど、エスティって、自分に厳しすぎやしない?」

 あたしがきくと、エスティはにっと、ふくむような笑みをこぼした。

「だけど、ぼくはもっと強くならなければならないから……」

「強くなる?」

 あたしは怪訝にエスティを見つめる。 

 いまのは単純に、身体的にという意味なのかしら? それとも精神的という意味? どっちにしろエスティはあの事件で、身体的にも精神的にもきわめて屈強であることを証明してみせてくれた。すくなくともあたしの目には、そう映った。だとしたらこの平和なサーリアで、それ以上強くなることにどんな意味があるのかしら……?

 エスティはなにもこたえない。

 海色のきれいな瞳が、イザーク湾のさらにむこう、陽光を浴びて銀色に輝く水平線をおだやかに見つめているだけ。

 あの事件のあとであたしとエスティの関係が多少なりとも進展したかというと、そんなこともなくって、そういう意味ではやはりなにも変わってない。

 半年近くおなじ屋根の下で暮らしてきて、けれどあたしは、彼のことをまだほとんどなにも理解してないのかもしれない。

 でも、いつかはすべてを理解したいと思う。そう、時間をかけてゆっくりと。急ぐ必要は、なにもないのだから……

 嵐が通過していったあと、ソフィールズ地方はめっきり春めいてきた。

 空には雲ひとつなく、海から吹いてくる優しく温かな風が、岬の先端に立つハーフウルフの金色の髪を静かにゆらした。

本作品はこれで完結となります。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

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