1-9 家族
救急車に、三川が乗せられていく。
その姿を、来栖は、どこか苦い顔で見つめていた。
スーパーマーケットの中からは、次々と、犠牲者たちが運び出されていた。
末期症状患者に血を注入されて感染した者、例の親玉に血を吸われ殺された者、そして今さっき、僕たちが殺した、末期症状の患者たち――。
救急車を見送りながら。
ゆっくりと来栖がヘルメットを脱ぐ。
皆も、自然とそれに倣った。
「すみません。ケーブルが張って動かなくなったんで、引くべきなのかと、勝手に――」
尾瀬の謝罪に、来栖はゆるゆると首を振った。
「いや、いいんだ」
そして、力の抜けたように、腰を下ろしてヤンキー座りをした。
「奴を逃がした。また同じことをやるだろう」
来栖は、箱を振って煙草を取り出し、口に含んで火をつけた。
「もしあんな奴が増えたら、手に負えなくなる。それこそ、警察のような組織が気を入れて対応しねぇと、追いつかなくなるぞ」
「来栖君、煙草」
南が顔をしかめて注意するが、来栖は聞かずに続けた。
「タツが奴をボウガンで撃ったこと自体、実は際どいんだ。連中は、あくまで非感染者と同じ扱いだからな。俺たちに、傷をつける権利は、どこにもねぇ」
「隊長、難しく考えすぎ、だよ」
「そうでもねぇさ。俺は班長として、奴を撃ったタツの行動を容認できねぇ。だが、俺個人としては、タツの判断に助けられた。複雑な心境だ」
「早まった行動だったと思うわ、私は」
南が僕に目を向けた。
「前から言ってるじゃない。別に、あんたの取った行動が間違っていたとか、説教するつもりはないの。ただ、その前にあたしや来栖に相談してくれたって……」
「そんな悠長な状況じゃなかったろ」
「ごめん。ぴりぴりしないで。でも、もしあんたのあの行動が咎められた場合、班長である来栖も、責任を問われることになるんだから。それだけは忘れないようにして」
それは、僕を気遣っているのか?
それとも、来栖を?
少し苛々して、僕は顔を上げ、南を見据えた。
「南。あいつを見逃すわけにはいかなかった。あいつの考えを聞いたろ。歪んでた。ああいう奴を放置しておくと、初期症状の患者の立場が、どんどん悪くなる」
「あんたって、いつでも感染者の味方なのね。どうして?」
何も言えず、黙り込む。
「あんたに関して、ちょっとした噂が立ってるの、知ってる? 家に誰も招かず、カーテンを閉めきって、顔も出さない。誰だって、何か隠してるんじゃないかって思うわよ。それが、何か、というより、誰か、かもしれないと考える人も――」
「僕は一人暮らしだ」
やや早口で僕は言った。
「親は二人とも、吸血症の治療薬開発のため、研究所に泊まり込み。僕のことは完全に放置で、仕送りもなし。おかげで生活費が足らず、こうして働いてる。知ってるだろ」
「妹さんは?」
南の何気ない一言に刺激され、悲しみが、記憶の奔流とともに襲ってきた。
幼馴染の南は、何年も前、小さい頃に遊んだことがあるから知っているのだ。
僕に妹がいることを。
両親は、僕のことを忘れた。
妹のことも、忘れようとしているのかもしれない。
それでも、妹の存在を忘れない人がいる。
妹のことを――未来のことを、話そうか。
話して楽になってしまおうか。
いや。
自らに甘えるな。
ねだるな。
何も期待するな。
自身の力で、守れ。
耐えろ、と歯を食いしばる。
「……親と一緒にいる」
「じゃあ、幼馴染の私すら、家に入れない理由は何?」
「そうやってずかずかと、僕のプライベートに土足で突っ込むのが、幼馴染なのか?」
瞬間、南は傷ついたような顔をした。
ごめん、と呟き、微かに俯く。
僕は激しく後悔したが、勢い、謝ることはできなかった。
「先輩、」
尾瀬が何か言おうとし、南を見、しばし逡巡して、僕に視線を戻すと、口を閉ざした。
気まずい空気の中、来栖の吸う煙草の匂いを嗅ぐ。
「なるほど」
僕は立ち上がりながら、言った。
「皆で僕を責めるわけだ。僕の行動を非難するんだな」
「かっかすんなよ。そういうわけじゃねぇ。俺は、今後の行動方針を定める必要があると思って、この話題を取り上げたのさ」
「隊長もナミちゃんも、竜平君のこと、大好きなんだよ」
「小鳥遊も?」
気怠く感じながらも訊ねると、小鳥遊は、照れた風に手を遊ばせてから、胸を張った。
「お、おうよー。あたしも、だよ」
「僕も、先輩のこと、格好良いと思ってますよ。一貫してて」
尾瀬の言葉に、思わず僕は振り向く。
鉄錆の匂いが、鼻をついた。
記憶が生み出す異臭。
匂いは、僕の心の奥底からやって来ている。
「本当に?」
「本当ですよ。憧れです」
「いや、そうじゃなく。本当に、一貫してると思うか?」
尾瀬は、戸惑った様子で口をつぐんだ。
様々な人間。
思い込みや誤解で動く愚かな非感染者、無害な初期症状患者、犯罪者と化した初期症状患者、末期症状患者、様々な者が生きる社会で、筋の通った考え方を貫くことは、どんどん難しくなっている。
自分が筋を通せている自信など、どこにもなかった。
治療薬を共同開発する夫婦の息子が、患者を守り、患者を殺している。
自分は正しいことをしている、などとは口が裂けても言えない。
その不協和音が、僕自身の内部で反響し、行動の歯車を狂わせていないという保証など、どこにも無いのだ。
来栖は、しばらく考え込むように、煙草の灰を落としていた。
やがて口を開く。
「タツ。今日のことは、もっとそれぞれが考えて、自分の中で整理をつけられた頃に、もう一度、話し合おう。ともかく、明日は楽しい前夜祭だ。今は、それでいい」
皆、異論はないようで、頷き、立ち上がった。
来栖がアスファルトの地面に押しつけた煙草から、微かに最後の煙が浮いた。
一瞬、皆に未来のことを打ち明けようか、という思いが胸中を駆け抜けた。
僕の妹に何が起きたか。
僕が妹に何をしたか。
僕が今、未来とどう生きているか。
その思いは、仲間に頼りたいという自己満足と、未来を守る、そして己自身を守るという自己満足の間で揺れ動き、結局は、変化を恐れて、小さく消えていった。
救急車やパトカーのサイレンが、麻痺した空間に鳴り響いている。
ぱらぱらと小雨が降り出した。
パトカーの回転灯の光を受け、地面は赤く濡れていた。
それでいい。
自分に言い聞かせるように。
僕は、来栖の言葉を、再度、呟いた。