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●──【1】嵐とハーフウルフと魔導士見習いと

個人のサイトに置いたまま放置していた小説の再掲になります。

けっこう昔に書いたやつなので、読み返すといろいろアレで……。

長編なので章ごとに分割し、加筆修正した上で、順次公開していきます。

 天気を専門に占う予言者たちが嵐の到来を予言したのは、五日前のこと。

 いつもなら彼らの存在はとてもありがたいものなんだけど、この日このときばかりはちっともありがたくなかった。

 とりわけサーリア市の住人にとってはそう。

 なぜならこの市は港町だったから。

 それも聖フェンウィック王国第二の港として繁栄を誇る、大港湾都市だったから。

 サーリア港では、王国のほかの港や新旧両大陸の国々からはるばるやってきた交易船が、毎日あわただしく入出港を繰りかえしている。

 埠頭にはつねに何十隻という船が接岸されているし、沖合の泊地には、常時その数倍の船が碇泊している。

 そうした船々にしてみたら、嵐ほど恐ろしい自然現象はほかにない。できれば予言などはずれてほしいって、船乗りならだれだって乞い願う。

 けれどサーリア在住の十人の予言者がそろいもそろっておなじ予言をしたんだから、嵐がくるのはまずまちがいない。それも例年にない規模のものが来襲するという。まだ肌寒い初春の嵐は、季節はずれなだけよけい厳しくなるものだから。

 となると船乗りたちにとっては、自分たちの船を激しい風雨や高波から守るのは切実な問題になる。それは荷主や船主にとってもおなじことだし、港で働く荷揚げ人足、いつも威張ってばかりいる港役人らにとっても他人事ではない。

 それだけ彼らにとってその予言は、気が気でない事態だった。

 それでも、五日もあればそれなりに防災措置がとれるのは、ありがたい。

 予言が港中に広まるや、多くの商船が、嵐がこない海域まで逃げようと、荷役と艤装を急いで、あわただしく港を離れていった。

 当面出港の予定がなかった船もまた、荒天用の特殊帆装にきりかえられて、つぎつぎと沖合にでていっている。埠頭に接岸されたままでは、強風や波にあおられて船体を岸壁に叩きつけられる恐れがある。だから、沖にでて嵐を乗り越えようというのは当然の予防措置だった。

 そうして、いよいよ嵐の当日は、まだ昼過ぎだというのに、南の水平線が不気味な暗雲に覆われ、まるで夕暮れのようだった。

 雨はまだ降っていなかったけれど、風はかなり強くなってきていた。嵐が本格的に猛威をふるいだすのは、おそらく夜になってからのことだろう。


 さて。


 その日、あたしはソフィールズ館旧館の南側二階にある自分の部屋の窓から、憂鬱な気分で、外海にでていこうとする船々と陰気な空模様とを交互に眺めやっていた。

 ソフィールズ館はイザーク湾に面した高台の上に建っているので、沖合の泊地が一望できる。このときあたしは、ただなんとなく嵐の襲撃を憂えていただけで、夜になって体験するあのおぞましい出来事のことなんか、かけらも想像していなかった。

 となりの部屋の窓の外ではエスティが、小脇に大工道具一式のはいった箱をかかえ、おまけにモルタルとタールのつまったふたつの桶を腰にぶらさげた格好で、宙づりになっている。窓のひさしからつりさげられた縄バシゴに器用に身体をあずけ、老朽化したこの旧館の窓枠を、嵐にそなえて補強しているのだ。

 一見あぶなかしい作業のように思えるけれど、エスティにとって、その手の作業は朝飯前だった。

 彼はちょっとワケありのハーフウルフ──エルフと人狼の混血──だったから、それぞれの種族の身体的長所をあわせもっている。すなわちエルフの身軽さと人狼の怪力を。だから、足場のもろい場所での力仕事はおてのもの。

