1-7 呪われた男
司令は、すぐに見つかった。
僕たちは商品を脇に避け、棚越しに司令の姿を確認する。
周囲には、何人か人が倒れており、司令であるらしい感染者の男は、その中心に、落ち着いた様子で立っていた。
闇に溶け込む漆黒のスーツ。
血に汚れた顔。
本人が暴れた形跡は微塵もなく、今も一つ一つの動きが極めて冷静だ。
やっぱりおかしい、と来栖が囁く。
「末期症状患者が、あんなに落ち着いてるはずがねぇ」
一体、奴らに何が――と言いかけた来栖が、口を噤んだ。
男は、倒れている者の一人をつかんで持ち上げた。
制服からして、スーパーの店員のようだった。
暗くてよく見えないが、意識はない様子だ。
「死んでる」
来栖が囁く。
「嘘でしょ?」
南の言葉に、来栖は首を振る。
「間違いねぇ。俺の視力を信用しろ」
男は、しばらくその身体を、観察するように眺めていた。
何をするつもりなのかと、僕らは息を潜める。
十字弓を握りしめる。
男は、やがて――
その死んだ店員の首筋に顔を近づけ、噛みついた。
そのまま、時が過ぎる。
「……死んだ人に血を注入してるの? どうして?」
確かに。
死んだ人間は、感染させることなどできない。
死んでいるのだから。
違う、と来栖。
「血を注入してると考えるから、意味分かんなくなんだよ」
僕と南は、顔を見合わせる。
「あれは、血を吸ってるんだ」
まだ死んで間もない死体。
まだ賞味期限の切れていない血液の詰まった身体。
そんな、じゃあ――と南が絶句する。
来栖は頷く。
「奴は初期症状患者だ」
初期症状患者が、何故――。
「何で、末期症状患者を率いてるのよ」
「知るかよ。問題はそこじゃねぇ」
「どういうこと」
「俺たちは、奴に手出しができねぇ」
あ、と僕たちは息を呑んだ。
「俺たちの相手は末期症状患者であって、初期症状患者は、非感染者と同じ扱いだ。つまり、奴はただの異常犯罪者とかいう括りでしかない。奴は警察が逮捕するべき相手だ」
「どうしようもないの?」
「そりゃ捕獲するぐらいのことはできるがな。この状況でそれが可能とは思えねぇ」
「見逃すのか」
「それしかねぇだろ。他の三匹を倒して、後は警察に任せるしかねぇ」
僕たちは、殺すことで解決してきた集団だから。
いや。
殺人とは違う。
相手は屍だ。
動く死体だ。
そう考えろ。
その時、助けて、という小さな叫び声が上がった。
倒れていた男の一人が、初期症状の男につかまれて、足をばたつかせていた。
突入した警官のもう一人だ。
「頼む、逃してくれ」
「駄目だ」
司令が口を開いた。
初期症状患者は、思考も言葉も失っていない。
病気にかかってしまった、ただの一般人に過ぎないのだ。
自らの哲学も、道徳も、意思も持っている。
――あいつらは呪われたんだ! 吸血鬼の血で!
いつかの女――仲多の叫びが聞こえる。
違う。
非感染者にだって、極悪人は存在する。
それだけの話だ。
いや、そうも言い切れないのかもしれない。
彼らは、確かに呪われたのだ。
光に拒絶される呪い、昼に出歩けない呪い、人の血を飲まなければ自らを保てない呪い、他人に避けられるという呪い。
呪いは、彼らをどこまでも苦しめる。
そして僕もまた、呪われた人間の一人かもしれない。
妹の呪いは、そのまま僕へと伝播したのだ。
あの瞬間、あの場所で。
「君は人質だ」
男が笑い、怖いか、と訊ねて、さらに笑った。
「君たちは、ただの病人である我々を駆逐し、排除しようとした。それと逆の行為をして、何が悪い? しかも我々には血が必要不可欠だ。そうでなければ、さっきの連中のようなことになってしまう。何も考えられず。私の言うことにも、素直に従うだけだったろ。楽しい愚かな玩具だよ。私は、ああはならない。されてたまるか。抗ってやるよ」
すすり泣き始めた警官を鼻で笑い、お前たちも分かるさ、と男は続ける。
「我々と同じになればな。なってみれば分かる。その苦労、悲しみ、怒り、憎しみ、寂しさ、切なさ、嘆き、苦しみ、なってみなきゃ分からない。そうだろ?」
僕は十字弓を手に、棚による死角から飛び出した。
「自首しろ」
僕の言葉に、男は顔を上げて僕を見た。
おお、と笑う。
「君たちのことは知ってるぞ。吸血鬼ハンターてヤツだろ」
「そんなのじゃない。もう一度言う、自首するんだ。ここは警察に包囲されている」
「私が怖がると思うか?」
「自分が、自分の居場所を減らしていることが分からないのか? あなたのような人間が、初期症状患者の世間体を危うくしてる。どうして自分の首を絞める真似をするんだ」
「知ったようなこと言うなよ、ガキが」
男が目を細める。
「居場所なんて無いんだよ。太陽の下で歩くこともできず、誰にも見つからないよう、ひっそりと生きるしかない。私が何もしなくとも、居場所なんて最初から無いさ」
暗い部屋で、誰にも会わず、誰にも知られず、生き続ける少女。
未来――。
妹の顔が、血生臭い記憶と共に、脳裏を渦巻く。
「無いなら作る」
僕は力を込めて言った。
「そういう世の中にするんだ。そういう社会にするんだよ。どうして、あなたたちには、それができないんだ。争うことしか考えない」
「そういう君は、どうする気なんだ。たった今。私を殺すのか? そいつで」
「その権限はないし、そうするつもりもない。だから言ってる。自首しろ、と」
「拒めば?」
「撃つ」
「矛盾してるって分かってて言ってるのかい、坊や?」
「あなたは簡単に死なないだろ」
言うや否や、僕は引き金を引いた。
男の身体を貫いて、そのまま矢は、スーパーの壁に突き刺さった。
反動で、男の身体が仰け反る。
苦痛の叫び。
吸血症患者は、驚異的な回復能力を持つが、苦痛を感じないわけではない。
彼らは痛みを感じる人間なのだから。
男の身体は、矢によって壁に打ち付けられた。
胸からケーブルが伝っている。
自分の身体を貫く矢を両手でつかみ、顔を歪め、大声を上げる。
「じっとしてろ」
男に言い放ち、僕は十字弓を下ろす。
男の手から逃れた警官が、尻餅をついて、僕を見上げている。
咆哮。
残りの三体が、こちらへ向かって来るのだ。
僕はケーブル無しの次の矢を装填しながら、叫び声の上がった方向に目を向ける。
無茶しやがる、と言いながら、来栖たちが飛び出してきた。
「下がって」
南が警官に告げ、電気ランプを掲げる。
最初の屍の姿が見えた。
小鳥遊の弾丸が一体目を始末すると、二体目は弾丸を避け、壁を走り近づいてくる。
悲鳴が上がった。
警官が、震える手で拳銃を取り出し、発射した。
警官の腕に、少なくとも大きな狂いはなかった。
弾丸は、警官と二体目の屍の間に位置した、南の手元を直撃した。
命綱である、電気ランプを。
防弾ガラスに守られた電気ランプは弾を跳ね返し、跳弾が、南の手首を薄く切った。
南は悲鳴を上げて、電気ランプを床に落とす。
この世の終わりを思わせる暗い音が響いた。
悪寒が、背筋を走り抜ける。
光が、消えていた。