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屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
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1-5 金糸雀

 ――。


 どこかから転落してきたかのように。

 僕はベッドの上で身体を強張らせ、目を開いた。


 胸が高鳴っている。

 激しい動悸。

 荒く息を吐き、天井を見上げる。


 夢の中身など、とうに覚えていない。

 が、問題は、そのことではない。


 目を覚ました僕は、絶望的な思いで置き時計に目をやる。

 短針は、無情にも九の数字を指して止まっている。

 学校は既に始まっている。

 完全に寝過ごしたというわけだ。


 どうするかな、と考え込む。

 今日は休むか。


 その時、甲高いベルを鳴らして、携帯電話が着信を告げた。

 開いてみて驚く。


 南からの着信だ。

 今は授業中のはずだが。

 訝しみながら、通話ボタンを押す。


《あんた、どこで何やってんの!》


 不自然なほどの囁き声で、南が怒鳴った。


「南こそ、どこで何やってんだ。授業中だろ」

《だから囁き声なんでしょ、馬鹿》


 そう言えば、南の席は、教室の一番後ろだ。

 こっそり電話をかけてきたということか。


《あんたね、前に言われたでしょ。学校にちゃんと通えないようなら、仕事の方もクビにするって。そうなったら、お金どうすんの。やってけるわけ?》

「お前は僕の母親か」


 僕は溜息を吐いた。


「そんなの、脅しに過ぎないって。僕たち、正社員じゃなくて契約社員だろ。基本的に、契約期間が終わるまでは、向こうだって勝手にクビにはできないって」

《そんなこと言って――あ、はい》


 電話が切れた。


 先生に当てられでもしたのだろう。

 成績優秀、真面目な南だが、たまにこういう、授業中に電話をかけてくるような破天荒なことも、平気でする。


 学校、どうするべきだろうか。

 今日くらい休んでもいいか、という気もする。


 ふらふらと自らの部屋に向かい、ベッドに座り込む。


 特に理由もなく、ベッドの向かいに位置する本棚に目を留める。

 吸血鬼に関する物語。

 吸血症に関する書物。


 人は物語で動く。

 そう思う。


 それは別に、殺人などの小説を読んだ人が殺人鬼になるとかいう意味ではなく。


 人は、自分の人生や現実を、物語の構造に当てはめて考えることがある。

 そこで、当てはめる物語を少しでも間違えば、人は、間違いを犯す。


 現実は複雑だ。

 けれど、全てが因果関係に満ちている物語の文法は、容易く人々に受け入れられる。

 分かり易く、流れがあり、筋が通っている物事を、人は好む。

 勧善懲悪。

 人は物語を扱いきれていない。

 物語るという、地球上の生物で唯一与えられた能力を、持て余している。

 それが、人が人である所以であり、人が人である罪だ――。


「お兄ーちゃん」


 扉の外でノックが聞こえ、僕は思考の流れを遮断した。


 暗い室内に、未来が入ってきた。


 暗く澱む室内。

 遮光カーテンやダンボールによって、窓からの朝陽は遮られている。

 電気をつけなければ、朝でも真っ暗だ。

 その電気も、僕の部屋以外に備えられたものは、柔らかく弱い光を浮かべる電灯で、我ながら自身の健康には悪そうな室内だ。


 すべては未来のためだった。

 初期症状患者である未来は、強い光に弱い。

 そんな未来への気配りが、この部屋には充実していた。

 例えば食器類も、銀製のものは何一つ無く、すべて木製だ。


 十三歳の未来。

 この十三という数字は、本来、未来にとって何ら意味を持たないのであるが。そこに意味を見出そうと、あるいは作り出そうと、未来は常に振る舞っている。


 長谷川(はせがわ)

 長谷川未来。

 それが少女の名だ。

 かつては。


 今は、その名にどれほどの意味があるだろう?


