1-3 一つ屋根の下
僕は、自分の部屋に帰宅すると、扉を開け、電気をつけて、靴を脱いだ。
賃貸マンション三階の端に位置する部屋。
薄暗い明かりの中、軽く室内を眺め回す。
ありきたりのリビングダイニングキッチン。
奥に二つ扉がある。それぞれ、六畳ほどの小部屋に繋がっている。
誰の姿も見えない。
だが、誰かが先程まで存在した形跡があった。
手を伸ばす。
靴箱の上の、十字弓を手に取る。
傘立てから矢を抜いて、装填する。
息を沈める。
十二畳のLDKには、身を潜めるような場所はそう多くない。
十字弓を構えて歩み出す。
仕事で現場に突入した際と同じように、右、左、右、と室内をチェックしていく。
キッチンの陰、テーブルの下、カーテンの裏、ソファーとテレビ、
軽く点検しながら、その奥、右側の扉に近づいて、ノブに触れる。
この先には、自分の寝室兼勉強部屋がある。
ノブを回す。
ゆっくりと――
素早く振り向き、十字弓を構える。
LDK――その中央に位置するソファーの裏から、一つの人影が飛び出してきた。
その俊敏さに驚きつつも、迅速に狙いを定める。
求められるものは、素早さと正確さ。
引き金を絞る。
躊躇いなど必要ない動作。
飛び出した矢が、襲いかかってきた人影――
――まだ少女に過ぎない身体のその胸に、命中した。
と同時に、矢は情けない音を立て、跳ね返って床に落下した。
相手が動きを止める。
僕も十字弓を構えたまま動かない。
やがて、襲撃者である長髪の少女は、くすくすと笑い始めた。
そのままソファーに崩れ落ち、小さな身体を埋もらせながら、可笑しそうに笑い続ける。
僕も十字弓を下ろし、少女の可愛く笑う様を見つめ、笑みを浮かべた。
「また負けちゃった」
少女はそう呟いて、撃たれた自分の胸を抑え、また笑う。
僕は、十字弓から発射された玩具の矢を拾い上げ、十字弓と一緒に棚の上に置いた。
少女は、笑い過ぎて微かに涙の滲んだ目を上げて、僕を見つめた。
「おかえり、お兄ちゃん」
「うん、ただいま」
応えて、少女の隣に腰を下ろす。
少女の横顔に目をやる。
成長すれば、目を瞠るような美女に育つであろう、日本人形を思わせる整った顔立ち。
少女は、まだ十三歳だった。
普段の行動から、実際の年齢より幼く見えてしまうこともあった。
ここは、僕と少女が二人暮らしのために借りている部屋。
LDKの奥、左側の扉は、少女の可愛らしい寝室に繋がっていた。
「未来、今日は晩御飯作って待ってたよ」
「そっか。ありがとう」
頭を撫でると、未来は嬉しそうに背筋を伸ばした。
まだ子供なのだ――子供で在りたいのだ――という思いが胸中に広がる。
それじゃあ頂こうかな、と僕は席を立ち、テーブルに近づいて胡座をかく。
白米に豚肉とほうれん草、味噌汁、出汁巻卵が並んでいた。
頂きます、と手を合わせ、未来はまだいいのかい、と聞いてみる。
「うん。お兄ちゃんが食べてからで良いよ。先にお風呂、入ってくるね」
小走りに未来が駆けていく。
僕は、意外と自分が空腹だったことを意識しながら、食べ物を口に運んだ。
料理をすべて食べ終えた頃、ほかほかと湯気を身に纏った未来が戻ってきた。
「あ、美味しかった? お兄ちゃん」
「うん、最高」
親指を立ててみせると、未来もにまっと笑って、親指を立てて見せた。
ソファーに座った未来が、隣をぽんぽんと叩き、お兄ちゃんお兄ちゃん、と呼んだ。
呼ばれるままに、皿を片付けてから、隣に座ってやる。
えへへ、と照れ笑いしながら、未来が下を向いて、もじもじとした。
「何だい」
未来の言いたいことを理解していながら、それでも彼女の口から言わせようとするのは、酷なことだろうか、と一瞬、考えた。
きっと、酷なことだろう。
それでも、彼女には常に意識しておいてもらわないと困る。
あのね、と未来が呟く。
「未来、お腹が空いちゃったの、お兄ちゃん」
そっか、と僕は頷いてみせる。
「食べちゃってもいい?」
「いいよ。もう夜になるしね。宿題も終わってるから、特にすることないし」
じゃあ、と未来は恥じるように微笑んで、そっと顔を近づけてきた。
八重歯が二本、笑みの中に覗いている。
未来の手が、優しく僕の背中に添えられ、未来の唇が、軽く僕の首筋に押しつけられた。
微かな痛み――慣れた感触――やがて来る、官能的なまでの甘い陶酔。
ほうれん草は貧血予防に効くんだっけ、とぼんやり思う。
僕の意識は暗転する。