1-6 仕事
「明日は前夜祭か」
ソファーの上に仰け反った体勢で、来栖が呟いた。
片手には微炭酸の缶ジュース。
「小鳥んとこは何やるんだ? お前らの学年は校舎使うもんな。メイド喫茶?」
「お化け屋敷だよー」
「ベタだな。絶対、行かねぇ」
「こんにゃく美味しいよー」
「用途違うだろ」
僕たちがいるのは、大して広くもない真っ白な部屋の中で、植木鉢と自動販売機、数冊の雑誌が置かれたテーブル、そのテーブルを二七〇度囲むように置かれた三つの黒い安物ソファー、地デジ非対応のテレビの他には、特に何もない。
待機室。
特に事件発生の報せがなければ、雑談だけで、その日の勤務は終わる。
来栖が班長を務める僕たちの班は、基本的に学校のない休日が出勤日で、平日は、放課後の数時間だけ出勤することになっている。
日が暮れれば暮れるほど危険なため、夜の勤務は大人の者が多かった。
今は、午後の四時前だ。
外は、まだまだ明るい。
「小鳥の憧れの先輩とやらは、来てくれそうなのか」
来栖が訊ねる。
「確か、俺らよりも一つ上だったよな」
「そんなの分かんないよー。だって、向こうはあたしのこと知らないんだよ」
名前も知らないし、と小鳥遊が俯く。
「はっ。リサーチ不足だな。まるっきりガキの恋愛じゃねぇか」
いいか、と来栖が身を乗り出す。
「相手がどういう人間かを見極めねぇと、戦略も戦術も立てられねぇ。まずは傾向を知ることだ、対策はそれからだ。先輩の趣味とか分からねぇのか」
「部活は茶道だよ。それと、よく本を読んでるよ」
「見えてきたぞ。多分、オタクだな。それでいてロマンチストと見た」
「偏見だよー」
「恋ってのは、出逢いが大切だ。良くも悪くも、印象に残してもらうことが最優先。相手の好みや正確に合わせたシチュエーションで出逢う必要がある」
小鳥遊は、ふむふむと真面目に聞き入っている。
「俺がお勧めするシチュエーションはこうだ。誰か一人、助っ人がいるな。これはタツでもいい。それらしく変装したタツが突然、先輩に襲いかかる。そこを、小鳥が助けるんだ。演劇部から、勇者の剣でも借りてこい。小鳥の一撃で、あっけなくタツは退散しながら、言う。『この力は……!』とか何とか。そんで、小鳥は立ち去り際に振り向き、呟く。『思い出して……自分が何者なのか』目は潤ませろ。千年の恋を匂わせろ。これで、」
「却下」
「南、お前には分からねぇんだよ。青春期とは、すなわち英雄適齢期だ。突如日常に現れた美少女、自らに秘められた超常的な力、それを付け狙う悪者、男の願望じゃねぇか」
「だからって、いくら何でもファンタジーすぎるわよ」
「馬鹿、前夜祭の時にやれば、失敗しても、これは出し物です、で済むんだよ」
「む……ちゃんと考えてあるのね」
「だろ」
そのとき、頭上から、高いベルの音が降ってきた。
皆、顔を上げる。
天井近くに設置されたスピーカーから女性の声で、事件発生の旨、事件現場の位置などが告げられた。
「ちぇ、今日は何もねぇと思ったのによ」
アルバイトの尾瀬も含めた来栖班の六人は、待機室から、扉を抜けて、隣の更衣室へ移動した。
それぞれ手慣れた身のこなしで、素早く装備に着替え始める。
着替えを終えると、そのまま建物の出口へ向かい、外で待機していた輸送車に乗り込む。
輸送車とは言っても、バスを改造しただけのものではあるが。
予算の大半は、武器装備などにかけられるため、こういうところは、かなり貧乏企業だ。
銀の弾を装填し使用する拳銃も、一班に一挺ずつしか用意されていない。
僕は十字弓の状態を点検しながら、ふと、しっくりくる、と感じる。
自分は、学生であるよりも、この仕事をしているときのほうが自然だという感覚。
歪んでいる、という思いに囚われる。
末期症状の患者――それは、初期症状患者の延長であり、どちらも同じ吸血症患者である。
それなのに、初期症状患者を養護する言動を取り、末期症状患者を死なせる仕事に身を置く自分――まるで脈絡がなく、筋の通っていないような気持ち悪さ。
例えば。
未来が末期症状に陥ってしまったら?
自分はどうするのか?