 未来にとって。

 僕にとって。


 未来が未来であるということ以外に。

 親にさえ見捨てられた、未来にとって。


 いや、哀れむのはやめよう。

 未来は未来だ。

 僕の、妹だ。


「未来……起きてたんなら、起こしてくれよ」


 少し恨めしげに言ってみると、てへ、と未来は舌を出した。


「だって、寝過ごしちゃえば、お兄ちゃん、ずっと側にいてくれるかと思って」

「でも、未来はそろそろ寝るんだろ?」

「うん。だから、寝てる間、一緒にいて欲しいの」


 そうか、と僕は、壁時計を見上げる。

 仕方ない。

 今日は諦めるとしよう。


「未来、今日は何してたんだい?」

「あのね、ネットサーフィンとゲーム、それから漫画を読んでたの」


 深夜にオタクな活動をする吸血鬼というのも斬新だ、と笑う。

 もちろん吸血鬼ではない、未来は吸血症患者だ。

 これが理解できない人間の頭の構造を知りたく思う。


「テレビからは、充分、離れろよ。身体に悪いから」

「うん」


 素直に頷く未来。

 自分の身体のことは、自分でしっかり把握しているだろう。


「あの、ごめんなさい」


 少し身を縮めて、未来が頭を下げた。


「え、何が?」

「未来、昨日、つい食べ過ぎちゃって……」


 ああ、と僕は笑った。

 それで寝過ごしてしまったのか。

 そう言えば、少し身体が怠い。


 学級担任の金糸雀(かなりや)は怒っているかもしれない。

 教師とは思えないような不良面をした、眼鏡の似合う女性で、実を言うと、僕の勤める会社の社長でもある。


 当然のことながら、公務員は、営利を求める私企業を営んだり、その企業で地位を得ることや、報酬が発生するいかなる事務にも従事してはならないと、法律で規定されている。

 そこで金糸雀は、裏の顔で会社を運営している。

 会社自体は、別に隠された企業ではないため、表に社長が出ねばならないときは、アルバイトの中年男性が影武者を務めている。

 自らが社長であることなどは、社員にすらもあまり告げておらず、知っているのは一部の者だけだ。

 僕や来栖たちは、勤め始めて少し長いので、全員がそのことを知っている。


 僕たちの学校では、割の良い仕事があるという噂が、いつ頃からか流れている。

 恐らくは金糸雀が流したのだろう。

 仕事の内容や会社の電話番号も、噂話の中にはしっかり含まれていて、物好きや金に困った生徒が、よく会社に面接を受けに行っているらしい。


 命の危険がある仕事に学生たちを雇うことに関して心は痛まないのか、という質問を記者から浴びせられた際、金糸雀は影武者に、こう言わせた。


「学生たちは、自ら望んで我が社に来ました。こちらとしても、この仕事に関する能力や素養があるのなら、特に年齢制限は設けておりません。我が社は発足したばかりで、人員が致命的なまでに少ない。ですが、彼らの優秀さは、私が保証します」


 携帯電話が鳴る。

 表示を見ると、金糸雀からだった。


 頭の中で噂をすれば、と時刻表示を見る。

 一限が終わった頃だ。


 溜息一つ、通話ボタンを押す。


「――はい」

《うぃーす、金糸雀です》

「先生、」

《どうして人は恋をするの》

「突然、何を――」

《学校に行くためだろーが》


 法律違反の不良教師は、さも当然の答えだというように宣った。


《今日も素敵なあの娘に会って、恋を成就せんがため学校に行く。これが全人類の、全男性自身の、深層心理ってもんだろ。リビドーだろ。この不全やろうが》


 理不尽な罵倒を交えつつ、それなのに、と金糸雀は続ける。


《期末試験も終わり、夏休み前夜祭、プール開放、と楽しい行事が目白押しのこの時期に、どうして学校に来ないなどという選択肢が浮かぶのかね、タツヒラ君》

「すみません、今日は……」

《ああ時にタツヒラ君、ちょい相談だけど、我が社の社名を変更したいと思う今日この頃》


 金糸雀は、話題をさらっと変えてしまう。

 これには、いつも、ついていけない。


《吸血症末期患者対策事務所、なんて、堅苦しいとは思わない? 思う? どっち!》

「何か代案があるんですか?」

《こんなのはどう。ナイト・オブ・センチュリー》


 通話を切る。

 これ以上会話して、何かしらの進展があるとは思えなかった。


 携帯電話を放り出して振り向くと、既に未来は、僕のベッドの中でタオルケットにくるまり、小さく寝息を立てていた。

 隣に転がって、軽く頭を撫でてやる。

 未来は、くすぐったそうに身じろぎした。


 その寝顔を見つめていると、思う。


 守ろう。

 この子を、守ろう、と。


 今、ここに、こうして、この子が居るという現実を、守り通そう。


 過ぎた過去は、遠い後方に飛び去った。

 それでもなお、現在は続いていく。


 それなら。

 僕は、僕という現実を、守り続けよう。


 起きてしまった、過去への誠意として。


 そう自らに言い聞かせつつ。

 僕は、仕事の出勤時間になるまで、生温かい微睡みに身を委ねた。

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