 とはいえできることならあたしは、彼にはそんなみっともない格好はしてもらいたくなかった。なぜなら、あたしよりひとつ年上でつい最近一七才になったばかりの彼は、エルフの高貴さと人狼の気高さをあわせもつ美男子だったから。

 街通りを歩けば、女であるなら老若問わずだれもが彼を見たとたんはっとふりむいて、しばらく夢うつつの状態になる。じっさい彼にはとりまきが多くて──それがあたしの頭の痛いところなんだけど──彼をひとめ見たさに、サーリア市内からはるばるこのソフィールズ館までやってくる娘があとを絶たないくらい。

 流れるような金色の髪と、澄んだ海色の瞳をしたその容貌は、フォークより重いものをもったことがないんじゃ? と思わせるほど繊細で華奢。そのくせ剣の腕も超一流で、怪力のもちぬしで、おまけに頭脳明晰。

 しかるにそんな、まるで世の多くの女性たちの理想が服を着て歩いているような美青年が、野暮ったい古着を着こみ、タールやらモルタルまみれになって窓の補強作業をしている姿は、あまりに滑稽で涙がでてくる。

 ううん、あたしは彼のそういうきどらないところが気にいっているんだけれど、でも、やっぱり……とはいえ、すくなくともおなじ屋根の下で暮らしているという点で、あたしはライバルの女の子たちより一歩──ううん、たぶん二歩か三歩くらい──は、先んじてると思っている。

 ……まあ、おなじ屋根の下といっても、おなじ屋敷に下宿しているってだけのことなんだけど。

 あたしの視線はいつしか、不気味な暗雲や沖にでていく船から離れ、エスティの挙動のひとつひとつにそそがれていた──はずだったけれど、気がつけばうとうとと目をとじ、深いため息をついていた。

「はあ……」

 これで、朝から何度めのため息になることやら。あたしは嵐がきらいだ。

 すると、

「どうしたんだい、ミリアム? やけに神妙な顔をしてるじゃないか?」

 いきなりエスティが、あたしの目の前に端正な顔をつきだしてきた。縄バシゴを巧みにたぐりよせ、あたしの部屋の窓のところまで移動してきた。

 あたしはどきっとなった。

 心臓が早鐘を打ち、胸が──すこしときめいた。

 エスティの透きとおった声は、窓ガラスごしでもよく響く。あたしはもっとよくきこえるようにと、窓をあけた。

 いきおい強い風が部屋のなかに流れこんできて、ベッドわきのテーブルにおいてあった魔導書のページがパラパラとめくれあがった。この魔導書を七六ページまで読み進めるのが、朝方でかけるさい師匠があたしにのこしていった課題だけれど、とてもその気にはなれない。

「嵐って、きらいなの」

 エスティに同情してもらおうというしたたかな意図のもと、あたしはわざと落ちこみの激しいしんみりした口調でいった。

「雷の無作法な光だとか、けたたましい音とかがね、どうしても好きになれなくて」

 狙いに反して、エスティは意外そうな目であたしの顔を見つめてきただけだった。

「へえ、きみにも怖いものがあったんだ」

 心底驚いている様子。

 いったい、彼はあたしをどんな娘だと思っていたんだろう。そりゃあ、ふだんのあたしははねっかえりのおてんばだけど。とんだ誤解に、あたしはすねたようにいい張った。

「あたしだってかよわい女の子だもの。怖いもののひとつやふたつ、あってあたりまえでしょ?」

「ははは、冗談だよ。ごめん、ごめん」

 エスティはさわやかに微笑する。その笑みがまた、純真な少女の心を狂わせる。あたしがはたして純真かどうかの議論は無用。

「じゃ、ミリアムはどんな日が好き?」

「そりゃあ、もちろん、からっと晴れた日」

「だろうね」

「どういう意味?」

「ミリアムらしいってこと」

 そういってエスティは、さらに屈託なく笑う。彼の言葉にはまったく照れがない。女の子をぬかよろこびさせるような言葉であってさえ、さらっと口にでてくるだけで、ちっとも悪びれない。頭のよさと感受性は別問題。見かけによらず彼は朴念仁で、女心が理解できるほど繊細な神経のもちぬしではなかったりする。見た目はエルフでも、内面には獣人的な無神経さが宿っている。