妹は。
そんな僕を、どんな表情で見つめるのか。
知っているはずだ、僕は。
末期症状患者に、理性はない。
表情は、きっと何もない。
その瞳は、何も映さない。
それでも、思ってしまう。
僕が、何も読み取れなかっただけなのではないかと。
彼らは、彼女たちは、鉄に貫かれながら、太陽に焼かれながら、簡単には死ねない苦痛を味わいながら。
何かを叫んでいたのかもしれない。
……確かめたいのだろうか、僕は?
試しているのか?
末期症状患者が死ぬ間際の表情を、死ぬ間際の声を、ただ観察したいがために、僕はこの仕事をしているのか?
そのような歪んだ動機が、僕の内に?
初期症状患者を養護しながら、末期症状患者を、自らの満足のために殺している?
吸血症患者のすべてを否定し、嫌悪し、排除しようとする者のほうが、考え方としては自然なのかもしれない。
まともなのかもしれない。
そう考えると、苛々が絶えない。
しかし末期症状患者を救う手立てはなく、彼らを野放しにするわけにもいかない。
やめよう。
こんな連想は被害者めいている。
僕はあくまで加害者に過ぎない。
どんな御託を並べても、結局のところ、僕はビジネスをしているだけなのだ。
そう。
もっと言えば、自分が悩む必要など何もない。
考えるのは、国や会社の役目だ。
僕は、雇われているだけの身に過ぎない。
そんな卑怯な思いも巡る。
現場へと到着し、バスから降りる。
複数の警官やパトカーによって封鎖された、小さめのスーパーマーケット。
電線を切られたのか、明かりはすべて消えている。
パトカーのカーライトに照らされ、入り口付近は、かろうじて中が垣間見えるようになっている。
時刻は四時過ぎ。
外が暗くなるまで、まだ時間は残っている。
「従業員と客が数名、それから、突入した警官二名が戻ってきてねぇそうだ」
来栖が、情報を告げる。
「間違って撃たねぇようにしろよ。よく相手を確認しろ」
バス後方から、巻き揚げ機を下ろす。
巻き揚げ機から伸ばしてきたケーブルを、僕の手にある十字弓の矢に接続する。
南が電気ランプの電源を入れ、探知機の状態も確認する。
来栖と小鳥遊も、それぞれ槍と拳銃を手にし、立つ。
三川が、音を鳴らして、散弾銃の弾装填を完了した。
準備が整い、僕らはスーパーマーケットの入り口に立った。
自動扉を手動で開け、僕たち五人は、暗闇の中へと足を踏み入れた。
来栖と三川が先頭に立ち、南を挟んで、僕と小鳥遊が続く。
僕の後ろから続くケーブルが、絡んでしまわないように気をつけながら先へ進む。
この仕事を始めた当初は、よく現場で絡ませてしまい、周囲に小声で叱られたものだ。
「七」
南が告げる。
多いな、と来栖が舌打ちする。
スーパーの内部は、棚が幾つも並んでいるため、死角が多い。
油断のできない状態だ。
倒れている何者かの姿が、電気ランプの明かりと闇の狭間に見えた。
警官の一人のようだった。
床に少し血痕が付着しており、来栖が確かめると、警官の首筋には見慣れた傷があった。
「近いよ。十時の方向」
と南。
金切り声が、それとは別の方角から聞こえた。
一体の屍が、棚の上を飛び移りながら、勢い良くこちらへ向かってきた。
三川が進み出る。
散弾銃の轟音。
屍が棚の向こうへ転げ落ちる。
と同時に、さらに別の方角から、急速で屍が走ってきた。
棚の上は走らず、棚の合間を通って、三川に駆け寄ってくる。
三川はすかさず銃で屍を殴りつけ、屍がよろめいたところに、散弾を浴びせた。
屍が、棚の缶詰類を払い落としながら、床に倒れ込む。
来栖が進み出て、その屍に槍でとどめを刺す。
棚の後ろ側に倒れ込んでいた屍の姿は、既に消えている。
「六」
告げる南に頷きながら、来栖が、難しい顔をする。
「どうしたんだよ」
僕の声に来栖は、静かにしろ、と手振りで示しながら、自分も小声で返事をした。
「タツ、今の、どう思う?」
「どうって?」
「いい。とりあえず、疑問は後だ」
位置は、と南に訊ねる。
「十時に一、一時に二」
「近くの奴から仕留めていこう。あまり入口から離れたくない」
電気ランプの光とともに、移動を開始する。