「明るく元気なのがとりえだもの」

 あたしはいった。

「それより、こんなに風がきつくて、寒くない、エスティ?」

「いいや、全然。となりが終わったんで、今度はこの窓の補強にとりかかろうと思ってね」

「エスティもとんだ災難よね。こんな日にかぎって、男手があなたひとりしかいないなんて」

 このソフィールズ館には、あたしとエスティ以外にも、四人の男が居候している。エスティの養父レスター・ムーアもそのひとり。けれどいまはみんな出払っていて、それでエスティひとりが縄バシゴにぶらさがるハメになっている。

 もっとも、たとえ居候が全員館にいたとしても、この手の多少技術が要するめんどうな力仕事は結局、エスティに圧しつけられるのが関の山なんだけれど。

「しょうがないよ。大変なのはここだけじゃないからね。ぼくもこういう仕事はきらいじゃないし」

 エスティはあっけらかんとしている。

 あたしは話題を変えた。

「レスターさんはどこいったの?」

「セルティス川の河川敷さ。ターンリィ橋のあたりかな。ほら、堤防が決壊するとなれば、あのあたりが一番危険だろ? いまごろは人足たちにまざってせっせと土嚢を積みあげてるんじゃないかな」

「とうてい、王宮騎士を務めたほどの人物がする仕事じゃないわね」

 あたしがあきれると、エスティは愉悦して、

「父さんも、頼まれたらいやとはいえない性分だからね。それに、本人が直接土嚢を積みあげてるわけじゃないよ。いくら力がありあまってても、そこまではしない。堤防補強の現場監督をまかされてるってことだよ」

「なんだ、そういうこと」

「サーリア市を水害から守る名誉ある仕事だよ。そのへんの信用は強いから」

 レスターさんのこととなると、いつもエスティは得意げに話す。それだけ、自分の身元保証人を誇りに思っているということなんだけど。

「ていのいいなんでも屋だと思われてるだけじゃないの?」

「そうかも」

「サーリアの人たち、レスターさんが聖騎士だってこと、知らないんじゃないかしら」

「あえて公言する必要はないと思ってるんだ。いまの静かな暮らしが気にいってるみたいだし、特別あつかいされたくない人だからね」 

「なんだってレスターさん、王宮騎士を辞めちゃったの?」

「さあ」

 エスティはひょうひょうと首をふる。

「もうずっと昔のことだし、まあ、いろいろ事情があったんじゃないかな。ぼくも詳しくきいたことはないし、きく必要があるとも思わない」

「そうね」

 あたしはうなずいて、

「──で、エスティは気にいってるの?」

「なにが?」

「いまの暮らし」

 エスティは陽気に肩をすくめた。

「もちろん。父さんといっしょに新大陸で冒険者をしていたころにくらべれば、いまの生活はずっと安定してるからね」

「でも、ものたりないんじゃない?」

「ま、多少はね。もうすこし緊張感があってもいいかと思うけど、でも平穏がいちばん。それはそうと、ミリアム。チャンドラ師匠こそ、今日はどうしたの?」

「師匠?」

「うん。今日は朝から姿を見たおぼえがないんだけど。あの人もでかけたの?」

「ま、ね……」

 あたしははぐらかすように軽く肩をすくめた。師匠のことは考えたくない。あの人騒がせなじいさんのことが話題になると、あたしはいつもなげやりな心境に陥ってしまう。

「大学の研究所にいったわ」

「大学はもう辞めたんじゃなかったっけ?」

「偉大なる元大教授だもの。いまだ名誉教授の肩書きはもってるし、魔導協会サーリア支部の特別顧問でもあるから。退官したといっても、大学と完全に縁が切れたわけじゃないの。それに、あたしから見れば生活能力皆無のろくでもないじいさんでも、どういうわけか教え子さんたちからは絶対的な信頼を受けているから。で、今朝はやく、ロスフェル研究所から、手伝ってほしいことがあるからって、呼びだしがあったの。引っ越しの手伝いですって」