南が一歩歩むごとに、光の直径も、闇の中を移動していく。
前方の闇に光が差し、後方の光が闇に埋もれる。
両側の棚に酒瓶が置かれたコーナーに差し掛かったときだった。
ガタン、と音がした。
何の音だ、と来栖が囁く。
続いて、再び何らかの衝撃音。
さらに間隔を置いて、同じ音が響く。
音の間隔が、どんどん短くなりながら、こちらへと近づいてきている。
「避けろ!」
来栖が叫んだ。
そこで、ようやく音の正体が分かった。
棚が、ドミノ倒しの要領で、次々と倒れてきていた。
三川は、少し移動するのが遅れた。
そして、自らに倒れかかってくる棚を腕で受けてしまい、呻き声を上げた。
そのまま、酒瓶が次々と三川の頭に当たり、床に落ちて割れていく。
三川は棚とともに地面に倒れ、酒瓶で肉を切って、血を流した。
散弾銃が地を滑る。
咆哮が上がった。
倒れた棚の向こうから、屍が二体現れ、片方は、真っ直ぐ僕たちに向かってきた。
小鳥遊が、正確に、屍の顔に一発、胸に二発、叩き込む。
屍は、あっけなくその場に倒れる。
もう片方の屍は、迷わず三川に向かっていた。
三川のヘルメットが床に転げ落ちる。
首まで包んである防護服がめくられ、屍は、三川の首筋に、あっという間にかぶりつく。
三川が苦痛の叫びを上げた。
棚に身体を挟まれ、抵抗ができていない。
小鳥遊が拳銃を向けるが、屍は三川の背後に隠れ、上手く狙えない。
南が進み出て、明かりで屍を強く照らした。
三川に隠れながらも強烈な光に耐えきれず、屍は三川を捨てて、奥へ逃げ込もうとした。
小鳥遊は逃がさない。
すかさず、仕留める。
「四」
来栖は、南の報告を無視して、三川に駆け寄った。
その首から、微かに血が垂れている。
ああ――。
目眩。
血の色が、匂いが、そのあまりに禍々しい色彩が、僕を内側から責め立てる。
ああ、紅い――。
鮮烈なイメージ――両手いっぱいの血。
混じり合い、溶け合う、二色の、血。
「助けを呼ばないと、だよ」
小鳥遊が言うと、来栖は首を振った。
「駄目だ。それが敵の狙いだ。俺たちの行動を制限しようとしてる。奴らを片付けるまで、助けは呼べねぇし、外にも向かえねぇ。待ち伏せされてる可能性が大だ」
「末期症状患者が、思考してるって言うの? 思考能力は退化してるはずじゃない」
「さっきも見たろ。奴ら、連携して攻撃して来やがった。今までの奴と違う」
「そんなこと言って、もし三川さんが感染してたら、今のうちに急いで消毒とかしないと、吸血症になっちゃうわよ」
「俺は全員の安全を預かってるんだ!」
来栖が、南の抗議を、囁き声で一喝する。
「三川一人のために、全員を感染の危険にさらすわけにはいかねぇんだよ」
来栖は、自らを落ち着かせるように、胸に拳を当てる。
「残りの敵は」
「八時に二。一時と四時に一」
「一匹ずつ、確実に仕留めるべきだろう。四時の方角なら入り口も近い」
来栖は意図してか無意識にか、匹、という数え方をしていた。
「三川さんは置いていくの?」
「仕方がねぇ。奴らは感染した者には手を出さない。安全だと思う」
非情にも思える決断だが、それしかなかった。
僕らは移動を開始する。
だがすぐに、待て、と来栖が呟いた。
何か思案する風だった。
「南、敵の位置は」
「相変わらず。一時と四時に一」
「八時の奴らは」
「離れ過ぎちゃったから、探知できてないわよ」
「それが狙いだ」
くそ、と来栖は呟き、顔を上げた。
「作戦変更だ。一時に向かう」
「どうして?」
「奴らの作戦だよ。入り口に近い、他の奴とは離れたところに、一匹配置しておく。そうすれば、俺たちはのこのこ、一番安全そうなそいつを狙いに行く。すると、八時の二匹は先回りして、四時の奴の援護に向かう。俺たちは、同時に三匹から襲われることになる」
だが逆に、と来栖は言う。
「読めたぞ。これだけの連携をしてきてる奴らだ。必ず司令塔的な存在――親玉がいるだろう。そして親玉は、自らを一番安全な位置に置いているはずだ。つまり、親玉は――」
「一時の奴」
僕が言うと、来栖は人差し指を僕に向けた。
「ご名答」
行くぞ、と来栖が続ける。
「司令塔を片付けてしまおう。そうすれば、連携も崩せるはずだ」