「引っ越し?」

「研究所のはいってる建物が老朽化して、近々とり壊す予定なの。で、古い資料やらなにやらの整理と処分をしなきゃならないらしいんだけど、それには師匠の立ち会いが必要なんですって。捨てていい資料かどうか、師匠でないと判断つかないのがたくさんあるっていってた」

「なんの研究してるとこ?」

「ええとね、おもに新呪文と魔導アイテムの研究開発」

「新呪文の開発? ふうん。チャンドラ師匠って、そういうこともしてたんだ」

「ま、ね。ちょっとでも興味あることなら、なんにでも手をだす人だから」

「いいことじゃないか」

「あれで常識さえ常備してくれてたらね。そしたら、あたしもすこしは鼻が高いわ」

「王国屈指の魔導士だってだけでは、誇りにならない?」

「だからこそ、身内にしかわからない気苦労ってのもあるのよ。新年会のとき、師匠がなにをしでかしたか、忘れたわけじゃないでしょ?」

「もちろん、おぼえてるとも」

 うなずき、エスティは声をひそめてくくっと笑った。

「あれは傑作だったよ」

「傑作? それこそ、身内でないからいえるセリフよ」

 あたしは片目を吊りあげた。

 三ヵ月ほど前、この旧館で師匠がしでかした失態は、いま思いだしても恥ずかしい。あのせいで、ソフィールズ館の居候たちは全員、しばらく屋根なしの部屋で暮らさなければならなかったのだから。

「年中、ああいう失態をしているせいで、あたしは無理やり魔導士見習いにされちゃったのよ。いまいましいったら、ありゃしないわ」

「ははは、でも、師匠がそういう人だったから、ミリアムはいまここにいるんじゃないか」

「そりゃ、そうだけど?」

「おかげで、ぼくはきみと知り合えた」

 その言葉に、あたしは思わずどきりとなった。けれどエスティの表情をうかがうかぎり、客観的に事実を述べただけで他意はなかったみたいで、あたしはすぐがっかりしてしまった。

 エスティはあたしのことを、仲のいい女友達ていどにしか思っていないのかもしれない。男女間の清らかな友情よりも、多少どろどろしていても愛情のほうを、あたしはえらびたい。でもそんな感情はおくびにもださず、

「そうね」

 と、あたしは素っ気なく相槌を打った。

「功罪相なかばっていうものね」

 朴念仁が相手では、ほかに反応のしようがない。

「そうだね───と、いけない。こんな無駄話をしてる時間はないや。雨が本格的にふりだす前に、窓の補強を全部すましておかないと。ミリアム、窓しめて」

 あたしにとってはちっとも無駄話ではなかったけれど、あたしはおとなしく窓をしめた。

 エスティは作業を再開し、あたしはその様子をガラスごしに見守りつづけた。

 本当は魔導書をすこしでも読み進めておかなくちゃならないんだけど、やっぱり、そんな気にはなれない。

 と、しばらくして、エスティはいきなり手を休め、顔を横にむけてなにやら遠くの方角に視線を馳せはじめた。

 なんだろうと思って、あたしも窓ごしにエスティの視線を追ってみた。

 ソフィールズ館の敷地内の小道を、館にむかってトコトコ進んでくる荷馬車が見えた。馬車の荷台には、ひとりの老人がしがみついている。トレードマークの黒い山高帽が風で吹き飛ばされないよう、必死に片手でおさえながら。

 うわさをすればなんとやら、あたしの師匠、チャンドラセカール元大教授が帰ってきたのだった。

 恐怖体験の元凶をひきつれて。

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